上 下
29 / 71
第二部 ジェノサイド

第24話 光と水の親和性

しおりを挟む
 ――――――――――――――――

 残り時間――7時間04分

 残りデストラップ――8個

 残り生存者――10名     
  
 死亡者――3名 

 ――――――――――――――――


 薄暗い視界の中、スオウは自分の足元に全神経を集中させて、芝生の上を慎重に歩いて行く。イルミネーションの配線のコードがあるところでは、一旦立ち止まり、細心の注意を払って靴のゴム底で器用にコードを脇に押しのけていく。そうして出来た道をゆっくりと進んで行く。ひたすらにその繰り返しである。まるで木々が生い茂るジャングルのブッシュの中で、鉈を使って道を切り開きながら、道無き道を進んで行くのと同じような作業であった。

 スオウの歩みが止まるたびに、背中におぶったイツカが緊張で体をグッと硬くさせるのが分かった。声に出してこそ言わないが、イツカも不安で堪らないのだろう。

 出来ればイツカを安心させてあげられるような言葉を掛けてあげたかったが、後方からは正体の分からない男が追ってきているので、今は少しでも先に進むことの方が大事だった。イツカの相手をするだけの心理的な余裕は、今のスオウにはなかった。

 警戒しながらさらに前進していく。10分ほどでかけて、ようやく芝生広場の中間あたりまでやってきた。

 前方に目を向けると、美佳と玲子を背負った慧登の後ろ姿が見えた。3人との距離はあまり離れていない。美佳も慧登も、歩くのに相当難儀をしているみたいである。

「おい、大丈夫か? 歩くのに支障は出ていないか?」

 後方から春元の大きな声が聞こえてきた。

「大丈夫です! ただ、コードがそこらじゅうに這い巡らせてあるので、一歩進むのにも時間がかかってしまって……」

「仕方がないことさ。注意深く進んで行くしかないからな」

「春元さん、後ろの男は大丈夫なんですか?」

「今のところ、まだ距離は十分余裕がある。どの道、俺たちのことを追いかけて来ているとしたら、ヤツもこの芝生を歩かざるを得ない筈だから、ある程度の距離を保っておけば、そのまま逃げ切れるはずだ」

「そうですね。距離さえ詰められなければ、逃げ切れそうですね」

 スオウは歩みを再開した。後方から迫ってくる男の脅威が遠退いた為か、少しだけ心に余裕が生まれた。イルミネーションのデストラップはその正体が分かったうえで歩いているので、注意さえ怠らなければ引っ掛かる可能性は限りなくゼロに近い。そう考えると、さらに心に余裕が生まれてくる気がした。

「なんだかさっきよりも足取りが軽くなったみたいだね」

 背中のイツカがスオウの微妙な心境の変化に気が付いたみたいだ。

「このデストラップはなんとなく回避出来そうな気がしてきたんだ」

 スオウは前向きに明るく返事をした。

「良かった。それじゃ、この危険地帯から無事に出られそうだね」

「ああ、大丈夫だと思うよ」

 二人の間に出来ていた緊張感が薄らいでいく。


 しかしこのときまだ、イルミネーションのデストラップはその全容を現わしていなかった。さらなる恐怖が7人に襲い掛かろうとしていた。


 ――――――――――――――――


 ヒカリは建物の物陰に隠れて、園内の道を走って行く男の様子を静かに観察していた。

「なるほどね。あいつが新しいゲーム参加者ってわけか。ていうことは、あの男の後から付いていけば、何か面白い動画が撮れるかもしれないってことだよな」

 ヒカリはスマホのレンズを自分の方に向けた。画面に映る自分の顔を見ながら、乱れていた髪形をさっと手櫛で整える。

「それじゃ、今から『いつものヤツ』を始めるとするか」

 底意地の悪い人を見下すような顔が、瞬時に柔和な表情に様変わりする。手に持ったスマホをネットに接続させれば、それで準備は完了である。

「みなさん、ハロー、ボンジュール、グーテンターク。ヒカリのグレイテストショータイムの始まり始まり!」

 いつもと同じお決まりの挨拶をして、ヒカリはネットの生配信を始めた。

「今夜はある場所から、スペシャルな生配信をするから、最後までお付き合いください! えっ、何がスペシャルかだって? ふふふ、それはもちろん最後まで配信を見てのお楽しみっていうことで! はいはい、みんな、ガタガタ文句を言わない」

 ネットの向こうにいる視聴者とあたかも会話をしているかのように話を進めていくヒカリ。話し口調は明るい好青年風に変わっている。

「とにかく今夜の生配信を見逃したら、一生後悔することだけは保障するから! すぐに友達みんなに連絡して、一緒に今夜の生配信を楽しんでくれよな! 今から生配信でお送りするけど、今夜撮影した動画を数本、すでにネット上にアップしておいたから、そちらの動画も一緒に見ることをオススメするよ。きっと面白さが倍増すると思うから。──では前置きはここまでにしておいて、いよいよ本番を始めることにしようか。みんな、心の準備は出来たかな? さあ今夜、ボクと一緒にその瞳に伝説を焼き付けよう!」

