ほつれた心も縫い留めて ~三十路の女王は紳士な針子にぬいぐるみごと愛でられる~

穂祥 舞

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レアな従業員の擬態の試み

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 ぬくもりぬいぐるみ病院からの返答は、問い合わせをしてから4時間後にやって来た。返信の差出人は大西千種で、亜希は身バレしないかひやひやしたが、弁当を届けに行った時に、名乗らなかったはずである。

「実際にももさんの状態を見せていただき、最終的な治療方針と費用を決定することになります。見積もり額を大幅に上回るケースは少ないですが、高級なぬいぐるみの場合、はげてきている箇所の補強のための布に、別途料金が発生することがあります。」

 ももちゃんのお尻についている擦り切れたタグには、確かMADE IN JAPANと書かれていたと記憶するが、高級品であるかどうかはわからないし、もう確認する術もない。ももちゃんを亜希にプレゼントしてくれた母方の祖母とは、もう二度と会うことは叶わないからだ。

「ご心配なことも多いかと存じますが、当医院にお任せくだされば、住野様の姪御様にもきっと喜んでいただけると思います。お返事を待っております。」

 大西はそう結んでいた。どちらにしても返事はしなくてはならないが、週末はぬいぐるみ病院は休診で、亜希は仕事である。2万円強を出して、1ヶ月ももちゃんを手放す覚悟を決めるまでに、まだ猶予があった。
 


 日曜日の夕方、ピーク時間に食品売り場のレジが大混雑して、亜希は阪口と一緒にチェッカーのヘルプに入った。給料日明けの週末だからだろう、客の買い物カゴの中身が皆多い。中にはバレンタインデーのチョコレートを入れている客もおり、商品の扱いに気を使う。
 最終の万券回収と両替の時間が近づくと、手が離せないレジの面々に代わり、亜希はキャッシャーを確認する。自動釣銭機の中身をチェックし、両替依頼書を記入して、溜まった一万円札を鍵つきのバッグに押し込んだ。後ろのレジに入る阪口を見ると、必死でチェッカー業務をしており、亜希は胸の中でややがっかりしてしまう。事務担当たるもの、こういう時に回収と両替をさくっと見てやってこそ、レジの支援になるのだが。

「阪口さん」

 亜希は客の切れ目で阪口に呼びかけた。彼女はぱっと顔を上げ、チーフが両替依頼書を手にしているのを見て、はいっ、と返事をした。しかし阪口がすっと無言でその場を離れたので、待っていた女性客が不満気な表情になったのが、亜希のいた場所からも見えた。レジに2人居るから早いかと思って並んだのに、自分の前でいきなり1人になって待たされたら、誰だって気分は良くない。
 こういうところがこの子はまだまだ駄目なんだよなぁ、と亜希は両替をチェックする阪口を見て思う。レジの担当はベテランのアルバイトで、彼女が愛想良く、お待たせいたしました、とその客に対応して事なきを得る。
 真庭が店次長の楠本と一緒に、万札の入ったバッグを一つずつ回収していく。客が引かないので、依頼された両替金を事務所の金庫から出すのも、真庭に任せることにした。
 15分ほどして客がようやく引いた。次々に釣銭機の硬貨が無くなったり、逆に満タンになったりして、ピーピーとひっきりなしに音がする。レジチーフの華村が、鍵を片手に硬貨の回収に大わらわである。

「あのさ、阪口さん」

 亜希は阪口とサービスカウンターに入り、先ほどの件について言及した。

「レジ支援の最中に万券回収の時間が来たら、レジの人に声かけて両替依頼書も書いてあげて」

 阪口ははい、と困惑気味に答えた。亜希は続ける。

「それとチェッカー離れるなら、お客さんにひと言声かけようよ……それだけでお客さんも全然気分が違うから」

 見るからに阪口はしょぼんとした。やや気が利かない面を、彼女は自覚しているのだが、性格的なものに根ざす行動の改善は難しい。だから亜希は、マニュアルとして伝えるようにしている。

「離れにくいこともあると思う、その場合レジがベテランさんならね、ちょっとゆっくり目に流してあげるの……そしたら両替くらいは見れるから」

 阪口が入社して初めて配属された渋谷店の事務チーフは、厳しいと有名な人だ。鷺ノ宮店に阪口が転勤してきた時、「鈍い」と、身も蓋も無い引き継ぎの一言を、亜希はそのチーフから賜った。
 阪口は確かに鈍いのだが、電話応対やレジでの商品の取り扱いは丁寧である。育ちが良さそうだと、事務の短時間のパートタイマーの岡道おかみちが阪口を評するが、そうなのかもしれない。気が利かないのは、彼女がこれまでの人生で、気を利かせる必要が無かったからだという可能性がある。
 華村の硬貨回収の仕事も落ち着いたようなので、亜希は阪口とサービスカウンターを出ようとした。すると、買い物を済ませた男性がすすっとこちらにやって来た。
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