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第一章 炎の記憶
第一節 緑色の世界
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明石雅人が眼を覚ました時、世界は緑色に染まっていた。
ぼんやりと光を放つ緑色の世界で、雅人は自分の全身が失われた錯覚に襲われた。
地に足が着いていない。それまでの生活を鑑みるに自分には相応しい表現であるが、物理的に地面と身体との距離が遠いのである。
又、全身に空気よりも重いものが張り付いて、閉所に押し込まれているようであった。
とは言え肌の上に感じる圧迫感を、雅人は肉体的に感じられたのではなかった。
寧ろあらゆる感覚が奪い取られており、明石雅人という意識だけが、緑色の世界に放り込まれてしまった気分になったのである。
夢を見ているのに近い状態……なのかもしれない。
雅人は眼の前にぷつぷつと浮かび上がる、小さな気泡を眺めた。
気泡?
それが水の中に発生する空気の塊であるのなら、これは世界そのものではない。
少なくとも、水がある。水と区別される空気がある。ならば自分も亦、水と空気とは区別されるべきであり、そして自分は今、水の中にいる筈なのだ。
雅人の脳が急速に覚醒し、自分が水に浮かんでいる状態であると察した。
どうしてそんな事になっているのかは分からないが、ともあれ、そうした状態にあるのである。
海に沈められてしまったのか。
それとも川に飛び込んだのか。
プールで泳いでいる最中だったか、それとも温泉で溺れたのか。
溺れているのなら、助かろうとしなければいけない。
雅人は腕を持ち上げようとした。それで自分の身体を圧迫する液体が流動し、表面の気泡が潰れてゆく。
ひたりと、右手が何かに触れた。水とは異なる、硬質な感触は……ガラスだろうか。
しかし分厚い掌は、長い間、液体に浸されていた所為か、触覚としての能力を酷く弱めていた。
正座から立ち上がった直後、足が痺れているのにも似ている。だが痛みはない。厚手のゴム手袋を二枚も三枚も装着して、ものに触った時のようだ。
すると掌が触れたもの……ガラスの壁に見る見る亀裂が生じてゆく。上下左右に走った、元は一つであったガラスを二つ以上に切り分ける境界線が生まれ、そして砕け散った。
雅人の掌がガラスを砕いていたのである。液体が外へ吹き出してゆき、雅人の世界は緑色から紺色の薄暗がりへと変化した。
水分が抜けた場所に、外側から空気が入り込む。眼球の余分な水分が乾き、雅人は何度か瞬きをして、水を払い除けた。
頭に、ずっしりと重みがある。肩や背中に張り付く、不快な筋が幾つもあった。
振り向いて取り払おうとすると、それは肩甲骨の下まで伸びた赤い髪であった。
この時、顔の横にゴム管らしきものが引っ掛かった。どうやら、自分の顔に、天井から伸びているらしい。正確には、鼻から顎までを覆ったレギュレータのようなものに、だ。
雅人はガラスを砕いた右手を引き戻し、口元にやった。液体に浸かっていながらも平気でいられたのはそれのお陰のようだったが、雅人が指先で触れると小枝の手折れる音を発して砕けてしまった。
機械を通じて送られる純粋な酸素から、雑多な物質を交えた空気を口と鼻に吸い込み、雅人は軽く咳き込んだ。
自分にとって、咳に衝撃も何もない筈なのだが、雅人はくらくらと身体が倒れてゆくのを感じた。
雅人は、掌が開けた孔以外は無事だったガラスの壁を、身体の正面で突き破ってしまった。
全身にガラスの破片を突き刺しながら、水のばら撒かれた床に倒れる。
しかし痛いとは感じなかった。
自分らしかぬざま……受け身一つ取れないで胸から倒れたのだ。しかも、水とガラスの混じった地面である。咄嗟に首をひねる事しか出来ず、そうであっても、頬には透明の破片がめり込んでいる。
だのに雅人は痛みはおろか、自分が倒れている床の感触すら薄かったのである。
ぼんやりと光を孕んでいた緑色から、薄暗い紺色に変わった世界が、又も色を変えた。今度は、赤い光が不愉快なブザーの連鎖と共に明滅している。
そして、雅人の脳は、自分に対して何者かが近付いて来るのを感じた。
姿が見えたのではない。
足音が聞こえたのでもない。
ただ、自分に近付くものがあるという事に、雅人は気付いたのである。
──立ち上がれ。
頭の中でアラートが鳴り響く。不思議な事に、光の明滅に伴うものとは別の、音ではない警告音が、雅人の中でがなり立てていたのだ。
ぼんやりと光を放つ緑色の世界で、雅人は自分の全身が失われた錯覚に襲われた。
地に足が着いていない。それまでの生活を鑑みるに自分には相応しい表現であるが、物理的に地面と身体との距離が遠いのである。
又、全身に空気よりも重いものが張り付いて、閉所に押し込まれているようであった。
とは言え肌の上に感じる圧迫感を、雅人は肉体的に感じられたのではなかった。
寧ろあらゆる感覚が奪い取られており、明石雅人という意識だけが、緑色の世界に放り込まれてしまった気分になったのである。
夢を見ているのに近い状態……なのかもしれない。
雅人は眼の前にぷつぷつと浮かび上がる、小さな気泡を眺めた。
気泡?
