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番外編

ティオくんと

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 てててててっ。
 小走りで小さな子どもが走っている。
 その子どもは、ある両開きの扉の前まで来ると、ピタリと足を止めた。
 そして、少し開いていた方の扉から中を覗こうと、そっと近づく。
 後ろからついて来ていた世話係のマヤは、その姿を微笑ましそうに眺めていた。



「フィン。明日の予定は?」

 父上から聞かれ、俺は読んでいた書類から顔を上げた。
 今は留学して三年目の冬休み中だ。
 帰省している俺は、父上の仕事を手伝っている最中だった。手伝いとはいっても、領地の仕事を教えてもらいながらなので、あまり戦力にはなっていない。
 この家を継ぐ予定はないが、少しでも領主の仕事を把握しておけば、何かあった時に役に立つかもしれない。
 無駄になる可能性がありながらも、父上は快く俺に色々教えてくれていた。

「明日は特に何も。何かありましたか?」
「孤児院へ行くのだが、予定がないなら一緒に行かないか?」

 父上は、慈善活動の一環として、孤児院へ定期的に訪問し物資の供給や寄付を行なっていた。
 留学する前に、俺も何度か連れて行ってもらったことがある。
 まだ俺のことを覚えてくれている子どもたちに、たまに『フィン様は元気ですか?』と聞かれるそうだ。顔を見せに行ってやってほしいと言われ、俺は承諾した。

「分かりました。一緒に行きます。何時頃に出ますか?」
「そうだな。他にも寄りたい所があるから…」

 父上は言いかけた言葉を止め、何かに気づいたように俺の背後に視線を向けた。
 その視線を辿り俺も振り返ると、背後にある扉から、ふわふわの髪がこっそりと覗いているのが見えた。
 父上の方を見ると、ふっと目尻を下げ、優しい眼差しになっている。
 父上は子どもが増え、前よりも表情が豊かになり、ぐっと柔らかさが増した。
 外では相変わらず厳しい黒の宰相として名高いらしいが、家ではただの親バカな父親である。

「ティオ?」

 父上に名前を呼ばれたふわふわは、ピュッと引っ込んでしまった。
 しばらく待つと、今度はそろそろと顔を半分まで出し、青色の瞳でこちらを覗いてくる。
 
「ティオ。隠れてないで、こちらにおいで」
「…っ!」

 父上に声をかけられ、ティオは嬉しそうにしながらも、恥ずかしそうに目を伏せた。
 もじ。
 もじもじ。
 もじもじもじ。
 ティオは悩んだ後、これまたそっと姿を現し、こちらに近づいて来たが、扉に近い俺を大きく迂回してから父上の足にしがみついた。

「ふっ」

 あからさまに避けられ、情けない顔をした俺を見て、父上が思わず吹き出す。
 俺がじろりと父上を見上げると、父上は誤魔化すように咳払いをしてから、足にしがみついたままだったティオを抱き上げた。

「ティオ、お昼寝は終わったのかい?」

 こくん、とティオは頷いた。

「おやつはもう食べたのかな?」

 今度はふるふると首を横に振る。

「そうか。じゃあ少し早いが父上と一緒に食べよう。フィン、ちょっと休憩しようか」

 末っ子に甘々な父上はそう言って、俺に机の上を片付けるように指示を出した。
 まだ十四時でおやつには一時間も早い。
 末っ子は家族の中でも人気者で、皆で集まると、誰が膝の上に乗せるかで揉める事もある。
 その末っ子が自ら寄ってきてくれたのだ。
 この機会を逃すものかと、父上はさっそくティオを膝の上に乗せて、お喋りを始めていた。
 ちなみに俺は、ティオが生まれてすぐに留学し、長期休みにしか顔を合わせないので、絶賛人見知りされ中だった。
 兄というよりは、たまに訪れる知らない人って感じで警戒されている。
 大人しく引っ込み思案で恥ずかしがり屋。
 近づこうとすると逃げられ、父上を筆頭にティオを構いたい人は多いので、俺は無理矢理仲良くなることを早々に諦めた。
 レオン、ラルフ、シャルロッテ、ティオ。
 この四人の仲が良いなら、何の問題もない。
 学校を卒業して帰国しても、就職してこの家を出れば、ますます接点は減るだろう。
 せめて他人ではなく、家族と認識してもらえたらいい。それくらいの心構えで、少し距離を置くようにしていた。
 あまり強引にせまって、俺が帰って来ることにストレスを感じるようになってしまっては可哀想だ。
 そんなことになったら俺もショックである。
 俺は書類を片付けながら、マヤにレオンたちの所在を尋ねた。
 マヤは、俺の世話をしてくれていたアマーリアの後任で、弟妹の世話係をしてくれている。

