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第二部 ジェノサイド

第44話 まさかの再会の時

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 残り時間――1時間19分  

 残りデストラップ――2個

 残り生存者――8名     
  
 死亡者――10名   

 重体によるゲーム参加不能者――1名

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 お姫様だっこでヴァニラを抱きかかえながら園内を歩く春元は、視界の先に良いものを発見した。巡回バスの停留所と、その前に停まっている可愛らしいバスである。

 バスの大きさはマイクロバスほどであった。オープンカーのように屋根が取り払われており、座席から景色が一望出来る造りになっていた。

「ラッキーだぜ。このバスがあれば園内の移動がかなり楽になるな」

 春元は一旦近くのベンチにヴァニラを寝かせた。身軽になったところでバスに近付いていく。

「おっと、バスに乗る前にひとつやることがあるんだったな」

 紫人の言葉を思い出す。園内の乗り物はどれも稼動中と言っていた。当然、このバスも動くはずである。しかし動くということは、同時にデストラップが仕掛けられている可能性もあるということだ。『ゾンビ病棟』での失敗を繰り返さないように、細心の注意を払わなければならない。

 前方のドアにそっと手を掛けると、慎重に少しづつ開いていく。よく映画で見かけるワンシーンみたいに、ドアの隙間に爆弾のリード線が見えるということはなかった。

「よし、ドアは安全みたいだな」

 ドアを全開にして、階段を上がり、バスの中に乗り込む。屋根がないお陰でバス内は明るく、最後部の座席までよく見通せた。デッキの中央をゆっくりと歩きつつ、座席の下をひとつひとつ丁寧に確認していく。これも映画なんかでよくあるパターンとして、座席の下に不審物が隠されてることも多いのだ。

「今夜のゲームでは、まだ爆弾絡みのデストラップは出てきていないからな。そういえば、学生の頃にバスに爆弾が仕掛けられた映画を見た覚えがあるけど、このバスも同じってことはないよな?」

 思い出さなくてもいい事をつい思い出してしまい、一瞬背筋に寒気が走った。

「座席を調べ終わったら、一応、車体の下も見ておいた方がいいかもしれないな」

 春元はさらに慎重を期すために、バスを丹念に調べるつもりだった。むろん、ひとりであるならば、ここまでする必要はない。危険なバスになんか、わざわざ乗らなければいいだけである。しかし、今は重体のヴァニラを抱えている。ヴァニラと移動するには、このバスは欠かせない。

 それに先ほど聞こえてきた銃声の件もある。仮に銃で狙われたとした場合、徒歩でいるよりも、バスに乗っていた方が何倍も安全に思われた。

デッキの上からベンチのヴァニラに目を向けた。

「悪いな、ヴァニラ。もう少しだけ、そこで待っていてくれないか。完全に安全が確認出来たら、すぐに出発の準備をするからさ」

 春元がバスに拘る理由はもうひとつあった。ゲーム終了まで、残り一時間弱となっている。ゲームが終わったら、すぐにヴァニラを病院に搬送したかった。園内から119番に掛けてもいいが、救急車が来るまで待っている時間さえ惜しい。だからゲームが終わったと同時に、このバスを使って病院までヴァニラを運んで行こうと考えたのである。

「まあ、それにはおれたち2人が生き残っているっていうのが、大前提になるけどな」

 淡い期待を抱いている自分に対して苦笑を浮かべながらバスを降車すると、次に車体の下のチェックを入念に始める春元だった。


 ――――――――――――――――


 乾いた音の正体が銃声じゃないかと推察した瞬間から、スオウとイツカはすぐさま場所移動を始めていた。なるべく銃声から遠く離れられるようなルートを選んで進んでいく。

「悪いな、イツカ。かえって足手まといになっちゃって……」

 スオウはイツカに肩を借りながら歩いていた。

「大丈夫だよ。そんなこと全然思っていないから」

 イツカは軽く首を振る。

「そう言ってもらえると助かるよ」

 今は少しでも早く体力を回復させて、残り時間わずかになったゲームの最終局番に備えたかった。格好を付けて強がりを言えるような状況ではないのだ。

「スオウ君、さっきの銃声だけど、ゲーム参加者の誰かが銃を持っているっていうことだよね?」

「多分、慧登さんを追ってきた連中だと思う」

 今現在生き残っているゲーム参加者のうち、銃を持っている可能性があるのは、あのヤクザくらいしか思いつかなかった。つまり、ヤクザにさえ出会わなければ、とりあえず銃の脅威からは逃れられるはずである。

