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第二部 ジェノサイド

第45話 君の『本当』の名は?

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 残り時間――1時間13分  

 残りデストラップ――2個

 残り生存者――7名     
  
 死亡者――11名   

 重体によるゲーム参加不能者――1名

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 スオウは返答に窮したまま、じっと阿久野の顔を見つめ続けた。阿久野もそれ以上は追及してこず、スオウのことを刑事の目でじっと見続ける。精神的な根比べだった。

 しかし、スオウの方に分が悪いことは明らかだった。なにせスオウは今、命を懸けたゲームをしている最中なのだから。しかも、スオウとイツカが立っている場所のすぐ近くには、ぴくりとも動かない玲子が横たわっている。どう考えても刑事の目をごまかせる状況ではない。いや、むしろ刑事から疑いの目を向けられても仕方のない状況である。


 仕方がない。阿久野さんにはお世話になっているけど、ここは黙って逃げるしかないか……。


 そんな考えが脳裏に思い浮かぶ。だが──。


 いや、この怪我をした足じゃ、すぐに捕まるのがオチだよな……。


 ナイフで深く切られた自分の右太ももを、ちらっと恨めしげに見つめる。この足では走るのは無謀以外の何物でもない。


 残った手段といったら、泣き落とししかないか……。


 阿久野はスオウが巻き込まれた詐欺事件について、誰よりも詳しく知っているといってもいい。だとしたら、スオウが上手く事情を説明すれば、見逃してくれる可能性があるかもしれない。


 阿久野さんの人柄に賭けてみるか……。


「──ねえ、スオウ君。何かおかしく感じない?」

 これという決定案が思い浮かばずに頭を悩ませていたスオウの耳元で、イツカが囁くようにつぶやいた。

「えっ? おかしいって阿久野さんのこと……?」

「うん、もしかしたら単なるわたしの思い違いかもしれないけど……。ただ、上手く表現出来ないけど、どこか不自然というか……」

 イツカに言われて、スオウは阿久野の姿を改めて見つめなおした。チェーン店で売っているような安っぽいスーツに、雑にセットされた髪型。刑事は忙しいから見た目はあまり気を遣わない、と警察署で会ったときに阿久野が言っていたことを思い出す。

「見た目には特に不自然さは感じないけれど……。ただ、どうしてここに阿久野さんがいるのか、それが分からないんだよな……」

 スオウは軽く首を傾げた。

「──阿久野さん、どうしてここにいるんですか? 先にそれを聞かせてください」

 四度目となる、同じ質問を繰り返した。

「分かったよ。そこまで聞くのなら、先にこちらの事情を説明するとしよう。――深夜過ぎに警察署の方に市民から通報があったんだよ。廃園になったはずの遊園地から、騒音が聞こえてきて迷惑をしているとね。それで確認の為に来たというわけさ」

 ようやく阿久野がスオウの質問にちゃんと返答をしてくれた。話の内容だけ聞くと、おかしな点は見当たらない。園内から騒音が聞こえたという話も理解出来る。今夜、この園内では様々なデストラップが発動して、大きな音が何度も発生しているのだ。

「なんだか始めから返事を考えてきたみたいな言い方に聞こえるんだけど……」

 イツカはまだ阿久野に対して不信感を持っているみたいだ。

「イツカがそこまで疑問に思うのならば、この場から逃げてもいいけど──」

 スオウにとってこの状況下では、阿久野よりイツカの声を優先するのは当然のことだった。2人がコソコソと内緒話をしていると、阿久野が話に割り込んできた。

「なんだか2人して勘違いしているみたいだが、俺は別に君たちを逮捕しようだなんて思ってはいないぞ。ただ刑事として、市民の通報を無視するわけにもいかないからな。君たちがどうしてこんな時間にこんな場所にいるのか教えてもらえないか? 納得出来る説明が聞けたら、君たちをここに置いて、俺は署に戻って報告して、それですべて終わりさ。――どうだろう、簡単な話だろう?」

 阿久野は理路整然とした話し振りでスオウのことを説得してきた。

「納得出来る説明と言われましても……」

「スオウ君、わたし、分かったよ!」
 
 イツカが声こそ小さいが、はっきりと言い切った。

「さっきからずっとどこかおかしいなって思っていたんだけど、その答えがやっと分かったの。スオウ君もあの刑事さんのことを知っているみたいだけど、あの刑事さんって、詐欺事件を担当する捜査二課の刑事さんのはずでしょ?」」

