魔眼

藤原 秋

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魔眼 another side

06

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 翌日、オレ達は乗合馬車に乗り、ラーダの村を目指していた。

 村への直行は出ていなかったので最寄りで降り、そこから徒歩で移動する。ほどなくして、ラダフィート山脈を臨む緑豊かな環境に抱かれた村の入り口にたどり着いた。

『ラーダ村』と記された木の立て看板。そこから村の中へと樹木のトンネルのような小径が続いている。足を進めたオレ達はすぐに村の異変に気が付いた。

 ラーダの村は、異様な静けさに包まれていた。周囲に生い茂った木々の枝葉がさわさわと風に揺れる音だけが流れ、生活音が聞こえない。不気味な静寂が漂う村内を見やり、オレ達は目配せし合った。

「ガラムの町よりこっちの方がよっぽど深刻な状態でしたね」
「うん。……間に合えばいいんだけど」

 フレイアは表情を引き締めてオレを促し、オレ達は異様な雰囲気の漂う村内へと足を踏み入れた。

「用心しろよ」
「分かっています」

 目に見える場所に村人達の姿は見当たらなかった。一軒一軒用心深く見回っていくが、誰もいない。

 村内にはこれといった家屋の損壊や争ったような形跡は見られず、食事中だったのか、テーブルの上に食べかけの食事が残ったままの家や、途中まで洗濯物が干してある家もあり、忽然と人だけが消えたという印象を受けた。

 手遅れだったか……?

 何軒目かを当たった時、オレは壁の中から感じられるかすかな気配に気が付いた。調べてみると、隠し扉になっている。それを開けると、狭い空間に寄り添うようにして隠れていた子供が三人、怯えた表情をこちらに向けた。

「大丈夫。わたし達は助けに来たんだ」

 フレイアがなるべく柔らかい声と表情で伝えて、手を差し伸べた。

 こういう役回りは女性に任せた方がいいだろう。そう考えたオレは背後に控え、周囲を警戒しながら子供達の様子を観察した。

「……ギルドの、傭兵さん?」

 一番年長に見える黒髪の少女が震える声でフレイアに尋ねる。

「そうだよ。……もしかしてエルサ?」

 フレイアの問いに少女は頷き、気が緩んだのか髪と同じ色の瞳に大粒の涙を浮かべた。

「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」

 伸ばされた細い手を握り、フレイアが微笑むと、彼女はしゃくりを上げて泣き出した。その華奢な肩を抱き、フレイアが安心させるように嗚咽を上げる背をなでる。微かだが、すえたような匂いが鼻先をかすめた。

 表には出さなかったが、いつでも動けるよう密かに臨戦態勢に入る。フレイアも気が付いたはずだ。

 だが彼女は綺麗にそれを包み隠し、エルサに柔らかく声をかける。

「少し落ち着いたら話してくれる? この村で何があったのか」

 彼女の言葉にエルサは頷き、とつとつと話し始めた。







 エルサの語る内容をざっと聞いていて、いくつかの疑問が生じた。

 村長の独断でギルドに相談もせずに要請を見送るのはいささか乱暴な判断だ。村人の反対は出なかったのか?

 それにどうして、嘆願書の差出人を自分の名ではなく娘の名にしたのか? 村長名で依頼を出した方が普通は社会的信用を得られ、依頼も受けてもらいやすくなるはずだ。

 さらに、エルサは村から逃げ出す人が増え始めてそれがどんどん増えていって、と言っていたが、見てきた家はどれも生活感があって、家財道具もそのまま―――とてもそうは見えなかった。それに、ガラムでも周辺の町でもそんな話は聞かなかった。ひとつの村からたくさんの人が逃げ出してくれば当然噂になるはずだし、ギルドの耳にも入るはずだ。そういった情報は通常喚起情報として共有されるのだが、データベースにそんな情報はなかった。

 おのずと答えが導き出される―――ラーダの実情は、誰も知らないのだ。

「グラハムはどこにいるの? 話を聞かせてもらいたいんだけど」
「ここにはいません。さっき、また魔物が村の近くに現れたって声が聞こえて―――大人達はみんな、武器を持って行きました。お父さんも……。あたし達はここで隠れて待っているようにって言われて……」
「……そうか。それは心細かったね」

 エルサにフレイアが同調したその時、それまで黙って話を聞いていた幼なじみの兄妹の妹の方、ケイシャが身を乗り出した。

「あのね、でもね、妖精さんがわたし達を守ってくれているの。だからわたし達は大丈夫なの」
「おいっ、ケイシャ!」

 兄のトニーが妹をたしなめる声を上げる。

「ダメだよ! 秘密の約束だろ!」
「でも……このお姉さん達、助けに来てくれたんでしょ? いい人なんでしょ?」
「ダメだって! 秘密を破ったら、オレ達も守ってもらえなく……!」