「デストラップにヤクザに銃か──。まったく、ゲームも佳境に入ってから、こっちの想像を越えたことがいろいろと起こるよな」

 スオウがぼやき混じりにつぶやいていると、また銃声と思われる乾いた音が聞こえてきた。さきほどと違って、銃声は一発しか聞こえなかった。しかし、その音はごくごく近くから聞こえてきた。

 スオウとイツカの足取りが、ほぼ同時にぴたりと止まる。

「ねえ、スオウ君、今の銃声って、すごい近くから聞こえてきたみたいだけど……」

 イツカは怯えたように、あたりをきょろきょろと見回し始めた。

「いったいどうなってんだよ? このゲーム内で誰かが銃撃戦でも繰り広げているのか?」

 スオウも頭が困惑していた。


 まさかこの園内でヤクザ同士の抗争が起こっているわけじゃないよな?


 そんな不安まで脳裏を過ぎってしまう。

「スオウ君、どうしたらいい……? あちこちから銃声が聞こえてくるけど……」

 常時は冷静なイツカの顔にも、恐怖の表情がありありと浮かんでいる。スオウだって正直怖かった。銃が相手では、こちらは無防備もいいところなのだ。唯一の対抗手段は銃を持った相手に出くわさないことなのだが、いったい何人の人間が銃を持っているのか分からない状況である。下手に動いたら、かえって危険地帯に自ら飛び込んでしまう可能性もある。


 やっぱりアトラクション施設の中で隠れている方が安全なのか……?


 思いもよらない急転直下の事態に、次の対応に完全に困り果てるスオウだった。

 そのとき、今夜何度となく聞いた、あの音が鳴り響いた。メールの着信音である。

「とりあえず先にこのメールを読んでみるよ。もしかしたら、作戦の変更をしないとならないかもしれないから」

 イツカにそう言ってから、スオウはスマホを手に取った。メールの本文を素早く表示させる。


『 ゲーム退場者――2名  鬼窪 玲子

  
  残り時間――1時間18分  

  残りデストラップ――2個

  残り生存者――7名     
  
  死亡者―11名   

  重体によるゲーム参加不能者――1名      』


「――玲子さん……なんで……」

 スオウは顔が強張るのを感じた。しかし同時に、メールに書かれている鬼窪の名前にも目がいった。少し前に届いたメールで、鬼窪がヴァニラと同様に『重体によるゲーム参加不能者』としてカウントされていたのを思い出したのだ。しかもメールを見ると、デストラップの数は減っていない。そこから類推出来ることは──。


 重体の状態にあったのが、息を引き取ったということなのか……?


 始めはそう考えた。しかし、二度聞こえてきた銃声のことを考えると、もうひとつの可能性が出てくる。すなわち──。

 重体の状態にあった鬼窪とかいう人間を、誰かが銃で撃って殺したか。あるいは、鬼窪も銃を持っていて、別の誰かと銃撃戦になって撃ち殺されたか……。

 どちらにしろ、鬼窪が銃で殺された可能性は大いにありそうに思われた。現に、デストラップの数が減っていないということは、デストラップに掛かって死んだわけではないのだ。鬼窪は別の理由で死んだのである。そして、それは玲子についても同様のことが言えた。


 それじゃ、玲子さんと鬼窪を殺したのは誰なんだ? 銃を持っているのは誰なんだ? まさか、このゲーム内で誰かが銃を使って人殺しをしているんじゃ……。


 そこまで考えが行き着くと、不意に、スオウの背筋を言いようのない冷たいものが走りぬけた。

 自分の知らないところで、別の何かが起きている気がした。それも凶悪な何かが──。

「イツカ、ここからすぐに動こう。ここは目立ちすぎる」

 スオウはまだ恐怖で固まっている様子のイツカを促すようにして、前へと歩き出した。じっと立ち止まっているよりは、動いている方がまだ恐怖心が薄まる。

「うん……そうだね……」

 周辺に細心の注意を払いながら慎重に歩を進めていく2人。


 もしも、銃を持った相手と遭遇したら……。


 そんな最悪な事態を想定しておかなければならないかもしれない。


 そのときはおれが壁になって、イツカを先に逃がすしかない。
 

 当たり前のように、イツカを真っ先に守ろうと考えるスオウだった。その考えが、自分のどんな感情から生まれてきたのか分からないスオウではない。でも同時に、そんな甘い感情は今持つべきではないことも、重々承知していた。甘い考えが死の引き金になる可能性も捨てきれないのだ。イツカに対する思いは、今は自分の胸の奥にしまっておくことにする。

