58 / 109
心の中に落ちて芽吹くもの
4
しおりを挟む
4月に入るなり、幾つかの部門のチーフ会議が、品川にある本社ビルで開催された。チーフが休んでも差し支えがない曜日におこなわれることが多いが、亜希にしてみれば、普段休んでいる曜日に品川まで呼び出されるほうが面倒くさい。しかも事務部門の会議は、14時から17時と、何げに中途半端な時間である。
ハッピーストアの1日の最短シフトは6時間なので、午前中だけ店に出ても、自発的休日出勤としか見做されない。残念ながら全店のチーフが集まると、そんな気の毒な者が数人は発生する。神田店の川口和佳子もそうだった。
「だってさぁ、パートさんが息子さんの大学の入学式でね、サブちゃんは結納だから仕方ないでしょ?」
マスクを外した川口は、コンビニのカップコーヒーを啜ってから言った。彼女は残り少ない、亜希の同期である。亜希はふんふんと頷く。
「まあ確かに、どっちも動かせない予定だよね」
「会議の日程のほうが決まるの遅かったんだもん」
それでも亜希は、シフトの穴を埋めてから会議に来る同期を、優しく真面目な子だと思う。
「サブちゃん結婚するんだ」
「そうなのよ、私より先に寿してんのって毎日いびってる」
言いながらサブチーフと上手くやっている川口も、長く交際している某店の畜産部門のチーフとの結婚を決めている。
「結納って今時の若い子もするのねぇ、かわぐっちゃんはするの?」
亜希の問いに、川口は唇の前に人差し指を立てた。
「彼がね、ギリギリまで社内には伏せといてほしいって言うのよ……結納なんかしないって、うちのサブちゃん割と上流階級の子なの」
「ごめんごめん、内緒だったね……ほんと噂広まったらうざいし」
川口は数少ない、口の堅い同僚だ。事務部門の人間は、業務柄どちらかというと口は軽くないが、相手によっては話題を選ばなくてはいけない。川口は亜希にとって本当に信用できる人物だった。
「すみちゃんはどうよ、新しい人見つかった? 何か榊原さんがすみちゃんに未練があるって変な噂がちらちらと……」
川口の言葉に、亜希はうんざりしながらペットボトルの蓋を開けた。
「そっちにまでその話回ってるの? あの人結婚するのに……こないだうちに巡回に来てね、ちょっと喋ってたらさぁ、生活関連のチーフが変に勘繰って」
亜希はマスクをパンツのポケットに入れながら説明したが、川口は目を丸くしながら、別の場所に食いついた。
「榊原さん誰と結婚するの?」
「え? 猪原専務のお身内らしいわ」
うわ、と川口は鼻の上に皺を寄せた。反応が和田に近いのは何故だろうかと思う。
「何よそれ、すみちゃんのこと捨てて、出世するためにそういう人選んだってことなの? 野心丸出しじゃん、微妙」
皆そういう風に受け取るのが、笑えた。榊原のイメージダウンも甚だしい。亜希が茶を口にして笑うので、川口は首を傾げる。
「笑い事じゃなくない? 泣き寝入りでいいの?」
「いやいや、泣き寝入りも何も、私とあの人が上手くいかなくなったのはたぶん別問題だし……うちの和田チーフが同じ反応したわ」
ワダリン、と川口は声を裏返した。
「ワダリン元気? あ、あの人榊原さんと同期だけど仲良くないよね」
「和田さんは変わらず元気よ、榊原さんのことはほぼ嫌いみたいだけど、かわぐっちゃん知ってたんだ」
川口は頷く。
「うちの水産チーフもあの期なの、何か派閥があるみたいよ……野心組とのんびり組というか、本社に行きたい派と店舗にいたい派、みたいな」
それは派閥とは呼ばない気がしたが、なるほど、とは思う。川口は少し声を落とした。
「で、榊原さんよりいい男見つかった?」
「あ、ああ、まあ……」
つい答えた亜希の腕を、川口は軽く叩く。
「やるわね! どこの店の人?」
「えーっと、ハッピーストアの人じゃないの」
千種の顔が亜希の頭の中に浮かんでいたが、キスもしていない彼をそういう相手と見做し、他人に語っていいものか、なかなか悩ましいところである。
ハッピーストアの1日の最短シフトは6時間なので、午前中だけ店に出ても、自発的休日出勤としか見做されない。残念ながら全店のチーフが集まると、そんな気の毒な者が数人は発生する。神田店の川口和佳子もそうだった。
「だってさぁ、パートさんが息子さんの大学の入学式でね、サブちゃんは結納だから仕方ないでしょ?」
マスクを外した川口は、コンビニのカップコーヒーを啜ってから言った。彼女は残り少ない、亜希の同期である。亜希はふんふんと頷く。
「まあ確かに、どっちも動かせない予定だよね」
「会議の日程のほうが決まるの遅かったんだもん」
それでも亜希は、シフトの穴を埋めてから会議に来る同期を、優しく真面目な子だと思う。
「サブちゃん結婚するんだ」
「そうなのよ、私より先に寿してんのって毎日いびってる」
言いながらサブチーフと上手くやっている川口も、長く交際している某店の畜産部門のチーフとの結婚を決めている。
「結納って今時の若い子もするのねぇ、かわぐっちゃんはするの?」
亜希の問いに、川口は唇の前に人差し指を立てた。
「彼がね、ギリギリまで社内には伏せといてほしいって言うのよ……結納なんかしないって、うちのサブちゃん割と上流階級の子なの」
「ごめんごめん、内緒だったね……ほんと噂広まったらうざいし」
川口は数少ない、口の堅い同僚だ。事務部門の人間は、業務柄どちらかというと口は軽くないが、相手によっては話題を選ばなくてはいけない。川口は亜希にとって本当に信用できる人物だった。
「すみちゃんはどうよ、新しい人見つかった? 何か榊原さんがすみちゃんに未練があるって変な噂がちらちらと……」
川口の言葉に、亜希はうんざりしながらペットボトルの蓋を開けた。
「そっちにまでその話回ってるの? あの人結婚するのに……こないだうちに巡回に来てね、ちょっと喋ってたらさぁ、生活関連のチーフが変に勘繰って」