 そこまで言って、トニーは自分が『秘密』を暴露していることに気が付いたらしい。無言で小さくにらみつけているエルサの視線が痛そうに、瞳を逸らした。

 オレとフレイアは軽く頷き合った。

 決まりだ。やはり、幻惑蛾げんわくがだ。

嘘つき妖精ライアーフェアリー』。それが、幻惑蛾の持つ異名―――。

 幻惑蛾は人の頭ほどの大きさもある肉食性の蛾で、比較的知能の高い魔物だ。

 肉厚で極彩色の羽根を持ち、幻惑作用のある鱗粉をまき散らしながら飛ぶ厄介者で、それを吸い込んでしまった者は自分でも気が付かないまま、内臓を食べられて生涯を終える。そして、幻惑蛾の恐ろしさはそれにとどまらない。奴らには擬態能力があり、死んだ獲物のふりをして相手の生活圏に侵入してくるのだ。

 元々集団で生活する習性を持つ奴ら―――その頂点に立つ女王は特にきらびやかで、きらきらと輝く鱗粉をまき散らしながら飛ぶその姿はさながら妖精のようだと言われている。幻惑蛾の中でもひと際高い知性を持つ女王は己の姿を利用して人に近付き、幻惑を用いて妖精だと信じ込ませ篭絡、時には人々が気付かぬうちに町や村をまるまる自分達の餌場へと変えていくのだ。

 妖精は清らかで尊いものだという、人間側の信仰心にも似た思いの根柢を利用した、奴らからすれば賢い方法であると言える。

「―――その『妖精』は、今どこに?」

 フレイアの問いに、エルサは力なく首を振った。

「……分かりません。さっきまでは多分、あたし達の近くにいてくれたと思うんだけど……でも、約束破っちゃったから……もう、妖精の国へ帰っちゃったのかも……」
「ゴメン……ゴメン、エルサ……オレ、つい……」
「ごめんなさい……」

 憔悴した様子のエルサに、トニーとケイシャがうなだれて謝る。

「いや、三人ともよく話してくれたよ。おかげで状況が見えてきた」

 フレイアがそう言った時だった。

「あっ、お父さん達! 帰ってきた!」

 窓の外を見たエルサが駆け出し、 トニーとケイシャも弾かれたようにその後を追う。

「あっ、待って」

 フレイアがトニーとケイシャの肩を掴んで引き留めた。

「あのね、わたし、お父さん達に大事な話があるんだ。それが終わるまで、このお兄さんとここで待っていてくれないかな」

 言いながらオレに目で合図をする。オレは頷いて、戸惑う二人の目線まで腰を下ろし、柔らかい表情を作って穏やかに微笑んでみせた。

「すぐに済むから、それまでお兄さんと一緒にここで待っていようね」

 それを尻目にフレイアが「エルサ」の後を追って外へ出る。

 始まるか……。

 オレは不安げに窓の外を見やる幼い兄妹の首の後ろに手刀をあてがい、気絶させた。

 これから、地獄の釜の蓋が開く。真実を知ることは必要だが、そのつぶさまでは見る必要がない。

 見れば、幼い二人がこれから普通の生活を送ることは困難になるだろう。オレやフレイアのような経験は送らないに越したことはない。オレ達のようにはならない方が、多分幸せなのだ。

 オレは気を失った二人を先程の隠し部屋へ運んでいき、魂食いソウルイーターで自らの手首を切った。溢れ出る血で幼い兄妹の周囲に円陣を描き、告げる。

「護れ」

 魂食いソウルイーターが唸り、円陣に黒に近い紫色の光が灯る。この血界で兄妹は護られるだろう。

 魂食いソウルイーターの能力でオレの傷はすぐに塞がった。

「―――行くか。魂食いソウルイーター

 相棒の名を呼び、オレは同調をさらに深めるための合言葉を口にした。

「魔眼―――開眼」

 魂食いソウルイーターが仄暗い輝きを帯び、魔剣の力がオレに向かって流れ込む―――両の瞳を金色へと変えながら、オレは隠し部屋を後にした。







 窓の外が見える位置にオレが戻って来た時、ちょうどフレイアは腰から壊劫インフェルノを抜き放ったところだった。彼女の少し先には、父親達だったモノに話しかけている「エルサ」の姿が見える。

壊劫インフェルノ

 相棒の名を静かに呼ぶフレイアの声が聞こえた。

「魔眼―――開眼!」

 凛とした彼女の声に、何故か胸を鷲掴まれた錯覚を覚える。壊劫インフェルノの刀身が暗い紅色の輝きを帯び、魔剣の力が唸りを上げて彼女に流れ込むのが分かった。

 オレに背中を向けたフレイアの雰囲気がガラリと変わるのが分かる。彼女の周りの空気が、動く者を許さない研ぎ澄まされた白刃のようなモノへと変化し、神々しい、とさえ思えるオーラを纏う。その姿は紅い月の夜の記憶と重なって、オレの心を芯から震わせた。

爆裂エクスプロージョン!」

 壊劫インフェルノを地面に突き刺したフレイアから、破壊の力が放たれた。

 耳をつんざく轟音と共に地下で大規模な爆裂が起き、村のいたるところから土柱が立ち上がる!

 これは……! 何て威力だ!