「ねえ、スオウ君、何か見えてきたよ」

 イツカが何かを見付けたらしい。アトラクションを仕切るように植えられている背の低い茂みの奥を、注意深く見つめている。

「銃を持った人間でもいたのか?」

 スオウもすぐさまイツカの視線の先を目で追った。緑の葉が生い茂るその先に、明るい色合いの服が見え隠れしている。その派手な色彩に見覚えがあった。

「あれって玲子さんの服じゃ……」

 イツカもスオウと同じ想像に行き着いたらしい。

「ああ、おれもそう思う」

 2人は無言のまま頷きあうと、服の見えた場所へと向かった。周囲にはまだ銃の脅威が残っているが、ここで玲子を無視して前へ進むことは感情的に出来なかった。

 茂みを無理やり掻き分けて進んでいくと、広いスペースに出た。すぐ脇に高い階段が設置されている。階段はジェットコースター乗り場に続いていた。スオウたちはジェットコースターの登場口付近に出てきたのである。

 そして、派手な色彩の服を身に付けた女性が、階段のすぐ下の地面に倒れていた。

「玲子さんっ!」

 イツカが走り出した。先ほどのメールには死亡と書かれていた。今から急いで駆け寄ったところで、玲子が死亡した事実が覆ることはない。それでも玲子の元へと走っていくイツカの気持ちが、スオウにも痛いほど理解出来た。

 スオウは足を怪我していたので走ることが出来なかったが、その思いはイツカと同じだった。

 ゆっくりと足を庇いながら、イツカと玲子の元へ近寄っていく。

「スオウ君……。玲子さんが……玲子さんが……死んでる……。何で……何でなの……」

 イツカはそっと抱きしめるように玲子の上半身を抱えあげていた。玲子の目は固く閉ざされている。決してもう開くことはない。死に包まれながらも、なお玲子の美貌は色褪せることがなかった。それがより一層悲しみを強くさせた。

「玲子さん、どうして……どうして……」

 イツカはまだ玲子を失った悲しみの淵を彷徨っているが、スオウは違う点に注目していた。玲子の腹部には生々しい赤い染み模様が広がっていたのだ。決して服の柄なんかではない。

「玲子さん、やっぱり撃たれたんだ……」

 スオウは重たい声でつぶやいた。想像していたとはいえ、あまりにも残酷で冷酷な現実を突きつけられた。

「イツカ、ここに留まっているのは危ない! 玲子さんには悪いけど、ここから一刻も早く離れよう!」

 後ろ髪は引かれるが、断腸の思いで決断した。

「うん、分かった……。そうだよね……そうしないとね……。でも、玲子さんをこのまま置いていくのは……」

 それでもしばらくの間、イツカは玲子の亡骸を優しく抱きしめていた。それから、そっと地面の上に寝かせる。最後のお別れとばかりに、イツカが玲子の顔を見つめる。

「イツカ──」

 玲子に逃げるのを促そうと声を掛けた。

「あれ、口元にすごく血が付いているけど……。何でこんなところに血が付いているんだろう……?」

 イツカの口から怪訝そうなつぶやきが漏れた。

「うん? イツカ、どうしたんだ? 何かおかしな点でも──」

「わたしの考え過ぎかもしれないけれど、玲子さんの口元が不自然に血で真っ赤に染まっている気がして……」

「玲子さんはお腹を銃で撃たれたみたいだから、それで血が気管を遡って、口から吐血したんじゃないかな?」

 スオウとて医学的な知識は皆無であったが、口から血が出るのに違和感はとくになかった。

「普通に考えればそうなんだけどね……。でも、ただの吐血にしては、なんだか不自然に口だけに血が付いているから……」

 イツカはそれでもまだ納得がいかないのか、視線を玲子の口元に向けたまま外そうとしない。

 そのとき、2人の会話に第三者が割りこんできた。

「おい、そこに誰かいるのか?」

 聞いた相手を落ち着かせるような低い男性の声である。

「────!」

 スオウは鋭い視線を声の方に振り向けた。いくら声が良くても、声だけで相手の正体を判断するわけにはいかない。それはここまで危険なゲームを生き延びてきたからこそ身に付いた防衛本能だった。

