塔の妃は死を選ぶ

daru

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 予想外の展開に、ニコは気が動転し、背に汗を流していた。

 スヴェリオを送り出してから既に2日経過しており、3日間開催されていた環獣祭も昨夜で終了した。
 生活は1人で静かに過ごすスタイルに戻り、スヴェリオの無事を祈りながら、ニコ自身も図書室で書物を借りて、フェリディル地区やクァンザ族についてできるかぎり調べていた。

 ニコは王の来訪はしばらくはないと踏んでいたが、まさか昼間からブドウ酒とお菓子を用意して来るとは思いもよらなかった。

 朝から晩まで公務に打ち込んでいる印象の男が、今ニコの目の前でソファに座り、ゆったりとブドウ酒を飲んでいる。

 先日の祭りと晩餐の件を労いつつ、ダマルカの知識はどこで仕入れたのかなどと聞いてくるから、ニコは気が気でない。

「王妃の世話係にダマルカ出身の者がいるのかと思って聞いてみたが、どうやらいないようだった。一体誰にダマルカの話を聞いたのだ?余と婚姻をする前か?」

「…使用人に、直接お聞きになられたのですか?」

「まぁ、キートスを通してだが。世話係を集めて聞いたところ、みなアイローイの出身だったらしい。」

「そうですか…。」

 カルダにとっては単なる好奇心での質問だったが、ニコは探りを入れられているのでは、と不安でたまらない。王から盗みを働いた泥棒スヴェリオの存在を知られると非常にまずいのだ。
 ニコは、スヴェリオをフェリディルに向かわせた自分を称賛せざるをえない。

「本で調べました。図書室で見つけて、丁度良いと思いましたので。」

 カルダはそうかと頷き、1度、ニコの机の上に積み重なった本にちらりと目を向けた。

「王妃は勉強家なのだな。」

「当然のことをしたまでにございます。」

 カルダは、ニコに祭り以前のような自分に対する恐れが薄れたように感じ、自然と目を合わせて会話をできていることが心地よかった。
 当のニコは平静を取り繕うのに必死なわけだが。

「王妃のお陰で祭りも一層盛り上がり、ダマルカ王も機嫌良く帰国された。ひいては王妃に何か礼をしたいのだが。」

「お、お礼などとんでもございません。当たり前のことをしたまでですから。」

 なんなら王妃という立場にいながらやるべきことを殆どしていない役立たずだ、と口には出さなかったが、ニコはそう感じていた。

「それに、お祭りの日に十分過ぎる程の贈り物を頂きました。」

「あれでは余の気が収まらん。」

 ええと、と戸惑うニコに、カルダが穏やかに微笑んだ。ふっと漏れた息の音に、下を向いていたニコの視線が上がり、カルダと交わる。
 一瞬、ただの一瞬だけ、互いにその美しい瞳に見とれた後、気恥ずかしさにどちらからともなく視線を外した。
 ニコはお菓子に手を伸ばし、カルダはぶどう酒を飲んで場を繋いだ。

「何か欲しい物や、して欲しいことはないか?」

 そう聞いても二つ返事では聞けないだろうということは、既にカルダも学習済みだ。
 案の定、ニコはカルダの言葉を繰り返すばかりで首を捻らせている。

「今すぐじゃなくていいからゆっくり考えて、決まったら余に言いなさい。できる範囲で、その望みを叶えよう。」

「あ、ありがとうございます。少し考えてみます。」

「そうしてくれ。」

 それから、とカルダは表情を少し固くして続けた。

「先日の晩餐での会話のことだが…。」

 ニコはびくりと肩を竦めた。

「…なんのお話か、存じません。」

「知らぬふりをしなくていい。気になっているのだろう?」

 カルダが先ほども見た机の上には、クァンザ族に関する資料や、フェリディルについて書かれた書物が積み重なっている。
 カルダの視線の先に気づいたニコが、観念するように下を向いた。

