3 / 27
第3話 侯爵邸での暮らし
しおりを挟む
私は自分の名前が嫌いだった。
いつでも厚かましい女、派手好きな女という評判が付いて回る。少しおかしい女と言う評判も。
それに名前そのものが嫌いだった。
バセット伯爵家は曽祖父が商人として今の財を成し、男爵位を受けたのが始まりだった。その曽祖父の名前がトマスだったので、父は娘にトマシンと名前を付けたのだ。
長姉はずっと年上で、両親の意向でどこかの伯爵家に嫁いだ。
実家に来ることはない。
次の姉は、どこかのパーティで知り合った男爵家の息子と結婚したが、両親としては不満だったらしい。姉も空気を読んでか、結婚以来一度も帰省していない。
直ぐ上の兄は、優秀だそうだが、寄宿生になって家を出て行った。家にはいない。
私は侯爵家に嫁ぐために家を出た。
初夜の翌朝、女中が持ってきた朝食を黙って食べていると、
「奥様」
厳しい目つきのメアリが現れた。
彼女は、私は朝食を食べ終わるのを待って、伝えた。
「当分、旦那様とご一緒の場合以外、社交界への出入りはご遠慮なさるようにと言う旦那様からのお達しでございます」
トマシンは素直にうなずいた。
社交界なんか出入りしても、どうせロクなことにならない。
両親のやり方が正しいのか、私にはよくわからなかったが、両親の言うとおりにしていると、とにかく誰かに迷惑をかけているような気がしていた。
「ドレスやお買い物につきましても、当家の家風に慣れるまでは、しばらく私と一緒に買い物に出るよう申し付けられています」
これも素直にうなずいた。
服なんか欲しくない。社交界に出なくていいなら、部屋着だけあればいい。
「それから、旦那様はお忙しい方。しばらくお屋敷には戻られませんので、そのおつもりでとのご伝言でございます」
「いつまででしょうか」
メアリがグッと詰まった。
「それは……お仕事のご都合があるでしょうから、私にはわかりかねます」
そうか。私は素直にうなずいた。あんな怖い旦那様には会いたくない。仕事が忙しくて、この屋敷に来れないなら、有難い。
しばらく考えて、私は聞いた。
「この家に図書館はありますか? あと、もし刺繍の用意があれば、刺繍を刺したく思います」
メアリはかなり驚いた様子だった。
それを見て私はあわてた。
「なければ結構です。私は何も出来ないので。もし、何かすることがあればいたしますが」
「奥様に何かしていただくことはございません」
メアリは冷たく言った。
それから出て行ってしまった。
私は一人になった。
誰も訪ねてこなかった。
ただ、翌日の朝食の時に刺繍の用意は届けてもらえたので、それはありがたかった。
図書室への出入りは許可が出なかったが、借りたい本があれば持ってきてくれるそうだ。だが、何があるのかわからなかったので、メアリに良さそうな本を持ってきてくれるように頼んだ。
「良さそうな本とは、どう言う意味ですか?」
メアリはキッとなって、聞き返した。
「私が読んでも構わないと、メアリが考えられた本です」
「どうして奥様が私に敬語を使うのですか?」
私は黙っていた。
メアリは、カザリンより余程頼りになるし、まともである。
旦那様が寄りつかないのは、おかしなことなのだろうが、私にとってはありがたい。二度と会いたくないくらいだ。
「実際にこの家を取り仕切っているのはあなたですから」
私は言ってみた。
「そんなことはございません。あなたがこの家の責任者です」
それは形式上はそうだろう。
私は言い返すことが出来なくて黙っていた。
まあ、実家にいてもカザリンの言いなりだった。唯一、違うことはカザリンは両親の意向で無理難題を突き付けて来たし、かならず私の立場を悪くするようなことを言った。
だが、メアリはそんなことはなさそうだ。
ここでは大人しくしていればいいだけだろう。
メアリもそれ以上追及することはなかった。事実だからだろう。
その後、数回、旦那様とは新婚夫婦のお披露目とやらで、一緒にパーティに参加した。
旦那様はいかにも形式的に私を紹介したし、二人の仲が良くなさそうなことは一目瞭然だった。
多分、仲がよさそうに見せる必要がないのだろうなと、私は考えた。
ある晩、侯爵邸に向かう馬車の中で、旦那様は言った。
「一通り、披露は終わった」
私は言うことがないので黙っていた。
「メアリに紹介してもらって、娼館へ行け」
「娼館?」
旦那様は怒ったような目つきを私に向けた。
「娼館だ。よい娼館をメアリが知っている」
「娼館とは何ですか?」
私は質問した。
旦那様のリチャードは狂ったように怒った目付で、私を見つめた。
「とぼけるな。あんなに派手な格好で社交界に出入りするような女が知らないはずがないだろう。現にルシンダが、お前をどこかの娼館で見かけたと言う噂を聞き込んできたんだ。まだ、昨日のことだ」
「昨日? ルシンダ?」
旦那様はますます怒ったようだった。
「いいか。メアリの目を盗んで出かけているようだが、娼館は選べ。金を惜しんで、下手なところに行ったら、スノードン侯爵家の恥になる」