 ヒカリはスマホを手にしたまま、ゆっくりと歩き出した。スマホの画面から自分の顔がはみ出さないように逐一調節しながら、適時、軽快なトークも入れていく。


 さあ、これで明日から俺もスター街道まっしぐらだな。


 胸の中で大いなる野望が膨れ上がってくる。それが表情に出ないように必死に押し留めつつ、愛想が良い顔で生配信を続けるヒカリであった。


 ――――――――――――――――


 スローペースとはいえ、一定のスピードで前に進んでいたスオウの足がピタッと止まった。前方を行く3人が立ち止まっているのが見えたのだ。

「どうしたのかな?」

 背中のイツカの声に不安の影が落ちる。

「多分、休憩でもしているんじゃないかな。あと少し歩けば芝生から出られるしさ」

 スオウは楽観的な見方をしていた。ここまで何事もなく進んでこられたので、安心していたのである。

「あっ、慧登さんがこっちを振り返ったよ。何かしゃべっているみたいだけど……」

 イツカの言う通り、慧登の口元が動いているのが見て取れた。しかし遠いせいか、声が上手く聞き取れない。

「何かあったのか?」

 スオウの胸に一抹の不安がよぎる。慌てて周囲に警戒の視線を飛ばすが、取り立てて危険な兆候は見られない。

「スオウ君、慧登さんが手でジェスチャーをしているみたいだよ」

「あっ、本当だ。何を伝えているんだろう? 手で地面を指しているみたいだけど……」

 スオウは慧登のジェスチャーに促されるようにして視線を下げた。イルミネーションの飾りが広がっているだけで、やはりおかしな点は見られない。

「どこにも異常な箇所は見られないけどな……」

 スオウが不審に思って首をかしげたとき、不意に空気を切り裂くような音が聞こえてきた。

「きゃっ? やだっ、冷たい!」

 背中に乗るイツカの体がビクッと震えた。

「あれ? これって、雨……かな?」

 イツカ同様にスオウも頬に冷たさを感じて、てっきり雨が振り出したのかと思い、上空を見上げてみた。もしも雨が振り始めたとしたら、イルミネーションが濡れる前に早急に芝生のエリアから逃げ出さないとならない。しかし、顔に雨粒が当たる感触はなかった。

「イツカ、雨は降ってないみたいだけど──」

 背中のイツカに確認しようとしたとき、スオウの右手に冷たいものが張り付いた。

「おっ、なんだ、冷てっ!」

 不意を突かれてしまい、イツカの体を支えていた右手が疎かになってしまった。イツカの体が斜めに傾いでしまう。すぐさま右手に力を入れなおして、体勢を維持する。

「イツカ、悪い。大丈夫だった?」

「うん、ちょっとびっくりしたけど、大丈夫だよ」

 イツカの返事に一安心したスオウだったが、再び、冷たいものが手に張り付いた。今度は驚くことなく、冷静に対処する。何が起きたのか周りを慎重に確認してみる。

 相変わらず空気を切り裂くような音があちこちでしている。その音に耳を澄ましていると、また手に冷たいものがひっかかった。同時に、さきほどの慧登が示したジェスチャ-が頭に思い浮かんでくる。

「そうか、これは雨じゃなくて──」

 スオウは視線を芝生に向けた。イルミネーションに隠れて見づらかったが、想像した通りのものが目に入ってきた。

 芝生の上から顔を覗かせた、高さ30センチ程の筒状の物体。それが高速で回転していた。その回転音が、空気を切り裂くような音に聞こえていたのだ。

「やっぱりな。スプリンクラーだ!」

 ようやくスオウは解答にたどり着いた。芝生に散水する為の器具である、スプリンクラーが作動し始めていたのだ。

「じゃあ、わたしたちに慧登さんが伝えようとしていたのも──」

「ああ、多分、このことだと思う。それで立ち止まっていたんだ」

「どうするの? このまま前に進んでいけそう?」

「いや、それは……」

 スオウは返答に困ってしまった。

 通電しているイルミネーションと、水を放出するスプリンクラー。

 これがどれほど危険であるかは小学生でも分かる。電気と水という、最悪極まりない組み合わせなのだ。

「とりあえず後方にいる春元さんに伝えないと。どうするかはそれから決めよう」

 おそらくスプリンクラーは慧登たちがいる地点から順番に作動し始めたのだろう。春元とヴァニラはまだスプリンクラーに気が付いていないはずだ。

 スオウはイツカをおぶったまま、その場で回れ右をして、後方に体を向けた。先ほどと比べて、春元とヴァニラはスオウたちに接近していた。2人とも誰かを背負っているわけでないので、その分、歩くスピードが速いのだろう。2人の様子を見る限り、スプリンクラーはまだ作動していないみたいだった。

「春元さん!」

 大きな声で呼んだ。2人の動きがぴたっと止まる。それを確認すると、さらに言葉を続けた。

「スプリンクラーです! 芝生にイルミネーションだけじゃなく、スプリンクラーも設置されていたんです!」

 スオウの呼びかけに合わせるようにして、背中のイツカが右手を大きく動かして芝生を指し示す。

「なんだって? 芝生がどうしたんだ?」

 春元の声が聞こえてくる。

「スプリンクラーです!」

 さらに大きな声で呼び掛けた。

「えっ? スプリンクラーだって? おっ、なんだ冷たいぞ!」

 どうやら春元の周辺でもスプリンクラーが作動し始めたみたいだ。

「どうしますか? このまま進みますか?」

「いや、それはやめた方がいい。危険過ぎる!」

「でも、早く芝生から出た方がいいんじゃ……」

「それは分かってる。とにかく、何か対策がないか考えてみるから、そこで立ち止まったまま待っててくれ!」

 スオウと春元が会話をしている間も、スプリンクラーは動き続けていた。イルミネーションが徐々に水で濡れていく。

「スオウ君、このままじゃ、そこらじゅう水浸しになって、かえって危険なんじゃないの?」

 イツカの声にさらに緊張感がましていく。

「ああ、おれもそう思う。それにおれの腕の力も──」

 スオウの言葉をかき消すように、後方から野太い男の声がした。

「お前ら、そこを動くんじゃねえぞ! 今からそっちに行くからなっ!」

 素性がモロに分かる、がさつ極まりない口調である。遠くにいたと思われていた例の男が、芝生広場に到着したのだ。
しおりを挟む

処理中です...