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第四章 バルハドル家とルチルの湖
56 再び湖へ
しおりを挟むポコポコと小さな水の音が聞こえる。
手足を撫でる冷たい温度が気持ち良い。ひんやりとした空間は痛みを癒して、緊迫した心を解していくようだ。難しいことは考えたくない。
(…………っ…!?)
勢い良く両目を開くと、ゴボッと水を吸ってしまう。
いつかのデジャヴを感じながら周囲を見渡すと、少し下の方で水底へと沈んでいくフランの姿が見えた。発光する魚の群れが近くを通り過ぎる。青白い顔を見て息を呑んだ。
助けなければいけない。
早急に、陸へ上げないと。
水を掻いて奥へ奥へと進む。人一倍泳ぎが苦手な私だけれど、そんなことは言ってられない。絡み付く水草を掻き分けながら必死の思いで泳ぐと、なんとかフランの片腕を掴むことが出来た。
そこからはもう鍛冶場の馬鹿力で、張り裂けそうな肺を鼓舞してなんとか水面に顔を出した。
「………っはぁ、」
月の光を頼りに辺りを見渡す。
海岸にしては一面を森に囲まれているし、吐き出した水はしょっぱくないから海では無さそうだ。そこまで考えて、見覚えのある屋敷が佇むのが視界に入った。
「ここって……ルチルの湖?」
呆然とする私の隣で、フランが咽せる。
とりあえず人命優先ということで陸へ上がった。
じっとりと水に濡れた身体を短い草の上に横たえる。服の上から触っただけでも、かなり水を飲んでいることが分かった。救命講座で習った内容を思い出しながら、胸部のあたりに圧力を掛ける。水を無理に吐かせてはいけないと言っていた気がするけど、肺に溜まった水が気掛かりだ。
そろりとフランの身体に触れる。治癒の力が働けば、と願いながらマッサージを続けると、横に向けた顔がわずかに歪んでゴボッと水が吐き出された。透明であるはずの水が赤く濁っていて私は驚く。
「フラン……!?」
治癒するべき箇所はきっと他にもある。
黒龍は多くの傷を負っていた。爪で抉られた脇腹だってきっと相当な痛みを伴っているはずなのだ。
「目を覚まして。話があるって言っていたでしょう?」
独り言にならないように願いながら言葉を紡ぐ。
いつもあんなに憎たらしいことを言う薄い唇がもうピクリとも動かない。随分と遠いところへ私たちは来てしまったし、プラムが居る王都まで戻らなければいけないのに。
冷たくなっていく身体が、少しだけでも反応を返してくれたら。一度で良いから目を開けて「そんなんじゃダメだ」と呆れた様子で笑ってほしい。
「ねぇ……貴方、私の聖女としての腕は認めてるって言ったわよね。あれは本心だった?」
救えなければ何の意味もない。
治癒できなければ、私はただの無力だ。
「お願い、もう寝たフリはしないで……これ以上嘘は吐かないで。私も本当のことを話すから、」
開かない瞼に手を添える。
静かな湖の湖面の上で魚が跳ねる音がした。今が何時なのか分からないけれど、これから一番近くの病院へどう行けば良いか考える必要がある。だけど身体は鉛のようで、頭は錆び付いた玩具みたいだ。
祈るように目を閉じる。
その夜、フランは目を覚まさなかった。
◆おしらせ
ご愛読ありがとうございます。
次章で最終章となり、水曜日には完結予定です。
箸休めと言いますか、気分転換に短編を書いてみたのでよければどうぞ。『お飾りの妻からの挑戦状』というタイトルでアップしています。
さっくりした話なので、GWの方も、お仕事の方も(お仲間!)お楽しみいただけますと幸いです。
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