47 / 109
いつまでも可哀想な女でいると思うな
3
しおりを挟む
翌日が休みであることと、これからの予定がちょっと楽しみなのもあり、亜希は意気揚々と退勤のカードスキャンをした。しかしやたらと嬉しげにしていると、周りから下衆な勘ぐりをされそうなので、従業員出入口をくぐるまでは、ポーカーフェイスでお先です、と言い続けた。
女王が元カレとの復活を完全否定したネタは、元カレが専務の身内と婚約したという話とセットになって広まった。これが「住野チーフは榊原バイヤーのために実質身を引き、むしろバイヤーのほうがそんなチーフに未練があるっぽい」という、おかしな脚色をされた奇妙な波風となり、ふわふわと亜希に押し寄せている。ほぼ全てがデマベースで、亜希にすれば迷惑な話だった。どうして私がいつも悲劇のヒロインなんだ、気持ち悪い。
塵となって積もったストレスは、ももちゃんが傍に居ないことで1.5倍ほどに膨らんでいた。そんなつもりは無かったが、メッセージの端々にイライラが匂っていたのか、千種が食事をしないかと誘ってきた。
亜希は少し迷った。こんなくだらない噂が鷺ノ宮店のみならず、比較的近いところにあるハッピーストアの他店舗にまで広まっているだなんて、千種に話したくない。しかし黙っていると、何かのはずみで彼に八つ当たりするようなことになりかねない。
自分は酒癖が悪いとは思わないが、トラブル回避のために、酒はやめておこう。そう決めて誘いにOKを出すと、千種は意外な店を指定してきた。ぬくもりぬいぐるみ病院が持ち帰りコーヒーを愛用しているあの喫茶店が、軽食ではあるが、ラストオーダー20時半でディナー営業をしているという。公園の向こう側のほうが亜希の自宅に近いので、帰宅に便利だと考えてくれたらしい。
待ち合わせは千種の都合と擦り合わせて、現地に19時40分としておいた。家に一度帰る余裕は無かったので、直行することにした。亜希は帰宅する人の波に紛れて公園の前を通り過ぎ、マンションの間に建つ店舗群にたどり着く。
隣のパン屋とクリーニング店もまだ営業していた。店舗の明かりに何となくほっとしながら、亜希は例の喫茶店……「オーリム」の扉を押した。
「住野さん、こんばんは」
千種は店に入ってすぐ左手の、窓際の席に座っていた。亜希が来るのがよく見えていたようである。彼は春らしく、若草色の綿ニットを着ており、明るい色の髪によく似合っていた。
「こんばんは、お待たせしました」
亜希はコートを脱ぎ、この間と同様、千種と向かい合う席に腰を下ろした。千種はメニューを手渡しながら訊いてくる。
「そろそろももさんが居ない影響が出てきましたか? ちょっとお疲れなのかなと思って」
「ああ、まあ……否定はしません」
千種は代ぬいとして発注した犬とペンギンが、来週やっと入荷しそうだと教えてくれた。代ぬいが不足している状態が続いているので、亜希がリクエストした他にも、2体頼んでいるらしい。
「犬とペンギンのどちらがいいか、実際見て決めてもらったらいいかなと……それと今日は、ももさんの耳が大体仕上がったので」
言いながら千種は、スマートフォンの写真フォルダを開く。これまで進捗を言葉でしか聞いていなかったので、亜希は少しどきどきした。
画面に表示されていたのは、確かにももちゃんの2つの長い耳だった。それだけ見せられると、一瞬何なのかよくわからない。千種はきょとんとする亜希に笑いを堪えていた。
「ちょっとスプラッタな絵ですかね……右耳が途中から折れそうだったのは、綿を新しいものに入れ替えて改善できました」
「それ楽しみです……何だか白いですね、照明のせいですか?」
亜希が言うと、千種はちょっと笑った。
「これがももさんの本来の肌というか、生地の色ですよ」
亜希は思わずえっ、と言った。千種はやはり面白そうである。
女王が元カレとの復活を完全否定したネタは、元カレが専務の身内と婚約したという話とセットになって広まった。これが「住野チーフは榊原バイヤーのために実質身を引き、むしろバイヤーのほうがそんなチーフに未練があるっぽい」という、おかしな脚色をされた奇妙な波風となり、ふわふわと亜希に押し寄せている。ほぼ全てがデマベースで、亜希にすれば迷惑な話だった。どうして私がいつも悲劇のヒロインなんだ、気持ち悪い。
塵となって積もったストレスは、ももちゃんが傍に居ないことで1.5倍ほどに膨らんでいた。そんなつもりは無かったが、メッセージの端々にイライラが匂っていたのか、千種が食事をしないかと誘ってきた。
亜希は少し迷った。こんなくだらない噂が鷺ノ宮店のみならず、比較的近いところにあるハッピーストアの他店舗にまで広まっているだなんて、千種に話したくない。しかし黙っていると、何かのはずみで彼に八つ当たりするようなことになりかねない。
