ほつれた心も縫い留めて ~三十路の女王は紳士な針子にぬいぐるみごと愛でられる~

穂祥 舞

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昔の男、今の男

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 ももちゃんを預けた日の夜は、大西が随分遅くまでメッセージでの雑談につき合ってくれた。ももちゃんを手渡した時は涙を我慢したが、いないならいないで何とかなるものかもしれない、と亜希は思う。ただベッドが寂しいので、小さな子たちをかき集め、枕の横に並べている。
 預けた翌日、早速ももちゃんは手術に入るということで、首のリボンを解かれ、ぬいぐるみ専用らしいベッドの上に寝かされた写真が送られてきた。枕元にはわざわざ、「患者名 もも/持ち主 住野亜希」と名札が貼ってある。少し違う角度から撮られた写真には、大西と、ぬくもりぬいぐるみ病院でコーヒーをご馳走になった日に受付にいた若い医師が、ももちゃんのベッドに顔を寄せ一緒に写っていた。彼は蔵田くらたという名で、大西の専門学校の後輩だった。
 大西の出張中は、蔵田がももちゃんの治療を進めてくれるとのことだった。彼らにももちゃんは、切り開かれている……と考えると、何とも言えない気分になる。全ての過程を写真に残すので、見たければいつでも言ってくれと大西はメッセージをくれたが、オンタイムではあまり見たくなかった。
 せっかく許可も貰っているので、亜希はベッドに横たわる裸のももちゃんの写真を、SNSに上げた。自分の名前を消すために、名札の部分だけ加工して。

「ももちゃん、がんばれ!」

 まるで友達が大手術を受けるかのように、沢山の人がそんなコメントを送ってくれる。その中に、ゴールドのテディベアの持ち主、「マリリンの母」のメッセージが現れた。

「ぬくもりぬいぐるみ病院ですね? 関東方面ですか? 私は大阪で世話になったんですけど」

 大阪の本院であの子を直したのか。亜希は軽く驚きつつ、彼女に返信する。

「その節はありがとうございました、東京の病院です。主治医の先生はたまに大阪の本院に行くようで、明日も出張とのことです」
「あら、もしかしたらマリリンもお世話になった先生かも。うちの子は治療が大変だったので、東京からお一人助っ人に来ていただいたんです」

 そうなんですね、と返事をしつつ、大西かなと亜希は思う。彼はどうも、かなり技術を頼りにされているようだ。思い起こすと、確かに器用そうな細くて長い指をしているが、亜希は彼が仕事をしているところを見たことがない。
 一旦SNSのアプリを閉じて、亜希は考える。自分はぺらぺらと、これまで大西に沢山のことを話したけれど、聞き役に回ってくれていた彼のことをあまり知らない。国立市に実家がある亜希と同じく、23区外の小平市出身であること、会社員の兄がいること、専門学校を出て、ぬくもりぬいぐるみ病院が2社目だということ……くらいだろうか? あとは、ハッピーストアの惣菜と野菜が好き。
 現在特定の女性はいないようだが、これは確認した訳ではない。夜な夜な亜希なんかのためにメッセージアプリを開いている辺り、フリーだろうと思うだけのことだ。
 何も知らない相手に対して、寄りかかりすぎではないのか。この間彼に信頼していると言ったが、自分の中の根拠は何なのか。自分の彼に対する気持ちは、どういう種類のものなのか。
 亜希は小さく溜め息を落とす。こんな気分の時に、大西は関西に出かけて、できれば顔を見たくない元彼が職場に来る。
 別れた男と復活することなど、一切考えていない。彼はぬいぐるみを大切にする亜希の姿勢を否定した。それだけで、溝は埋めようが無かった。ももちゃんを丁重に扱ってくれて、ぬいぐるみの写真を撮る亜希を面白がる大西のほうが、亜希に相応ふさわしいのは明らかだった。
 しかし、大西のほうが、という気持ちは、現時点では亜希の都合でしかない。亜希はふと気づく。彼が自分に親切なのは、自分が彼の「太客」だからだ。誰にでもこんな風にしないとは言っていたが、客への親切を愛情と受け取るほど、亜希は青くもないし純粋でもない。何よりも亜希は接客の現場にいるので、こちらが良いと感じる客に、より良い態度で接するのは当たり前だと知っていた。

「……なぁんだ」

 亜希はスマートフォンの暗い画面を見ながら呟いた。
 私、あの人のこと結構好きなんじゃない。だから、こんなに胸の中がざわざわする。別れた男と顔を合わさなくてはならないかもしれない事態に対峙して、やっと気づく皮肉。
 それで、どうするというのだろう? ももちゃんの手術が終わったら、きっと大西との縁は切れてしまう。最近はももちゃんの話題以外もやり取りするが、特別な話など何もしていない。深い関係になるきっかけも無いし、そもそもそれを望んでいない。病院で抱き寄せられたのだって、少しどきどきしたけれど、……それ以上ではなかったと思う。
 亜希は時計を見て、立ち上がった。もう休まなくては。小売業は肉体労働で、何処かを壊せば続かない。きちんと食べて寝ること以上に、身体と心を健康に保つ策は無いのだった。
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