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第3話 侯爵邸での暮らし
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私は自分の名前が嫌いだった。
いつでも厚かましい女、派手好きな女という評判が付いて回る。少しおかしい女と言う評判も。
それに名前そのものが嫌いだった。
バセット伯爵家は曽祖父が商人として今の財を成し、男爵位を受けたのが始まりだった。その曽祖父の名前がトマスだったので、父は娘にトマシンと名前を付けたのだ。
長姉はずっと年上で、両親の意向でどこかの伯爵家に嫁いだ。
実家に来ることはない。
次の姉は、どこかのパーティで知り合った男爵家の息子と結婚したが、両親としては不満だったらしい。姉も空気を読んでか、結婚以来一度も帰省していない。
直ぐ上の兄は、優秀だそうだが、寄宿生になって家を出て行った。家にはいない。
私は侯爵家に嫁ぐために家を出た。
初夜の翌朝、女中が持ってきた朝食を黙って食べていると、
「奥様」
厳しい目つきのメアリが現れた。
彼女は、私は朝食を食べ終わるのを待って、伝えた。
「当分、旦那様とご一緒の場合以外、社交界への出入りはご遠慮なさるようにと言う旦那様からのお達しでございます」
トマシンは素直にうなずいた。
社交界なんか出入りしても、どうせロクなことにならない。
両親のやり方が正しいのか、私にはよくわからなかったが、両親の言うとおりにしていると、とにかく誰かに迷惑をかけているような気がしていた。
「ドレスやお買い物につきましても、当家の家風に慣れるまでは、しばらく私と一緒に買い物に出るよう申し付けられています」
これも素直にうなずいた。
服なんか欲しくない。社交界に出なくていいなら、部屋着だけあればいい。
「それから、旦那様はお忙しい方。しばらくお屋敷には戻られませんので、そのおつもりでとのご伝言でございます」
「いつまででしょうか」
メアリがグッと詰まった。
「それは……お仕事のご都合があるでしょうから、私にはわかりかねます」
そうか。私は素直にうなずいた。あんな怖い旦那様には会いたくない。仕事が忙しくて、この屋敷に来れないなら、有難い。
しばらく考えて、私は聞いた。
「この家に図書館はありますか? あと、もし刺繍の用意があれば、刺繍を刺したく思います」
メアリはかなり驚いた様子だった。
それを見て私はあわてた。
「なければ結構です。私は何も出来ないので。もし、何かすることがあればいたしますが」
「奥様に何かしていただくことはございません」
メアリは冷たく言った。
それから出て行ってしまった。
私は一人になった。
誰も訪ねてこなかった。
ただ、翌日の朝食の時に刺繍の用意は届けてもらえたので、それはありがたかった。
図書室への出入りは許可が出なかったが、借りたい本があれば持ってきてくれるそうだ。だが、何があるのかわからなかったので、メアリに良さそうな本を持ってきてくれるように頼んだ。
「良さそうな本とは、どう言う意味ですか?」
メアリはキッとなって、聞き返した。
「私が読んでも構わないと、メアリが考えられた本です」
「どうして奥様が私に敬語を使うのですか?」
私は黙っていた。
メアリは、カザリンより余程頼りになるし、まともである。
旦那様が寄りつかないのは、おかしなことなのだろうが、私にとってはありがたい。二度と会いたくないくらいだ。
「実際にこの家を取り仕切っているのはあなたですから」
私は言ってみた。
「そんなことはございません。あなたがこの家の責任者です」
それは形式上はそうだろう。
私は言い返すことが出来なくて黙っていた。
まあ、実家にいてもカザリンの言いなりだった。唯一、違うことはカザリンは両親の意向で無理難題を突き付けて来たし、かならず私の立場を悪くするようなことを言った。
だが、メアリはそんなことはなさそうだ。
ここでは大人しくしていればいいだけだろう。
メアリもそれ以上追及することはなかった。事実だからだろう。
その後、数回、旦那様とは新婚夫婦のお披露目とやらで、一緒にパーティに参加した。
旦那様はいかにも形式的に私を紹介したし、二人の仲が良くなさそうなことは一目瞭然だった。
多分、仲がよさそうに見せる必要がないのだろうなと、私は考えた。
ある晩、侯爵邸に向かう馬車の中で、旦那様は言った。
「一通り、披露は終わった」
私は言うことがないので黙っていた。
「メアリに紹介してもらって、娼館へ行け」
「娼館?」
旦那様は怒ったような目つきを私に向けた。
「娼館だ。よい娼館をメアリが知っている」
「娼館とは何ですか?」
私は質問した。
旦那様のリチャードは狂ったように怒った目付で、私を見つめた。
「とぼけるな。あんなに派手な格好で社交界に出入りするような女が知らないはずがないだろう。現にルシンダが、お前をどこかの娼館で見かけたと言う噂を聞き込んできたんだ。まだ、昨日のことだ」
「昨日? ルシンダ?」
旦那様はますます怒ったようだった。
「いいか。メアリの目を盗んで出かけているようだが、娼館は選べ。金を惜しんで、下手なところに行ったら、スノードン侯爵家の恥になる」
「すみません。娼館とは何ですか? 私は男性が行くところだと思っていました。私に娼婦になれとおっしゃっているのですか?」
「まさか」
話の通じなさにイライラしたらしい旦那様の声が大きくなった。
「男が相手をしてくれる。高貴の家のマダムたちが利用している口の堅い店がちゃんとあるんだ。適当な娼館を使え」
馬車は家についてしまった。
「いつまでもこのセンスでは困るな、メアリ」
侯爵は迎えに出たメアリに向かって怒鳴った。
それは……と、私はつい言い訳しかかった。
新しいドレスなんか、嫁いで来てから一度も作っていない。
メアリの手を煩わせるのも、こんなに嫌われているのに、侯爵に私のドレス代を払わせるのも、なんだか申し訳なかったので、ずっと実家から持参したドレスを着ていたのだ。
「奥様の意向は聞くんじゃない。ひどいセンスだ、全く。こっちが赤面ものだ。だが、おかげで言い訳が立つと言うものだがな。ひどいセンスの妻だって」
夫リチャードはクツクツ笑った。
いつでも厚かましい女、派手好きな女という評判が付いて回る。少しおかしい女と言う評判も。
それに名前そのものが嫌いだった。
バセット伯爵家は曽祖父が商人として今の財を成し、男爵位を受けたのが始まりだった。その曽祖父の名前がトマスだったので、父は娘にトマシンと名前を付けたのだ。
長姉はずっと年上で、両親の意向でどこかの伯爵家に嫁いだ。
実家に来ることはない。
次の姉は、どこかのパーティで知り合った男爵家の息子と結婚したが、両親としては不満だったらしい。姉も空気を読んでか、結婚以来一度も帰省していない。
直ぐ上の兄は、優秀だそうだが、寄宿生になって家を出て行った。家にはいない。
私は侯爵家に嫁ぐために家を出た。
初夜の翌朝、女中が持ってきた朝食を黙って食べていると、
「奥様」
厳しい目つきのメアリが現れた。
彼女は、私は朝食を食べ終わるのを待って、伝えた。
「当分、旦那様とご一緒の場合以外、社交界への出入りはご遠慮なさるようにと言う旦那様からのお達しでございます」
トマシンは素直にうなずいた。
社交界なんか出入りしても、どうせロクなことにならない。
両親のやり方が正しいのか、私にはよくわからなかったが、両親の言うとおりにしていると、とにかく誰かに迷惑をかけているような気がしていた。
「ドレスやお買い物につきましても、当家の家風に慣れるまでは、しばらく私と一緒に買い物に出るよう申し付けられています」
これも素直にうなずいた。
服なんか欲しくない。社交界に出なくていいなら、部屋着だけあればいい。
「それから、旦那様はお忙しい方。しばらくお屋敷には戻られませんので、そのおつもりでとのご伝言でございます」
「いつまででしょうか」
メアリがグッと詰まった。
「それは……お仕事のご都合があるでしょうから、私にはわかりかねます」
そうか。私は素直にうなずいた。あんな怖い旦那様には会いたくない。仕事が忙しくて、この屋敷に来れないなら、有難い。