「すみません。娼館とは何ですか? 私は男性が行くところだと思っていました。私に娼婦になれとおっしゃっているのですか?」
「まさか」
話の通じなさにイライラしたらしい旦那様の声が大きくなった。
「男が相手をしてくれる。高貴の家のマダムたちが利用している口の堅い店がちゃんとあるんだ。適当な娼館を使え」
馬車は家についてしまった。
「いつまでもこのセンスでは困るな、メアリ」
侯爵は迎えに出たメアリに向かって怒鳴った。
それは……と、私はつい言い訳しかかった。
新しいドレスなんか、嫁いで来てから一度も作っていない。
メアリの手を煩わせるのも、こんなに嫌われているのに、侯爵に私のドレス代を払わせるのも、なんだか申し訳なかったので、ずっと実家から持参したドレスを着ていたのだ。
「奥様の意向は聞くんじゃない。ひどいセンスだ、全く。こっちが赤面ものだ。だが、おかげで言い訳が立つと言うものだがな。ひどいセンスの妻だって」
夫リチャードはクツクツ笑った。
いつでも厚かましい女、派手好きな女という評判が付いて回る。少しおかしい女と言う評判も。
それに名前そのものが嫌いだった。
バセット伯爵家は曽祖父が商人として今の財を成し、男爵位を受けたのが始まりだった。その曽祖父の名前がトマスだったので、父は娘にトマシンと名前を付けたのだ。
長姉はずっと年上で、両親の意向でどこかの伯爵家に嫁いだ。
実家に来ることはない。
次の姉は、どこかのパーティで知り合った男爵家の息子と結婚したが、両親としては不満だったらしい。姉も空気を読んでか、結婚以来一度も帰省していない。
直ぐ上の兄は、優秀だそうだが、寄宿生になって家を出て行った。家にはいない。
私は侯爵家に嫁ぐために家を出た。
初夜の翌朝、女中が持ってきた朝食を黙って食べていると、
「奥様」
厳しい目つきのメアリが現れた。
彼女は、私は朝食を食べ終わるのを待って、伝えた。
「当分、旦那様とご一緒の場合以外、社交界への出入りはご遠慮なさるようにと言う旦那様からのお達しでございます」
トマシンは素直にうなずいた。
社交界なんか出入りしても、どうせロクなことにならない。
両親のやり方が正しいのか、私にはよくわからなかったが、両親の言うとおりにしていると、とにかく誰かに迷惑をかけているような気がしていた。
「ドレスやお買い物につきましても、当家の家風に慣れるまでは、しばらく私と一緒に買い物に出るよう申し付けられています」
これも素直にうなずいた。
服なんか欲しくない。社交界に出なくていいなら、部屋着だけあればいい。
「それから、旦那様はお忙しい方。しばらくお屋敷には戻られませんので、そのおつもりでとのご伝言でございます」
「いつまででしょうか」
メアリがグッと詰まった。
「それは……お仕事のご都合があるでしょうから、私にはわかりかねます」
そうか。私は素直にうなずいた。あんな怖い旦那様には会いたくない。仕事が忙しくて、この屋敷に来れないなら、有難い。
しばらく考えて、私は聞いた。
「この家に図書館はありますか? あと、もし刺繍の用意があれば、刺繍を刺したく思います」
メアリはかなり驚いた様子だった。
それを見て私はあわてた。
「なければ結構です。私は何も出来ないので。もし、何かすることがあればいたしますが」
「奥様に何かしていただくことはございません」
メアリは冷たく言った。
それから出て行ってしまった。
私は一人になった。
誰も訪ねてこなかった。
ただ、翌日の朝食の時に刺繍の用意は届けてもらえたので、それはありがたかった。
図書室への出入りは許可が出なかったが、借りたい本があれば持ってきてくれるそうだ。だが、何があるのかわからなかったので、メアリに良さそうな本を持ってきてくれるように頼んだ。
「良さそうな本とは、どう言う意味ですか?」
メアリはキッとなって、聞き返した。
「私が読んでも構わないと、メアリが考えられた本です」
「どうして奥様が私に敬語を使うのですか?」
私は黙っていた。
メアリは、カザリンより余程頼りになるし、まともである。
旦那様が寄りつかないのは、おかしなことなのだろうが、私にとってはありがたい。二度と会いたくないくらいだ。
「実際にこの家を取り仕切っているのはあなたですから」
私は言ってみた。
「そんなことはございません。あなたがこの家の責任者です」
それは形式上はそうだろう。
私は言い返すことが出来なくて黙っていた。
まあ、実家にいてもカザリンの言いなりだった。唯一、違うことはカザリンは両親の意向で無理難題を突き付けて来たし、かならず私の立場を悪くするようなことを言った。
だが、メアリはそんなことはなさそうだ。
ここでは大人しくしていればいいだけだろう。
メアリもそれ以上追及することはなかった。事実だからだろう。
その後、数回、旦那様とは新婚夫婦のお披露目とやらで、一緒にパーティに参加した。
旦那様はいかにも形式的に私を紹介したし、二人の仲が良くなさそうなことは一目瞭然だった。
多分、仲がよさそうに見せる必要がないのだろうなと、私は考えた。
ある晩、侯爵邸に向かう馬車の中で、旦那様は言った。
「一通り、披露は終わった」
私は言うことがないので黙っていた。
「メアリに紹介してもらって、娼館へ行け」
「娼館?」
旦那様は怒ったような目つきを私に向けた。
「娼館だ。よい娼館をメアリが知っている」
「娼館とは何ですか?」
私は質問した。
旦那様のリチャードは狂ったように怒った目付で、私を見つめた。
「とぼけるな。あんなに派手な格好で社交界に出入りするような女が知らないはずがないだろう。現にルシンダが、お前をどこかの娼館で見かけたと言う噂を聞き込んできたんだ。まだ、昨日のことだ」
「昨日? ルシンダ?」
旦那様はますます怒ったようだった。
「いいか。メアリの目を盗んで出かけているようだが、娼館は選べ。金を惜しんで、下手なところに行ったら、スノードン侯爵家の恥になる」
「すみません。娼館とは何ですか? 私は男性が行くところだと思っていました。私に娼婦になれとおっしゃっているのですか?」
「まさか」
話の通じなさにイライラしたらしい旦那様の声が大きくなった。
「男が相手をしてくれる。高貴の家のマダムたちが利用している口の堅い店がちゃんとあるんだ。適当な娼館を使え」
馬車は家についてしまった。
「いつまでもこのセンスでは困るな、メアリ」
侯爵は迎えに出たメアリに向かって怒鳴った。
それは……と、私はつい言い訳しかかった。
新しいドレスなんか、嫁いで来てから一度も作っていない。
メアリの手を煩わせるのも、こんなに嫌われているのに、侯爵に私のドレス代を払わせるのも、なんだか申し訳なかったので、ずっと実家から持参したドレスを着ていたのだ。
「奥様の意向は聞くんじゃない。ひどいセンスだ、全く。こっちが赤面ものだ。だが、おかげで言い訳が立つと言うものだがな。ひどいセンスの妻だって」
夫リチャードはクツクツ笑った。
45
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
婚約破棄のお相手は
あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、ギリアム王子が平民の婚約者に婚約破棄を宣言した。
幼い頃に「聖女では」とギリアムの婚約者として引き取られたものの、神聖力が発現しなかったロッティナ。皆は婚約破棄されるのも当然だと思っていたが……。
そんなに妹が好きなら死んであげます。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』
フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
「本当に僕の子供なのか検査して調べたい」子供と顔が似てないと責められ離婚と多額の慰謝料を請求された。
佐藤 美奈
恋愛
ソフィア伯爵令嬢は、公爵位を継いだ恋人で幼馴染のジャックと結婚して公爵夫人になった。何一つ不自由のない環境で誰もが羨むような生活をして、二人の子供に恵まれて幸福の絶頂期でもあった。
「長男は僕に似てるけど、次男の顔は全く似てないから病院で検査したい」
ある日、ジャックからそう言われてソフィアは、時間が止まったような気持ちで精神的な打撃を受けた。すぐに返す言葉が出てこなかった。この出来事がきっかけで仲睦まじい夫婦にひびが入り崩れ出していく。
【完結】そんなに好きなら、そっちへ行けば?
雨雲レーダー
恋愛
侯爵令嬢クラリスは、王太子ユリウスから一方的に婚約破棄を告げられる。
理由は、平民の美少女リナリアに心を奪われたから。
クラリスはただ微笑み、こう返す。
「そんなに好きなら、そっちへ行けば?」
そうして物語は終わる……はずだった。
けれど、ここからすべてが狂い始める。
*完結まで予約投稿済みです。
*1日3回更新(7時・12時・18時)
「女友達と旅行に行っただけで別れると言われた」僕が何したの?理由がわからない弟が泣きながら相談してきた。
佐藤 美奈
恋愛
「アリス姉さん助けてくれ!女友達と旅行に行っただけなのに婚約しているフローラに別れると言われたんだ!」
弟のハリーが泣きながら訪問して来た。姉のアリス王妃は突然来たハリーに驚きながら、夫の若き国王マイケルと話を聞いた。
結婚して平和な生活を送っていた新婚夫婦にハリーは涙を流して理由を話した。ハリーは侯爵家の長男で伯爵家のフローラ令嬢と婚約をしている。
それなのに婚約破棄して別れるとはどういう事なのか?詳しく話を聞いてみると、ハリーの返答に姉夫婦は呆れてしまった。
非常に頭の悪い弟が常識的な姉夫婦に相談して婚約者の彼女と話し合うが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる