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12.ともだち
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春先が迫る前に、男は教会に行き、サーラに面会を求めた。
ちょうど厨房にいたサーラは裏口の水場にかかるひさしの下で男と顔を合わせた。
「すまないが、もう家には来ないで欲しい」
サーラは衝撃を受けたように表情を強張らせた。
「あなたは、私の悲しみを癒し、心に寄り添ってくれた。あの子にも、たくさん慰めてもらった。少しでも恩返しをしたいと思っているだけ」
それが上辺だけの言葉であることを男は確信していた。
「息子が、母親より君になついてしまうのは困る」
それこそ狙いであったが、サーラはその心を隠そうと俯いた。
「うまくいっていないと聞いているわ。ルカだって可哀そうよ。お母さんとも呼べない人が母親なんて」
優しい女性にルカはすっかり懐柔され、心の内だけでなく、家族の内情をぺらぺらと明かしてしまっていたのだ。
母親に飢えていたルカが望む理想の母親を演じるのはサーラにとって簡単だった。
「春先になれば迎えがくる。父も従業員も亡くしたけれど、母は裕福な家の出身で、まだ大きな店を持っているの。もし、あなたが望むなら都会の暮らしが出来る。お店も大変だと聞いているわ」
華やかな町での生活が捨てられず、女を孕ませて逃げた苦い過去が蘇り、男は表情を曇らせた。
「確かに息子と母親はうまくいっていないかもしれない」
「あなたとも、口をきいている姿を見たことがない」
サーラはすかさず付け足した。それはその通りであり、男も仕方なく頷いた。
「だとしても、彼女は息子の母親で、俺の子供を産んでくれた人だ。それに、彼女が受け入れてくれなくても、俺は彼女を大切に思っている。
悲しみに寄り添ってくれた人に惹かれることもあるが、いつか必ず目が覚める。あなたは素敵な女性だ。
一緒に未来を生きてくれる人が見つかるはずだ」
「あなたが好きなの」
本心を明かしたサーラに、男は苦い顔をした。
「俺には好きな女性がいる。息子を生んでくれた女性だ」
本当の愛なのかそれとも、悲しみを癒してくれる人に甘えているだけなのか、男自身もわからなくなったことがあった。
愛ではないと思い、一度は女の家から出て行った。男にはそれができたが、女には逃げ場はなかった。
子供をおろすことなく生み、不器用ながらも息子を一年育てた。
逃げることなく、地に足を付けて必死に生きる女の姿に感化され、男も誠実に自分のしたことに向き合うことに決めたのだ。その覚悟と共に、ちゃんと気持ちも育っている。
「俺は……あなたの好意に相応しくない。幸い息子は良い子に育ってくれているが、俺は……結婚もせず女に子供を産ませ、その裏で他の女性と結婚したような男だ。
それも失敗して逃げ帰ってきた。そんな身勝手な俺を、彼女は何も言わずに受け入れてくれた。
俺は、そんな彼女に相応しい人間になれるように努力しているだけだ」
ショックを受けたようにサーラは黙ったが、すぐに口を開いた。
「あなたも、大切な人を失ったと聞いたわ」
「悲しみに流された。慰めてくれた人に甘えて、自分を見失った。君は、外に目を向けるべきだ」
サーラの周りには、父親に追従するような使用人たちばかりであったし、彼らの中に、家族を守る気概のある父親のような強さを見出すことは出来なかった。
父親を失ったサーラには、家族を支えようと、足を踏みしめ頑張っている男が魅力的に見えて仕方がなかった。
同時に、家族の世話を放置し、自分の世界に没頭している棺桶職人の女に許せない想いを抱いていた。
「でも、彼女だってあなたに相応しくない。あなたは努力しているのに、彼女は協力しようともしない。私の方があなたに寄り添える!」
「春になれば、君の考えは変わる。故郷から立派な馬車が迎えに来て、この生活が不便なものであったことを思い知る」