それが水の中に発生する空気の塊であるのなら、これは世界そのものではない。
少なくとも、水がある。水と区別される空気がある。ならば自分も亦、水と空気とは区別されるべきであり、そして自分は今、水の中にいる筈なのだ。
雅人の脳が急速に覚醒し、自分が水に浮かんでいる状態であると察した。
どうしてそんな事になっているのかは分からないが、ともあれ、そうした状態にあるのである。
海に沈められてしまったのか。
それとも川に飛び込んだのか。
プールで泳いでいる最中だったか、それとも温泉で溺れたのか。
溺れているのなら、助かろうとしなければいけない。
雅人は腕を持ち上げようとした。それで自分の身体を圧迫する液体が流動し、表面の気泡が潰れてゆく。
ひたりと、右手が何かに触れた。水とは異なる、硬質な感触は……ガラスだろうか。
しかし分厚い掌は、長い間、液体に浸されていた所為か、触覚としての能力を酷く弱めていた。
正座から立ち上がった直後、足が痺れているのにも似ている。だが痛みはない。厚手のゴム手袋を二枚も三枚も装着して、ものに触った時のようだ。
すると掌が触れたもの……ガラスの壁に見る見る亀裂が生じてゆく。上下左右に走った、元は一つであったガラスを二つ以上に切り分ける境界線が生まれ、そして砕け散った。
雅人の掌がガラスを砕いていたのである。液体が外へ吹き出してゆき、雅人の世界は緑色から紺色の薄暗がりへと変化した。
水分が抜けた場所に、外側から空気が入り込む。眼球の余分な水分が乾き、雅人は何度か瞬きをして、水を払い除けた。
頭に、ずっしりと重みがある。肩や背中に張り付く、不快な筋が幾つもあった。
振り向いて取り払おうとすると、それは肩甲骨の下まで伸びた赤い髪であった。
この時、顔の横にゴム管らしきものが引っ掛かった。どうやら、自分の顔に、天井から伸びているらしい。正確には、鼻から顎までを覆ったレギュレータのようなものに、だ。
雅人はガラスを砕いた右手を引き戻し、口元にやった。液体に浸かっていながらも平気でいられたのはそれのお陰のようだったが、雅人が指先で触れると小枝の手折れる音を発して砕けてしまった。
機械を通じて送られる純粋な酸素から、雑多な物質を交えた空気を口と鼻に吸い込み、雅人は軽く咳き込んだ。
自分にとって、咳に衝撃も何もない筈なのだが、雅人はくらくらと身体が倒れてゆくのを感じた。
雅人は、掌が開けた孔以外は無事だったガラスの壁を、身体の正面で突き破ってしまった。
全身にガラスの破片を突き刺しながら、水のばら撒かれた床に倒れる。
しかし痛いとは感じなかった。
自分らしかぬざま……受け身一つ取れないで胸から倒れたのだ。しかも、水とガラスの混じった地面である。咄嗟に首をひねる事しか出来ず、そうであっても、頬には透明の破片がめり込んでいる。
だのに雅人は痛みはおろか、自分が倒れている床の感触すら薄かったのである。
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そして、雅人の脳は、自分に対して何者かが近付いて来るのを感じた。
姿が見えたのではない。
足音が聞こえたのでもない。
ただ、自分に近付くものがあるという事に、雅人は気付いたのである。
──立ち上がれ。
頭の中でアラートが鳴り響く。不思議な事に、光の明滅に伴うものとは別の、音ではない警告音が、雅人の中でがなり立てていたのだ。
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