「レオン様とラルフ様は、お庭で遊んでおられますわ。シャルロッテ様は、ラーラ様と新年に着るお洋服選びをしておられます」

 こんなに寒い中で外で遊ぶとは、双子の弟たちは元気の塊だな、と感心した。
 俺は寒がりで、ヴィルヘルムたちに誘われない限り、冬はほとんど室内で過ごしていた。
 でも、雪が降った日は別で、エリクやトリスタンを誘って、屋敷の庭で雪だるまを作ったりして遊んでいた。
 今では、それも良い思い出である。
 俺は書類を片付け終わると、ソファに掛けていた上着を手に取り、立ち上がった。

「では、父上。再開は一時間後でいいですか?」

 ティオと楽しそうに一方的に話をしていた父上は、不思議そうにこちらに顔を向けた。

「ん?フィン。お前どこに行こうとしてる?」
「ティオと父上の蜜月を邪魔しては悪いので、自室に戻ってますよ。課題もしないといけないし」

 まだ冬休みは始まったばかりで、課題をする時間は充分にあって急ぎではない。部屋を出るための口実だった。
 俺がいるとティオが気まずいだろうと思っての配慮だったが、それに父上は眉を顰めた。

「課題など、お前なら一時間もあれば出来るだろう?きちんと休憩をすることも大事だ。そこに座りなさい」
「でも…」
「いいから。ティオもフィン兄さまがいた方がいいだろう?」

 俺がティオに視線を向けると、ばっちりと目が合ってしまい、ティオはパッと父上の胸元に顔を埋めてしまった。

「…………父上?」

 俺が恨めしそうに呼ぶと、父上は罰が悪そうにしながらも、ティオの背中を撫でながら、俺の同席の許可を取ろうとしている。

「ティオ、フィンがいたら嫌かい?」

 ちょっと!聞き方!
 頷かれたら、更に俺の傷が深くなること分かってないでしょう。
 だが、ティオはそれにはふるふると首を横に振ってくれたので、ほっと胸を撫で下ろす。
 嫌われてはいないようだ。

「じゃあ、三人でお茶にしよう。ほら、フィン座りなさい。マヤ、お茶を用意してくれるかい」
「はい。すぐにご用意致します」

 父上はそう強引に決めてしまい、俺は改めてソファに腰を下ろした。
 なるべくティオと目を合わせないようにしながら、父上からの言葉に相槌を打つ。
 今日のお菓子は、ティオに合わせて作られた優しい味の蒸しパンだった。カボチャなどの芋類に、豆やアプーフェルと呼ばれる果物などが入っており、彩りも豊かだ。

「ティオは最近これが一番好きなんだよな」
「へぇ。そうなんですか」

 父上が一つ手に取り、食べやすい大きさに千切ってからティオに手渡した。
 ティオは蒸しパンを受け取ると、嬉しそうに口に入れる。
 ふくふくほっぺで、もぐもぐしている姿は、愛らしい以外の何者でもなかった。
 可愛いなぁと、俺はこっそりと末っ子を眺める。
 レオンとラルフ、そしてシャルロッテの三人は、どちらかというと自己主張が激しく活発だ。
 こんな風に大人しく膝の上でお菓子を食べることなど、ほとんどなかった。
 双子は『おいしー!』とパクパク食べ、すぐに食べ終わると『兄さま遊ぼう!』と纏わりついてきた。
 シャルロッテは、お菓子を食べながらお喋りするのが大好きで、器用にも食べながら『それでね』とずっと喋っている。
 そんな元気な三人だが、ティオにはちゃんと、ペースを合わせて接するようにしているらしい。
 ティオは動作もゆっくりだが、返事をするのも、人より一歩遅い時がある。
 どっちがいい?と選ばせる時などは、じっと考え込んでしまうそうだ。
 それに対して、ティオの考えている時間を邪魔せずに、ティオが答えを出すのを我慢強く、三人ともが待っているようだった。
 うちの子たちは、何ていい子に育っているんだろう。これも父上と母上の教育の賜物だな。
 俺がそんなことを思いながらティオを眺めていると、ノックの音がして、セバスチャンが入室してきた。