しばらく考えて、私は聞いた。
「この家に図書館はありますか? あと、もし刺繍の用意があれば、刺繍を刺したく思います」
メアリはかなり驚いた様子だった。
それを見て私はあわてた。
「なければ結構です。私は何も出来ないので。もし、何かすることがあればいたしますが」
「奥様に何かしていただくことはございません」
メアリは冷たく言った。
それから出て行ってしまった。
私は一人になった。
誰も訪ねてこなかった。
ただ、翌日の朝食の時に刺繍の用意は届けてもらえたので、それはありがたかった。
図書室への出入りは許可が出なかったが、借りたい本があれば持ってきてくれるそうだ。だが、何があるのかわからなかったので、メアリに良さそうな本を持ってきてくれるように頼んだ。
「良さそうな本とは、どう言う意味ですか?」
メアリはキッとなって、聞き返した。
「私が読んでも構わないと、メアリが考えられた本です」
「どうして奥様が私に敬語を使うのですか?」
私は黙っていた。
メアリは、カザリンより余程頼りになるし、まともである。
旦那様が寄りつかないのは、おかしなことなのだろうが、私にとってはありがたい。二度と会いたくないくらいだ。
「実際にこの家を取り仕切っているのはあなたですから」
私は言ってみた。
「そんなことはございません。あなたがこの家の責任者です」
それは形式上はそうだろう。
私は言い返すことが出来なくて黙っていた。
まあ、実家にいてもカザリンの言いなりだった。唯一、違うことはカザリンは両親の意向で無理難題を突き付けて来たし、かならず私の立場を悪くするようなことを言った。
だが、メアリはそんなことはなさそうだ。
ここでは大人しくしていればいいだけだろう。
メアリもそれ以上追及することはなかった。事実だからだろう。
その後、数回、旦那様とは新婚夫婦のお披露目とやらで、一緒にパーティに参加した。
旦那様はいかにも形式的に私を紹介したし、二人の仲が良くなさそうなことは一目瞭然だった。
多分、仲がよさそうに見せる必要がないのだろうなと、私は考えた。
ある晩、侯爵邸に向かう馬車の中で、旦那様は言った。
「一通り、披露は終わった」
私は言うことがないので黙っていた。
「メアリに紹介してもらって、娼館へ行け」
「娼館?」
旦那様は怒ったような目つきを私に向けた。
「娼館だ。よい娼館をメアリが知っている」
「娼館とは何ですか?」
私は質問した。
旦那様のリチャードは狂ったように怒った目付で、私を見つめた。
「とぼけるな。あんなに派手な格好で社交界に出入りするような女が知らないはずがないだろう。現にルシンダが、お前をどこかの娼館で見かけたと言う噂を聞き込んできたんだ。まだ、昨日のことだ」
「昨日? ルシンダ?」
旦那様はますます怒ったようだった。
「いいか。メアリの目を盗んで出かけているようだが、娼館は選べ。金を惜しんで、下手なところに行ったら、スノードン侯爵家の恥になる」
「すみません。娼館とは何ですか? 私は男性が行くところだと思っていました。私に娼婦になれとおっしゃっているのですか?」
「まさか」
話の通じなさにイライラしたらしい旦那様の声が大きくなった。
「男が相手をしてくれる。高貴の家のマダムたちが利用している口の堅い店がちゃんとあるんだ。適当な娼館を使え」
馬車は家についてしまった。
「いつまでもこのセンスでは困るな、メアリ」
侯爵は迎えに出たメアリに向かって怒鳴った。
それは……と、私はつい言い訳しかかった。
新しいドレスなんか、嫁いで来てから一度も作っていない。
メアリの手を煩わせるのも、こんなに嫌われているのに、侯爵に私のドレス代を払わせるのも、なんだか申し訳なかったので、ずっと実家から持参したドレスを着ていたのだ。
「奥様の意向は聞くんじゃない。ひどいセンスだ、全く。こっちが赤面ものだ。だが、おかげで言い訳が立つと言うものだがな。ひどいセンスの妻だって」
夫リチャードはクツクツ笑った。
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