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 夜の風が優しく頬を撫でる。遠くの茂みから、夜虫が鳴く声が耳を掠めた。すると、不意に彼が言う。

「ありがとう、ウェンディ。僕なんかを庇ってくれて。味方になってくれて」
「僕なんかなんて……言わないで」
「……ウェンディ」
「あなたは生まれてくるべきじゃなかった存在ではありません。絶対に」

 今もなお、ルゼットの言葉が耳に焼き付いていて、悔しくて目に涙が滲んだ。本当は、ほんの少しだけ期待していた。ルゼットや他の王族とイーサンが和解できる日が来るのではないかと。嫌われているというのは、イーサンの思い込みの部分があるのではないかと。

 けれど、彼と王族の間にできている軋轢は、修復できるような段階ではないのだとよく分かった。分かってしまったから、どうしようもなくて、悲しい。
 ウェンディは鼻をすすりながら、イーサンにぎゅっとしがみつく。泣いていることを察した彼は切なげに呟いた。

「またあなたを泣かせてしまった。……僕は夫失格だな」
「あなたが大切だから……涙が出るんです。イーサン様は私に誠実でいてくださっています」
「……いや、僕は不誠実なやり方であなたを妻にした。――沢山の嘘をついて」
「嘘……?」

 思いに耽るように黙ってしまう彼。言葉の続きを待っていると、重々しく打ち明けられる。

「契約結婚は、僕が叙爵式を迎えるまでだと言ったけど……僕が爵位を与えられ賜姓降下する日は来ない。僕は一生離宮を出られないから。――それが、王家の意向だ」
「…………」
「僕はあなたを騙していた。……すまない」

 契約結婚が始まってから、ずっと違和感を感じていた。賜姓降下の条件が妻帯者であること、というのが最初に彼から聞かされていた話だったが、ウェンディが輿入れしても一向に叙爵の話が出なかったから。

「僕のことは恨んでくれて構わないから」
「恨みません。……むしろ心配です。本心をどこかに隠して、おひとりで抱え込んでばっかりのあなたが」

 イーサンは自分のことをほとんど話したがらないが、今までの付き合いで、この結婚には特別な事情が別にあるのではないかと考えていた。脅してまで籍を入れなければならないような……特別なワケが。
 彼に背負われたまま言葉を紡ぐ。

「イーサン様は、謝るばかりで……肝心なことは話してくださいませんよね」

 彼は不器用で、思っていることを誰かに伝えるのが苦手だ。周りから抑圧される環境で育ってきたのだから、無理もない。

「あの求婚には何か、事情があったのでしょう。大人しくひっそり生きてこられた優しいイーサン様が、権力を振りかざして脅してまで結婚するなんて変です」
「……!」
「言いたくないのなら言わなくていいです。ただ私が、イーサン様を信じていることだけは知っていてください」

 そう言うとイーサンは立ち止まり、近くのベンチにウェンディを座らせた。こちらを見下ろしながら、彼は切なげに零す。

「今……言うよ。僕があなたに求婚した理由」

 少し間を開けて、彼は言った。

「――あなたを守りたかったからだ」

 そしてそれは、ウェンディを政治利用しようとするエリファレットからだった。
 エリファレットはウェンディに自分を賞賛する小説を書かせて求心力を上げ、第2王子に渡ることになった王位継承順位1位を取り戻そうとしていた。それに気づいたイーサンは、ウェンディと籍を入れ、王子の妃という肩書きで庇護しようとしたのだ。

「どうして、イーサン様が見ず知らずの私のためにそこまで……」

 ウェンディがイーサンに会ったのは、あの求婚の日が初めてだった。彼がそこまで心にかけてくれる理由が思いつかない。
 イーサンは首を横に振った。

「……あなたに打ち明けられるのはここまでだ。全て話して……あなたに失望されたり軽蔑されるのが怖いから。ウェンディに嫌われるのは……僕にとって耐えがたいことだ。……臆病な僕を許してほしい」

 そう呟く彼の唇は震えていた。
 ウェンディを守るために、エリファレットより先に結婚した。それが分かっただけで今は十分だ。彼がウェンディを大切に思っていることが分かっただけで。
 イーサンは勇気を振り絞って秘密を話してくれた。怯えながら心の内を打ち明けてくれた彼がいじらしく思えてくる。手を伸ばして彼の手を握った。

「……そんなに怖がらないで。私、イーサン様のことを嫌ったりしません。最初は身勝手な人なのかなと思っていたんですけど……今は好きですよ。あなたのこと」
「~~! ……僕のことをそんなに喜ばせて、一体どうする気だ?」

 親指の腹で彼の滑らかな手を撫でたそのとき、イーサンの顔がぼんっと赤くなる。その様子がなんだかおかしくて、ウェンディはくすくすと笑った。
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