天の求婚

紅林

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本編

当事者は苦労を知らない

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 チュロックでの政務を終えて本国に帰還した大貴は邸宅に戻り身なりを整えた後、すぐに登城の準備を始めた

「なにもそんなに急がなくても良いのでは?」

 急いで着替え終えて鏡の前で髪を整えている大貴に使用人頭の三田が声をかける

「いいや、もういい加減に陛下の本音を聞かないと」
「しかし十時間以上飛行機に乗られていたのですから身体を休めないと。それに時差ボケを甘く見ていては体調を崩しますよ」
「しばらく議会の欠席許可も頂いてるし婚約発表は年明けだからなんの問題もないよ。それより三田さんも早く準備して」
「大奥様にはなんとお伝えするのですか?まだご帰宅のご挨拶もされていらっしゃらないのに」

 三田は近所の男爵家主催の園遊会に出席している心のことを思い浮かべた。彼女はボンクラである大貴と血が繋がっているのが信じられないくらい礼節に厳しい人物だ。出張から帰れば家族に顔を見せるべきと考えているだろう

「母上にはテキトーに言い訳しといて」
「なっ!?大奥様に小手先の言い訳が通用するはずがありませんよ!」
「……三田さん、いや三田きょう、貴方は千年近く我が新田一族に使える三田准男爵家の当主だ。君も華族であるならば新田子爵未亡人の怒りを真っ向から受け止めて見せよ!」

 大貴は三田をビシッと指さした

「何を訳の分からないことを!あ!お待ちください!旦那様!コラ!安田ァ!なに玄関開けてやがる!旦那様!お待ちください!だんなさまぁぁぁぁ!」

 早々と車に乗り込んで運転手に発進するように伝えた大貴は三田の悲痛な叫び声に申し訳なく思いながらも宮殿へと急いだのだった


 ◆◇◆


 一方その頃、内閣府庁舎にて帝国の重鎮の一人である弥勒院直人侯爵は事務次官に与えられる執務室でとある来客の対応をしていた。侯爵であり事務次官という重役につく彼が相手をする人物は限られており、事務官にお茶を用意させて下がらせたあとから部屋には重苦しい空気が漂っていた。その重苦しい空気の元凶である対面のソファーに腰かけている大貴とほとんど歳が変わらないであろう青年は紅茶を一口含み、弥勒院侯爵を見つめた。

 「……」

 自分よりも若い青年からの視線に侯爵は背中に冷や汗がつたうのを感じた。弥勒院家は純血華族ではなく創設されてから間もない歴史の浅い家門である。しかし現当主である彼は雉ノ宮きじのみや帝国大学を卒業後、内閣府で頭角を現し事務次官という重役に就いた経歴の持ち主だ。今では弥勒院家は名門とされ現天帝である蒼士からも信頼の厚い人物だ。そんな誰からも尊敬を集める弥勒院侯爵が恐れる目の前の青年の名は横畠よこばたけりん、由緒正しい純血華族にして公爵位を与えられた横畠家の若き当主だ。

「弥勒院事務次官と直接お会い出来るなんて僕はとても光栄です」
「……いえいえこちらこそ横畠院長にお会いできて嬉しく思います。天のお導きでしょうか」

 横畠公爵はようやく口を開き、弥勒院侯爵に対して優しい笑みを浮かべた

「本日僕が内閣府庁舎に来た理由はお分かりですか?」
「いいえ、しかし事務総長殿と事務総局次長殿もお越しだと聞いております」
「えぇそうなのです。彼らには別の場所で待機して貰っています。今日は内閣府に不正な金の流れがあるという情報を入手し、参上致しました」
「……」

 弥勒院侯爵は青年が笑顔を浮かべたまま発する言葉に恐怖を覚えた。会計監査院は内閣府及び中央政府三議会から完全に独立した組織であり、国内の省庁の財政に不正がないか監査する権限を持つ組織だ。彼が座る会計監査院長という職位は枢密院顧問官ですら犯すことの出来ない絶対的な権限を持つ。これは帝国憲法に明記されたものであり、 大天族ですら簡単に踏み込むことの出来ないほど絶対的なものだ。

「しかし、これは貴方の管轄内で起こったことではないと調査の結果判明しております」
「え?」

 何らかの叱責を覚悟していた弥勒院侯爵は呆気にとられた

「資源省の大臣政務官の一人が何人かの内閣府職員と協力して起こしたとのことです。大臣政務官の直属の上司は資源大臣、野々宮伯爵夫人です。監督責任は彼女にあると言えます。そして彼女を国務大臣に任命したのは内閣総理大臣である横田川公爵です。この二人には責任をもって事後処理にあたって頂きます」
「であれば総理と大臣をお呼びしましょうか?私の管理する業務範囲ではないようですので……」
「いいえ、弥勒院事務次官自らそのようなことをする必要はありません。総理執務室には事務総長が、大臣執務室には事務総局次長がアポをとって向かっています」

 横畠公爵は軽く言うがその二人は会計監査院の最高幹部だ。首謀者が既に判明している不正事件にわざわざ動く程の人物ではないはずだ

「事務総長と次長が、でございますか?」
「彼らは優秀です。華族出身ではありませんが会計監査院の最高幹部として日々業務に忠実です」
「もちろん存じていますよ。院長含め会計検査院の職員の優秀さは内閣府でも噂になるほどですから。恵子内天王殿下の覚えも良いと聞き及んでおります」

