ほつれた心も縫い留めて ~三十路の女王は紳士な針子にぬいぐるみごと愛でられる~

穂祥 舞

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代ぬいが見つからない

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 某店の事務チーフが代行配達先で車上狙いに遭遇した件に関して、本社から全国の店舗への注意喚起が、事件の翌々日に速やかに回覧された。
 社用車に潜んで亜希を襲った男には、23区内での多数の余罪があった。犯人逮捕が首都圏のニュースで報道されたこともあり、少なくとも都内のハッピーストアには、とんでもない目に遭ったのは鷺ノ宮店の住野だと広まってしまった。他店舗の事務やレジの顔見知りの社員から、大丈夫かとひっきりなしにメッセージは来るわ、本社から誰か来る度に労われるわで、亜希は落ち着かない1週間を過ごす羽目になった。
 犯人の男は、駐車場で見かけた社用車に窃盗目的で入り込んだところで、ドライバーに戻って来られて、逃げる機を逸した。車内に何も無かったため、ドライバーが女とわかり、直接金を脅し取ろうとしたらしかった。
 亜希は、ロックを忘れて車を離れたらしい自分の失態だと猛省したが、車を再度検証した警察が、後部座席左側の鍵がかからない状態だったと報告してきた。それを受け、社用車を持つ店は全車両を至急チェックするよう本社から通達が来て、車のいろいろな不備を多くの店が放置している現状が、明らかになってしまったのだった。



「こんばんは。だいぶ周りが落ち着いてきました。只今帰宅しました」

 亜希がそんな報告をする相手は、ぬくもりぬいぐるみ病院の大西医師である。メッセージを送ってからキッチンでキャベツを切っていると、スマートフォンがテーブルで震えた。

「おかえりなさい。元通りになってきたならよかったです。無理のないようにお過ごしください」

 あの夜以来、大西とは奇妙な距離感で繋がっている。確かに彼が心配してくれていた通り、慣れた自分の部屋でも、2、3日は暗い場所が怖かった。明かりを落とさず、スマートフォンを枕元に置いてベッドに入った。眠ってしまえば何でもなかったが、気を紛らわせるために大西と、ももちゃんのことで短い雑談をした。彼との共通の話題は、それしかなかった。
 それでも亜希は、いい年をして古いぬいぐるみを手放すことができない自分が、受け入れられているような心地良さを覚えていた。大西が修理の仕事欲しさに、話を合わせてくれている可能性は拭い去れなかったが、それでも構わなかった。結婚詐欺に引っかかる女性は、もしかしたらこんな気持ちなのかもしれないと思う。
 騒ぎが一段落したという報告ができたら、大西にももちゃんの治療を頼もうと考えていた。亜希が思いきって、ももちゃんを預けたいとメッセージを送ると、少し間を置き、承知しましたという返事が来た。

「代ぬいぐるみは必要ですよね? 以前送ったリストの中に、気に入った子がいましたか?」

 大西に訊かれて、亜希は2体の候補を彼に伝えた。ピンク色のうさぎと、白い犬だった。特にこだわりは無いつもりだったが、20ほどのぬいぐるみの写真を見ると、好みのようなものを自覚する。どうも自分は、つぶらな黒い目と、両目の間がやや離れている、抜け感のある顔が好きらしい。選んだ子たちは、もし手許に置いて愛着が湧いたら、買い取るにも無理のない価格だった(日本製で、割と良い値段ではあったが)。

「もしかすると、5番のうさぎは一昨日貸し出されたかもしれないです。明日すぐに確認して折り返します」

 そうなのか。可愛いからあり得るなと、亜希は大西の言葉に納得する。同時に、ぬいぐるみを修理に出して代わりを借りるという発想の人間が他にもいることに、ほっとする。
 ももちゃんのファンの皆さんに、しばし入院する旨を報告しなくてはいけない。この間ぬいぐるみ病院で撮った写真をアップした際、「今日はとある病院に診察に来ました」と説明を入れた(病院名を出すのは結局やめておいた)。察してくれるファンもきっといるだろうが、あらためて挨拶しなくては。
 ふと、写真を投稿しない間に忘れてしまわれそうだと思った。そればかりは仕方ないが、つい大西にこぼすと、彼は意外な言葉を寄越す。

「1ヶ月なら大丈夫だと思いますよ。それに私たちスタッフはももさんを忘れないですし、きれいになったももさんの姿を楽しみにしています」

 亜希の胸の奥がむずむずした。そう、何故かぬくもりぬいぐるみ病院には、ももちゃんのファンがいるらしいのだ。大西もその1人だという。素直に嬉しかった。 
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