 イツカは阿久野には聞かせたくないのか、口元をスオウの耳に寄せて早口でつぶやく。

「ああ、確かにイツカの言う通り、亜久野さんは捜査二課所属のはずだけど、それが何か問題でも?」

「何で捜査二課の刑事が廃園になった遊園地の騒音のことで、わざわざ出向いてくるの? それっておかしいでしょ? わたし、警察のこととか詳しくないけど、こういうのって別の部署の警察官の仕事なんじゃないのかな? もしくは交番によくいるお巡りさんが見に来るのが普通でしょ?」

「そうか! イツカの言う通りだよ。ここに捜査二課の刑事がいるのは、確かにおかしいよ」

 イツカの言葉を聞いて、スオウもはたと気が付いた。

「――阿久野さん、通報があったということですが、どうして阿久野さんがここに来たんですか? こういうのって捜査二課の仕事じゃないですよね?」

 イツカが気付いた疑問を、そのまま阿久野にぶつけてみた。

「──ちぇっ」

 阿久野の口から刑事らしからぬ舌打ちが小さく聞こえた。露骨に顔を歪める。それからすぐに刑事の顔に戻ると、再び口を開いた。

「警察も部署によって、いろいろと事情があるんだよ。今夜はたまたま俺が近くにいたから来ただけのことさ」

 阿久野はさっきまでの整合性のある説明から一変、なんだかひどくアバウトな言い方をしてきた。

「スオウ君──」

「分かってる」

 イツカが話を切り出そうとするのを、スオウは押し留めた。スオウも阿久野の返答に、はっきりと違和感を持った。スオウはじりじりと後ろ足で後退を始める。阿久野には悪いが、今は話を続けるときではないと結論付けたのである。イツカが何も言わずに、スオウの上着を掴んでくる。

「その様子からすると、君は俺を信用していないみたいだな」

「いえ、そういうわけじゃありません。ただ、今は阿久野さんと話している時間が──」

「俺よりもそちらのお嬢さんの話を信じるっていうわけか?」

 阿久野はスオウの話を最後まで聞かずに、なぜかイツカに鋭い目を向けてきた。

「だから阿久野さん、誤解しないでください。阿久野さんには妹の事件のことで、本当にお世話になっているし、感謝もしているし──」

 スオウが妹の話を出した途端、イツカが掴んでいたスオウの服の裾をギュっと引っ張った。

「えっ? どうかした──」

 イツカに問い掛けるような視線を向けかけた、そのとき──。

「なあ、君は知っているのかい? そのお嬢さんの名前を──」

 阿久野が意味深な質問を投げ掛けてきた。

「えっ、名前って、イツカだろう? それで合ってるよね?」

 スオウは阿久野ではなく、イツカに直接訊いた。だが、イツカからの返事は返ってこなかった。スオウの視線の先にあるイツカの顔には、明らかにそれと分かるほどの動揺が浮いていた。何かを拒否するかように、頭を左右に何度も小刻みに振っている。

「イツカ……どうしたっていうんだよ……? そんな困ったような顔をしてさ……。イツカっていう名前でいいんだろう? だって、そういう風に教えてくれたじゃないか……」

 急に心配になってきたので、さらにイツカを問い質した。しかし、イツカは頭を振るばかりで、いっかなスオウの質問には答えてくれない。

「そうか。やっぱりスオウ君は知らなかったみたいだな。なら、俺が今教えてやろう。そうすれば誰を信用すればいいのか君も分かるだろうからな」
 
 阿久野はそこで一旦言葉を切ると、ゆっくりと言い聞かせるように話を切り出してきた。

「──いいかい、今君の隣に立っているお嬢さんの名前は、北宮きたみやっていうんだよ。イツカ(伊塚)というのは、母親の旧姓なんだよ。今は北宮と名乗れない事情があるから、そうしているのさ」

 阿久野が丁寧に説明をしてくれた。だが、スオウの頭は困惑の極致にあり、阿久野の言葉を上手く脳内で処理出来なかった。

 イツカが旧姓を名乗っていたことに驚いたわけではない。北宮という名前を聞いて、愕然としてしまったのだ。なぜならば、スオウは北宮という名前の人物と深い因縁があったからである。

