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不動の荷車(全14話)
13.質素倹約
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江戸城本丸の付近にある庭。
その城の主である徳川吉宗は、よく手入れされた庭の花木を見て回っていた。
多忙である将軍職だが、吉宗は庭を散策することを日課としていた。
それは単に花木を愛するという事ではなく、庭にいる人物に用があったからであった。
「吉宗様、ご報告が」
「申せ」
作務衣に身を包んだ男が、音も立てず吉宗の側に近づくと片膝をついた。
吉宗は植木を見ていて、その庭番の男の方を見向きもしない。
その光景は、吉宗が植木について質問をしているように見えるのだが、聞こえるのは吉宗の声のみ。
「江戸の街を火の海にする計画を阻止しました」
「誰の差し金か」
「側用人(将軍の秘書)であった方かと」
「あやつか」
お互い端的に言葉を交わし、必要な情報だけを共有する。
まるで感情が無いかのように、驚く仕草もない。
「はい。実行犯は口を割りませんでしたが、所属していた藩は判明しましたので」
「所属していたか。既に脱藩しているから越後村上藩とは無関係だと言いたいのか」
しかし、その眼光。暗き怒りを湛え、日々濃くなる緑を睨む。
冷徹な為政者の顔は朱が差すどころか、青白く染まる。
庭園を見る顔ではないのは一目瞭然。
「おそらくは。しかし気になる事が一点。実行犯は八人だったようですが、脱藩の記録は七人となっていました。そして捕らえた実行犯も七人です」
「誰か絵を描いたやつがいるな。そして、そいつを動かしたやつも。どうやら、高崎から領地替しただけでは手緩《てぬる》かったらしいな。誰にせよ歯向かう者は全て儂の敵だ」
単なる事実確認。誰が実行犯かという点が重要ではなく、そういう事を謀る人物が野放しになっているという事実。
「はい。後手に回り特定できておりません。今回は宮地家の日向が事件解決の立役者です」
「くくく、叔母の日葵が落ち着いたかと思えば、姪っ子まで似たようなお転婆になりおって」
この時ばかりは、為政者の冷徹な顔はどこへやら。心底楽しそうに見える。
「お恥ずかしい限りで」
「恥ずかしがることはあるまい。お主ら御庭番衆の成り立ちは、そのお転婆娘だった日葵《ひまり》無くしてはありえなかったのだからな」
昔を懐かしむかのように目を細めながら、庭番の男をからかう。
その表情は、将軍とは思えず、そこらにいる悪戯坊主に見えた。
「……」
「まあ、良い。日向には感謝していると伝えい。……それにしても間部め。陰湿な手を。江戸の民は関係なかろうて」
思案に耽る吉宗を邪魔しないよう、音を立てず離れていった薮田定八。
※
今回の事件の根底には吉宗の失脚を狙った陰謀があった。
しかし、その陰謀も放火未遂事件も江戸の民は知らない。
確かに存在した事件であるが、その存在自体が無かったものとされ、闇から闇へと葬り去られる。
前将軍の側近と現将軍の軋轢など世に出せる話ではないからだ。
今回の事件の主犯は間部詮房であることは、実行犯が間部の家臣であったことから推測できた。
よりによって実行犯全員が一月前に藩を脱藩したことなっている事からも、本人の意思ではなく、何れかの上位者の指示があった事は明白である。
しかし公式には間部詮房の家臣ではなく、浪人者の犯行。
証拠もなく、推測の域を出ない。
対外的には不定浪人の逆恨みとなっているが、吉宗当人にとっては、そのような建前はどうでも良い事なのであろう。
明確な敵として間部詮房を認識するだけで十分である。
それは、吉宗の手足となる御庭番衆も間部を敵として見做し、隠密活動を行う事を意味する。
されども腐っても鯛。間部詮房は越後村上藩五万石の大名、昨年までは側用人(将軍の側近)でもあり老中格として扱われていた。
いくら世代交代とはいえ、何の落ち度もなく放逐できない。
表に出せる出せないは置いておき、明確な証拠は政敵を蹴落とすためには必要である。
それが政治における戦いである。
暗く昏い政治闘争は庶民を差し置いて、江戸の城にて行われる。
その江戸城内、雁間と呼ばれている伺候席から、席を離れた間部詮房は廊下に出たところで、初老の侍に声を掛けられた。
「これはこれは、間部殿ではありませんか」
「……、おや御側御用取次の有馬氏倫殿ではございませぬか」
「某の名をご存じとは。流石は、かつて幕政を取り仕切られたお方」
「なに。わざわざ上様の後ろにくっついて、はるばる紀州からお越しになったお方の名を知らぬものなどおりますまい」
お互いチクリと皮肉の応酬は決着つかず。
「そういえば、貴殿のお家では七人もの家臣を放逐なされたとか」
「……ええ、まあ」
急に踏み込んできた話題に、間部は肩をビクりとさせる。
その反応は、どうみても後ろ暗さを内包しているとしか見えない。
最早ここまで事態を把握されているとは思わなかったようで、間部は政治家にあるまじき反応を示した。
悲しいかな、これが現役政治家と引退させられた政治家の違いなのだろうか。
間部の反応は、あまりにもお粗末だった。
「早速、上様の質素倹約の方針に従われるとは、素晴らしいですな」
「さほどの事ではございませぬ。上様の方針には従うのが家臣の務め」
まったく心のこもっていない言葉に有馬は特に反応を示さず、それは大層良い笑顔で告げた。
「立派な御心がけですな。上様の御耳に入れておきましょう。では失礼」
悠然と立ち去る有馬。その後ろ姿を射殺さんと感じる程に睨み付ける間部。
此度は吉宗の辛勝であったが、これで決着がつくのやら。
有馬が去った廊下では、扇子を叩きつける音だけが響いた。
その城の主である徳川吉宗は、よく手入れされた庭の花木を見て回っていた。
多忙である将軍職だが、吉宗は庭を散策することを日課としていた。
それは単に花木を愛するという事ではなく、庭にいる人物に用があったからであった。
「吉宗様、ご報告が」
「申せ」
作務衣に身を包んだ男が、音も立てず吉宗の側に近づくと片膝をついた。
吉宗は植木を見ていて、その庭番の男の方を見向きもしない。
その光景は、吉宗が植木について質問をしているように見えるのだが、聞こえるのは吉宗の声のみ。
「江戸の街を火の海にする計画を阻止しました」
「誰の差し金か」
「側用人(将軍の秘書)であった方かと」
「あやつか」
お互い端的に言葉を交わし、必要な情報だけを共有する。
まるで感情が無いかのように、驚く仕草もない。
「はい。実行犯は口を割りませんでしたが、所属していた藩は判明しましたので」
「所属していたか。既に脱藩しているから越後村上藩とは無関係だと言いたいのか」
しかし、その眼光。暗き怒りを湛え、日々濃くなる緑を睨む。
冷徹な為政者の顔は朱が差すどころか、青白く染まる。
庭園を見る顔ではないのは一目瞭然。
「おそらくは。しかし気になる事が一点。実行犯は八人だったようですが、脱藩の記録は七人となっていました。そして捕らえた実行犯も七人です」
「誰か絵を描いたやつがいるな。そして、そいつを動かしたやつも。どうやら、高崎から領地替しただけでは手緩《てぬる》かったらしいな。誰にせよ歯向かう者は全て儂の敵だ」
単なる事実確認。誰が実行犯かという点が重要ではなく、そういう事を謀る人物が野放しになっているという事実。
「はい。後手に回り特定できておりません。今回は宮地家の日向が事件解決の立役者です」
「くくく、叔母の日葵が落ち着いたかと思えば、姪っ子まで似たようなお転婆になりおって」
この時ばかりは、為政者の冷徹な顔はどこへやら。心底楽しそうに見える。
「お恥ずかしい限りで」
「恥ずかしがることはあるまい。お主ら御庭番衆の成り立ちは、そのお転婆娘だった日葵《ひまり》無くしてはありえなかったのだからな」
昔を懐かしむかのように目を細めながら、庭番の男をからかう。
その表情は、将軍とは思えず、そこらにいる悪戯坊主に見えた。
「……」
「まあ、良い。日向には感謝していると伝えい。……それにしても間部め。陰湿な手を。江戸の民は関係なかろうて」
思案に耽る吉宗を邪魔しないよう、音を立てず離れていった薮田定八。
※
今回の事件の根底には吉宗の失脚を狙った陰謀があった。
しかし、その陰謀も放火未遂事件も江戸の民は知らない。
確かに存在した事件であるが、その存在自体が無かったものとされ、闇から闇へと葬り去られる。
前将軍の側近と現将軍の軋轢など世に出せる話ではないからだ。
今回の事件の主犯は間部詮房であることは、実行犯が間部の家臣であったことから推測できた。
よりによって実行犯全員が一月前に藩を脱藩したことなっている事からも、本人の意思ではなく、何れかの上位者の指示があった事は明白である。
しかし公式には間部詮房の家臣ではなく、浪人者の犯行。
証拠もなく、推測の域を出ない。
対外的には不定浪人の逆恨みとなっているが、吉宗当人にとっては、そのような建前はどうでも良い事なのであろう。
明確な敵として間部詮房を認識するだけで十分である。
それは、吉宗の手足となる御庭番衆も間部を敵として見做し、隠密活動を行う事を意味する。
されども腐っても鯛。間部詮房は越後村上藩五万石の大名、昨年までは側用人(将軍の側近)でもあり老中格として扱われていた。
いくら世代交代とはいえ、何の落ち度もなく放逐できない。
表に出せる出せないは置いておき、明確な証拠は政敵を蹴落とすためには必要である。
それが政治における戦いである。
暗く昏い政治闘争は庶民を差し置いて、江戸の城にて行われる。
その江戸城内、雁間と呼ばれている伺候席から、席を離れた間部詮房は廊下に出たところで、初老の侍に声を掛けられた。
「これはこれは、間部殿ではありませんか」
「……、おや御側御用取次の有馬氏倫殿ではございませぬか」
「某の名をご存じとは。流石は、かつて幕政を取り仕切られたお方」
「なに。わざわざ上様の後ろにくっついて、はるばる紀州からお越しになったお方の名を知らぬものなどおりますまい」
お互いチクリと皮肉の応酬は決着つかず。
「そういえば、貴殿のお家では七人もの家臣を放逐なされたとか」
「……ええ、まあ」
急に踏み込んできた話題に、間部は肩をビクりとさせる。
その反応は、どうみても後ろ暗さを内包しているとしか見えない。
最早ここまで事態を把握されているとは思わなかったようで、間部は政治家にあるまじき反応を示した。
悲しいかな、これが現役政治家と引退させられた政治家の違いなのだろうか。
間部の反応は、あまりにもお粗末だった。
「早速、上様の質素倹約の方針に従われるとは、素晴らしいですな」
「さほどの事ではございませぬ。上様の方針には従うのが家臣の務め」
まったく心のこもっていない言葉に有馬は特に反応を示さず、それは大層良い笑顔で告げた。
「立派な御心がけですな。上様の御耳に入れておきましょう。では失礼」
悠然と立ち去る有馬。その後ろ姿を射殺さんと感じる程に睨み付ける間部。
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