亜希はマスクをパンツのポケットに入れながら説明したが、川口は目を丸くしながら、別の場所に食いついた。
「榊原さん誰と結婚するの?」
「え? 猪原専務のお身内らしいわ」
うわ、と川口は鼻の上に皺を寄せた。反応が和田に近いのは何故だろうかと思う。
「何よそれ、すみちゃんのこと捨てて、出世するためにそういう人選んだってことなの? 野心丸出しじゃん、微妙」
皆そういう風に受け取るのが、笑えた。榊原のイメージダウンも甚だしい。亜希が茶を口にして笑うので、川口は首を傾げる。
「笑い事じゃなくない? 泣き寝入りでいいの?」
「いやいや、泣き寝入りも何も、私とあの人が上手くいかなくなったのはたぶん別問題だし……うちの和田チーフが同じ反応したわ」
ワダリン、と川口は声を裏返した。
「ワダリン元気? あ、あの人榊原さんと同期だけど仲良くないよね」
「和田さんは変わらず元気よ、榊原さんのことはほぼ嫌いみたいだけど、かわぐっちゃん知ってたんだ」
川口は頷く。
「うちの水産チーフもあの期なの、何か派閥があるみたいよ……野心組とのんびり組というか、本社に行きたい派と店舗にいたい派、みたいな」
それは派閥とは呼ばない気がしたが、なるほど、とは思う。川口は少し声を落とした。
「で、榊原さんよりいい男見つかった?」
「あ、ああ、まあ……」
つい答えた亜希の腕を、川口は軽く叩く。
「やるわね! どこの店の人?」
「えーっと、ハッピーストアの人じゃないの」
千種の顔が亜希の頭の中に浮かんでいたが、キスもしていない彼をそういう相手と見做し、他人に語っていいものか、なかなか悩ましいところである。
1
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
極道に大切に飼われた、お姫様
真木
恋愛
珈涼は父の組のため、生粋の極道、月岡に大切に飼われるようにして暮らすことになる。憧れていた月岡に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのも、教え込まれるように夜ごと結ばれるのも、珈涼はただ恐ろしくて殻にこもっていく。繊細で怖がりな少女と、愛情の伝え方が下手な極道の、すれ違いラブストーリー。
セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】
remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。
干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。
と思っていたら、
初めての相手に再会した。
柚木 紘弥。
忘れられない、初めての1度だけの彼。
【完結】ありがとうございました‼
離縁の脅威、恐怖の日々
月食ぱんな
恋愛
貴族同士は結婚して三年。二人の間に子が出来なければ離縁、もしくは夫が愛人を持つ事が許されている。そんな中、公爵家に嫁いで結婚四年目。二十歳になったリディアは子どもが出来す、離縁に怯えていた。夫であるフェリクスは昔と変わらず、リディアに優しく接してくれているように見える。けれど彼のちょっとした言動が、「完璧な妻ではない」と、まるで自分を責めているように思えてしまい、リディアはどんどん病んでいくのであった。題名はホラーですがほのぼのです。
※物語の設定上、不妊に悩む女性に対し、心無い発言に思われる部分もあるかと思います。フィクションだと割り切ってお読み頂けると幸いです。
※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。
モテ男とデキ女の奥手な恋
松丹子
恋愛
来るもの拒まず去るもの追わずなモテ男、神崎政人。
学歴、仕事共に、エリート過ぎることに悩む同期、橘彩乃。
ただの同期として接していた二人は、ある日を境に接近していくが、互いに近づく勇気がないまま、関係をこじらせていく。
そんなじれじれな話です。
*学歴についての偏った見解が出てきますので、ご了承の上ご覧ください。(1/23追記)
*エセ関西弁とエセ博多弁が出てきます。
*拙著『神崎くんは残念なイケメン』の登場人物が出てきますが、単体で読めます。
ただし、こちらの方が後の話になるため、前著のネタバレを含みます。
*作品に出てくる団体は実在の団体と関係ありません。
関連作品(どれも政人が出ます。時系列順。カッコ内主役)
『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(隼人友人、サリー)
『初恋旅行に出かけます』(山口ヒカル)
『物狂ほしや色と情』(名取葉子)
『さくやこの』(江原あきら)
『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!』(阿久津)
ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編
タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。
私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが……
予定にはなかった大問題が起こってしまった。
本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。
15分あれば読めると思います。
この作品の続編あります♪
『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる