超神曼陀羅REBOOT

石動天明

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第二章 牙を研ぐ夜

第三節 三年前

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「――びっくりさせないでよ……」

 いずみは店の片付けを終えて、カウンターの中の椅子に腰掛けて溜め息を吐いた。

 治郎はソファに腰掛けている。
 自分で自分の睾丸を摘出し、食べた後、いずみが店にあった救急箱から消毒液や傷バンを取り出して、応急処置をした。

「後できちんと、病院に行かなくちゃ駄目よ」

 何があったのかは、訊かなかった。想像が付く。
 そのように言っても治郎が聞き入れない事も、いずみには分かっていた。

「――」

 治郎は黙っていた。
 まだ痛みは残っているのだろうが、顔色は少しばかり良くなっている。
 そして、今すぐに薬を貰ったり、手術をしなければいけなかったりするような状況でもなければ、治郎は痛みを我慢してしまう性格であった。

 いずみはカウンターの中から、ソファに腰掛けてじっと黙りこくっている治郎の姿を眺めた。
 傷付いた唇を固く結んで、昏い眼で正面の空間を睨み付けている。

 治郎といずみが初めて出会ったのは、三年前の事だ。当時まだ、治郎は高校生だった。
 その時と比べると、身体が大きくなっている。頸も、腕も、太腿も、前より筋肉が膨らんでいた。
 何より頭の先から足の爪先までを覆うような傷痕が、治郎の肉体に埋め込まれていた。

 当時の治郎を知る者が見れば、その姿が大きく変貌していると分かるだろう。
 だがその頃から変わっていないものが、治郎にはあった。

 眼だ。
 蜘蛛が獲物を狙う時のような、陰湿な黒い瞳。
 どろどろした黒い炎を孕んだその眼は、三年前から変わっていなかった。

 あの日も突然、治郎はやって来た。





 三年前――

 いつものように、常連のおじさんたちに酒や料理を出しながら、賑やかに談笑している所に、治郎が訪れたのだ。

 今のように全身に生傷が絶えない訳でもなく、その昏い瞳さえなければ、華奢な少年という出で立ちでさえあった。
 華奢と言っても貧弱そうな印象は受けなかった。筋肉が骨格に沿って引き締まっているので、肉の分厚さが足りず、細く見えていただけだった。身長も、今よりは五、六センチは小さかったかもしれない。

 黒いシャツを着て、汚れた白いズボンを穿いていた。空手衣のズボンである事が分かった。足にはやはり、柔らかくなったスニーカーを履いていた。

 ただ、顔には痣や擦り傷が見て取れた。
 空手の稽古を終えて、そのまま道場から飛び出して来た――そんな具合であった。

 その不思議で不気味な少年の登場に、店の中がしんと静まり返った。
 だがすぐに、酔っ払った誰かが、こんな風に言った。

「ここは子供の来る所じゃねぇぞ、帰れ、帰れ!」

 それに連鎖するように、他の客たちも囃し立て始めた。

「そうだ、そうだ」
「糞して、寝てろ!」
「僕は帰ってママのおっぱいでも吸ってな」

 いずみは、楽しい時間を邪魔されて気分が悪い彼らの事も分かりつつも、余り汚い言葉を使わないで貰いたいと止めようとした。その前に、治郎が動いた。

 店への階段から飛び降りて、カウンターに座っていた男に歩み寄ったのだ。
 “ママのおっぱい”と発言した男だった。

 治郎はその男を、喰い殺さんばかりの眼で睨み付けると、握った拳を持ち上げようとした。
 酩酊した男は、治郎が放った殺気に気付かなかったが、カウンターの中から見ていたいずみは背筋を駆け上がる冷たい感覚に震えた。

 それを押し殺して、ぱんぱんと手を叩き、狭い店の中に響く声で言った。

「はぁーい、そこまで! 皆、ごめんねぇ? 今日、甥っ子が来る事になってたのよ」

 三年後に同じ作り話をする事になるとはつゆとも思わずに、いずみは客を宥めて、帰らせた。
 そうでもしなければ、その少年がどのような凶行に出るか分からなかったのである。

 いずみがその場を収めなければ、治郎の拳は囃し立てた男の一人の顔に突き立っていたかもしれない。

 客が全て店を出た後、いずみはテーブルやカウンターの片付けをして、治郎をソファに座らせた。片付けや掃除が終わるまでソファに腰掛けてじっと待っていた治郎に、いずみは烏龍茶を出した。

 その間、治郎は俯きがちになり、但し眼だけはぎろりと正面の壁を睨み付けるようにしていた。
 多分、昔からそうした癖があったのだろう。
 自分が話の主題にならない時は、そうやって眼の前の空間を睨み付けている事が、治郎にとっての時間の過ごし方だったものと思われる。

 いずみはソファの向かいの回転椅子に越し掛け、自分の為に用意した水のグラスを傾けた。

「君は誰? どうして、ここに?」

 いずみは訊いた。先程の常連たちの言葉ではないが、中高生が訪れるような店ではない。
 中学生や高校生でも、成人と見紛うような人間は見られるが、その頃の治郎は顔立ちや身体付きに甘さが残り、大学生にも見えなかった。

「治郎……」

 名前を書いた厚紙を破り捨てて、眼の前に放るように、重々しく治郎は口を開いた。

小川おがわ……という、男を、知って、いる、か」
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