 彼は家柄と血筋で会計検査院長に選ばれたということもあり朝廷内では多々心配の声が上がっていた。しかし、彼は自らの実力でそれらをねじ伏せた。

「大袈裟な話です。一代でこれだけの地位を築かれた侯爵閣下とは比べ物になりません」
「……」
「ふむ、やはり僕がここに足を運んだ理由が気になりますよね。前置きが長くなり申し訳ありません。僕が今日ここに来た理由としましてはこちらをご覧いただければご理解頂けるかと」

 どう反応していいか分からず黙り込む弥勒院侯爵に対して横畠公爵はタブレット端末を操作して電子資料を映し出し差し出した。

「これは宮内省が財務省に提出した経費のデータです」
「はい、こちらがなにか……?」
「先月と先々月分を見て頂きたい。宮殿の警備費用が一割ほど増えておりますね?」

 横畠公爵の指摘に弥勒院侯爵は表情を変えずに「そのようですね」と返したが内心気が気ではなかった。これは内密に天帝である蒼士の婚約者に内定した大貴を守るために宮内省が水面下で行っている情報統制や身辺警護にかかっている膨大な費用の誤魔化した部分である。馬鹿正直にまだ発表前の大貴の名前を出すわけにもいかなかった宮内省はつい先日起きた栗田公爵家が起こした騒動に乗じて警備にかかる予算と一緒に隠蔽したのだ。

 (あれほど川端伯爵と細田男爵が必死に隠蔽していたというのに)

 宮内省の中でも大貴が婚約者に内定したことを知るのは最高幹部の面々と直接大天族の身の回りの世話をする一部の高位侍従や高位女官のみである。そのため隠蔽工作も最高幹部の面々が直々に行ったのだ。そしてその隠蔽工作には弥勒院侯爵も関わっていた。

「これに関して宮内卿の川端伯爵を問い詰めたのですが……」

 何を思い出したのか苦々しい表情を浮かべた公爵は大きなため息をついてからもう一度口を開いた

「執務室で半泣きになっている伯爵を問いつめても情報が得られず、諦めて会計監査院の庁舎に戻ると喜美子きみこ内天王殿下が直々に私の元までお越しになったのです」
「え?そんなまさか。お住いの六花宮殿からほとんど外出されず過ごされていて、私も数回しか拝謁したことがないと言うのに」

 弥勒院侯爵は信じられなかった
 喜美子内天王は蒼士の叔母に当たる人物で生粋の大天族である。彼女は蒼士が第一天子として第二天子の桃子と帝位継承争い繰り広げていた時に唯一蒼士を支持すると宣言しており、朝廷での現在の影響力は帝室最高齢の里子内天王をも上回ると言われている。喜美子を除く帝室の面々は帝位継承争いに全く干渉せず、沈黙を貫いていたのだ。

「僕も驚きました。内天王殿下は年明けまで待てとだけ仰って宮に戻っていかれました」
「……殿下がそんなことを」

 弥勒院侯爵は意外に思った。
 喜美子内天王はほとんど外出をせずに六花りっか殿でんと呼ばれる中央宮殿より北に位置する宮殿で過ごしている。そして殆どの大天族が政治に介入し、大きな権限を持つが彼女は内天王という生まれながらに持つ称号意外に特に政治的な権限を保持していない。それは本人が政に興味が無いとも言われているが真相は本人にしか分からない

「それで結局、公爵閣下は何故こちらに……?調べた末に内天王殿下がそう仰られたのであればこれ以上深堀せず、静観の姿勢で時を待つのが臣下の勤めではありませんか?」
「それはそうなのですが、陛下の側近であり穏健派筆頭の貴方であれば何か知っているかと思って」
「はぁ……」

 侯爵はため息をついて目の前の青年を見た。横畠家が由緒正しい古き純血の一族だとしても彼はそれを背負うにはあまりにも若いようだ。大天族が発した言葉の重みを理解していない。会計監査院をこの年齢で統率する手腕は評価されるべきものだが、内天王の「待て」という一言を無視し、独断で探りを入れるような者は朝廷では淘汰される

「閣下は内天王殿下がわざわざ会計監査院に足を運んでまで伝えてくださった御言葉を無下にするおつもりか?」
「え、いや、そんなつもりは全く」
「閣下の今されている言動は喜美子内天王殿下の名誉を傷つける行為です。内天王殿下は恐らく会計監査院の名誉のために動かれたのですよ」
「……それはどういう意味でしょうか?」
「やむを得ないとはいえ今回のように中途半端な状態で調査を終えれば会計監査院に不満を持つ者達に付け入るすきを与え、もし報道でもされれば朝廷の信頼に傷が付きます。しかし、内天王殿下が自らが赴き、御言葉を伝えることで会計監査院と院長である閣下の名誉を守ったのですよ」
「……」
 (これは暫く慰めが必要かな)

 弥勒院侯爵は若かりし頃の自分の姿と目の前の公爵という大きな役目を背負った青年をかさね、深くため息をついたのだった
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