「ぎいぃぃぃっ!」

 フレイアの先制攻撃で壊滅的な被害を被った幻惑蛾の幼虫達が衝撃で地面から飛び出し、無残な肉片を辺りに飛び散らす。

「きゃああああぁッ!」

 しゃがみこんで悲鳴を上げるエルサの前で、父親達の顔面が割れた。脳を吸って父親達に成りすましていた幻惑蛾の成虫が擬態を解き、一斉にフレイアに襲いかかる!

「はぁッ!」

 気勢を放ちフレイアがそれを迎え撃った。

 ―――速い!

「ギュワッ!」

 剛剣一閃。剣圧でずたずたに切り裂かれ、成虫達が絶息する。

 その時、空が暗く染まった。辺りの森に潜んでいた幻惑蛾達が一斉に出てきたのだ。

「あ……、あ……!」

 空を見上げ、言葉にならない声を上げるエルサ。太陽が遮られ、暗い極彩色に覆われた空は、この世のものとは思えなかった。魔界さながらの光景だ。フレイアがあらかじめ用意しておいた鱗粉対策の防護マスクを身に着けながら、油断なく壊劫インフェルノを構える。

 想像はしていたが、凄まじい数だ。さて、彼女はこれにどう立ち向かうつもりなのか―――。

 注視するオレの前で壊劫インフェルノが風の力を纏った。

颶風トルネード!」

 幻惑蛾の群生をぎりぎりまで引き付けてから、漏斗状になった超高速の剣圧の渦を大群の中心に叩き込む!

「ギュイィィィッ!」

 自慢の羽根を暴風の刃に切り裂かれ、耳障りな悲鳴を上げて半分くらいが消滅する。

 フレイアは溜めを置かずに二撃目を放った。これでほぼ全てが片付く。

 極彩色の闇が晴れ、再び姿を現した太陽の光が彼女の上に降り注いだ。

 何ていう破壊力だ。これほどの威力を持つ攻撃を、続けざまに放てるのか。

 オレは目を瞠った。身体の底から感嘆の震えが来る。

 あれは本当にあのひとなのか―――あのひどく人間臭くて言動の大雑把な、あの女性と同一人物なのか。

 大業の連発に疲れた様子も見せず、決死隊のようにパラパラと襲いかかってくる残りの幻惑蛾を薙ぎ払いながら進むあのひと―――「エルサ」の元へと向かう彼女の横顔が見える、その瞳が目に映る、燃え立つように煌めく魔的な紅蓮の双眸―――脳裏に焼き付いて離れない、紅い月の夜の記憶と完全に合致した。

 オレの中で、記憶と、心と、肉体が繋がる。ひとつになる。

 不意に全てが自分の中で繋がり、すとんと腑に落ちた。

 ああ―――やはり、あのひとなんだ。

 八年もの歳月が、いつの間にかオレの中で彼女を神域に近いものに昇華させていたのか。実際の彼女とは違う理想像をいつしか頭の中で造り上げ、そこに崇敬と憧れを込めて、自分の目標を投影していた―――。

 その事実に、初めて気付かされる。

 フレイアの「ランヴォルグ」と全く同じことを、オレは彼女に対してやっていたのか。

 だから、生身の彼女を目の当たりにして混乱したんだ。こうであるべき彼女の理想像とあまりにもかけ離れた彼女自身を受け入れられなくて、けれど時折見せられる過去の彼女とも重なる姿に、そのジレンマに苛立った。

 ずっと近付きたいと思っていた―――あの輝きに。ずっと追いつきたいと思っていた―――あの強さに。

 彼女のように守りたいものを守り抜ける、何物にも屈しない力を、強さを手にしたいと、ずっと思っていた。

 だがオレは、気付いていなかったんだ。

 それとはまた別の次元で、あの時、あの瞬間、あの紅蓮の瞳に心を奪われていたことに。

 紅い月明りの下、現実離れした光景をまざまざと見せつけられたあの刹那に、気高く、凛々しく、この世のものとは思えないほど美しいと感じたあの存在に、オレは囚われていたんだ―――もうずっと、長いこと。

 強烈に、自覚する。

「あ……あああ……!」

 黒い瞳いっぱいに涙を溜めた少女が震える足で立ち上がり、細い腕をフレイアへと伸ばし駆け寄ってきた。

「―――ごめんね。間に合わなくて」

 心からそう詫びながら、フレイアは「エルサ」の胸に壊劫インフェルノを突き立てた。見開かれた少女の瞳からひと滴、涙が頬を流れ落ちる。

 一人の少女が親切心から『妖精』を村へ連れ帰ったその時から、ラーダの悲劇は始まっていたのだ。誰も知らぬうちに、一人、また一人と幻惑蛾の手に落ちていき、ラーダの村は奴らの餌場と化されていった―――そして幼なじみの兄妹に『妖精』を引き合わせた後、おそらくはオレ達がここへ来るまでの最近の間にだろう―――エルサは、女王に殺された。

「オオ……オノレェェ……」

 事切れたエルサの口から人外の『声』がもれる。

「喉笛ヲ、食イ千切ッテヤロウトシタモノヲ……!」

 フレイアの眼前で魔剣に胸を貫かれた少女の肉体が割れ、きらびやかな羽根を持つ幻惑蛾の女王がその姿を現した。
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