自分は酒癖が悪いとは思わないが、トラブル回避のために、酒はやめておこう。そう決めて誘いにOKを出すと、千種は意外な店を指定してきた。ぬくもりぬいぐるみ病院が持ち帰りコーヒーを愛用しているあの喫茶店が、軽食ではあるが、ラストオーダー20時半でディナー営業をしているという。公園の向こう側のほうが亜希の自宅に近いので、帰宅に便利だと考えてくれたらしい。
待ち合わせは千種の都合と擦り合わせて、現地に19時40分としておいた。家に一度帰る余裕は無かったので、直行することにした。亜希は帰宅する人の波に紛れて公園の前を通り過ぎ、マンションの間に建つ店舗群にたどり着く。
隣のパン屋とクリーニング店もまだ営業していた。店舗の明かりに何となくほっとしながら、亜希は例の喫茶店……「オーリム」の扉を押した。
「住野さん、こんばんは」
千種は店に入ってすぐ左手の、窓際の席に座っていた。亜希が来るのがよく見えていたようである。彼は春らしく、若草色の綿ニットを着ており、明るい色の髪によく似合っていた。
「こんばんは、お待たせしました」
亜希はコートを脱ぎ、この間と同様、千種と向かい合う席に腰を下ろした。千種はメニューを手渡しながら訊いてくる。
「そろそろももさんが居ない影響が出てきましたか? ちょっとお疲れなのかなと思って」
「ああ、まあ……否定はしません」
千種は代ぬいとして発注した犬とペンギンが、来週やっと入荷しそうだと教えてくれた。代ぬいが不足している状態が続いているので、亜希がリクエストした他にも、2体頼んでいるらしい。
「犬とペンギンのどちらがいいか、実際見て決めてもらったらいいかなと……それと今日は、ももさんの耳が大体仕上がったので」
言いながら千種は、スマートフォンの写真フォルダを開く。これまで進捗を言葉でしか聞いていなかったので、亜希は少しどきどきした。
画面に表示されていたのは、確かにももちゃんの2つの長い耳だった。それだけ見せられると、一瞬何なのかよくわからない。千種はきょとんとする亜希に笑いを堪えていた。
「ちょっとスプラッタな絵ですかね……右耳が途中から折れそうだったのは、綿を新しいものに入れ替えて改善できました」
「それ楽しみです……何だか白いですね、照明のせいですか?」
亜希が言うと、千種はちょっと笑った。
「これがももさんの本来の肌というか、生地の色ですよ」
亜希は思わずえっ、と言った。千種はやはり面白そうである。
1
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
極道に大切に飼われた、お姫様
真木
恋愛
珈涼は父の組のため、生粋の極道、月岡に大切に飼われるようにして暮らすことになる。憧れていた月岡に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのも、教え込まれるように夜ごと結ばれるのも、珈涼はただ恐ろしくて殻にこもっていく。繊細で怖がりな少女と、愛情の伝え方が下手な極道の、すれ違いラブストーリー。
離縁の脅威、恐怖の日々
月食ぱんな
恋愛
貴族同士は結婚して三年。二人の間に子が出来なければ離縁、もしくは夫が愛人を持つ事が許されている。そんな中、公爵家に嫁いで結婚四年目。二十歳になったリディアは子どもが出来す、離縁に怯えていた。夫であるフェリクスは昔と変わらず、リディアに優しく接してくれているように見える。けれど彼のちょっとした言動が、「完璧な妻ではない」と、まるで自分を責めているように思えてしまい、リディアはどんどん病んでいくのであった。題名はホラーですがほのぼのです。
※物語の設定上、不妊に悩む女性に対し、心無い発言に思われる部分もあるかと思います。フィクションだと割り切ってお読み頂けると幸いです。
※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。
セカンドラブ ー30歳目前に初めての彼が7年ぶりに現れてあの時よりちゃんと抱いてやるって⁉ 【完結】
remo
恋愛
橘 あおい、30歳目前。
干からびた生活が長すぎて、化石になりそう。このまま一生1人で生きていくのかな。
と思っていたら、
初めての相手に再会した。
柚木 紘弥。
忘れられない、初めての1度だけの彼。
【完結】ありがとうございました‼
ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編
タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。
私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが……
予定にはなかった大問題が起こってしまった。
本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。
15分あれば読めると思います。
この作品の続編あります♪
『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる