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女王は頼らない、頼れない
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「うふふ、いいところに居合わせちゃったわねぇ、ももちゃん? おじいちゃんにも報告しないと」
祖母はももちゃんの顔を見て、胸の前で両手を合わせた。その後少し、由希のお相手の話などをしていると、祖母は顔から笑いを消し、言い聞かせるように話し出した。
「あのね亜希ちゃん、ちょうどいいから大西さんにも聞いてもらいたいわ、お母さんはとりあえず元気にしてる……でも実は、再婚した人とも別れちゃったの……」
亜希はきらきらと晴れた空に雷雲が立ち込めてくるような、不安で嫌な感じを覚えた。それを察してくれたのだろう、テーブルの下で、千種の指先が亜希の右手の甲に触れた。大丈夫、と亜希は千種の顔を見て、その茶色い瞳に胸のうちで語りかける。
「おじいちゃんが入院するちょっと前にね、他に好きな人ができたなんて聞かされて怒っちゃって、二度と顔を見せるなってお母さんに言ったから、私もあの人とはおじいちゃんのお通夜とお葬式でしか会ってないの」
亜希は仰天した。そんなこともあって、祖母は祖父と暮らした家を処分し、ここに移ってきたのだ。たぶん間違いないだろう。亜希は不快感を極力顔に出さないようにしながら、口を開いた。
「……もういいよおばあちゃん、お母さんがお父さんと上手くいかなかったことは私もある程度理解してるというか、どうこう言うつもりも無いし……もうお母さんは私や由希とは関係無いと思ってる」
祖母はそうね、と言ったが、やはり寂し気だった。祖母に言っても仕方がないことのように思えたが、亜希は話そうと決心する。
「おばあちゃん、由希も同じことを言ってたんだけど、私たち……こんな言い方してごめんね、お母さんみたいにならないか不安なの」
テーブルの下で、千種が手を握ってくれた。以前彼は、母親と自分は違うと言ってくれたが、今は亜希と祖母の会話に割り込まなかった。
「亜希ちゃん……そんなことは遺伝しないし、例えふらつくことがあってもどう行動するかが大切よ」
「うん、そうだね」
「あなたや由希ちゃんがこれから生涯を共にしたいと思う相手をまずよく見て、何か疑問ができたならきちんと話し合って……残念だけどお母さんはそれができない人なのよ、あなたにはできるはず」
きっと祖母も、母との関係に関しては、消化できていないのだろう。祖母に辛い思いをさせてしまったことを、亜希は後悔した。その反面、祖母からも大丈夫だと言われて、ほっとしている自分もいた。
とにかく今日から、祖母は亜希のご近所さまだった。彼女は山川の言う通り、脚に少し不安があるものの元気なようで、グループホームでの暮らしは自由度も高く、楽しんでいるようだった。
父と妹に今日の報告をする旨を伝えて、名残惜しかったが、亜希はフロイデハウスを辞した。いつでも会っていただけますから、と山川も言ってくれるので、メッセージSNSのアカウントは祖母と交換し合ったが、定期的に訪れようと思う。
千種は職場に戻ると言った。今日は早番らしいので、閉院してから食事をする約束を交わす。
「ありがとう亜希さん、今日は大切な時間を共有させてくれて嬉しかった」
千種の明るい色の髪が、夕暮れの色を帯びた陽射しに、金色に透ける。亜希は首を小さく横に振った。
「ううん、こちらこそ来てくれて心強かった、仕事中なのに申し訳なかったね」
「それは大丈夫、病院のみんなには、もものかいぬしの一大事だって話してるから」
亜希はええっ、と言ったが、千種は適当にお茶を濁して説明したらしい。なかなか気楽な職場のようだ。ふと亜希は、千種だからそんなことが許されているのかもしれないと思う……良いことなのかはよくわからないが。
「じゃあまた後で、ももちゃんもまたね、飼い主の気が変わらないように見張っといてくれよ」
千種はトートバッグに手を入れて、ももちゃんの頭を撫でた。気が変わるとは何のことだろうか。亜希が訊くと、彼は照れ笑いのような顔になった。
「え? 俺と一緒に歩いて行く気になったこと」
「……変わらないから」