「…申し訳…ありません。」

「謝ることはない。王妃の故国についてのことだ。関心の無い方が余程おかしい。」

 ニコはきゅっと下唇を噛んだ。

「あのお話は…真実なのでしょうか?」

 カルダを真っ直ぐ捉えるグレーの瞳が大きく揺れる。

「我が祖国に、クァンザ族と繋がる者がいたのですか?」

 カルダは困った時の癖を出し、ニコを宥めるように静かに話し出した。

「王妃にとって、余は信頼には足らぬ人物だろう。もう少し待っていてくれるか?全てを知る者を呼んだ。10日後には来るだろう。」 

「全てを、ですか?」

「そうだ。王妃の知りたいことについて答えられる者だ。余が1人で話すより、説得力があるだろう。だから、その者が戻るまで少し時間が欲しい。」

「…分かりました。なんて、上から言える立場ではありませんが…取り敢えず、待とうと思います。」

「礼を言う。」

 互いにぶどう酒に口を付け、気まずい静寂をやり過ごす。

 カルダは不安げに下を向くニコを見て、傷をつけたくないという思いと、上に立つ者として知るべきだという倫理観がせめぎ合い、かける言葉を見つけられずにいた。

   あの、と先に声を発したのは、意外にもニコの方だった。

「私は、王様について何も知りません。何が好きで、何が嫌いかも分かりません。しかしながら、先日、お祭りでご一緒させて頂き、民たちに親しまれている王様を拝見しました。私のことも…馬にも乗れない愚かな私を、優しくエスコートしてくださいました。」

「王妃…。」

「私は、王様が信頼に足らない人物だとは…認識しておりません。」

 ニコの声がだんだん小さくなってしまったのは、そんなことを言いながら、カルダに対する恐怖心を拭えていない自分が情けなく思えたからだ。
 一方カルダはそんなニコとは裏腹に、恐怖の対象であろう自分に向けて一生懸命言葉を紡ぐニコの姿を見て、心が暖かくなった。

「王妃は優しいのだな。だが、自分のことを愚かなどと卑下するものではない。王妃、そなたは強い。強い心を、持っているのだ。」

 カルダの伸ばした手が、そっとニコの頬に触れ、その熱が伝わるように、ニコの頬も熱くなる。
 そのまま親指の腹で唇をなぞれば、ニコの顔は火が出そうなほど赤くなった。

 その様子を見て、カルダはふっと口元を緩めた。

「無防備が過ぎるな。」

 ぽつりと呟き、ニコの頬から手を離す。

 カルダは空になった銀の杯にこぽこぽとぶどう酒を注ぎ入れ、それを一気に飲み干すと、カンッと音を立てて杯を置いた。

「では、余はそろそろ失礼する。」

「あ、はい。」

 カルダに合わせてニコも立ち上がると、カルダに肩を押さえられ、再びソファに座る形になった。

「王妃はまだゆっくりしていなさい。菓子もまだ残っている。」

「あ、りがとうございます。」

「扉の前に人を置いていくから、食べ終わったら片付けて貰いなさい。」

「はい。」

「…これくらいの菓子、食べたくなったらいつでも申し付けて良いのだからな?」

「…ふふ、はい。」

 いつになく優しい物言いに、今度はニコの口元が緩んだ。
 それを見て、カルダも満足げに頷き、ニコに背を向けて歩き出した。

 と思いきや、もう一度振り返る。

「そういえばもう1つ。」

「なんでしょうか?」

「話し相手が欲しくはないか?」

「話し相手、ですか。」

 既にスヴェリオがいる、とは言えないし、王からの好意を無下にもできないと思い、ニコはどうするべきか考える。

「キートスの妻なのだが、王妃と年も近いし、ちょっと気は強いが、暇潰しにどうかと思ってな。」

「あの…ご迷惑ではありませんか?」

「迷惑だなんてまずありえない。あの夫婦は喋るのが趣味なのだ。声を出さずにはいられないのだ。」

 カルダが眉間にしわを寄せて話すものだから、ニコは可笑しくなり笑ってしまった。

「ふふ、なんですか、それ。」

「本当だぞ。あいつらは息継すらしない。」

「それは、ふふふ、お会いするのが楽しみですね。」 

 ニコの返答に満足したカルダは、ではそのように話をしておく、という一言を置いて、今度こそ部屋を出ていった。

 ニコは残されたお菓子に手を伸ばし、まだ見ぬキートスの奥さんを想像して胸を踊らせた。
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