「もし、心が変わらなかったら?」
わずかな希望を込めてサーラは男を見上げた。
「俺には無理だ」
雪解けの水がぽたぽたと屋根から伝い落ち、ぬかるんだ地面の上にしぶきが跳ねている。
男はサーラに背中を向け、その滴る水の中をくぐってひさしの外に出た。
雪解けの水が止まったのはその日の夕方で、凍てついた冬の空気が静かに教会の敷地を包み込んだ。
温かな暖炉の火に照らされ、パトを抱いて息子が眠ると、男はその体を抱き上げ部屋に連れていった。
パトもついてきて寝台の中で一緒にならんで寝そべった。
屋外の見回りと戸締りを終え、男は静かに寝室に入った。
窓辺の寝台に女が背中を向けて横になっている。
その隣に体を横たえ、男は女の背中を抱きしめた。
「エリン、君が欲しい」
そっと力をかけて肩を引き寄せ、仰向けにすると、女は閉じていた瞼をぼんやりと開けた。
その頬を抱き、男は唇を重ねた。
抵抗もなく、それを受け入れた女は、不安そうに瞳を揺らす。
月明りを跳ね返す雪明りに浮かび上がる女の顔を確かめ、男は前を閉じたシャツの紐に手をかけた。
痩せた体にはちゃんと二つの膨らみがついている。
震える体を素早く熱い体で覆い、肌をこすりつけて体温を混ぜ合わせる。
「温かくないか?」
頬を擦り付け、体をなぞりながらズボンの中に手を入れる。
肌と肌を触れ合わせ、男は長い間、女の体を触っていた。
ただ体温を感じ合うだけでも気持ちが良かった。
そのまま、何もせず終わろうとした時、男は頬に触れた手が濡れていることに気が付いた。
冷たい女の体は男の体に包まれ、温かく火照っている。
青白い外からの光で肌の色まではわからなかったが、その頬も熱を持っていた。
煌めく銀色の瞳が濡れている。
「エリン……」
込み上げる愛しさのまま、男は涙の伝う女の頬に口づけをした。
しなやかな細い体を抱きしめ、無数の口づけの雨を降らせ、その耳にしゃぶりついた。
「エリン……愛している」
初めて口にした言葉だったが、それは感情に任せたものでもなかった。
ここまで、男は少しずつその気持ちを育てていた。
会話もないような関係でも、女の背中を見つめ続けてきた。
何か大きな痛みを抱えている女性だということもわかっている。
自身も大きな傷を抱えながら、男を慰めてくれた女性だった。
「今まで、すまなかった。そして、ありがとう」
息子だけでも手元に残ったのは幸いだった。娘に関しては何も言えない。
男は何もしなかったのだから。
たった一人で仕事を抱え、女は最善の選択をしたのだ。
女は抵抗もしなければ、微笑みもしなかった。
ただ男の体を受け入れたのだ。
濡れていない秘芯に指を優しく入れてほぐしながら、男はゆっくり体を重ねた。
優しく、精一杯の愛おしさを込めて男は腰を揺らした。
甘い吐息もなく、ただ、衝撃に耐えるだけの息遣いが続き、気づけば気を失ったように女は眠っていた。
魂の充足感が得られたわけではなかったが、男は女を腕に抱いて横になった。
何が変わったわけでもなかったが、息子は父親の変化を敏感に感じ取った。
サーラは訪ねてこなくなり、男はどこか熱い眼差しで女を見つめるようになった。
息子は面白くなかった。
周りは大人ばかりで、息子はどれだけ優しくされても結局その世界に入っていけない。
冬の間は教会の学校ですらお休みで、友達と遊ぶ機会もなかった。
雪解けが始まったある日、息子は緑トカゲに乗って、気晴らしに遠出をした。
町にある店から郊外の訓練用の厩舎があるところまで駆けて行き、それから、西砦のある広々とした平原を駆けた。
湿地帯に繋がる道を逸れ、木立を抜けて丘にあがる。
寒さに少しずつ慣れてきた緑トカゲのパトは忠実に主人の命令に従った。
枝に積もった雪がぼたぼた落ちてくるような木立の陰にパトを休ませ、息子は遠くの景色を眺めた。
国境には長く巨大な壁が建設されている。
