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アフェッツオーソ
69話
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「……マ、マ……」
ただ少し話をしただけで、なぜかベルの目には涙が浮かんだ。自分でもわからない。
「もう泣く。ほんと泣き虫なんだから」
重苦しく変化した雰囲気を、照れくさそうにセシルは打破した。
親としての素直な気持ちであり、回り道のないそれを深く噛み締めてベルは顔を崩し涙腺を緩めた。
「ほら、そんな顔しないで。仕事中でしょ。花に笑われちゃうわよ。ごめんなさい、ベアトリスさん、シャルル君。こんなこと、家でやるべきよね」
なだめるセシルのその姿は、赤ん坊をあやす母親そのもののようで、自身も恥じらいを感じていた。傍観するシャルルとベアトリスに気付いて謝罪を口にしたのだ。
「いえ、お気になさらないでください。それに、こういった場所だからこそ、言える言葉もあると思いますから」
花に囲まれた空間で生じる家族愛にシャルルも顔を綻ばす。自分も姉とこういう関係であれ、と言われれば顔は引きつるが。なにも特別ではない、ただ行動と精神で子を支える愛に対し、シャルルも不思議と充足感に包まれたのだ。
この家で二人で姉と暮らすようになってから、彼は二人でいる時間をさらに増やし、料理の味もできるだけ姉の舌に合うように作る。五月最後の日曜日の『母の日』にはシャルルはベアトリスへ心を込めたアレンジを送り、六月第三日曜日の『父の日』にはその逆。どちらから言うともなく始めた二人だけの儀礼。ささやかな幸せを願う絆。ゆえに、彼にとってセシルとベルを取り巻く空間が、それと近しいものであるように思え、自然と自分自身もその優しさを分配してもらえたような気がしたのだ。
「ありがとう……」
「ジャルルぐん……」
鼻声でその名を呼ぶ以外にすることが思いつかないベル。しかし内側では、母に倣って感謝していた。そうすることが正しいように思えて。今までで数十種類の涙を流したことのあるベルだが、この類は初めてのものの気がしていた。
これほどまでに母というものの偉大さを、彼女は感じたことがあったのだろうか。毎日家事をこなす、といった日常の生活からは見えてこない部分と、語らない花と、語ってくれる母。加えて元来からよく泣く性分。
鼻をすする音色が支配する場、その間に入ったのはベアトリスだった。
「そう、こういった場所だからこそ、今まで言えなかった過去のことを言いたくもなる」
いつも固い表情が多い彼女だが、そこにさらに遠くを見つめるような儚さも感じ取れる。相変わらずどこまでも見通すような青い瞳だが、深海の青のようにも見えた。
「……? どういう、なんのことを言っているんですか、ベアトリスさん……過去?」
いつもの超然とした態度ではない、悲しげなベアトリスのオーラ。それにベルは疑問を呈する。
「……やっぱり隠せてなかった?」
ある種予想通り、と言った言葉つきのセシルがベアトリスを覗き込む。
その姉と同じ感覚を持って、セシルへのアレンジを作ったシャルルが思い出す。
「ええ、おそらくセシルさんが僕達の立場でも、すぐに気付いたと思います。それほどまでに鋭い観察でしたから」
「シャルル君も、どういうこと?」
今回も取り残されるベルは、順を追った説明をシャルルに要求する。が、
「ベル、私から言います。というか、私から言わなくちゃいけないこと」
「……ママから?」
その役を引き受けたのはセシルだった。彼女に似合う1輪の花をイメージすれば、赤いベラドンナ。『決意』ではなかろうか。
「ごめんなさい。営業中だっていうのに、こんな風にお店を使ってしまって」
「お客様のためですから、そんな風に考える事はありません。シャルル、奥の部屋に――」
場を制し、案内の支持を出そうとするベアトリスに、セシルは頭を振った。
「ここでいいわ。この香りがとても懐かしいの」
大きく吸い込んだ土と花の香りがセシルの鼻腔を撫でる。これはそう、
「懐かしい、って、ママ? なにを、言っているの? だってこれじゃあまるで――」
かつて嗅ぎなれた、それも毎日のように。
