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第五章 覚醒める拳士
第十四節 一撃の拳
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雅人は右脚を持ち上げて、脛でブロックした。だが鉄板を仕込んだ桃城の爪先は、雅人の脛骨に亀裂を走らせた。
桃城は腰をひねって、空中で錐揉み回転をしながら雅人から離脱する。そして砂利を舞い上げながら再度跳躍を敢行し、右の飛び後ろ回し蹴りを放った。
ウィービングで桃城の踵を躱しつつ、右側へ移動する雅人。その鼻先に、桃城の左足が迫っていた。空中で更に身体を回転させたのだ。
これを、顔の右側で両腕を重ねてブロックする。
すると桃城は、腰を起こして右腕を振り下ろして来た。
手は、鶏口を作っている。親指を中心にして他の四指を集めて力を籠めたさまが、鳥の嘴に似ている所からそのように名付けられた。
この鶏口が、鞭の腕によって繰り出されるのだ。言わば先端に鉄球を括り付けた鞭である。
雅人は地面を蹴って後方に跳んだ。
その頭部の軌跡が、赤色となって空中に描き出された。
膝をたわめて着地した桃城と、背中から倒れながらも回転して立ち上がる雅人。
桃城は右手の指先が掠め取った肉片を、口に運んだ。
雅人が顔を起こすと、その左半分が真っ赤になっている。額の近くの肉が、桃城の鶏口で抉り取られてしまったようだった。
「次はその眼を頂こうか……」
桃城は赤いペンキに浸けたような指を前に突き出して、不敵に笑った。
雅人は汗でも拭うかのように、掌で額を撫でると、真っ赤に染まった手を猫のように舐め始めた。
桃城が地を蹴った。
それまでは腕か脚だけだったのに、今度は全身が蛇になったかのようにしなやかに動き、赤毛の巨漢へと肉薄する。
右の指先が、空中に血の軌跡を描いた。
雅人は左手を前に出すと、その手首を掴んでしまった。
だが、それは桃城のブラフだった。
鶏口を作った左手が、雅人の股間に向かって駆けた。眼を狙うと予告して置いて、初めから男子の絶対急所である釣鐘を狙っていたのだ。
雅人は桃城の右手を引きつつ、右脚を前に出して膝蹴りを繰り出した。バランスを崩した桃城の鳩尾に、雅人の膝が喰い込んでゆく。
桃城は左掌で膝を受けると、腕を蛇のように脚に絡ませ、ぐっと押し込んだ。この時に右脚で雅人の左脚を絡め取っており、重心を崩された雅人は背中から地面に倒れてゆく事になる。
二つの身体が、もつれ合って、地面に沈んだ。砂埃を舞いながら、雅人と桃城がもぞもぞと動く。
桃城は右手を掴まれたままだったが、スイープして雅人の胴体に跨った。マウントポジションだ。
「死ね!」
桃城の左手が雅人の頭部に向けて打ち下ろされる。
雅人は右手でガードした。
だが、上方になった相手から無慈悲に打ち出されるパウンドは、片手で防げる程、甘くはない。本当にガードしようと思ったら、両手を使う他にはない。けれどもそうなった場合、桃城も両手を解放する事となり、上に乗っている人間の有利だ。
雅人は桃城の右手を放した。ここぞとばかりに、桃城が両手を使って拳を打ち込んで来る。
雅人は桃城の胴体を、両掌で押すように腕を突っ張らせた。
瞬間、桃城の表情が歪んだ。
「きさ……まっ!」
太い枝を手折る音が、桃城の身体の中で響いた。雅人は親指を肋骨の下にねじ込んで、そのまま圧し折ってしまったのだ。
桃城は下になっている雅人に鶏口を打ち下ろそうとしたが、身体をひねるだけで折れた肋骨が肉に突き刺さり、激痛を与えた。元から発色が良いとは言えない顔だったが、見る見る血の気が引いてゆき、雅人の血を舐めた唇だけが異様な紅色を保っていた。
雅人は桃城の脇腹から手を放すと、右手を持ち上げて桃城の顔を掴んだ。大きな掌が、桃城の表情を覆い隠してしまう。中指が髪の生え際を押さえ、人差し指と薬指が左右のこめかみ、親指と小指がそれぞれ顎骨の繋ぎ目を掴んでいた。太い指に力を込めると、骨が軋み、脳が圧迫された。
