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転章 風荒び、鬼来たる
第一節 宴 会
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白良会傘下の篠木組では、若頭の吉岡一郎の出所祝いが盛大に執り行われていた。
吉岡一郎は暫く前に、敵対している七種会の組員に襲撃されている。そこで、彼を護衛していた部下と共に襲撃者を返り討ちにして、暴行の容疑で引っ張られたのだ。
その間に、七種会は警察の捜査に遭って、事実上の解散となった。
篠木組は、さして規模の大きな組織ではない。しかし白良会の中ではトップに近しい位置にあり、下には幾つもの組織を抱え込んでいる。
七種会も元々は、篠木組の下に就いていた。だが高額な上納金に嫌気が差した彼らは、出岡組系列の組織と結んで篠木組と敵対するようになったのだ。
篠木組は、繁華街から離れた、物静かな地域に立つ老舗料亭を貸し切って、吉岡の出所を寿いでいた。二階建てで、災害などがあれば避難所になりそうな大きさである。
白良会から直属の人間もやって来て、集まった他の組織の幹部たちと交流をした。
四〇人ばかりが、大広間に詰め込まれていた。座卓を前にしている人々は、一人では立つのも苦労する老人もいれば、大卒みたいな若者まで揃っている。
その片隅で──
「あ、おい。おい、お姉ちゃんよぅ。お酌してくれよぅ」
と、ほろ酔いの中年の男が、給仕が出入りする襖の近くに控えていた女に声を掛けた。
女は、些かこの場に似つかわしくない服装である。
雁首揃えた男たちは、紋付袴か背広姿である。料亭の人間であれば、和装の給仕姿だ。
女は縦編みのセーターにタイトなストレッチパンツという格好で、畳の上に直接座していた。立てた左膝の上に左腕を乗せ、もう片方の脚は横に倒し、右腕は自然を腿の上に垂らしている。
肌の色が浅黒い。顔立ちは日本人に近いが、それでも東南アジア系の空気がある。
横に流した眼が、人混みを高い所から眺めつつ街角をゆく、お高くとまった猫の色っぽさを湛えていた。
「なぁ……」
同業とも見えない女である。ならば店の人間か、誰かが気を利かせて呼んでくれたコンパニオンであろう。しかし彼女は、中年男の呼び掛けに応えようとはしなかった。
すると、そこに主役の吉岡一郎が駆けて来た。
「せ、先生、これはこれは……。すみませんお酒も出しませんで」
「私は酒はやらないよ」
吉岡は髪を短く刈り上げた、長身の男である。
吉岡は酒瓶とお猪口を持っていたが、女は若頭のお酌を断った。
「ああ、風戸会の! このたびはどうも……」
女に酌を頼もうとしていた中年男に、吉岡が向き直って頭を下げた。
若頭その人に挨拶をされては、いつまでも女にかまけている訳にはいかない。風戸会の男はだらけ切った顔を組織の幹部として相応しいものに切り替え、吉岡と二言三言会話をして、女の事は忘れてしまった。
宴は続いている。
先生──と呼ばれた女は、下座にありながら、任侠の宴会を静かに見守っていた。
と、不意に廊下が騒がしくなる。
給仕の悲鳴も上がったようだった。
ひりひりとした空気が、少しずつ座敷に充満してゆく。
座敷は、建物の二階の、中心部分にある。
上座から見て右手に、廊下が襖と仕切られており、左手は漆喰の壁になっていて、その向こうは別の座敷になっていた。
若頭の出所祝いに付き添っている篠木組の組長・長谷川廉三は、近くに控えていた護衛役の男に目配せをした。
他の者たちも、自分の部下と何やらアイコンタクトを交わして、その時に備えている。
幾つもの襖が、勢い良く蹴り破られた。
「長谷川ァ!」
「篠木組の最後じゃァ!」
「観念しやがれぃッ」
背広を着込んではいるが、剣呑な表情を隠そうともしない男たちが、拳銃を引き抜いて座敷に詰め込まれている、篠木組傘下の重役たちに銃口を向けた。
「野郎ッ!」
「舐めとんのとちゃうぞ!」
「七種会の連中やな!」
「他の組も勢揃いたァ都合が良いぜ!」
「一網打尽や! いてまえ!」
各組織の長は座卓を蹴り飛ばして座敷の中央に寄り、その部下たちも拳銃を取り出して鉄砲玉連中に対応する。
狙いを定めぬ銃弾が発射され、畳や壁に喰い込んだ。中には、その銃撃で腕や足を傷付けられた者も、胸や頭を撃ち抜かれてしまった者もいる。
「ひえぇっ」
他の組に挨拶して回っていた吉岡一郎が、とても身体を守れるとは思えない座卓の傍にしゃがみ込んで、頭を抱えて蹲る。
そこに、篠木組側の誰かに蹴り飛ばされて転がった、七種会側のヒットマンがやって来た。
「吉岡ッ!」
情けなくも身を丸めた吉岡に、銃口が突き付けられる。
だが、その前に横から手が突き出され、銃弾は吉岡に当たる事はなかった。
逆に、発砲した男の額を銃弾が貫通し、彼は糸の切れた操り人形となって崩れ落ちた。
銃声と怒号の飛び交う座敷であるから、今更人一人死んだ所で、事態が収拾まるまではどのような感情も表現する事は出来ない。
「下がってな若頭や」
女が立ち上がって、吉岡に言った。
吉岡を狙った銃口に手を突き出したのは、この女である。しかもその手には、着弾の痕こそあるものの傷は付いていない
男の頭蓋骨すら貫通する鉛玉を受けて、平気という事があるだろうか。
