夏の扉が開かない

穂祥 舞

文字の大きさ
39 / 58
3 7月下旬

クリームソーダは特別なストローで①

しおりを挟む
 試験期間をあと2日残して、泰生の前期試験は全て終了した。今日もまた、地球に蒸し焼きにされそうなくらい暑い。しかも試験が済んだのは、夏の1日で一番暑苦しい、15時少し前だった。
 とはいえ何とも言えずすっきりした気持ちになったので、泰生は商店街のある駅で途中下車した。アーケードの中にはもう祇園囃子は流れておらず、Summer Sale と書かれた横断幕が飾ってあった。電車の中で大阪の天神祭の吊り広告を見たが、この辺りは京都なので、それは関係無いということらしい。
 泰生は淡竹を目指して商店街を下る。暑過ぎて危険なレベルだからか、夏休みに入っているはずの子どもの姿はあまり無いが、おもちゃ屋の店頭で浮き輪とビーチボールが揺れていた。定休日の店舗の前では、野菜や果物の露店が並ぶ。緑色のプラスチックの籠に、小ぶりの桃が盛られているのを見て、お盆が近いなと泰生は思う。
 予想に反して、喫茶店は混雑していた。テーブルは全て塞がっているのに、店の中には店長1人きりだ。
 泰生はカウンターに向かい、店長にこんにちは、とそっと声をかけた。店長はトーストを切る手を止めて、ああ、いらっしゃい、と笑顔になった。

「ごめんな、俺一人でばたついとって」

 店長はトースターのタイマーを回してから、4つのグラスに氷を入れた。

「キムラさんが調子崩しとってな、こんなクッソ暑いのに混むと思わんやん……」

 小声で言いながら、店長がポットからグラスにコーヒーを注ぐと、香ばしい匂いが広がった。キムラさんとは、この間岡本と一緒に働いていたベテランの女性らしい。
 店長は手早く銀の盆にコーヒーの入ったグラスと、ガムシロップとコーヒーフレッシュが入った小さなピッチャーを置いて、カウンターから出ていった。戻るとすぐに泰生にお冷やと冷たいおしぼりを出し、こそっと言う。

「キムラさん感染症みたいなんやわ、流行ってきてるし長谷川くんも気ぃつけや」

 あの女性の気の良さそうな笑顔を思い出し、泰生は気の毒に思った。兄の友樹の会社でも、父の会社でも、陽性判定が出て休んでいる人が出ているという嫌な話を昨夜聞いたばかりだった。
 泰生ははい、と答えながら手を拭く。冷たくて気持ちいい。頷く店長がドリッパーに湯を落としていると、アイスコーヒーが運ばれた席から声がかかった。

「マスター、ストローおくれ」
「あっごめん、ちょい待ってや」

 ドリップを途中で止めるわけにはいかず、店長の声に焦りが混じる。彼の背後でトースターがちん、と音を立て、ワンオペのキッチンは大わらわだ。
 泰生は自分の座る席の斜め前に、袋入りのストローが数本立っているのを見つけ、思わず声をかけた。

「ストロー持って行きます」

 店長はえっ! と言ったが、ごめん、とすぐに翻った。泰生は立ち上がり、カウンターから手を伸ばした。
 4人の老人は、袋に入ったストローを泰生が持ってきたのを見て、ごめんな、ありがと、と口々に言う。

「ごめん、ついでに水もろていい?」 
「えっ? あっ、ちょっと待ってくださいね」

 泰生が慌ててカウンターに戻ると、店長は焼き上がった厚いトーストにバターを塗っていた。

「店長、水やそうです」
「ごめん、頼まれていい?」

 氷水の入ったピッチャーを指差されて、泰生はそれを取り上げた。水滴が底からぽたぽた落ちたので、傍にあった乾いたダスターで拭く。
 老人たちのグラスに順番に水を注いでいると、にいちゃん新しいバイト? と訊かれた。

「いえ、客です……」
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】指先が触れる距離

山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。 必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。 「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。 手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。 近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。

こじらせ女子の恋愛事情

あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26) そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26) いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。 なんて自らまたこじらせる残念な私。 「俺はずっと好きだけど?」 「仁科の返事を待ってるんだよね」 宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。 これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。 ******************* この作品は、他のサイトにも掲載しています。

処理中です...