超神曼陀羅REBOOT

石動天明

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第二部 覚醒篇

序章 株を守りて兎を待つ

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「ひなた。ねぇ、ひなたったら!」

 うらぶれた居酒屋で、三浦響と幹ひなたは夜まで過ごしていた。

 繁華街からも花街からも外れた、どちらかと言えば神社のある山に近い場所に建つ、昼間でさえ滅多に人が通り掛からないような店である。

 立て付けの悪い引き戸を開けて店に入ると、すぐ眼の前にカウンターがある。カウンターは左に向かって伸び、途中で奥へ折れ曲がっている。

 通路もカウンターに沿ってあるのだが、成人男性が横になってどうにか歩けるくらいで、席に着かれてしまうと一旦立ち上がって貰わなければ、行き来が難しい。

 響とひなたは、店の一番奥に座っていた。
 響が生ビール、ひなたがオレンジジュースを頼み、塩茹でにした枝豆や賽の目に切ったステーキ、筑前煮などを、ぽつぽつと抓んでいる。

 他に、席を二つくらい離して男性客がおり、強面の親父と、その妻がカウンターの内側で料理をしていた。

「どーしたの、ぼぅっとして。酔っ払っちゃった?」

 桃色に染まった頬を傾けて、響が訊いた。酒を飲んでいないから酔う訳がないのだが、ひなたの心ここにあらずと言った様子は、そのようにも見える。

「酔ってないよ」
「酔っ払いはみんなそう言うんだよ」
「忘れられないの……」

 この間の事──潤んだ眼で、ひなたは言った。
 ああ、と、頷きながら、困ったように響はグラスに口を付けた。

 二日前、青蓮院純と一緒にホテルへ行った時の話だろう。
 二人は、純を誘って夕飯を食べ、その後、ホテルで戯れた。

 響とひなたは友人であるが、響の方が年上で、ひなたは知らないような事を多く経験している。
 ひなたが諸々の事柄について消極的で、夢見がちなロマンティストであるという事もある。

 特に性的な話題については、響が奔放という事はないにしても、苦手意識が強過ぎて潔癖症のきらいさえ感じさせていた。

 操を立てるのは悪い事ではないけれど、それを拗らせるとロクな事にはならない──そのように考えた響は、純との間を取り持ち、それに対する幻想を緩和しようとしたのであった。

 所が、ひなたはあの瞬間ばかりに気を取られて、昨日も今日も熱に浮かされたようになってしまった。

「そりゃあ、あれは、良かったけどさ……でも、ずっとそればっかりになるのは駄目よ」
「響が勧めたんじゃない」
「それはそうだけど……でも、あそこまでなのは滅多にない事なんだよ。滅多にない事は、思い出として取って置くのは良いけど、それしか眼に入らなくなって、他の事は忘れちゃう為に出会うんじゃないんだよ」
「良く分かんないよ……」

 自分でも良く分からない。
 分かっているのは、純に夢中になってはいけないという事だ。

 彼を見ていると、身体の芯で何かが疼く音が聞こえるようになる。全身の細胞が炙られたようになって、誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、意識が彼に持っていかれる。その果てには日常生活の中では決して手に入らない、甘美なる快感が与えられる。

 響も亦、その快感の網に囚われそうにはなった。けれど、相手が彼であるからか、二度目があるとは殆ど思えなかった。

 一夜の奇跡である。

 別に雲の上に住んでいる訳ではないから、若しかすると二度目があるのかもしれないが、それはないと考えた方が楽だ。

 彼ばかりに夢中になっていると、他の事が疎かになる。だが薬物を投与された訳でもないので、自分がその夜を思い出しておかしくなっている事に気付く事が出来る。

 極上のものと出逢ったとして、次からもその次からも至上を求めるようになっては、手に入れられない平生の感覚を忘れてしまう。

 そうならないように最上を知る機会というのが、青蓮院純という存在なのである。

 響はこう解釈出来たのだが、ひなたは見事、ドツボに嵌まってしまったようなのだ。

「宝くじは二度も当たらないんだよ。ほら、古文か何かであったでしょ。それでもカブは抜けません……」
「“株を守りて兎を待つ”ってやつ?」
「それそれ」
「そ……っか……」
「うんうん。おじさん、ビールのお代わり頂戴! それと……」
「ああ、こちらにも──」

 いつの間にか隣に座っていた人物の声に、響が驚いたように顔を向けた。

 話に夢中で気付かなかっただけだとは思うのだが、椅子を一つ飛ばして、黒髪を長く伸ばした美しい容姿の青年がいたのである。

 純も、濡羽色の髪を伸ばしている。ただ、純はポニーテールにしている事が多いのだが、この青年は肩までストレートに下ろしていた。

 服装は、シャツにジーパンと簡単なものである。ぬめるような皮膚をした白い腕や、黒髪の張り付いた咽喉元が、淫靡な空気を帯びていた。

「ビールを一杯、お願いします」

 赤い唇を吊り上げ、眼鏡の奥の眼をきゅっと細めて、青年は注文した。
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