Réglage 【レグラージュ】

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ブリュートナー 『クイーン・ヴィクトリア』

103話

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 次の日。時間は早朝九時。指定された時間にランベールは到着し、通された大広間で開口一番。
 
「おいおいおい、どうなってんだこりゃ」

 ピアノが二台。片方は昨日もあった『モデル1』。ブリュートナーのフルコンだ。相変わらず、存在感だけで身が引き締まる。弾かれることで成長した、禍々しささえ感じ取れる、ピアニスト垂涎の一品。問題は、隣に配置されたもう一台のほう。

「なんだこれは……!」

 美しい木目とチッペンデール。ブリュートナーのセミフルコン。なんでこんなものがここに? 昨日まではなかったはず。これも『モデル1』に負けず劣らず、恐ろしいオーラを纏っている。ような気がする。

 背後から現れたサロメが、我が物顔で解説する。

「『クイーン・ヴィクトリア』。生きているうちに見れたんだから、幸運に思いなさい」

「お前、これからなにを——」

 するつもり、と説明もなく勝手に進めていることに説教するつもりで、ランベールは振り向いたが、その異常さに絶句する。

「……お前、なにがあった?」

 明らかに困った顔で見つめる先には、目の下にクマを作り、体力が尽きかけのサロメ。寝たい時はパリ市長の前だろうが寝る、という頑なな意思を持つコイツになにが。

「あ? なに? そんなことどうでもいいのよ。こちとら昨日の夜から寝ずにピアノいじってんだから、最後の仕上げ。いくわよ」

 短気に磨きがかかっているようだが、感覚は冴え渡っている。疲れても鈍ることなく、覚悟と責任を持って調律する。それがサロメという少女。

「……で、なんで二台あるんだ? どっちかでいいだろ」

 そこが問題。なぜ自分がここに呼ばれたか。

「話聞いてた? あんたの力が必要なの。って言ったらもうわかるでしょ」

「はぁ? どういう——」

 と、ランベールがいまだに理解できずにいると、遅れてユーリが部屋に入ってきた。そしてひと言。

「……なんだこれは……」

 その反応を見て、ランベールはまたコイツが勝手になにかやったな、と瞬時に悟る。

「……これはどういうことだ?」

 怒っている、というわけではない。ただ、単純にどの感情を出したらいいか、ユーリはわからずに問うている。喜怒哀楽のどれにも当てはまらない。どれか選べというなら……『哀』。

「なにが?」

 全く悪びれず、むしろ徹夜のテンションも合わさり、サロメは『喜』で返す。

 その態度に、一瞬我を忘れそうになるが、唇を噛み締めてユーリは耐える。『怒』のスイッチが入る。

「……どういうことだ、と聞いている。これは母さんのピアノだ。あの方はもう、自身で弾くことはない。触れないでくれ」

 昨夜、少しでもわかったつもりになった自分が馬鹿だった。この少女は、他人の痛みをわかろうとしない。母さんが辛そうにこのピアノを見ているからわかる。ただ、母さんの傷口を抉るだけにすぎない行為。

「もういい。金額は倍払う。ここから出ていけ」

 やはり、他人など頼れない。自分の力で認めてもらうしか。そして、全て話してもらう。覚悟が決まった。それだけはこの少女に礼を言いたい。もう、用は済んだ。
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