亜希はぽそっと呟いた。千種はくすっと笑い、手を振って病院への道を曲がっていった。
トートバッグの中を覗くと、ももちゃんは何も言わないが、何となく嬉しそうな顔をしているように、少なくとも亜希には思えた。
祖母はももちゃんの顔を見て、胸の前で両手を合わせた。その後少し、由希のお相手の話などをしていると、祖母は顔から笑いを消し、言い聞かせるように話し出した。
「あのね亜希ちゃん、ちょうどいいから大西さんにも聞いてもらいたいわ、お母さんはとりあえず元気にしてる……でも実は、再婚した人とも別れちゃったの……」
亜希はきらきらと晴れた空に雷雲が立ち込めてくるような、不安で嫌な感じを覚えた。それを察してくれたのだろう、テーブルの下で、千種の指先が亜希の右手の甲に触れた。大丈夫、と亜希は千種の顔を見て、その茶色い瞳に胸のうちで語りかける。
「おじいちゃんが入院するちょっと前にね、他に好きな人ができたなんて聞かされて怒っちゃって、二度と顔を見せるなってお母さんに言ったから、私もあの人とはおじいちゃんのお通夜とお葬式でしか会ってないの」
亜希は仰天した。そんなこともあって、祖母は祖父と暮らした家を処分し、ここに移ってきたのだ。たぶん間違いないだろう。亜希は不快感を極力顔に出さないようにしながら、口を開いた。
「……もういいよおばあちゃん、お母さんがお父さんと上手くいかなかったことは私もある程度理解してるというか、どうこう言うつもりも無いし……もうお母さんは私や由希とは関係無いと思ってる」
祖母はそうね、と言ったが、やはり寂し気だった。祖母に言っても仕方がないことのように思えたが、亜希は話そうと決心する。
「おばあちゃん、由希も同じことを言ってたんだけど、私たち……こんな言い方してごめんね、お母さんみたいにならないか不安なの」
テーブルの下で、千種が手を握ってくれた。以前彼は、母親と自分は違うと言ってくれたが、今は亜希と祖母の会話に割り込まなかった。
「亜希ちゃん……そんなことは遺伝しないし、例えふらつくことがあってもどう行動するかが大切よ」
「うん、そうだね」
「あなたや由希ちゃんがこれから生涯を共にしたいと思う相手をまずよく見て、何か疑問ができたならきちんと話し合って……残念だけどお母さんはそれができない人なのよ、あなたにはできるはず」
きっと祖母も、母との関係に関しては、消化できていないのだろう。祖母に辛い思いをさせてしまったことを、亜希は後悔した。その反面、祖母からも大丈夫だと言われて、ほっとしている自分もいた。
とにかく今日から、祖母は亜希のご近所さまだった。彼女は山川の言う通り、脚に少し不安があるものの元気なようで、グループホームでの暮らしは自由度も高く、楽しんでいるようだった。
父と妹に今日の報告をする旨を伝えて、名残惜しかったが、亜希はフロイデハウスを辞した。いつでも会っていただけますから、と山川も言ってくれるので、メッセージSNSのアカウントは祖母と交換し合ったが、定期的に訪れようと思う。
千種は職場に戻ると言った。今日は早番らしいので、閉院してから食事をする約束を交わす。
「ありがとう亜希さん、今日は大切な時間を共有させてくれて嬉しかった」
千種の明るい色の髪が、夕暮れの色を帯びた陽射しに、金色に透ける。亜希は首を小さく横に振った。
「ううん、こちらこそ来てくれて心強かった、仕事中なのに申し訳なかったね」
「それは大丈夫、病院のみんなには、もものかいぬしの一大事だって話してるから」
亜希はええっ、と言ったが、千種は適当にお茶を濁して説明したらしい。なかなか気楽な職場のようだ。ふと亜希は、千種だからそんなことが許されているのかもしれないと思う……良いことなのかはよくわからないが。
「じゃあまた後で、ももちゃんもまたね、飼い主の気が変わらないように見張っといてくれよ」
千種はトートバッグに手を入れて、ももちゃんの頭を撫でた。気が変わるとは何のことだろうか。亜希が訊くと、彼は照れ笑いのような顔になった。
「え? 俺と一緒に歩いて行く気になったこと」
「……変わらないから」
亜希はぽそっと呟いた。千種はくすっと笑い、手を振って病院への道を曲がっていった。
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