その手前には立派な砦があり、その周囲を石造りの門付きの屋敷が囲んでいる。
その一番外側に立ち並ぶ家々は、国境付近を守る下級騎士達の住まいだった。
最初に通っていた寮付きの学校は、下級騎士の家の子供も多く、成績優秀者は無償で騎士学校に進学が認められた。
階級は落ちるが、軍学校に進学することも可能だった。
文官になる道は閉ざされるが、稼ぎの良い仕事について父親に仕送りすることだって出来た。
学校を諦めた時は不満だったが、今はそうでもないことに息子は気が付いた。
立派な服を着て馬に乗った友人たちの姿には嫉妬をしたが、父親の傍は嫌ではなかった。
頭を撫でて褒めてもらえるし、毎日食事時には、今日はどんな一日だったのかと話を聞いてくれる。
些細なことから、くだらないウィルの笑い話まで、どんどん父親に話したくてたまらなくなる。
寮にいた頃は家族との生活を諦めているところがあったが、今は、父親がいるのなら墓の家も悪くないと思える。
ただ一つ、不満があるとすれば、父親の関心が息子を嫌っている母親に向いていることだ。
空気のようにそこにいるだけの人なのに、父親は生みの母親を大切にするようにと息子に諭してくるのだ。
「あの人は、怖いからあまり好きじゃない」
父親のいるところでは言えないことを、思わず声に出してしまい、息子は慌てて周りを見回した。
パトが何か指示をされたのかと勘違いし、傍にきてぺろりと長い舌で息子の頬を舐めた。
ほっとして、その首を抱きしめた時、背後でばさっと雪が枝から落ちる音がした。
町の郊外には野党も出ると聞く。
すぐに逃げられるように、息子はパトの手綱を掴んで振り返った。
再び、ばさばさと雪が落ちる音がして、その木立の下から息子と同じぐらいの背丈の少年が現れた。
頭に雪の塊を乗せている。
それを手で払いのけながら、照れくさそうな笑みを浮かべ、少年はルカに視線を向けた。
「ルカ、やっぱり君だ。久しぶり」
いかにも育ちの良さそうな整った顔立ちの少年が近づいてきた。
「レオ!」
それは、寮学校時代の友人だった。
息子はレオが貧しい下級騎士の長男だったことを思い出した。
経済的には二人は似たような状況であり、なんとなく一緒に過ごすことが多かった。
しかし学費が上がる時に、レオは軍学校へ進んだのだ。
「君の家はこの辺?」
レオは丘に登ってくると、馬を木立の枝に繋ぎ、先ほどまで息子が座っていた場所に腰をおろした。
「その、緑トカゲはルカの?」
突然の旧友の登場に、驚いていた息子は、落ち着かない様子でレオの隣に座った。
パトはあらためてルカの膝に頭を乗せる。
その鼻先を撫でながら、息子は前を向いた。
「家は反対側の教会のある方だよ。父さんの店は門の近く。この近くには緑トカゲの調教用の厩舎があるんだ。冬の間も管理が必要だから時々見に来ている」
「へぇ。父親の仕事を手伝っているなんて、偉いね」
まるで感情の伴っていない声音だったが、レオは親し気に笑ってみせた。
「緑トカゲは貧乏人の乗り物だって聞くけど、近くで見たら可愛いね」
「少ないけど馬もいるよ。馬車を引かせるためには必要だからね」
「噛みつかないの?馬は高いから、町の人間は魔獣しか使えないって父さんが言っていた」
どこか棘のある言い方だったが、息子は気にしなかった。下級騎士であれば、身分は息子より上であり、旧友だからといって、対等に口をきいていいものなのかもわからない。
レオが気を使って昔のように話しかけてくれているのだろうと思い、息子もなんとなく昔と同じ口調で話しを続けた。
「危険な生き物ではあるよ。弱いけど牙に毒がある。少しの間麻痺が残るから、飼育には国の許可証が必要なんだ。貸し出す個体は毒を抜いているけど、念のために注意事項を書いた紙に署名をしてもらう。
その、レオ、君はどう?学校は今休み?」
「俺は……まぁうまくいっているよ。春先に大会があるから、朝から晩まで剣の訓練ばかりだ」