「北宮って、まさか……」

「そうだよ、スオウ君。そのお嬢さんの父親の名前は、北宮明正きたみやあきまさっていうのさ。君は半年間、毎日街頭に立って、難病の妹の為の手術費用を必死に集めたんだよな。その大事なお金を、上手いこと騙して持ち逃げした男こそ、その少女の父親なんだよ!」

「――――!」

 スオウの心に衝撃が走った。想像だにしなかった事態に、体が硬直してしまう。それでも、無理やりに口を開いた。声に出して、ちゃんと確認しないとならないから。

「──イツカ……ウ、ウ、ウソ、だろう? 阿久野さんが言っていることは、全部ウソ、なんだろう? なあ、そうだってって言ってくれよ……。だって、それじゃ……最初からおれに、ウソをついていたって……。おれのことを……騙して……いたのか……?」

 疑問と疑念の声が、次から次にスオウの口から溢れ出てくる。こうして声に出していないと、行き場を失った感情が心の中で爆発してしまいそうだったのである。

「…………」

 しかし、答えを知っているはずの少女は、よりいっそう大きく頭を振り続けるのみで、一言も声を発することがなかった。その事実が何よりも雄弁に、阿久野の話がウソではないことを物語っていた。


 ――――――――――――――――


「よし、一通り見たがおかしな点はないな。このバスで移動することにしよう」

 バスの点検を終えた春元は、ベンチに寝かせたヴァニラを抱きかかえて、バスに乗り込んだ。ヴァニラを優しく座席に寝かせると、自分は運転席に座る。ハンドルや足元のブレーキ類の位置をしっかりと確認する。バスなんて運転したことがないので、分からないことばかりである。

「大型の免許は持っていないけど、果たしてしっかり運転出来るかどうか……」

 メーター周りを見てみる。

「まずはとりあえずエンジンを掛けてみるか」

 ブレーキを踏みしめながら、エンジンスタートと書かれたボタンを押してみた。

 メーター類にいっせいに明かりが灯り、同時に車体が少しだけ揺れた。

「あれ? エンジン音が聞こえなかったが……」

 もう一度メーター周りを確かめてみる。そこでようやくひとつのことに気が付いた。

「そうか、このバスは電気で動く電気バスなんだな。それでエンジンを掛けたときの音が静かだったんだな」

 やっと納得出来た。

「そうだ。電気で思いだした。スマホの充電が切れ掛かっていたんだよな。スマホの充電の差込口くらいはありそうだけれど……」

 視線をあちこちに動かしながら探していると、お目当てのものはすぐに見付かった。

「あったあった。これで充電切れを起こさないで済みそうだ」

 スマホの電源ケーブルをバスに繋いだ。このゲームではスマホに送られてくる紫人からのメールが重要な鍵なのだ。充電切れで大切な情報を見逃すという単純なミスはしたくない。

「よし、これでスマホは大丈夫だな。あとは出発するだけだ」

 運転席のすぐ後ろの座席に寝かせてあるヴァニラの様子を一度確認した。幸い、症状が激変しているということはなかった。

「あと一時間ちょっとの辛抱だからな。ゲームが終わったら、このバスで病院まで直行するから、それまでもってくれよな」

 聞こえないのは分かっていたが、あえて声に出してヴァニラに話しかけた。


 ――――――――――――――――


 頭を振り続けるイツカ。それをただ見つめることしか出来ないスオウ。

「スオウ君、これで分かっただろう。その子にどんなことを言われたのか知らないが、君は名前を偽っていた人間を信じるのか? それとも刑事の俺の方を信じるのか?」

 阿久野がわざとスオウの気持ちを揺さぶるような訊き方をしてきた。

「そ、そ、それは……でも……」

 スオウは阿久野とイツカの顔を交互に見つめた。

 一方は、自信に満ちた力強い表情。もう一方は、今にも泣き崩れそうな悲しげな表情。

「なあ、イツカ……どうして……どうして、ウソをついていたんだ……?」

 自分でも知らないうちに言葉が口を突いて出ていた。どうしてもイツカの口から直接答えが聞きたかったのだ。

「──ごめんなさい……。どうしても……どうしても……本当のことは、言えなかったの……。ゲームの最中に、何度も言おうと思ったけど……でも、本当のことを言ったら、わたしのこと、誰も信じてくれなくなると思ったから……。このゲームを勝ち残る為には、誰かと一緒にいた方が有利だと思ったから……。だから、名前を隠していたの……」

