ほつれた心も縫い留めて ~三十路の女王は紳士な針子にぬいぐるみごと愛でられる~

穂祥 舞

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心の中に落ちて芽吹くもの

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 4月に入るなり、幾つかの部門のチーフ会議が、品川にある本社ビルで開催された。チーフが休んでも差し支えがない曜日におこなわれることが多いが、亜希にしてみれば、普段休んでいる曜日に品川まで呼び出されるほうが面倒くさい。しかも事務部門の会議は、14時から17時と、何げに中途半端な時間である。
 ハッピーストアの1日の最短シフトは6時間なので、午前中だけ店に出ても、自発的休日出勤としか見做されない。残念ながら全店のチーフが集まると、そんな気の毒な者が数人は発生する。神田店の川口かわぐち和佳子わかこもそうだった。

「だってさぁ、パートさんが息子さんの大学の入学式でね、サブちゃんは結納だから仕方ないでしょ?」

 マスクを外した川口は、コンビニのカップコーヒーを啜ってから言った。彼女は残り少ない、亜希の同期である。亜希はふんふんと頷く。

「まあ確かに、どっちも動かせない予定だよね」
「会議の日程のほうが決まるの遅かったんだもん」

 それでも亜希は、シフトの穴を埋めてから会議に来る同期を、優しく真面目な子だと思う。

「サブちゃん結婚するんだ」
「そうなのよ、私より先に寿してんのって毎日いびってる」

 言いながらサブチーフと上手くやっている川口も、長く交際している某店の畜産部門のチーフとの結婚を決めている。

「結納って今時の若い子もするのねぇ、かわぐっちゃんはするの?」

 亜希の問いに、川口は唇の前に人差し指を立てた。

「彼がね、ギリギリまで社内には伏せといてほしいって言うのよ……結納なんかしないって、うちのサブちゃん割と上流階級の子なの」
「ごめんごめん、内緒だったね……ほんと噂広まったらうざいし」

 川口は数少ない、口の堅い同僚だ。事務部門の人間は、業務柄どちらかというと口は軽くないが、相手によっては話題を選ばなくてはいけない。川口は亜希にとって本当に信用できる人物だった。

「すみちゃんはどうよ、新しい人見つかった? 何か榊原さんがすみちゃんに未練があるって変な噂がちらちらと……」

 川口の言葉に、亜希はうんざりしながらペットボトルの蓋を開けた。

「そっちにまでその話回ってるの? あの人結婚するのに……こないだうちに巡回に来てね、ちょっと喋ってたらさぁ、生活関連のチーフが変に勘繰って」

 亜希はマスクをパンツのポケットに入れながら説明したが、川口は目を丸くしながら、別の場所に食いついた。

「榊原さん誰と結婚するの?」
「え? 猪原専務のお身内らしいわ」

 うわ、と川口は鼻の上に皺を寄せた。反応が和田に近いのは何故だろうかと思う。

「何よそれ、すみちゃんのこと捨てて、出世するためにそういう人選んだってことなの? 野心丸出しじゃん、微妙」

 皆そういう風に受け取るのが、笑えた。榊原のイメージダウンも甚だしい。亜希が茶を口にして笑うので、川口は首を傾げる。

「笑い事じゃなくない? 泣き寝入りでいいの?」
「いやいや、泣き寝入りも何も、私とあの人が上手くいかなくなったのはたぶん別問題だし……うちの和田チーフが同じ反応したわ」

 ワダリン、と川口は声を裏返した。

「ワダリン元気? あ、あの人榊原さんと同期だけど仲良くないよね」
「和田さんは変わらず元気よ、榊原さんのことはほぼ嫌いみたいだけど、かわぐっちゃん知ってたんだ」

 川口は頷く。

「うちの水産チーフもあの期なの、何か派閥があるみたいよ……野心組とのんびり組というか、本社に行きたい派と店舗にいたい派、みたいな」

 それは派閥とは呼ばない気がしたが、なるほど、とは思う。川口は少し声を落とした。

「で、榊原さんよりいい男見つかった?」
「あ、ああ、まあ……」

 つい答えた亜希の腕を、川口は軽く叩く。

「やるわね! どこの店の人?」
「えーっと、ハッピーストアの人じゃないの」

 千種の顔が亜希の頭の中に浮かんでいたが、キスもしていない彼をそういう相手と見做し、他人に語っていいものか、なかなか悩ましいところである。
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