「ラクシャーサ先生!」
「さぁて、戦争の始まりさね……」
ラクシャーサは獲物を前にした虎のように牙を剥いて、戦いの渦に飛び込んでゆく。
吉岡一郎は暫く前に、敵対している七種会の組員に襲撃されている。そこで、彼を護衛していた部下と共に襲撃者を返り討ちにして、暴行の容疑で引っ張られたのだ。
その間に、七種会は警察の捜査に遭って、事実上の解散となった。
篠木組は、さして規模の大きな組織ではない。しかし白良会の中ではトップに近しい位置にあり、下には幾つもの組織を抱え込んでいる。
七種会も元々は、篠木組の下に就いていた。だが高額な上納金に嫌気が差した彼らは、出岡組系列の組織と結んで篠木組と敵対するようになったのだ。
篠木組は、繁華街から離れた、物静かな地域に立つ老舗料亭を貸し切って、吉岡の出所を寿いでいた。二階建てで、災害などがあれば避難所になりそうな大きさである。
白良会から直属の人間もやって来て、集まった他の組織の幹部たちと交流をした。
四〇人ばかりが、大広間に詰め込まれていた。座卓を前にしている人々は、一人では立つのも苦労する老人もいれば、大卒みたいな若者まで揃っている。
その片隅で──
「あ、おい。おい、お姉ちゃんよぅ。お酌してくれよぅ」
と、ほろ酔いの中年の男が、給仕が出入りする襖の近くに控えていた女に声を掛けた。
女は、些かこの場に似つかわしくない服装である。
雁首揃えた男たちは、紋付袴か背広姿である。料亭の人間であれば、和装の給仕姿だ。
女は縦編みのセーターにタイトなストレッチパンツという格好で、畳の上に直接座していた。立てた左膝の上に左腕を乗せ、もう片方の脚は横に倒し、右腕は自然を腿の上に垂らしている。
肌の色が浅黒い。顔立ちは日本人に近いが、それでも東南アジア系の空気がある。
横に流した眼が、人混みを高い所から眺めつつ街角をゆく、お高くとまった猫の色っぽさを湛えていた。
「なぁ……」
同業とも見えない女である。ならば店の人間か、誰かが気を利かせて呼んでくれたコンパニオンであろう。しかし彼女は、中年男の呼び掛けに応えようとはしなかった。
すると、そこに主役の吉岡一郎が駆けて来た。
「せ、先生、これはこれは……。すみませんお酒も出しませんで」
「私は酒はやらないよ」
吉岡は髪を短く刈り上げた、長身の男である。
吉岡は酒瓶とお猪口を持っていたが、女は若頭のお酌を断った。
「ああ、風戸会の! このたびはどうも……」
女に酌を頼もうとしていた中年男に、吉岡が向き直って頭を下げた。
若頭その人に挨拶をされては、いつまでも女にかまけている訳にはいかない。風戸会の男はだらけ切った顔を組織の幹部として相応しいものに切り替え、吉岡と二言三言会話をして、女の事は忘れてしまった。
宴は続いている。
先生──と呼ばれた女は、下座にありながら、任侠の宴会を静かに見守っていた。
と、不意に廊下が騒がしくなる。
給仕の悲鳴も上がったようだった。
ひりひりとした空気が、少しずつ座敷に充満してゆく。
座敷は、建物の二階の、中心部分にある。
上座から見て右手に、廊下が襖と仕切られており、左手は漆喰の壁になっていて、その向こうは別の座敷になっていた。
若頭の出所祝いに付き添っている篠木組の組長・長谷川廉三は、近くに控えていた護衛役の男に目配せをした。
他の者たちも、自分の部下と何やらアイコンタクトを交わして、その時に備えている。
幾つもの襖が、勢い良く蹴り破られた。
「長谷川ァ!」
「篠木組の最後じゃァ!」
「観念しやがれぃッ」
背広を着込んではいるが、剣呑な表情を隠そうともしない男たちが、拳銃を引き抜いて座敷に詰め込まれている、篠木組傘下の重役たちに銃口を向けた。
「野郎ッ!」
「舐めとんのとちゃうぞ!」
「七種会の連中やな!」
「他の組も勢揃いたァ都合が良いぜ!」
「一網打尽や! いてまえ!」
各組織の長は座卓を蹴り飛ばして座敷の中央に寄り、その部下たちも拳銃を取り出して鉄砲玉連中に対応する。
狙いを定めぬ銃弾が発射され、畳や壁に喰い込んだ。中には、その銃撃で腕や足を傷付けられた者も、胸や頭を撃ち抜かれてしまった者もいる。
「ひえぇっ」
他の組に挨拶して回っていた吉岡一郎が、とても身体を守れるとは思えない座卓の傍にしゃがみ込んで、頭を抱えて蹲る。
そこに、篠木組側の誰かに蹴り飛ばされて転がった、七種会側のヒットマンがやって来た。
「吉岡ッ!」
情けなくも身を丸めた吉岡に、銃口が突き付けられる。
だが、その前に横から手が突き出され、銃弾は吉岡に当たる事はなかった。
逆に、発砲した男の額を銃弾が貫通し、彼は糸の切れた操り人形となって崩れ落ちた。
銃声と怒号の飛び交う座敷であるから、今更人一人死んだ所で、事態が収拾まるまではどのような感情も表現する事は出来ない。
「下がってな若頭や」
女が立ち上がって、吉岡に言った。
吉岡を狙った銃口に手を突き出したのは、この女である。しかもその手には、着弾の痕こそあるものの傷は付いていない
男の頭蓋骨すら貫通する鉛玉を受けて、平気という事があるだろうか。
「ラクシャーサ先生!」
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