 イツカは途切れ途切れになりながらも、辛そうに言葉を吐き出す。

「ゲームに勝つ為に、おれだけじゃなく、春元さんやみんなにウソをついていたっていうのか? つまり、おれたちのことを利用していただけなのか?」

「違うの! そうじゃないの!」

 スオウの問い詰めるようなキツイ言い方に、イツカは何かを訴えるような目でスオウの顔を見つめ返してきた。しかし、スオウの硬い表情を見て、ふっと顔を俯けた。そして、今にも消え入りそうな声で言葉を続けた。

「でも……結果的には、同じだったかもしれないね……。わたしがみんなにウソをついていたのは……間違いないんだから……」

「だいたい、なんでイツカはこのゲームに参加したんだ? ゲームに参加する理由があるとは思えないけど……」

「――わたし、お金が必要だったの……。どうしても大金が必要だったの……。それもすぐにでもね……」

「お金か……」

 イツカのつぶやきを聞いて、スオウの頭に真っ先に思い浮かんだのが、結局金の為かよ、という苛立ちにも似た思いだった。スオウは自分の心中に、イツカに対する思いがあると自覚している。だからこそ、きっとイツカにはイツカなりの事情があるに違いないと、勝手に良い方に想像していたのである。その気持ちを完璧に裏切られた気がした。

「わたし、すぐに大金が稼げる方法がないか、ネットで調べていたの……。そのときに、都市伝説を扱っているネットの掲示板で、このゲームのことを知ったの……。最初は怖かったら男の振りをして書き込みをしていたんだけど……そのうち、その掲示板に死神の代理人を名乗る人の書き込みがあって……その人と直接メールのやり取りを始めたの……。それが紫人だったわけ……」

「──どうしてそんなに大金が必要だったんだ?」

 スオウは核心を突く質問をした。本当は金の話などイツカの口から聞きたくなかったが、ここで訊かないと話が終わらない気がしたのだ。

「──だって、命が掛かっていたから……。もう時間があまりないって知っていたから……」

 イツカの口から出てきた言葉は、しかし、スオウの予想の斜め上をいっていた。

「命って……どういうことだよ? まさかイツカ、誰か知り合いが命にかかわる難病を患っていて、それで君のお父さんがその手術費用として、金を騙し取ったとか言うんじゃ──」

「そうじゃないの! お父さんはただお金が欲しくて、騙し取っただけだと思う……」

「それじゃ、イツカ、君は誰の為にそんな大金を──」

「だって……スオウ君の妹さん、早く移植手術しないと命が助からないんでしょ? お父さんの罪を償うには、わたしがなんとかするしかなかったから……。わたしに出来ることといったら、もうこんなことしかなかったから……。」

 頭を鈍器で思い切り強く殴られた気がした。イツカの言葉を聞いて、自分の浅はかさを思い知った。


 イツカは自分の為でなく、スオウの妹の為に、自らの命を懸けてこの狂ったゲームに参加していたのだ!


「イツカ……」

 真実を話し終えたイツカは、目を真っ赤に充血させていた。目尻からはいくつも透明の滴が流れ落ちている。体は小刻みに震えさせている。真実を話したことで信頼されなくなると思って、怖がっているのかもしれない。

「――ごめん、イツカ……。君のことを誤解していたよ……。おれがバカだった……。イツカの事情に気付けなかったなんて……おれが本当にバカだったよ!」

 イツカの肩に手を置いた。イツカは体をビクッと震わせた。すぐにスオウから体を遠ざけようとする。だから、スオウも咄嗟にイツカの体を強く引き止めた。

「イツカ……もういいんだ……。君のお父さんのことは、もういいんだよ……」

「だって、わたしのお父さんのせいで……妹さんは移植手術が受けられなくなって……」

「分かっている。それは分かっているよ。でも、それは君が背負うべき問題じゃないから!」

「スオウ君……」

 スオウから逃げようとしていたイツカが、スオウの体に身をもたせてきた。それは間違いなく、スオウのことを信頼しているという証だった。だから、スオウもそれに答えることにした。震えているイツカの体をぎこちない手で、でも優しく抱き締めたのである。

「ゲームが終わるまで、あともう少しだよ。一緒に頑張ろう」

 イツカの耳元で、イツカを勇気づけるように囁いた。

「──うん、頑張ろう」

 スオウの腕の中でイツカがこくんと頷いた。


 若い2人が困難を乗り越えて、互いの信頼を確認し合った、そのとき──。
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