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女王の身辺を探る者
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手弁当をロッカーから出すついでに、SNSをチェックする。代ぬいのさくらちゃんの写真が思った以上に好評だ。現在販売中のぬいぐるみなので、色違いの子がいます、という人と繋がることもできた。ぬいぐるみの修理中にそんなサービスもあるのかと、興味を持って質問してくる人もいる。
ただし、あくまでもさくらちゃんは借り物なので、あまりどんどん写真をアップするのもどうかと思い、自制している。ももちゃんの旧作にさくらちゃんを織り交ぜて投稿することにした。やはり、ももちゃんを撮影している時と感覚が違うのだ。
さくらちゃんは、その可愛い姿を見てほしくて撮影しているだけだが、ももちゃんを撮るときは、彼女を通じて、亜希がその場で感じていることを何かしら伝えようとしているような気がするし、ももちゃんが被写体だから、おそらくそうできるのではないか。さくらちゃんを撮影するまでそんな風に考えもしなかったので、亜希はさくらちゃんを貸してくれた病院と、すぐに手渡してくれた千種に感謝していた。
千種と病院の副院長はSNSを良く見てくれていて、まめに反応してくれるのが嬉しい。千種のアイコンはジンベエザメのぬいぐるみのようだが、何処かの水族館のおみやげだろうか。今度訊いてみよう。
初めて見るアカウントにフォローされていることに気づき、亜希は椅子を引きながら、そのアカウントをチェックしてみた。「たくと」と男性らしき名前だが、作られたばかりのアカウントのようで、自己紹介欄には何も書かれていない。ぬいぐるみ愛好家コミュニティは女性が多いので、やや異質に思えたが、写真にいいねしてくれているし、ブロックすることもないだろう。亜希はページを閉じた。
「来週半ばにももさんを返せるよ、迎えに来ますか?」
千種は午後から少し仕事をしていたらしく、亜希の上がる時間に合わせて、喫茶オーリムに来てくれた。うちで何か作るから来て、と誘いたいのはやまやまだったが、勇気が出なかった。さくらちゃんを迎えたことで、千種の「代ぬい代理」が終わっていたため、彼を部屋に上げるもっともらしい口実はもう無かった。
ももちゃんが戻ってくるという話は、今日千種と顔を合わせることができた事実に加えて、亜希の気持ちを明るくした。昼間のおかしな電話はやはり気になっていたし、夕方の混雑時にレジの手伝いに行き、アルバイトの子が男性客に難癖をつけられているのをフォローしようとして、その客に睨まれ舌打ちされたことにもイライラしていたからだ。
「行けそうなら迎えに行きます」
「その日でないといけないってことじゃないから、休みの日に来てくれたらいいよ」
「来週は木曜が休みなんだけど……あ、さくらちゃんの進退はいつまでに決めたらいいの?」
進退という亜希の言葉に、千種は軽く笑う。
「ということは買い取りを迷ってるんだ」
「うん、可愛いもん」
亜希はパスタをフォークに巻きつけた。さくらちゃんはぬくもりぬいぐるみ病院の「代理ぬいぐるみリスト」に写真が載っている。買い取りを視野に入れているのは確かだが、もしあの子を気に入って、貸し出しを待っている人がいるなら、返したほうがいいとも思う。別れが悲しくなるほど、まだ情は移していなかった。
「悩ましいところ」
考えを話すと、千種はフォークを持ったまま言った。
「ぶっちゃけ、さくらを借りたいって待ってる人は今いないんだけど……自分の気持ちを優先したらいいじゃないか、そんなことで悩む住野さんが好きだなあ」
千種の目が笑うのを見ると、亜希まで嬉しくなる。こういう気持ちの通い合いには、このところすっかりご無沙汰していたので、新鮮だ。
だから、この空気感を壊したくなくて、亜希は昼間抱えた小さな棘の話を口にしなかった。職場に変な電話がかかってきたなどと話せば、きっと千種は心配する。
「住野さん、お願いがあるんだけど」
千種はミニサラダをつつきながら言った。何? と亜希は軽く応じる。
「今夜泊めて」
その場に3秒の沈黙が落ちた。少し躊躇ったものの、亜希は自分でも驚くくらい、するりと答えた。
