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第四章 バルハドル家とルチルの湖

55 黒龍

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「フラン………っ!!!」

 十階までの階段を登り屋上へ出たときはもう両膝がガクガクしていた。高いところから見たらよく分かったけれど、地上の魔物はほとんどが既に討伐されて騎士団が運び出している最中だ。

 周辺の民家からは人が避難した後なのか、明かりが消えていた。遠くの方で拡声器を持っているのはエリサ副隊長かもしれない。

 フランが連れて来た国王はこの有様を見たのだろうか。
 彼が招いた多くの犠牲を、しっかりとその両目で。


 渦を形成する魔物の数は少し減ったような気がする。しかし依然として舞い上がる粉塵は視界を遮るから、はっきりと竜巻の中の様子を窺うことは出来ない。

(中に居るはずなのに……見えない、)

 階段を登る途中、クレアのくれた銃で何匹かの魔物を始末した。本当ならば殺めずに浄化してあげたかったけれど、そんな時間はない。

 目を走らせていると、コンクリートの床の上に両手を広げた大きさほどの四面体の箱を見つけた。上から踏み付けられたように破壊されている。

 黒い箱の側面にはスクリーンのようなものが取り付けられており、何かの文字が映し出されている。


「…………共鳴装置?」

 すでに破壊された後だが、周辺で息絶えた魔物の数からして、彼らがこの装置を中心に発生したことが推測出来た。国王は西部に共鳴装置を運び込んだと言っていたから、きっと見つけ出したフランが壊したのだろう。

 もう少し近くで見てみようと足を踏み出した瞬間、頭上で大きな咆哮が聞こえた。

 驚いて顔を上げる。
 粉塵の中に紛れていた二頭の龍が渦から顔を出したところだった。

 一匹は赤い鱗に覆われた巨大な龍。鋭い歯がびっしりと並んだ口を大きく開けて、今にももう一匹の龍に噛みつこうとしている。対するもう一匹は、闇に溶ける黒い身体をしなやかに動かして攻撃を交わすのがやっとのようだ。


「………黒い龍……フランなの!?」

 叫んだ声はきっと届かない。
 上空で繰り広げられる闘いは、もう随分と長い間続いているのか、両者ともにいくつもの傷を負っている。

 共鳴装置はやはり龍を呼んだのだ。あの精神病院で見た白龍の比ではない大きさだから、フランも苦戦しているのかもしれない。

(待って、ラメールさんは力を使うなって……)

 苦しげに唸る黒龍に、もうフランの面影はない。
 私が見守る前で、大きく振り上げられた赤い龍の爪が黒龍の腹に食い込んだ。皮が裂けて中から真っ赤な肉が覗く。攻撃を重ねようと赤い尾が鞭のようにしなったのを見て、思わず銃の引き金を引いた。

 巨大な龍にとって鉛玉なんて擦り傷にもならない程度だろうけど、注意を引くことは出来る。少しの間だけでも。

 有難いことに悪意に満ちた青い目が私を捉えて、急降下して来た。慌てて後ろを気にしながら反対方向へ走り出す。コンクリートに入った亀裂を飛び越えた先にあったブロック片に蹴躓いて転がる。気付けば背後に迫っていたはずの龍の頭が目の前にあった。


「あら……結構綺麗な目をしてるのね」

 睨み付ける青い目に言葉を掛ける。
 伝わるはずはなく、龍は熱い鼻息を漏らした。

 残念ながら構えようとした拳銃は払い落とされ、転んだ際に足首を挫いたのか走れそうにない。もうダメかもしれない、と諦めに似た気持ちがジワジワと心の内に広がった。

 しかし、赤い龍がその口を開く前に、私の身体は強い力に引っ張られて宙に浮いた。

 先ほどまで座っていた屋上がみるみる間に遠去かる。冷えた空気の中でぶらりと垂れ下がった四肢を見て初めて、自分が何かに運ばれていることに気付いた。


「………ふ、フラン……!?」

 返事は返ってこない。
 だけど、見上げた先には黄色い双眼があった。

 黒龍は私を咥えたままで空へと舞い上がる。後方からすごい勢いで赤い龍が追い上げてくるのが見えた。西部の街が小さくなって行く。

「フラン!何処に行くの、追い掛けて来てるわ!!」

 バタバタと両脚を動かしながら叫び続ける私を見て、黒龍は鬱陶しそうに顔を顰めると、軽々と私を上に放り投げた。急に支えを失った私の身体は空気の抵抗を受け、ぶわっとスカートが舞い上がる。

「待って、降ろしてなんて言ってないから!今離されたら落ちちゃう…!フランってば……!!」


 見えたのは揶揄うように笑った月と同じ色の瞳。
 その記憶を最後に私の視界は暗転した。

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