桃城は雅人の手首を掴んで、引き剥がそうとした。雅人はマウントが緩んだ隙に脱出し、膝立ちの桃城の前で片膝を突いた状態となる。そうして桃城を掴んだまま、ゆっくりと膝を持ち上げた。
桃城の頭が、雅人の手に引かれて上昇してゆく。桃城は雅人の手を引き剥がす事を諦め、腰の入らないパンチや蹴りで雅人の身体を打撃するのだが、しなりを失った桃城の攻撃など、雅人の鋼のような肉体には通じなかった。
雅人の親指と小指が外側に動くと、桃城は顔の中が爆ぜる幻覚に襲われた。
雅人が掌を離す。口をがぱっと開いた桃城の顔が、下に長くなっていた。顎を外されたのだ。
桃城はふらふらと後退し、公園の中央にある桜の大樹に寄り掛かった。
「終わりだな」
雅人は、左眼に流れ落ちて来た血を拭い取った親指を、口に含んでしゃぶった。
それを見た桃城は自分の手で顎をはめ直すと、肋骨の痛みを堪えて駆け出した。
「きぃぃえっ!」
奇声を上げながら雅人に駆け寄り、跳躍する。
そのジャンプは、足を雅人の頭と同じ高さに達させた。空中から繰り出した足尖蹴りが、雅人の顔面に狙いを定めて繰り出される。
雅人はすれ違いざまに、右の正拳突きを繰り出した。
巨石のような拳が、寸毫の躊躇いもなく桃城達也の胸の中心に吸い込まれてゆく。
空中で捉えられた桃城はパンチの威力で吹き飛んで、地面に落下した。
その唇から、赤い霧が迸る。雅人の正拳突きは、胸骨と繋がる肋骨を破壊していた。その断面が、肺に突き刺さっているのかもしれなかった。
「病院に行け。今なら助かる」
雅人は拳を引くと、そう吐き捨てて踵を返した。
「殺せ……」
桃城が、血の混じった声で言った。
「ころせ!」
「勝手に死ね」
肩越しに言い放った雅人は、ベンチから立ち上がっていた治郎に血濡れた左眼でウィンクをして、公園から出て行った。
その背を見て、治郎は固く拳を握り締めていた。
熱風が失せ、春先の冷たい風が戻って来る。桜の花びらが、血と小便の匂いの漂う公園の中で舞い踊った。
治郎は悔しかった。けれども、初めて雅人と出会った時のようには、哭かなかった。
桃城は腰をひねって、空中で錐揉み回転をしながら雅人から離脱する。そして砂利を舞い上げながら再度跳躍を敢行し、右の飛び後ろ回し蹴りを放った。
ウィービングで桃城の踵を躱しつつ、右側へ移動する雅人。その鼻先に、桃城の左足が迫っていた。空中で更に身体を回転させたのだ。
これを、顔の右側で両腕を重ねてブロックする。
すると桃城は、腰を起こして右腕を振り下ろして来た。
手は、鶏口を作っている。親指を中心にして他の四指を集めて力を籠めたさまが、鳥の嘴に似ている所からそのように名付けられた。
この鶏口が、鞭の腕によって繰り出されるのだ。言わば先端に鉄球を括り付けた鞭である。
雅人は地面を蹴って後方に跳んだ。
その頭部の軌跡が、赤色となって空中に描き出された。
膝をたわめて着地した桃城と、背中から倒れながらも回転して立ち上がる雅人。
桃城は右手の指先が掠め取った肉片を、口に運んだ。
雅人が顔を起こすと、その左半分が真っ赤になっている。額の近くの肉が、桃城の鶏口で抉り取られてしまったようだった。
「次はその眼を頂こうか……」
桃城は赤いペンキに浸けたような指を前に突き出して、不敵に笑った。
雅人は汗でも拭うかのように、掌で額を撫でると、真っ赤に染まった手を猫のように舐め始めた。
桃城が地を蹴った。
それまでは腕か脚だけだったのに、今度は全身が蛇になったかのようにしなやかに動き、赤毛の巨漢へと肉薄する。
右の指先が、空中に血の軌跡を描いた。
雅人は左手を前に出すと、その手首を掴んでしまった。
だが、それは桃城のブラフだった。
鶏口を作った左手が、雅人の股間に向かって駆けた。眼を狙うと予告して置いて、初めから男子の絶対急所である釣鐘を狙っていたのだ。