覚えているレオは、剣の訓練より本を読むことの方が好きだった。
息子は小さくため息をついた。
「そっか……。思うようにいかないことばかりだな」
互いに顔を見合わせ、息子とレオはくすりと笑った。
雪を溜め込んだ灰色の空は、夕暮れまでそのままだった。
ちょうど厨房にいたサーラは裏口の水場にかかるひさしの下で男と顔を合わせた。
「すまないが、もう家には来ないで欲しい」
サーラは衝撃を受けたように表情を強張らせた。
「あなたは、私の悲しみを癒し、心に寄り添ってくれた。あの子にも、たくさん慰めてもらった。少しでも恩返しをしたいと思っているだけ」
それが上辺だけの言葉であることを男は確信していた。
「息子が、母親より君になついてしまうのは困る」
それこそ狙いであったが、サーラはその心を隠そうと俯いた。
「うまくいっていないと聞いているわ。ルカだって可哀そうよ。お母さんとも呼べない人が母親なんて」
優しい女性にルカはすっかり懐柔され、心の内だけでなく、家族の内情をぺらぺらと明かしてしまっていたのだ。
母親に飢えていたルカが望む理想の母親を演じるのはサーラにとって簡単だった。
「春先になれば迎えがくる。父も従業員も亡くしたけれど、母は裕福な家の出身で、まだ大きな店を持っているの。もし、あなたが望むなら都会の暮らしが出来る。お店も大変だと聞いているわ」
華やかな町での生活が捨てられず、女を孕ませて逃げた苦い過去が蘇り、男は表情を曇らせた。
「確かに息子と母親はうまくいっていないかもしれない」
「あなたとも、口をきいている姿を見たことがない」
サーラはすかさず付け足した。それはその通りであり、男も仕方なく頷いた。
「だとしても、彼女は息子の母親で、俺の子供を産んでくれた人だ。それに、彼女が受け入れてくれなくても、俺は彼女を大切に思っている。
悲しみに寄り添ってくれた人に惹かれることもあるが、いつか必ず目が覚める。あなたは素敵な女性だ。
一緒に未来を生きてくれる人が見つかるはずだ」
「あなたが好きなの」
本心を明かしたサーラに、男は苦い顔をした。
「俺には好きな女性がいる。息子を生んでくれた女性だ」
本当の愛なのかそれとも、悲しみを癒してくれる人に甘えているだけなのか、男自身もわからなくなったことがあった。
愛ではないと思い、一度は女の家から出て行った。男にはそれができたが、女には逃げ場はなかった。
子供をおろすことなく生み、不器用ながらも息子を一年育てた。
逃げることなく、地に足を付けて必死に生きる女の姿に感化され、男も誠実に自分のしたことに向き合うことに決めたのだ。その覚悟と共に、ちゃんと気持ちも育っている。
「俺は……あなたの好意に相応しくない。幸い息子は良い子に育ってくれているが、俺は……結婚もせず女に子供を産ませ、その裏で他の女性と結婚したような男だ。
それも失敗して逃げ帰ってきた。そんな身勝手な俺を、彼女は何も言わずに受け入れてくれた。
俺は、そんな彼女に相応しい人間になれるように努力しているだけだ」
ショックを受けたようにサーラは黙ったが、すぐに口を開いた。
「あなたも、大切な人を失ったと聞いたわ」
「悲しみに流された。慰めてくれた人に甘えて、自分を見失った。君は、外に目を向けるべきだ」
サーラの周りには、父親に追従するような使用人たちばかりであったし、彼らの中に、家族を守る気概のある父親のような強さを見出すことは出来なかった。
父親を失ったサーラには、家族を支えようと、足を踏みしめ頑張っている男が魅力的に見えて仕方がなかった。
同時に、家族の世話を放置し、自分の世界に没頭している棺桶職人の女に許せない想いを抱いていた。
「でも、彼女だってあなたに相応しくない。あなたは努力しているのに、彼女は協力しようともしない。私の方があなたに寄り添える!」
「春になれば、君の考えは変わる。故郷から立派な馬車が迎えに来て、この生活が不便なものであったことを思い知る」
「もし、心が変わらなかったら?」
