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短編集 【L'Oiseau bleu】
麒麟と九尾と一角と 10
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「……あの、これが。あいつが……久米木がしたことだっていうなら……」
もし。と、言ったけれど、もし。などとは思ってはいない。
間違いなく、翡翠をゲートをゲートにしたのは久米木だ。
幼児だった自分に何を見たのかは分からない。けれど、ぞっとするような執拗さと、絡みつくような執念と、悍ましいほどの確信をもって、男は幼い翡翠に種を蒔いた。
その種が翡翠の涙を注がれて、呪いという苗床に包まれて、孤独と拒絶と痛みを養分にして、絶望という名の芽を吹いた。
それらすべてはいつかゲートという名の花が咲くことを確信して周到に用意された道のりだったのだ。
「今……こうしている時間も。あいつの……思い通りなんでしょうか? これも、俺を絶望に堕とすために……」
口に出してみると、まるでそれが真実であるような気がした。そして、その考えがどうしようもなく怖くて、瞳の端に涙が溜まる。
「落ち着きなさい。そんなはずがなかろう」
翡翠の肩に触れて、翡翠の目を見て、大泉医師は言った。
「でも。わかっていたんですよね? 俺がゲートになるって。そうじゃなかったら、幾重にもかけられた呪いも、ゲートになるための身体を作る教育も、ゲートを開くための子宮も必要ない。十年以上の時間をかけて、全く勝算のない計画を実行するほど、黒蛇は安くない。
俺がゲートになったのはただの偶然だったかもしれない。実験に使われたほかの仲間も同じような目に逢っていたかもしれない。でも、久米木は。久米木が。ゲートにしたのは。しようとしていたのは、多分。俺だけだ」
言葉にして実体を持ってしまった思いは、今度は恐怖に姿を変えた。
『お前のその顔を一番愛してる』
最後に久米木が言った言葉。呪詛のようだった。それは、今でも翡翠の心に纏わりついて消えてはいない。
他の男に抱かれる翡翠を見つめる冷たい目も。
客に出すために嫌がる翡翠に無理矢理準備をさせるその手も。
身体の奥の奥まで刻まれた痛みと屈辱も。拷問のような快楽も。
身体の中に生まれた嵐も。
産まれてはじめてもらったのだと錯覚していた優しさも。
呪いに育てられた孤独も。無力感も。罪悪感も。自己否定も。
世界のすべてだった家族を、記憶ごと奪われた喪失感も。
男に与えられたものは何一つ忘れてはいない。忘れる日が来るとも思えない。
おそらくは一生それを心に絡みつかせたまま生きていく。
「死ぬならいい……」
それは、だから、本当に無意識に出た言葉だった。
あとで思い返すと、その場で言うべきではなかったと思う。自分を愛していると言ってくれている人の前で言っていいことではなかった。
「一青のそばで死ねるならそれでいい! でも。あいつのところに戻るのは嫌だ!」
それでも、翡翠にとっては、確実に死よりも恐ろしい苦痛がそこにある。そして、その恐怖に克つにはまだ、圧倒的に時間が足りなかった。
もし。と、言ったけれど、もし。などとは思ってはいない。
間違いなく、翡翠をゲートをゲートにしたのは久米木だ。
幼児だった自分に何を見たのかは分からない。けれど、ぞっとするような執拗さと、絡みつくような執念と、悍ましいほどの確信をもって、男は幼い翡翠に種を蒔いた。
その種が翡翠の涙を注がれて、呪いという苗床に包まれて、孤独と拒絶と痛みを養分にして、絶望という名の芽を吹いた。
それらすべてはいつかゲートという名の花が咲くことを確信して周到に用意された道のりだったのだ。
「今……こうしている時間も。あいつの……思い通りなんでしょうか? これも、俺を絶望に堕とすために……」
口に出してみると、まるでそれが真実であるような気がした。そして、その考えがどうしようもなく怖くて、瞳の端に涙が溜まる。
「落ち着きなさい。そんなはずがなかろう」
翡翠の肩に触れて、翡翠の目を見て、大泉医師は言った。
「でも。わかっていたんですよね? 俺がゲートになるって。そうじゃなかったら、幾重にもかけられた呪いも、ゲートになるための身体を作る教育も、ゲートを開くための子宮も必要ない。十年以上の時間をかけて、全く勝算のない計画を実行するほど、黒蛇は安くない。
俺がゲートになったのはただの偶然だったかもしれない。実験に使われたほかの仲間も同じような目に逢っていたかもしれない。でも、久米木は。久米木が。ゲートにしたのは。しようとしていたのは、多分。俺だけだ」
言葉にして実体を持ってしまった思いは、今度は恐怖に姿を変えた。
『お前のその顔を一番愛してる』
最後に久米木が言った言葉。呪詛のようだった。それは、今でも翡翠の心に纏わりついて消えてはいない。
他の男に抱かれる翡翠を見つめる冷たい目も。
客に出すために嫌がる翡翠に無理矢理準備をさせるその手も。
身体の奥の奥まで刻まれた痛みと屈辱も。拷問のような快楽も。
身体の中に生まれた嵐も。
産まれてはじめてもらったのだと錯覚していた優しさも。
呪いに育てられた孤独も。無力感も。罪悪感も。自己否定も。
世界のすべてだった家族を、記憶ごと奪われた喪失感も。
男に与えられたものは何一つ忘れてはいない。忘れる日が来るとも思えない。
おそらくは一生それを心に絡みつかせたまま生きていく。
「死ぬならいい……」
それは、だから、本当に無意識に出た言葉だった。
あとで思い返すと、その場で言うべきではなかったと思う。自分を愛していると言ってくれている人の前で言っていいことではなかった。
「一青のそばで死ねるならそれでいい! でも。あいつのところに戻るのは嫌だ!」
それでも、翡翠にとっては、確実に死よりも恐ろしい苦痛がそこにある。そして、その恐怖に克つにはまだ、圧倒的に時間が足りなかった。
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