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アフェッツオーソ
70話
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レイノー現象。
血行不良から生じる指先の変色、痛み、痺れなどを指し、指以外でも鼻や耳などでも観測される膠原病の一種である。
レイノー現象の中でも、原因が明らかになっているものを「レイノー症候群」といい、不明であるものを「レイノー病」と区分する。
症状は強皮症の患者の大半に見られ、指が硬直し、真っ直ぐに伸びることが困難となる。
その場合は指先に潰瘍の出現、さらに全身に痛みを伴う可能性があり、難病の一つでもある。
さらに神経や血管の圧迫や、白蝋病も引き起こし、症状が長時間に及ぶと指先が壊死に陥る場合もある。
命に直接関わるほどの危険性ではないが、普通一〇分程度で戻るはずの指先の変色に時間がかかるようになっていくと、内部からの侵食が進行するため、症状を悪化させる前に対策を取る必要がある。
振動病とも呼ばれ、職業別に見てこの病気にかかりやすい傾向があるのは、チェーンソーなどの振動工具を使用する作業従事者、タイピスト、ピアニスト。
対策として、薬物療法、禁酒禁煙、ストレスを避ける、指を冷やさないこと、が挙げられる。
†
「オルゴールでの治療、なんていうものあるらしいわね」
瞳を細めつつセシルが、適度にアレンジに外しを加える店内のインテリア、自分の右正面にあるテーブルの上から風車型のブリキオルゴールを一つ、視界の中心に捉える。音色自体も彼女は好きで、三区にあるオルゴール専門店で半日過ごしたこともある程である。
「はい、オルゴールには脳幹を刺激する周波数を持ち、その音色から癒しの効果も期待できます。単調でゆるやかな曲と少し強めの曲を交互に聞かせると、自律神経に上手く働きかけてくれる、ということから体の内側から治癒する役目を果たすそうです」
「……じゃあ、店に何個か置かれてたのって――」
懇ろに解説を添えるシャルルに、目を伏せてベルは問いかける。初めて店に来たときよりも、見逃してしまうほど微量だが、オルゴールの数が増えているような気がしていた。その靄のかかった疑念が払拭されていく感覚。
「これは、姉さんの提案です」
ね? と、ベアトリスに振るシャルル。そのベアトリスは一瞬大きく目を見開いて睨み返したが、口を濁した。
「まぁ、効果は雀の涙ほどでも、ないよりはマシだろうからな。だが九割方インテリアだ」
冷静に答えを口にしたのはベアトリスだった。なんだかんだで優しさを持ち合わせている人物である。自ら自発的に言うことはないのだが。
実のところ、シャルルは元々オルゴールについての効能は知らずに、ベル同様ただのインテリアだと認識していた。しかしベアトリスに理由を請うと、オルゴールを利用した治療法を教えられ、独自にも調べ上げたのだ。それを報告する。
「レイノー症候群にとって、最大の禁じ手は『手を冷やす』こと。ゴム手袋といった対抗策もありますが、それでも完全とはいえません」
その対抗策をした状態で店の仕事をやろうとした場合の、手際の悪さがシャルルの脳裏で再生された。さらにお客様はアレンジを作るフローリストの指を見る。その見栄えも考慮に入れた。
「それに、したままではテープの類を剥がすことができないしな」
「ええ、手は荒れるわ爪は汚れるわだけど、結局素手でやるしかない。花って、せっかちでわがままなものなの。手のかかる娘と似てるわ」
説得力を持つセシルの揶揄に沈黙が流れる。発言にほんの少しの棘を加える語り口は、場を和ませるためのベクトルに向いているのだが、その中で一名が下に下げた顔を上げようとしないでいたのだ。
無理もないだろう。実はあのピアノ演奏が、もしかしたら自分の母を再度苦しめる結果となっていたかもしれないと、初めてベルは気づいたのだ。物心のない子供の駄々とはいえ、愛する母がもしかしたら、と。考えすぎているようにも思うが、自分を責めずにはいられない心境だった。
「……ママは昔、プロのピアニスト、だったの? ピアノは『趣味』だって……」
血行不良から生じる指先の変色、痛み、痺れなどを指し、指以外でも鼻や耳などでも観測される膠原病の一種である。
レイノー現象の中でも、原因が明らかになっているものを「レイノー症候群」といい、不明であるものを「レイノー病」と区分する。
症状は強皮症の患者の大半に見られ、指が硬直し、真っ直ぐに伸びることが困難となる。
その場合は指先に潰瘍の出現、さらに全身に痛みを伴う可能性があり、難病の一つでもある。
さらに神経や血管の圧迫や、白蝋病も引き起こし、症状が長時間に及ぶと指先が壊死に陥る場合もある。
命に直接関わるほどの危険性ではないが、普通一〇分程度で戻るはずの指先の変色に時間がかかるようになっていくと、内部からの侵食が進行するため、症状を悪化させる前に対策を取る必要がある。
振動病とも呼ばれ、職業別に見てこの病気にかかりやすい傾向があるのは、チェーンソーなどの振動工具を使用する作業従事者、タイピスト、ピアニスト。
対策として、薬物療法、禁酒禁煙、ストレスを避ける、指を冷やさないこと、が挙げられる。
†
「オルゴールでの治療、なんていうものあるらしいわね」
瞳を細めつつセシルが、適度にアレンジに外しを加える店内のインテリア、自分の右正面にあるテーブルの上から風車型のブリキオルゴールを一つ、視界の中心に捉える。音色自体も彼女は好きで、三区にあるオルゴール専門店で半日過ごしたこともある程である。
「はい、オルゴールには脳幹を刺激する周波数を持ち、その音色から癒しの効果も期待できます。単調でゆるやかな曲と少し強めの曲を交互に聞かせると、自律神経に上手く働きかけてくれる、ということから体の内側から治癒する役目を果たすそうです」
「……じゃあ、店に何個か置かれてたのって――」
懇ろに解説を添えるシャルルに、目を伏せてベルは問いかける。初めて店に来たときよりも、見逃してしまうほど微量だが、オルゴールの数が増えているような気がしていた。その靄のかかった疑念が払拭されていく感覚。
「これは、姉さんの提案です」
ね? と、ベアトリスに振るシャルル。そのベアトリスは一瞬大きく目を見開いて睨み返したが、口を濁した。
「まぁ、効果は雀の涙ほどでも、ないよりはマシだろうからな。だが九割方インテリアだ」
冷静に答えを口にしたのはベアトリスだった。なんだかんだで優しさを持ち合わせている人物である。自ら自発的に言うことはないのだが。
実のところ、シャルルは元々オルゴールについての効能は知らずに、ベル同様ただのインテリアだと認識していた。しかしベアトリスに理由を請うと、オルゴールを利用した治療法を教えられ、独自にも調べ上げたのだ。それを報告する。
「レイノー症候群にとって、最大の禁じ手は『手を冷やす』こと。ゴム手袋といった対抗策もありますが、それでも完全とはいえません」
その対抗策をした状態で店の仕事をやろうとした場合の、手際の悪さがシャルルの脳裏で再生された。さらにお客様はアレンジを作るフローリストの指を見る。その見栄えも考慮に入れた。
「それに、したままではテープの類を剥がすことができないしな」
「ええ、手は荒れるわ爪は汚れるわだけど、結局素手でやるしかない。花って、せっかちでわがままなものなの。手のかかる娘と似てるわ」
説得力を持つセシルの揶揄に沈黙が流れる。発言にほんの少しの棘を加える語り口は、場を和ませるためのベクトルに向いているのだが、その中で一名が下に下げた顔を上げようとしないでいたのだ。
無理もないだろう。実はあのピアノ演奏が、もしかしたら自分の母を再度苦しめる結果となっていたかもしれないと、初めてベルは気づいたのだ。物心のない子供の駄々とはいえ、愛する母がもしかしたら、と。考えすぎているようにも思うが、自分を責めずにはいられない心境だった。
「……ママは昔、プロのピアニスト、だったの? ピアノは『趣味』だって……」
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