わずかな希望を込めてサーラは男を見上げた。
「俺には無理だ」
雪解けの水がぽたぽたと屋根から伝い落ち、ぬかるんだ地面の上にしぶきが跳ねている。
男はサーラに背中を向け、その滴る水の中をくぐってひさしの外に出た。
雪解けの水が止まったのはその日の夕方で、凍てついた冬の空気が静かに教会の敷地を包み込んだ。
温かな暖炉の火に照らされ、パトを抱いて息子が眠ると、男はその体を抱き上げ部屋に連れていった。
パトもついてきて寝台の中で一緒にならんで寝そべった。
屋外の見回りと戸締りを終え、男は静かに寝室に入った。
窓辺の寝台に女が背中を向けて横になっている。
その隣に体を横たえ、男は女の背中を抱きしめた。
「エリン、君が欲しい」
そっと力をかけて肩を引き寄せ、仰向けにすると、女は閉じていた瞼をぼんやりと開けた。
その頬を抱き、男は唇を重ねた。
抵抗もなく、それを受け入れた女は、不安そうに瞳を揺らす。
月明りを跳ね返す雪明りに浮かび上がる女の顔を確かめ、男は前を閉じたシャツの紐に手をかけた。
痩せた体にはちゃんと二つの膨らみがついている。
震える体を素早く熱い体で覆い、肌をこすりつけて体温を混ぜ合わせる。
「温かくないか?」
頬を擦り付け、体をなぞりながらズボンの中に手を入れる。
肌と肌を触れ合わせ、男は長い間、女の体を触っていた。
ただ体温を感じ合うだけでも気持ちが良かった。
そのまま、何もせず終わろうとした時、男は頬に触れた手が濡れていることに気が付いた。
冷たい女の体は男の体に包まれ、温かく火照っている。
青白い外からの光で肌の色まではわからなかったが、その頬も熱を持っていた。
煌めく銀色の瞳が濡れている。
「エリン……」
込み上げる愛しさのまま、男は涙の伝う女の頬に口づけをした。
しなやかな細い体を抱きしめ、無数の口づけの雨を降らせ、その耳にしゃぶりついた。
「エリン……愛している」
初めて口にした言葉だったが、それは感情に任せたものでもなかった。
ここまで、男は少しずつその気持ちを育てていた。
会話もないような関係でも、女の背中を見つめ続けてきた。
何か大きな痛みを抱えている女性だということもわかっている。
自身も大きな傷を抱えながら、男を慰めてくれた女性だった。
「今まで、すまなかった。そして、ありがとう」
息子だけでも手元に残ったのは幸いだった。娘に関しては何も言えない。
男は何もしなかったのだから。
たった一人で仕事を抱え、女は最善の選択をしたのだ。
女は抵抗もしなければ、微笑みもしなかった。
ただ男の体を受け入れたのだ。
濡れていない秘芯に指を優しく入れてほぐしながら、男はゆっくり体を重ねた。
優しく、精一杯の愛おしさを込めて男は腰を揺らした。
甘い吐息もなく、ただ、衝撃に耐えるだけの息遣いが続き、気づけば気を失ったように女は眠っていた。
魂の充足感が得られたわけではなかったが、男は女を腕に抱いて横になった。
何が変わったわけでもなかったが、息子は父親の変化を敏感に感じ取った。
サーラは訪ねてこなくなり、男はどこか熱い眼差しで女を見つめるようになった。
息子は面白くなかった。
周りは大人ばかりで、息子はどれだけ優しくされても結局その世界に入っていけない。
冬の間は教会の学校ですらお休みで、友達と遊ぶ機会もなかった。
雪解けが始まったある日、息子は緑トカゲに乗って、気晴らしに遠出をした。
町にある店から郊外の訓練用の厩舎があるところまで駆けて行き、それから、西砦のある広々とした平原を駆けた。
湿地帯に繋がる道を逸れ、木立を抜けて丘にあがる。
寒さに少しずつ慣れてきた緑トカゲのパトは忠実に主人の命令に従った。
枝に積もった雪がぼたぼた落ちてくるような木立の陰にパトを休ませ、息子は遠くの景色を眺めた。
国境には長く巨大な壁が建設されている。
その手前には立派な砦があり、その周囲を石造りの門付きの屋敷が囲んでいる。