雅人は桃城の右手を引きつつ、右脚を前に出して膝蹴りを繰り出した。バランスを崩した桃城の鳩尾に、雅人の膝が喰い込んでゆく。
桃城は左掌で膝を受けると、腕を蛇のように脚に絡ませ、ぐっと押し込んだ。この時に右脚で雅人の左脚を絡め取っており、重心を崩された雅人は背中から地面に倒れてゆく事になる。
二つの身体が、もつれ合って、地面に沈んだ。砂埃を舞いながら、雅人と桃城がもぞもぞと動く。
桃城は右手を掴まれたままだったが、スイープして雅人の胴体に跨った。マウントポジションだ。
「死ね!」
桃城の左手が雅人の頭部に向けて打ち下ろされる。
雅人は右手でガードした。
だが、上方になった相手から無慈悲に打ち出されるパウンドは、片手で防げる程、甘くはない。本当にガードしようと思ったら、両手を使う他にはない。けれどもそうなった場合、桃城も両手を解放する事となり、上に乗っている人間の有利だ。
雅人は桃城の右手を放した。ここぞとばかりに、桃城が両手を使って拳を打ち込んで来る。
雅人は桃城の胴体を、両掌で押すように腕を突っ張らせた。
瞬間、桃城の表情が歪んだ。
「きさ……まっ!」
太い枝を手折る音が、桃城の身体の中で響いた。雅人は親指を肋骨の下にねじ込んで、そのまま圧し折ってしまったのだ。
桃城は下になっている雅人に鶏口を打ち下ろそうとしたが、身体をひねるだけで折れた肋骨が肉に突き刺さり、激痛を与えた。元から発色が良いとは言えない顔だったが、見る見る血の気が引いてゆき、雅人の血を舐めた唇だけが異様な紅色を保っていた。
雅人は桃城の脇腹から手を放すと、右手を持ち上げて桃城の顔を掴んだ。大きな掌が、桃城の表情を覆い隠してしまう。中指が髪の生え際を押さえ、人差し指と薬指が左右のこめかみ、親指と小指がそれぞれ顎骨の繋ぎ目を掴んでいた。太い指に力を込めると、骨が軋み、脳が圧迫された。
桃城は雅人の手首を掴んで、引き剥がそうとした。雅人はマウントが緩んだ隙に脱出し、膝立ちの桃城の前で片膝を突いた状態となる。そうして桃城を掴んだまま、ゆっくりと膝を持ち上げた。
桃城の頭が、雅人の手に引かれて上昇してゆく。桃城は雅人の手を引き剥がす事を諦め、腰の入らないパンチや蹴りで雅人の身体を打撃するのだが、しなりを失った桃城の攻撃など、雅人の鋼のような肉体には通じなかった。
雅人の親指と小指が外側に動くと、桃城は顔の中が爆ぜる幻覚に襲われた。
雅人が掌を離す。口をがぱっと開いた桃城の顔が、下に長くなっていた。顎を外されたのだ。
桃城はふらふらと後退し、公園の中央にある桜の大樹に寄り掛かった。
「終わりだな」
雅人は、左眼に流れ落ちて来た血を拭い取った親指を、口に含んでしゃぶった。
それを見た桃城は自分の手で顎をはめ直すと、肋骨の痛みを堪えて駆け出した。
「きぃぃえっ!」
奇声を上げながら雅人に駆け寄り、跳躍する。
そのジャンプは、足を雅人の頭と同じ高さに達させた。空中から繰り出した足尖蹴りが、雅人の顔面に狙いを定めて繰り出される。
雅人はすれ違いざまに、右の正拳突きを繰り出した。
巨石のような拳が、寸毫の躊躇いもなく桃城達也の胸の中心に吸い込まれてゆく。
空中で捉えられた桃城はパンチの威力で吹き飛んで、地面に落下した。
その唇から、赤い霧が迸る。雅人の正拳突きは、胸骨と繋がる肋骨を破壊していた。その断面が、肺に突き刺さっているのかもしれなかった。
「病院に行け。今なら助かる」
雅人は拳を引くと、そう吐き捨てて踵を返した。
「殺せ……」
桃城が、血の混じった声で言った。
「ころせ!」
「勝手に死ね」
肩越しに言い放った雅人は、ベンチから立ち上がっていた治郎に血濡れた左眼でウィンクをして、公園から出て行った。
その背を見て、治郎は固く拳を握り締めていた。
熱風が失せ、春先の冷たい風が戻って来る。桜の花びらが、血と小便の匂いの漂う公園の中で舞い踊った。
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