「——ええ、私は元フローリストで元ピアニストよ……レイノー症候群を患った、ね」
ただ少し話をしただけで、なぜかベルの目には涙が浮かんだ。自分でもわからない。
「もう泣く。ほんと泣き虫なんだから」
重苦しく変化した雰囲気を、照れくさそうにセシルは打破した。
親としての素直な気持ちであり、回り道のないそれを深く噛み締めてベルは顔を崩し涙腺を緩めた。
「ほら、そんな顔しないで。仕事中でしょ。花に笑われちゃうわよ。ごめんなさい、ベアトリスさん、シャルル君。こんなこと、家でやるべきよね」
なだめるセシルのその姿は、赤ん坊をあやす母親そのもののようで、自身も恥じらいを感じていた。傍観するシャルルとベアトリスに気付いて謝罪を口にしたのだ。
「いえ、お気になさらないでください。それに、こういった場所だからこそ、言える言葉もあると思いますから」
花に囲まれた空間で生じる家族愛にシャルルも顔を綻ばす。自分も姉とこういう関係であれ、と言われれば顔は引きつるが。なにも特別ではない、ただ行動と精神で子を支える愛に対し、シャルルも不思議と充足感に包まれたのだ。
この家で二人で姉と暮らすようになってから、彼は二人でいる時間をさらに増やし、料理の味もできるだけ姉の舌に合うように作る。五月最後の日曜日の『母の日』にはシャルルはベアトリスへ心を込めたアレンジを送り、六月第三日曜日の『父の日』にはその逆。どちらから言うともなく始めた二人だけの儀礼。ささやかな幸せを願う絆。ゆえに、彼にとってセシルとベルを取り巻く空間が、それと近しいものであるように思え、自然と自分自身もその優しさを分配してもらえたような気がしたのだ。
「ありがとう……」
「ジャルルぐん……」
鼻声でその名を呼ぶ以外にすることが思いつかないベル。しかし内側では、母に倣って感謝していた。そうすることが正しいように思えて。今までで数十種類の涙を流したことのあるベルだが、この類は初めてのものの気がしていた。
これほどまでに母というものの偉大さを、彼女は感じたことがあったのだろうか。毎日家事をこなす、といった日常の生活からは見えてこない部分と、語らない花と、語ってくれる母。加えて元来からよく泣く性分。
鼻をすする音色が支配する場、その間に入ったのはベアトリスだった。
「そう、こういった場所だからこそ、今まで言えなかった過去のことを言いたくもなる」
いつも固い表情が多い彼女だが、そこにさらに遠くを見つめるような儚さも感じ取れる。相変わらずどこまでも見通すような青い瞳だが、深海の青のようにも見えた。
「……? どういう、なんのことを言っているんですか、ベアトリスさん……過去?」
いつもの超然とした態度ではない、悲しげなベアトリスのオーラ。それにベルは疑問を呈する。
「……やっぱり隠せてなかった?」
ある種予想通り、と言った言葉つきのセシルがベアトリスを覗き込む。
その姉と同じ感覚を持って、セシルへのアレンジを作ったシャルルが思い出す。
「ええ、おそらくセシルさんが僕達の立場でも、すぐに気付いたと思います。それほどまでに鋭い観察でしたから」
「シャルル君も、どういうこと?」
今回も取り残されるベルは、順を追った説明をシャルルに要求する。が、
「ベル、私から言います。というか、私から言わなくちゃいけないこと」
「……ママから?」
その役を引き受けたのはセシルだった。彼女に似合う1輪の花をイメージすれば、赤いベラドンナ。『決意』ではなかろうか。
「ごめんなさい。営業中だっていうのに、こんな風にお店を使ってしまって」
「お客様のためですから、そんな風に考える事はありません。シャルル、奥の部屋に――」
場を制し、案内の支持を出そうとするベアトリスに、セシルは頭を振った。
「ここでいいわ。この香りがとても懐かしいの」
大きく吸い込んだ土と花の香りがセシルの鼻腔を撫でる。これはそう、
「懐かしい、って、ママ? なにを、言っているの? だってこれじゃあまるで――」
かつて嗅ぎなれた、それも毎日のように。
「——ええ、私は元フローリストで元ピアニストよ……レイノー症候群を患った、ね」
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