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第四章 戦いの狼煙
第八節 変 貌
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アンプルから直接、中の液体を咽喉に流し込んだユウジは、胸を押さえて苦しみ始めた。
開いた口から、唾液が沸騰しそうなくらいの息を吐いている。
黒眼がぎゅっと収縮し、瞼が捲れ返りそうな程に見開いている。
その腕の皮膚の表面に、さざ波が立っているように見えた。
治郎は、ユウジがどうしてこの場で、いきなりアンプルの中身を飲み干したのか分からない。
あのアンプル自体は、見た事があった。
池田組で売買している、“アンリミテッド”という名前の薬が入っている。
だが治郎は、“アンリミテッド”の取引に関してはノータッチであった。
取引現場に、こちらの組員と相手の護衛をする為に同行した事はあるが、どのような薬が売り買いされているのかは知らなかった。
どれだけ名前を凝って、購買欲を刺激しようとも、所詮、麻薬は麻薬だ。その効能に大差はないであろうと、治郎にとってはそのくらいの認識であった。
だが、今まさに“アンリミテッド”を使用した男の様子を見るに、“アンリミテッド”はただの麻薬というだけでは済ませられないものであるようだった。
ユウジはとうとう跪いて、腹の中のものを戻し始めた。酸っぱい匂いが、廃工場を満たした埃と相まって、酷い空気を作り出している。
「ねぇ、大丈夫!? ユウジ! ねぇ、やっぱり、やばいんじゃないの!?」
ケイトが、蹲ってしまったユウジに駆け寄って、背中をさする動きをした。しかしユウジには自分を心配する女の声が聞こえていないようであった。
「言ってたじゃん、あの人も! 一気に飲んだりしたら、駄目だって! 少しずつ身体に馴染ませていかなくちゃ危険だって!」
そう言うケイトの身体を突き飛ばして、ユウジが地面に手を突き、立ち上がった。
治郎が眉を寄せたのは、男の髪が妙に長くなっていたからだ。
治郎は他人の変化に鈍感だ。昨日までロングの黒髪を自慢していた女が、今日はショートカットにした上に茶色く染めていたとしても、気付かないだろう。
そんな認識能力しか持たない治郎でさえ分かるくらいの短時間で、ユウジの髪は自分の顎まで掛かるくらい長くなっていた。
しかも地面に突いたその手の甲が、変色している。黄色がかったオレンジ色の皮膚が、内側から黒く変わってゆき、青緑っぽい鱗状のものを生じさせていたのだ。
指先には、ねじ回しのような爪が伸びている。
ユウジは過呼吸のように息をして、それが堪らない苦しさなのだろう、胸を服の上から手で掻き毟り始めた。いびつな爪は容易に服を切り裂き、しかもやたらと濃く体毛が茂った胸板の皮膚さえ、引き千切り始めた。
男の手に、毛と皮膚の絡まった血が流れ落ちている。その内側から、白っぽいものが覗いているのだが、それは肋骨や胸骨だろうか。
治郎が流石に戸惑いを視線に混ぜた時には、一瞬覗いた骨が、赤い筋繊維によって覆われて見えなくなっていた。
そればかりか、男が自分で削ぎ落とした胸の肉があっと言う間に再生し、それまでよりも毛量を増やしていた。
湧き出したように生えた胸毛が、絡まり合ってプレートを作っているみたいであった。
治郎がそれに気付いた時、ユウジは地面を蹴り、飛び出していた。
それまで苦しんでいたのが演技であったかのような、素早い動きだ。
治郎は自分に向かって突進して来るものを、本能的に回避していた。
床に転がった治郎と同じで、突進したユウジの方も受け身を取れずに転がった。
ユウジのズボンが裾から破れて、脹脛が露出しているのを治郎は見た。
服の上から見れば、治郎は相手がどんな体格をしているのか、おおよそは分かる。少なくともさっきまでは、そんなに大きな、自転車レースでもやっているような人間の脹脛はしていなかった。
ユウジが肩越しに治郎を振り返る。
血濡れた赤い眼が、顔に張り付いた髪の毛の間から覗いていた。
治郎の背筋が、ぞわぞわと寒くなった。
治郎は反射的に飛び出してゆき、身体を起こし切らないユウジの脹脛に踵蹴りを入れた。
起き上がり掛けたユウジが、地面に崩れる。
治郎は男の脹脛が緊張し、鉄のようになるのを感じ取った。
筋肉増強剤を使ったような、アンナチュラルな筋肉の硬さであった。
見た目はアスリートでも、中身のない空っぽな筋肉である。
けれども、さっきまでとは異なる筋肉であった。
幾らステロイドを使ったって、二、三分で筋肉が強化される訳ではない。