「失礼致します。旦那様、お客様がいらっしゃっております」

 セバスチャンの言葉に、父上は渋面になった。
 客人の名前を聞いて、追い返せない相手だと分かり、父上はティオを俺に預けると『少し待ってなさい』と言い、あっという間に部屋を出て行ってしまった。
 兄と弟は、父親が出て行った扉をポカンと眺めた。

 えっ、どうしろと。

 俺は、膝の上にいるティオを見て困惑する。
 されるがまま、俺の膝の上にいきなり乗せられたティオも、身を固くしていた。
 俺に背を向ける形で座らされているので、これではティオのつむじしか見えなく、表情が分からない。
 俺は覚悟を決め、ティオに話しかけた。

「…えっと、ティオ。ちょっと動かすよ」

 そう言ってティオを持ち上げ、片膝に乗せる形で横向きに座らせた。
 これなら表情も分かるし、正面から向き合うこともなく、リラックス出来るはずだ。
 顔が見えたティオは、困ったように眉を下げていた。
 それに気づかぬふりをして、会話を続けてみる。

「ティオ。蒸しパン、もう少し食べる?」

 ふるふると首を横に振られた。
 いらないらしい。
 困った。
 むむむっと悩んで、俺は閃いた。

「じゃあ、僕に食べせてくれない?」
「…っ!」

 ティオは驚いたように目を見開いて、こちらを見た。
 
「エリク。食べやすい大きさに切り分けてから、皿に取ってほしい」

 空気のように背後に立っていたエリクに、そう指示を出して取り分けてもらい、ティオを支えてない方の手で受け取る。

「さぁ、ティオ。兄さまはこの通り、手が塞がっているから、お口まで持ってきて」

 パクパクと口を開け閉めしてみせる。
 ティオはまるで難題を出されたように、俺と小皿とを見て、眉を顰めた。
 嫌なのかな。
 でも、首を振らなかったから、拒否はされていないのだと思う。
 皿をじっと見つめ始めたので、どれを手に取ったらいいのか、迷っているのかもしれない。
 同じ蒸しパンだが、欠片ごとに具材の入っている量が違っているのだ。
 待っていると、決められなかったのか眉を下げてこちらを見てきた。
 その可愛らしい顔に、ふっと笑みが溢れる。

「お豆さんが入ってるやつがいいな」

 パカっと大きく口を開ける。
 ティオは頷くと、豆が多く入っている一欠片を掴んで、口元まで持ってきてくれた。
 パクリと食い付く。
 もぐもぐもぐ、ごっくん。
 俺は目を見開いた。

「美味しい!ティオが食べさせてくれたから、いつもより美味しいよ!」

 ティオは大袈裟な俺の賛辞に、目を丸くした。
 皿の残りをじっと見つめ、すっと再び俺の口元まで持ってきてくれた。
 皿に乗っている分、すべて食べさせてもらう頃には、ティオは緊張が解けたのか、体から力が抜け、俺にもたれかかっていた。

「あー、美味しかった。ティオありがとう。おててふこうね」

 皿をテーブルに置き、お手拭きで汚れてしまったティオの小さな手を、綺麗に拭いてやる。

「ティオはもう食べなくていいの?やっぱりもう一口くらい、食べる?」
「………たべゆ」

 えっ!喋った!
 喋れたのかと、俺は失礼ながらも驚いてしまった。
 弟が喋れることも知らなかったなんて、兄失格である。

「じゃあ、どれにする?」

 今度は、ティオはピッと一つの蒸しパンを指差し、喋ってはくれなくて内心がっかりした。
 もしかしたら、先程の一言は貴重な一言だったのかもしれない。
 ティオが選んだ蒸しパンを、食べやすい大きさに千切り、口元にもっていってやった。
 小さなお口で、もぐもぐする姿はやっぱり可愛くて、俺はそれを飽きずに見ていた。
 そうやって、父上が戻ってくるまで、ティオとは思ったより穏やかな時間を過ごすことができたのだった。

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