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第11話 夜はどうでございましたか?(2023.3.1一部修正)

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 呼吸をし忘れる事もなければ、辛い思いをすることもなかった。

フレイアとロスカは何もなかったのだ。婚儀の翌日、侍女によればいつもよりも、目覚めが遅かったらしい。お辛いようでは無くて良かったです、と言われるもフレイアは何も言えなかった。だって、何も無かったのだから。
どこか乾いたような空気は侍女達も気はついていたらしい。でも、万が一、と侍女達は産婆から受け取った真新しい消炎効果のある軟膏を、化粧台へおいた。けれども、使われてことが無かった為、侍女のポケットへ戻っていった。

 でも、ただ彼も疲れていただけかもしれない。フレイアはそう考えて、今日も湯浴みをして床に入った。
昨夜と同じように、寝室に遅れて入ってくるロスカだったが、口づけもない。おやすみ、と言われて眠るだけだ。フレイアが受けた授業によれば、結ばれた夫婦はその日の夜に、体も結ばれるらしい。なのに、彼と彼女はその例から漏れている。

 わからないわ、と首を傾げるフレイアだったが、裸を見せるのは恥ずかしいし、これはこれで良いかもしれない。そう考えていた。
そんな日が数日続いた、ある夜の事である。喉の渇きを感じて目覚めると、隣にロスカが居なかった。政務でまだ戻っていないのだろうか。今日は朝からロスカと顔を合わせていない。
 
 フレイアは上着を羽織り、水を取るべく寝室を出た。すると、閉じた筈のカーテンが開かれているではないか。
雪は降り止み、今日は久しぶりの晴天の夜である。辺りを遮るものがないおかげで、青白い月明かりが部屋の中はをはっきりと照らし出してくれた。楕円の形をした窓の近く、ロスカはそこにいた。フレイアが一歩踏み出す前に、彼は彼女の存在に気づく。
 
 月明かりの逆光のせいで、ロスカの顔がよく見えない。
彼がどんな表情をしているのかもわからない。けれども、フレイアには何だか、白く輝く月に連れて行かれそうな気がしてしまった。
 
「不審者じゃないぞ、俺は」
 
 ロスカの口角が上がっているらしい。
声はどこか上機嫌に聞こえる。良かった、怒っている訳でも悲しんでいる訳ではないようだ。
 
「星を見てたんだ。今日はよく見える」
 
 そう言われ、フレイアも窓のほうに近づく。
確かに、彼の言う通り空は溢れんばかりの星で満ちている。夜空を見たのは久しぶりかもしれない。
フレイアは夜空にある星を全て見ようとして、暫く窓に齧り付いた。
 
「北の方では極光が見えるかもしれないな」
 
 極光。
フレイアは見たことがなかった。聞いてみたい、とロスカが座っていた窓辺のソファーに座る。
彼は体を星空の方から、フレイアと向き合うように体の向きを変えた。
 
「これぐらいの夜更けに、窓の外を見ると白っぽく光るんだ。モヤかもしれない、と思ってその光の方に近づくと、次第にそれが大きく踊り始める。何度も何度も、姿や形を変えて動く」
 
 ロスカはフレイアに極光の動きを伝えようと、手で動きを再現して見せた。

「夜空に住む貴婦人のドレスのようだった。大きな裾を、緩やかに大きく動かす様を思わせるんだ。光が強い時は、それが緑色にも、赤色にも見えたりした」

 まあ、とフレイアは胸をときめかせた。
第二王子なのだから、文芸などの勉強はしていただろう。それでも、まさか、彼からこんなにもロマンティックな比喩が出た事が信じられなかった。彼女の父親や弟は比喩表現を全く使わなかったので、フレイアが彼の言葉を美しい、と思うのも無理はない。
 
「それに、極光の下は物凄く明るい。この星空以上に明るく感じれるくらいだ」
 
 フレイアは窓の桟に肘をかけて、もたれるようにしてロスカの話を聞きいた。彼の話が魅力的なのは当然である。
しかし、それ以上にフレイアは瞳を輝かせて極光について、話してくれる彼が楽しそうに見えた。

 いつも冷静さを保っている彼にも、こうして思い出を楽し気に話す時があるらしい。意外な一面だった。
彼にしてみれば大きな眩い明かりだっただろう。何せ、彼の暗い亡命生活の暗い気持ちを照らしてくれたのが極光だからだ。思い入れが強くなるのは不思議ではない。

自分の知らない世界を知っている。フレイアの心を彼の方へを引き寄せるのには十分なきっかけであった。
 
 それからと言うもの、2人は床に着く前によく話すようになった。
ロスカの政務の状況によるが、時間が合う限り眠る前に話すのが日課になっていった。
 
「夜警のものを分けてもらった」
 
 この日の夜はよく冷えていた。
ロスカは悪戯をした子どものような顔をして、厨房から温かな青い木苺のジュースを持ってきた。陶器で出来た蓋付きの水差しを、テーブルの上に置いてフレイアと向き合う。
 
 ー温かなりんごのジュースも美味しいですよ
 
「じゃあ、明日の夜警のものにはそれを振る舞おう」
 
 フレイアの声が出ないことから、会話は紙とペンを用いて行われる事が増えた。
ロスカが何かを話すと、フレイアは紙に自分の言葉を書き落とす。それを読んで、彼がまた発話をする。その繰り返しであった。時間は当然かかったが、いつまでも難しいパズルを嵌めるようにフレイアの言いたい事を当てるよりかは幾分早く、的確であったのは言うまでもない。
 
 ー陛下はどの季節が好きですか?

「季節・・・」
 
 ロスカはそうだな、と顎に手を当てて考える。極光が見えるなら冬も嫌いじゃない、と呟いた後に夏だ、と答えた。
 
「太陽が上りすぎているのは飽きない。湖に飛び込むのも楽しい。木々も嬉しそうに見える。フレイアは?」
 
 彼の答えに彼女は、目をくるり、と回して見せる。婚姻の儀の時からは随分と打ち解けて、戯けれるくらいには緊張が解れていた。
フレイアがペンを握り、紙に文字を書き始めた。その間、ロスカはよそ見もせずに、彼女が文字を書いていく様を見ている。
 
 ー夏も素敵ですが、冬も好きです。暖炉の炎は一日中見ていられます。それに、温かな木苺のジュースが何より好きです。
 
「確かに、暖炉の炎は何より良い」
 
 そう言いながらロスカは、木苺のジュースが入った水差しを取りカップに注いだ。

時折、彼の振る舞いは国王らしく思えなかった。彼女にも言えた事ではないが、フレイアと違い彼は幼い頃から数多の使用人に囲まれていた筈である。なのに、自分で雑用をこなしたり、こうして飲み物を妻に注いでくれたりするのだ。どうしてかしら、と尋ねるべくフレイアはまた、ペンを取った。


 しかし、そのペンは陛下、の文字以降先に進まない。彼に止められたからだ。
  

「陛下じゃない。ロスカだ」
 
 ーでも、
 
「ロスカで構わない」
 
 彼はそう言って、フレイアが陛下と書いた文字を斜線で消した。そして、その上にロスカ、と繋がり文字で記した。
 
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