“アンリミテッド”の影響である事は確かだが、その効果が治郎の想像を遥かに超えていた事も、同じように間違いない事であった。
開いた口から、唾液が沸騰しそうなくらいの息を吐いている。
黒眼がぎゅっと収縮し、瞼が捲れ返りそうな程に見開いている。
その腕の皮膚の表面に、さざ波が立っているように見えた。
治郎は、ユウジがどうしてこの場で、いきなりアンプルの中身を飲み干したのか分からない。
あのアンプル自体は、見た事があった。
池田組で売買している、“アンリミテッド”という名前の薬が入っている。
だが治郎は、“アンリミテッド”の取引に関してはノータッチであった。
取引現場に、こちらの組員と相手の護衛をする為に同行した事はあるが、どのような薬が売り買いされているのかは知らなかった。
どれだけ名前を凝って、購買欲を刺激しようとも、所詮、麻薬は麻薬だ。その効能に大差はないであろうと、治郎にとってはそのくらいの認識であった。
だが、今まさに“アンリミテッド”を使用した男の様子を見るに、“アンリミテッド”はただの麻薬というだけでは済ませられないものであるようだった。
ユウジはとうとう跪いて、腹の中のものを戻し始めた。酸っぱい匂いが、廃工場を満たした埃と相まって、酷い空気を作り出している。
「ねぇ、大丈夫!? ユウジ! ねぇ、やっぱり、やばいんじゃないの!?」
ケイトが、蹲ってしまったユウジに駆け寄って、背中をさする動きをした。しかしユウジには自分を心配する女の声が聞こえていないようであった。
「言ってたじゃん、あの人も! 一気に飲んだりしたら、駄目だって! 少しずつ身体に馴染ませていかなくちゃ危険だって!」
そう言うケイトの身体を突き飛ばして、ユウジが地面に手を突き、立ち上がった。
治郎が眉を寄せたのは、男の髪が妙に長くなっていたからだ。
治郎は他人の変化に鈍感だ。昨日までロングの黒髪を自慢していた女が、今日はショートカットにした上に茶色く染めていたとしても、気付かないだろう。
そんな認識能力しか持たない治郎でさえ分かるくらいの短時間で、ユウジの髪は自分の顎まで掛かるくらい長くなっていた。
しかも地面に突いたその手の甲が、変色している。黄色がかったオレンジ色の皮膚が、内側から黒く変わってゆき、青緑っぽい鱗状のものを生じさせていたのだ。
指先には、ねじ回しのような爪が伸びている。
ユウジは過呼吸のように息をして、それが堪らない苦しさなのだろう、胸を服の上から手で掻き毟り始めた。いびつな爪は容易に服を切り裂き、しかもやたらと濃く体毛が茂った胸板の皮膚さえ、引き千切り始めた。
男の手に、毛と皮膚の絡まった血が流れ落ちている。その内側から、白っぽいものが覗いているのだが、それは肋骨や胸骨だろうか。
治郎が流石に戸惑いを視線に混ぜた時には、一瞬覗いた骨が、赤い筋繊維によって覆われて見えなくなっていた。
そればかりか、男が自分で削ぎ落とした胸の肉があっと言う間に再生し、それまでよりも毛量を増やしていた。
湧き出したように生えた胸毛が、絡まり合ってプレートを作っているみたいであった。
治郎がそれに気付いた時、ユウジは地面を蹴り、飛び出していた。
それまで苦しんでいたのが演技であったかのような、素早い動きだ。
治郎は自分に向かって突進して来るものを、本能的に回避していた。
床に転がった治郎と同じで、突進したユウジの方も受け身を取れずに転がった。
ユウジのズボンが裾から破れて、脹脛が露出しているのを治郎は見た。
服の上から見れば、治郎は相手がどんな体格をしているのか、おおよそは分かる。少なくともさっきまでは、そんなに大きな、自転車レースでもやっているような人間の脹脛はしていなかった。
ユウジが肩越しに治郎を振り返る。
血濡れた赤い眼が、顔に張り付いた髪の毛の間から覗いていた。
治郎の背筋が、ぞわぞわと寒くなった。
治郎は反射的に飛び出してゆき、身体を起こし切らないユウジの脹脛に踵蹴りを入れた。
起き上がり掛けたユウジが、地面に崩れる。
治郎は男の脹脛が緊張し、鉄のようになるのを感じ取った。
筋肉増強剤を使ったような、アンナチュラルな筋肉の硬さであった。
見た目はアスリートでも、中身のない空っぽな筋肉である。
けれども、さっきまでとは異なる筋肉であった。
幾らステロイドを使ったって、二、三分で筋肉が強化される訳ではない。
“アンリミテッド”の影響である事は確かだが、その効果が治郎の想像を遥かに超えていた事も、同じように間違いない事であった。
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