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女王は頼らない、頼れない
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「亜希さん」
優しく名前を呼ばれて、ようやく亜希は少し眠れたことを自覚した。しかし、何となく嫌な夢を見ていたというざらつく感覚が嫌だった。
「眉間に皺寄ってる、辛い夢でも見た?」
額を指先で撫でられる感触が、ほんのりと暖かい色のもので亜希を包む。
どちらかと言うと身勝手寄りの男たちしか知らなかったせいか、亜希はちょっと信じられないのだが、千種はベッドの上では、何時いかなる時も優しい。
昨夜初めて、どうしてほしい? と訊かれて大いに困惑した。千種とそんなに回数をこなしている訳ではないが、亜希は彼の愛撫に不満や違和感を持ったことは無いし、いつも満足しているからだ。むしろ、男とするのって悪くないなぁと、生まれて初めて「女の悦び」みたいなものを感じていたりする。
亜希からはっきりとした答えを引き出せなかった千種だが、やはりそれに対して不快感を示すことはなかった。じゃあ俺のしたいようにする、と笑い混じりに言った。
こんなに大事に扱ってもらって幸せを感じていても、気になることは脳内にへばりついている。フロイデハウスの山川に、プライベートのメールアドレスから連絡を取ると、彼女は件の入居者に、「もものかいぬし」は住野亜希という名の女性だと伝えたと返事をくれた。入居者の名は三波薫子――確かに母方の祖母の名だった。いざそれを知らされると、亜希は心臓が一瞬止まったような気がした。
山川は老人たちに過剰な刺激を与えないよう配慮しているらしい。住野さんが直接フロイデハウスを訪れたとは三波さんに伝えていない、ネット上でやりとりをしていて、三波さんが望むなら住野さんに連絡すると伝えた……とのことだった。
亜希の胸の中は、喜びと戸惑いと不安でないまぜである。約10年ぶりに祖母と顔を合わせることになるかもしれないということに加えて、あの日配達から戻るなり、真庭がレジと事務部門の今後にかかわるような情報をもたらしてきたことも影響していた。
千種には全て話している。フロイデハウスにいるのは祖母である確率がかなり高いこと、おそらく9月にレジ部門と事務部門が一緒になり、部門再編に伴う異動が発生すること。
亜希がうっすら目を開いたのを見て、千種は髪を撫でてくれた。
「水持ってこようか?」
「あ、大丈夫……ごめんなさい、起こしちゃって」
ううん、と言いながら、千種は亜希の背中に腕を回して、そっと抱き寄せてくれる。トレーナー越しに伝わる彼の体温が心地良い。
「……考えないといけないことで頭の中がぱんぱんになってる感じがする」
亜希は呟いた。慰めてくれるように、背中の手がそっと上下する。
「ひとつひとつ消して行こう、まずはお祖母さんのことかな? 会いたくないの?」
「そういう訳じゃないけど……」
「亜希さんのことだから、妹さんにどう伝えようとかいろいろ考えてるんだろ?」
図星で、ひと言も返せない。頬をつけた場所から、抑えた笑い声が響いた。
「一番に自分がどうしたいのかを考えてみて、亜希さんは結構いろんな場所に気を遣い過ぎる、たまに痛々しくて腹立たしい」
亜希は思わず顔を上げた。薄闇の中で、千種が自分を見つめているのを感じる。
「もちろん亜希さんが悪いんじゃないよ、でも世の中自分ファーストの人が多いし、気遣いの無駄使いになることもあるから、それはもったいない」
「無駄使い……」
言葉が悪いかな、と千種は呟き、亜希の額に軽く口づけた。
「……由希の結婚のことも含めて、おばあちゃんに何をどう話せばいいかわかんないなと思ってて」
「不安なら山川さんに同席して貰えばいい、何なら俺もつき合うよ」
優しく名前を呼ばれて、ようやく亜希は少し眠れたことを自覚した。しかし、何となく嫌な夢を見ていたというざらつく感覚が嫌だった。
「眉間に皺寄ってる、辛い夢でも見た?」
額を指先で撫でられる感触が、ほんのりと暖かい色のもので亜希を包む。
どちらかと言うと身勝手寄りの男たちしか知らなかったせいか、亜希はちょっと信じられないのだが、千種はベッドの上では、何時いかなる時も優しい。
昨夜初めて、どうしてほしい? と訊かれて大いに困惑した。千種とそんなに回数をこなしている訳ではないが、亜希は彼の愛撫に不満や違和感を持ったことは無いし、いつも満足しているからだ。むしろ、男とするのって悪くないなぁと、生まれて初めて「女の悦び」みたいなものを感じていたりする。
亜希からはっきりとした答えを引き出せなかった千種だが、やはりそれに対して不快感を示すことはなかった。じゃあ俺のしたいようにする、と笑い混じりに言った。
こんなに大事に扱ってもらって幸せを感じていても、気になることは脳内にへばりついている。フロイデハウスの山川に、プライベートのメールアドレスから連絡を取ると、彼女は件の入居者に、「もものかいぬし」は住野亜希という名の女性だと伝えたと返事をくれた。入居者の名は三波薫子――確かに母方の祖母の名だった。いざそれを知らされると、亜希は心臓が一瞬止まったような気がした。
山川は老人たちに過剰な刺激を与えないよう配慮しているらしい。住野さんが直接フロイデハウスを訪れたとは三波さんに伝えていない、ネット上でやりとりをしていて、三波さんが望むなら住野さんに連絡すると伝えた……とのことだった。
亜希の胸の中は、喜びと戸惑いと不安でないまぜである。約10年ぶりに祖母と顔を合わせることになるかもしれないということに加えて、あの日配達から戻るなり、真庭がレジと事務部門の今後にかかわるような情報をもたらしてきたことも影響していた。
千種には全て話している。フロイデハウスにいるのは祖母である確率がかなり高いこと、おそらく9月にレジ部門と事務部門が一緒になり、部門再編に伴う異動が発生すること。
亜希がうっすら目を開いたのを見て、千種は髪を撫でてくれた。
「水持ってこようか?」
「あ、大丈夫……ごめんなさい、起こしちゃって」
ううん、と言いながら、千種は亜希の背中に腕を回して、そっと抱き寄せてくれる。トレーナー越しに伝わる彼の体温が心地良い。
「……考えないといけないことで頭の中がぱんぱんになってる感じがする」
亜希は呟いた。慰めてくれるように、背中の手がそっと上下する。
「ひとつひとつ消して行こう、まずはお祖母さんのことかな? 会いたくないの?」
「そういう訳じゃないけど……」
「亜希さんのことだから、妹さんにどう伝えようとかいろいろ考えてるんだろ?」
図星で、ひと言も返せない。頬をつけた場所から、抑えた笑い声が響いた。
「一番に自分がどうしたいのかを考えてみて、亜希さんは結構いろんな場所に気を遣い過ぎる、たまに痛々しくて腹立たしい」
亜希は思わず顔を上げた。薄闇の中で、千種が自分を見つめているのを感じる。
「もちろん亜希さんが悪いんじゃないよ、でも世の中自分ファーストの人が多いし、気遣いの無駄使いになることもあるから、それはもったいない」
「無駄使い……」
言葉が悪いかな、と千種は呟き、亜希の額に軽く口づけた。
「……由希の結婚のことも含めて、おばあちゃんに何をどう話せばいいかわかんないなと思ってて」
「不安なら山川さんに同席して貰えばいい、何なら俺もつき合うよ」
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