交際マイナス一日婚⁉ 〜ほとぼりが冷めたら離婚するはずなのに、鬼上司な夫に無自覚で溺愛されていたようです〜

朝永ゆうり

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第四章

新しい案件と彼の家族③

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 三条さんの温かい手に包まれて、歩いて帰宅した。

 来週から十二月になる。
 一か月後にはコンペが終わっている。クリスマスを、年末年始を、幸せな気持ちで三条さんと過ごせたらそれでいい。

 私は夜風に吹かれながら、少しだけ三条さんの腕に自分の頬を寄せた。

「どうした?」

 三条さんが言う。

「なんとなく、こうしたくて」

 どうかコンペも無事通過して、三条さんと離れなくて良い未来が来ますように。
 そんな思いを込めながら、私は彼と家路を歩いた。

 やがて、自宅前に着く。
 三条さんが鞄から鍵を取り出していると、道の脇に停まっていた車から誰かが降りてきた。

「ずいぶんと遅かったじゃない」

 女性の声がして、同時に三条さんは一瞬ぴくりと動きを止めた。

「あの……」
「関わらなくていい。行くぞ」

 三条さんはそう言うと、さっさとエントランスの鍵を開け、私の腕をぐいっと掴む。
 彼はそのままエントランスの中へがつがつと入ってゆくが、先ほどの声の主がハイヒールの音を響かせながら追いかけてきた。

 エントランスの中には、私たち以外は誰もいない。

「ちょっと、無視するなんてひどいじゃない」

 彼女の声は苛立っている。私はつい、ちらっと振り返った。

 艶やかな黒髪を肩の上で切り揃えた、上品な女性。パンツスーツ姿はきりっとしていて、とても知的に見えた。

 ぞわり。
 胸の奥が嫌な風に震え、慌てて三条さんの方を向き直る。

「嫁も嫁ね、本当に失礼。実の姉にその態度、ひどすぎるわ」

 ――実の姉。
 彼女のその言葉に、私は思わず三条さんに掴まれていた腕を引っ張ってしまった。

 三条さんがこちらを振り向く。彼は、むっと眉間に皺を寄せていた。
 だけどすぐにはっとして、困ったようにどこかに視線をやった。

 立ち止まってしまった私たちに、先ほどの女性が追いつく。
 私は彼の姉だというその女性に、無言でぺこりと頭を下げた。

「いいわ、別に。悠互のことだから、私のことも言ってなかっただけでしょう」

 彼女はそう言うと、上着のポケットから名刺入れを取り出す。そこから一枚取り出して、私に差し出してきた。

「三条舞子まいこ。悠互の姉です」

 私は名刺を受け取ると、彼女に頭を下げた。

「初めまして。早苗――じゃなかった、三条杷留です」

 ここでは彼の姓を名乗った方が良いと思い、慌てて言い直した。
 その時、目に入った彼女の名刺をみて、私は目を見開いた。

【参議院議員】

 彼女の肩書に、そう書いてあったのだ。

 恐縮してしまい、体が固まる。そんな私を見たからか、彼女ははあ、とため息をこぼした。

「何をしに来た」

 三条さんはそう言うと、私の腰をぐっと抱く。

 彼女はもう一度ため息を零し、それからきょろきょろとあたりを見回す。
 誰もいないことを確認すると、鞄から何かを取り出した。

「決まってるじゃない。勝手に戸籍から外れるなんて、何を考えているの?」

 彼女は一枚の紙を手に持っていた。彼女の手には、戸籍謄本が握られている。

「パスポート更新するために手配したら、これ。あなた、それでも三条家の一員なの? 本当、信じられない」

 彼女は呆れたというような口調そう言うと、紙を鞄にさっと仕舞った。

「俺はもう三条家の一員じゃない。どこでどう生きようが、勝手だ」

 三条さんはそう言いながら、私の腰を抱く力を強くする。

「悠互は縁を切ったつもりかもしれないけれど、日本の法律では離縁はできないの。三条家の一員である事実は、あの家に生まれたときから死ぬまで永遠に変わらない。それが、分からないの? これ以上、三条の名に泥を塗るようなことはしないで」

 彼女の口ぶりから、三条さんが名家の生まれであることを知った。

 私の胸は、ドクドクと嫌な音を打つ。
 私は、どんでもない人と結婚してしまったのかもしれない。

「それに、あなた」

 突然きつい視線を向けられ、私は息をのむ。

「どこの誰なの? 三条家の一員になるのよ。その自覚が、あなたにあるとは思えない」
「彼女は関係ないだろう」

 三条さんはすぐにそう言うと、私を自身の背に隠してくれた。 

「彼女は俺の大切な人だ。侮辱するのは、許さない」

 三条さんが彼女を睨むように見る。
 そのとき、エントランスの方から話声が聞こえた。通りの向こうから、誰かがこちらにやってくる。

「とにかく、悠互は身の振り方をよく考えなさい。あなたは、三条家の一員なんだから」

 彼女はそう言うと、こちらに身を乗り出す。それから私の耳元に向かって囁いた。

「自覚がないなら、悠互から離れて」

 私にだけ聞こえるような声でそう言うと、彼女はくるりと身を翻し、カツカツとヒールの音を響かせながらエントランスから出て行った。

 彼女と入れ替わるように、若い男女が会話をしながらエントランスを入ってきた。
 彼らはどうやら一階の住人らしく、私たちに会釈すると通路の奥へと姿を消した。

「早苗、悪かった」

 再び誰もいなくなったエントランスで、三条さんは私を抱き寄せていた腕を解いた。

「いえ……」

 三条さんはバツが悪そうに俯いたまま、エレベーターに向かい上階に行くボタンを押す。
 エレベーターは一階に止まっていたようで、すぐに扉が開いた。

 しかし、私はその場から動けずにいた。
 色々なことを一気に知ってしまったせいで、気持ちが追いつかない。

 私はこのまま、三条さんの近くにいていいのだろうか。

「早苗……?」

 立ち尽くしていると、三条さんがエレベーターに乗り込みながらこちらを振り向く。

 いつもなら急かしてきそうなところだが、今の彼はエレベーターの扉を手で押さえて私をじっと見ているだけだ。

 まるで選択を迫られているよう。
 だけど、三条さんの揺れる瞳を見ていると、彼から離れたくないという想いが強くなる。

「すみません、今行きます」

 私は小走りで、彼の待つエレベーターに乗り込んだ。


 三条さんは私がエレベーターに乗り込むと、行き先階ボタンを押す。
 しばらくして扉が閉まると、三条さんが口を開いた。

「聞かないのか?」
「え?」

 見上げた三条さんはこちらを、不安そうな瞳で見ている。

「俺の家のこと。あんなことを言われたんだ。気にならない方がおかしいだろう」
「えっと……」

 訊いていいのだろうか。

 どうしていいのか分からなくて言葉を濁す。
 何もないエレベーターの角に目をやっていると、三条さんはふっと息を漏らして私の頭に手を置いた。

「優しいんだな」

 彼を見上げると、困ったように優しく微笑んでいた。

「無理に聞き出すのは、違うと思っただけです」

 そう言うと、三条さんは私の頭に置いていた手を滑らせるように、髪をさらりと撫でた。

「それを、優しいというんだ。早苗らしい」

 三条さんがそう言った時、エレベーターが着いたことを知らせる。

「帰ったら、聞いてくれるか? 俺の、話を」

 三条さんは言いながら、私に左手を差し出してくる。私はその手をきゅっと握った。

 ――聞かせてください。

 そう、心の中で答えながら。
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