「そっちこそ誰ですか? 先に身分を明かしてください!」

 スオウは大きな声で怒鳴り返した。ここで相手が答えないようであれば、逃げるか戦うかの選択をしないといけない状況になる。

 声はジェットコースターのコースを支える支柱の影からして、声の主の姿は隠れて見えなかった。

「おいおい、随分と強気な態度だな。安心しろ。俺は善人だから」

 やれやれと言わんばかりの、かなり砕けた口調で返答してきた。声の様子からすると、緊張した感じは微塵もない。しかし、まだ油断は出来ない。銃声の件があるのだ。

「善人だと言うのならば、ゆっくりこちらに歩いてきてください。ゆっくりですよ。妙な動きをしたら──」

「分かった。了解したから、そっちこそ何もするなよ」

 支柱の影から、人影が現われた。スオウの指示した通り、ゆっくりとこちらに向かってくる。外灯の光が届く範囲まで歩いてくると、地味なスーツ姿の男性であると見て取れた。

 同時に──。

「えっ? 何でここにいるんですか……?」

 スオウは我知らず戸惑いの声を漏らしてまった。そのスーツ姿の男性をよく知っていたのだ。

「聞き覚えのある声だと思ったら、なんだ、君だったのか」

 スーツ姿の男は歩みを止めずに、納得したというようにひとり頷いている。

「あれ、もしかして……」

 イツカの口からも、スオウと同じような戸惑いの声が漏れた。

「えっ? まさか、イツカも知り合いだったの……?」

 イツカの声を聞いて、スオウは思わず訊き返した。

「う、うん……。ちょっとした知り合いというか……」

 イツカは話し難そうに言葉を濁した。スオウの視線から逃げるようにして、スーツ姿の男に目を向ける。

 スーツ姿の男が、表情が読み取れる距離まで近付いてきた。さらに近付いてこようとするのを、スオウは押し止めた。

「申し訳ないですが、そこで一旦止まって下さい。──どうしてここにいるんですか?」

 さきほど同じ質問を繰り返す。スーツ姿の男の正体が分かったときは驚きが勝っていたが、冷静さを取り戻した頭で考えると、ここにいることへの不自然さに気が付いたのである。だから、こちらに必要以上に近付いてくる前に止めることにした。

「まさか俺の顔を忘れたわけじゃないよな? 昨日会ったばかりだろう?」

 スーツ姿の男は愛想の良い笑顔をこちらに向けてきた。

 そう、スオウはこの男と昨日会っている。正確に言うのであれば、昨日の午後に、ある場所で会って、大切な話をしたのだ。

阿久野あくのさん、どうしてあなたはここにいるんですか?」

 スオウは三度目となる同じ質問をスーツ姿の男にした。阿久野──それがこのスーツ姿の男の名前である。

「スオウ君、君の方こそ、どうしてここにいるんだい? ここは昨夜閉園になったはずだけど」

 阿久野はスオウの質問には答えずに、質問で返してきた。

「いえ、あの……こちらもいろいろと訳ありでして……」

 スオウは言葉を濁して答えた。ここでゲームのことを外部の人間に言う訳にはいかないのだ。

「ほうー。何か言えないことでもあるのかい?」

 阿久野が痛いところを突いてくる。

「いや……そういう訳じゃ……」

 劣勢になるスオウ。それも仕方のないことだった。阿久野は『仕事柄』、この手の会話に非常に長けているのだ。

「それは──『刑事』にも言えないことなのかな?」

 阿久野が不意に鋭い声に切り替えた。蛇のように絡みつく視線でスオウの顔を見つめてくる。

 そう、阿久野は刑事なのだ。それもスオウが巻き込まれた義援金詐欺事件を担当している刑事なのだった。
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