上 下
95 / 109
女王は頼らない、頼れない

1

しおりを挟む
「亜希さん」
 
 優しく名前を呼ばれて、ようやく亜希は少し眠れたことを自覚した。しかし、何となく嫌な夢を見ていたというざらつく感覚が嫌だった。
 
「眉間に皺寄ってる、辛い夢でも見た?」
 
 額を指先で撫でられる感触が、ほんのりと暖かい色のもので亜希を包む。
 どちらかと言うと身勝手寄りの男たちしか知らなかったせいか、亜希はちょっと信じられないのだが、千種はベッドの上では、何時いかなる時も優しい。
 昨夜初めて、どうしてほしい? と訊かれて大いに困惑した。千種とそんなに回数をこなしている訳ではないが、亜希は彼の愛撫に不満や違和感を持ったことは無いし、いつも満足しているからだ。むしろ、男とするのって悪くないなぁと、生まれて初めて「女の悦び」みたいなものを感じていたりする。
 亜希からはっきりとした答えを引き出せなかった千種だが、やはりそれに対して不快感を示すことはなかった。じゃあ俺のしたいようにする、と笑い混じりに言った。
 こんなに大事に扱ってもらって幸せを感じていても、気になることは脳内にへばりついている。フロイデハウスの山川に、プライベートのメールアドレスから連絡を取ると、彼女は件の入居者に、「もものかいぬし」は住野亜希という名の女性だと伝えたと返事をくれた。入居者の名は三波みなみ薫子かおるこ――確かに母方の祖母の名だった。いざそれを知らされると、亜希は心臓が一瞬止まったような気がした。
 山川は老人たちに過剰な刺激を与えないよう配慮しているらしい。住野さんが直接フロイデハウスを訪れたとは三波さんに伝えていない、ネット上でやりとりをしていて、三波さんが望むなら住野さんに連絡すると伝えた……とのことだった。
 亜希の胸の中は、喜びと戸惑いと不安でないまぜである。約10年ぶりに祖母と顔を合わせることになるかもしれないということに加えて、あの日配達から戻るなり、真庭がレジと事務部門の今後にかかわるような情報をもたらしてきたことも影響していた。
 千種には全て話している。フロイデハウスにいるのは祖母である確率がかなり高いこと、おそらく9月にレジ部門と事務部門が一緒になり、部門再編に伴う異動が発生すること。
 亜希がうっすら目を開いたのを見て、千種は髪を撫でてくれた。
 
「水持ってこようか?」
「あ、大丈夫……ごめんなさい、起こしちゃって」
 
 ううん、と言いながら、千種は亜希の背中に腕を回して、そっと抱き寄せてくれる。トレーナー越しに伝わる彼の体温が心地良い。
 
「……考えないといけないことで頭の中がぱんぱんになってる感じがする」
 
 亜希は呟いた。慰めてくれるように、背中の手がそっと上下する。
 
「ひとつひとつ消して行こう、まずはお祖母さんのことかな? 会いたくないの?」
「そういう訳じゃないけど……」
「亜希さんのことだから、妹さんにどう伝えようとかいろいろ考えてるんだろ?」
 
 図星で、ひと言も返せない。頬をつけた場所から、抑えた笑い声が響いた。
 
「一番に自分がどうしたいのかを考えてみて、亜希さんは結構いろんな場所に気を遣い過ぎる、たまに痛々しくて腹立たしい」
 
 亜希は思わず顔を上げた。薄闇の中で、千種が自分を見つめているのを感じる。
 
「もちろん亜希さんが悪いんじゃないよ、でも世の中自分ファーストの人が多いし、気遣いの無駄使いになることもあるから、それはもったいない」
「無駄使い……」
 
 言葉が悪いかな、と千種は呟き、亜希の額に軽く口づけた。
 
「……由希の結婚のことも含めて、おばあちゃんに何をどう話せばいいかわかんないなと思ってて」
「不安なら山川さんに同席して貰えばいい、何なら俺もつき合うよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

長い片思い

詩織
恋愛
大好きな上司が結婚。 もう私の想いは届かない。 だから私は…

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

元カノと復縁する方法

なとみ
恋愛
「別れよっか」 同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。 会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。 自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。 表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

処理中です...