「うん……私遅番だから11時には家を出るけど」
目の前の男はにかっと笑った。彼がこういう子どもっぽい笑顔を見せるのは、かなり嬉しい時らしいということを、亜希はもう覚えていた。
ただし、あくまでもさくらちゃんは借り物なので、あまりどんどん写真をアップするのもどうかと思い、自制している。ももちゃんの旧作にさくらちゃんを織り交ぜて投稿することにした。やはり、ももちゃんを撮影している時と感覚が違うのだ。
さくらちゃんは、その可愛い姿を見てほしくて撮影しているだけだが、ももちゃんを撮るときは、彼女を通じて、亜希がその場で感じていることを何かしら伝えようとしているような気がするし、ももちゃんが被写体だから、おそらくそうできるのではないか。さくらちゃんを撮影するまでそんな風に考えもしなかったので、亜希はさくらちゃんを貸してくれた病院と、すぐに手渡してくれた千種に感謝していた。
千種と病院の副院長はSNSを良く見てくれていて、まめに反応してくれるのが嬉しい。千種のアイコンはジンベエザメのぬいぐるみのようだが、何処かの水族館のおみやげだろうか。今度訊いてみよう。
初めて見るアカウントにフォローされていることに気づき、亜希は椅子を引きながら、そのアカウントをチェックしてみた。「たくと」と男性らしき名前だが、作られたばかりのアカウントのようで、自己紹介欄には何も書かれていない。ぬいぐるみ愛好家コミュニティは女性が多いので、やや異質に思えたが、写真にいいねしてくれているし、ブロックすることもないだろう。亜希はページを閉じた。
「来週半ばにももさんを返せるよ、迎えに来ますか?」
千種は午後から少し仕事をしていたらしく、亜希の上がる時間に合わせて、喫茶オーリムに来てくれた。うちで何か作るから来て、と誘いたいのはやまやまだったが、勇気が出なかった。さくらちゃんを迎えたことで、千種の「代ぬい代理」が終わっていたため、彼を部屋に上げるもっともらしい口実はもう無かった。
ももちゃんが戻ってくるという話は、今日千種と顔を合わせることができた事実に加えて、亜希の気持ちを明るくした。昼間のおかしな電話はやはり気になっていたし、夕方の混雑時にレジの手伝いに行き、アルバイトの子が男性客に難癖をつけられているのをフォローしようとして、その客に睨まれ舌打ちされたことにもイライラしていたからだ。
「行けそうなら迎えに行きます」
「その日でないといけないってことじゃないから、休みの日に来てくれたらいいよ」
「来週は木曜が休みなんだけど……あ、さくらちゃんの進退はいつまでに決めたらいいの?」
進退という亜希の言葉に、千種は軽く笑う。
「ということは買い取りを迷ってるんだ」
「うん、可愛いもん」
亜希はパスタをフォークに巻きつけた。さくらちゃんはぬくもりぬいぐるみ病院の「代理ぬいぐるみリスト」に写真が載っている。買い取りを視野に入れているのは確かだが、もしあの子を気に入って、貸し出しを待っている人がいるなら、返したほうがいいとも思う。別れが悲しくなるほど、まだ情は移していなかった。
「悩ましいところ」
考えを話すと、千種はフォークを持ったまま言った。
「ぶっちゃけ、さくらを借りたいって待ってる人は今いないんだけど……自分の気持ちを優先したらいいじゃないか、そんなことで悩む住野さんが好きだなあ」
千種の目が笑うのを見ると、亜希まで嬉しくなる。こういう気持ちの通い合いには、このところすっかりご無沙汰していたので、新鮮だ。
だから、この空気感を壊したくなくて、亜希は昼間抱えた小さな棘の話を口にしなかった。職場に変な電話がかかってきたなどと話せば、きっと千種は心配する。
「住野さん、お願いがあるんだけど」
千種はミニサラダをつつきながら言った。何? と亜希は軽く応じる。
「今夜泊めて」
その場に3秒の沈黙が落ちた。少し躊躇ったものの、亜希は自分でも驚くくらい、するりと答えた。
「うん……私遅番だから11時には家を出るけど」
目の前の男はにかっと笑った。彼がこういう子どもっぽい笑顔を見せるのは、かなり嬉しい時らしいということを、亜希はもう覚えていた。
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