夏の扉が開かない

穂祥 舞

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1 7月上旬

ラブレターに非ず

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 日曜日、期末試験も近いので、泰生は出かけずに授業のノートの整理をすることにした。近所のショッピングモールでは夏のバーゲンが始まっていて、今日は七夕イベントとして縁日が出るなどするらしいが、混雑にうんざりするだけなので、自宅に引きこもるほうがいい。
 泰生の家族は、父と泰生がどちらかというと出不精で、母と兄は出好きである。友樹は母の買い物につき合ってやるらしく、昼食の素麺を皆で食べてから2人だけで出て行った。
 父はリビングのテレビをつけて競馬の中継を見ながら、泰生が本やノートを広げるのをチラ見している。競馬が好きな父が、本当は京都競馬場に行きたいことを泰生は知っていた。父が競馬に使う金など知れているのだが、息子たちの学費のためにパートで働いてきた母に遠慮しているのだ。

「もう試験か」

 話しかけられて、泰生は父の顔を見た。

「うん、終わったら夏休みやで」
「言うて、吹奏楽部辞めたし何も無いんやろ?」
「そやねん、バイト探そかなと思てる」

 父子で緩い会話を交わす。

「おまえら小っさい頃は、毎年夏休みに琵琶湖に泳ぎに行ったなぁ」
「え、兄貴彼女に振られたらしいし、今年みんなで行く?」

 泰生は言いながら笑いそうになり、父は考える顔になった。

「水着あらへんし」
「気にすんの、そこかいな……おかんにRHINEしたら、今からモールで水着買うんちゃうか」
「RHINEしてみたろか」

 父がスマートフォンを取り上げるので、泰生は今度は笑った。

「しかしあれやな、今はこうやってすぐに好きな子にもメッセージ送れるし、若い奴らはラブレターなんか書かへんのか」

 父は母に何を書いているのか半笑いになりつつ、右手の親指を動かす。泰生は真面目に考察した。

「相手の連絡先を訊くのが最大の関門かな、もちろん最初のメッセージもどきどきするけど」
「ああそうか、振られる時はまずそれを教えてもらえへんねんな」

 父や母は、社会人になってから携帯電話を個人で持ち始めた世代だ。しかし初期のそれには電話の機能しか無く、手書きのラブレターがまだ行き来していたという。
 それを聞いて、普段授業で大昔に書かれた書簡や業務資料について学ぶことがあるせいか、そういうのって悪うないよな、と思う泰生である。
 その時テーブルの上で、泰生のスマートフォンが震えた。画面に表示されたメッセージの差出人の名に、心臓が跳ねた。
 井上旭陽だった。泰生が開封をためらっていると、母にRHINEを送ったらしい父が、何か来たんちゃうか、と言った。
 泰生は、ああ、と何でもないような振りをして、スマートフォンを手にした。

「元気ですか。1週間長谷川の顔を見てないとか、ちょっと嘘みたいな感じです。来週からテスト期間に入りますね。頑張ってください。」

 旭陽のメッセージには絵文字もスタンプも無かった。ブロックされていないか、確認しているのかもしれなかった。
 泰生はやや沈鬱な気分になったが、後回しにすると余計気持ちの負担になるので、簡単に返信しておく。

「テストが終わったら、アルバイトを探そうと思っています。暑いので身体に気をつけてください。」

 会う約束さえしない、つまらないメッセージだと我ながら思う。しかし、これ以上伝えたいことは無いし、ましてや管弦楽団の話、たとえば吹奏楽部を辞めた戸山がいることなど、言うべきではないと感じた。
 話あんねん。あの日の旭陽の異様に真剣な目を思い出す。苦々しい記憶……誠実に対応したつもりだった。あれ以上、どう返答すれば良かったのか。

「ラブレターか?」
「ちゃうわ」

 七夕に来た微妙なメッセージは、そんないいものではないだろう。父の突っ込みにやや鬱陶しさを覚えたその時、母から返事が来たらしく、スマートフォンを見た父が、おっ、と声を高くする。

「水着選びにこれから出て来やへんかって訊いてきた」

 父の言葉に泰生は目を剥いた。

「マジなん? 社会人と大学生の息子いてる4人家族で海水浴とか、普通にキモいやろ」

 しかし父はその気になってしまったらしく、立ち上がってテレビを消した。

「友樹はな、今年彼女と海に行くつもりやったから、去年の夏の終わりに新しい水着を買っとったらしいわ……」
「兄貴そんなことおかんに言うたん? 捨て身やなぁ」

 旭陽とのトークルームをさっさと閉じて、泰生もひとつ伸びをした。結局テストの準備は、今日はあまり進まないまま終わりそうだった。
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