その一番外側に立ち並ぶ家々は、国境付近を守る下級騎士達の住まいだった。
最初に通っていた寮付きの学校は、下級騎士の家の子供も多く、成績優秀者は無償で騎士学校に進学が認められた。
階級は落ちるが、軍学校に進学することも可能だった。
文官になる道は閉ざされるが、稼ぎの良い仕事について父親に仕送りすることだって出来た。
学校を諦めた時は不満だったが、今はそうでもないことに息子は気が付いた。
立派な服を着て馬に乗った友人たちの姿には嫉妬をしたが、父親の傍は嫌ではなかった。
頭を撫でて褒めてもらえるし、毎日食事時には、今日はどんな一日だったのかと話を聞いてくれる。
些細なことから、くだらないウィルの笑い話まで、どんどん父親に話したくてたまらなくなる。
寮にいた頃は家族との生活を諦めているところがあったが、今は、父親がいるのなら墓の家も悪くないと思える。
ただ一つ、不満があるとすれば、父親の関心が息子を嫌っている母親に向いていることだ。
空気のようにそこにいるだけの人なのに、父親は生みの母親を大切にするようにと息子に諭してくるのだ。
「あの人は、怖いからあまり好きじゃない」
父親のいるところでは言えないことを、思わず声に出してしまい、息子は慌てて周りを見回した。
パトが何か指示をされたのかと勘違いし、傍にきてぺろりと長い舌で息子の頬を舐めた。
ほっとして、その首を抱きしめた時、背後でばさっと雪が枝から落ちる音がした。
町の郊外には野党も出ると聞く。
すぐに逃げられるように、息子はパトの手綱を掴んで振り返った。
再び、ばさばさと雪が落ちる音がして、その木立の下から息子と同じぐらいの背丈の少年が現れた。
頭に雪の塊を乗せている。
それを手で払いのけながら、照れくさそうな笑みを浮かべ、少年はルカに視線を向けた。
「ルカ、やっぱり君だ。久しぶり」
いかにも育ちの良さそうな整った顔立ちの少年が近づいてきた。
「レオ!」
それは、寮学校時代の友人だった。
息子はレオが貧しい下級騎士の長男だったことを思い出した。
経済的には二人は似たような状況であり、なんとなく一緒に過ごすことが多かった。
しかし学費が上がる時に、レオは軍学校へ進んだのだ。
「君の家はこの辺?」
レオは丘に登ってくると、馬を木立の枝に繋ぎ、先ほどまで息子が座っていた場所に腰をおろした。
「その、緑トカゲはルカの?」
突然の旧友の登場に、驚いていた息子は、落ち着かない様子でレオの隣に座った。
パトはあらためてルカの膝に頭を乗せる。
その鼻先を撫でながら、息子は前を向いた。
「家は反対側の教会のある方だよ。父さんの店は門の近く。この近くには緑トカゲの調教用の厩舎があるんだ。冬の間も管理が必要だから時々見に来ている」
「へぇ。父親の仕事を手伝っているなんて、偉いね」
まるで感情の伴っていない声音だったが、レオは親し気に笑ってみせた。
「緑トカゲは貧乏人の乗り物だって聞くけど、近くで見たら可愛いね」
「少ないけど馬もいるよ。馬車を引かせるためには必要だからね」
「噛みつかないの?馬は高いから、町の人間は魔獣しか使えないって父さんが言っていた」
どこか棘のある言い方だったが、息子は気にしなかった。下級騎士であれば、身分は息子より上であり、旧友だからといって、対等に口をきいていいものなのかもわからない。
レオが気を使って昔のように話しかけてくれているのだろうと思い、息子もなんとなく昔と同じ口調で話しを続けた。
「危険な生き物ではあるよ。弱いけど牙に毒がある。少しの間麻痺が残るから、飼育には国の許可証が必要なんだ。貸し出す個体は毒を抜いているけど、念のために注意事項を書いた紙に署名をしてもらう。
その、レオ、君はどう?学校は今休み?」
「俺は……まぁうまくいっているよ。春先に大会があるから、朝から晩まで剣の訓練ばかりだ」
覚えているレオは、剣の訓練より本を読むことの方が好きだった。
息子は小さくため息をついた。
「そっか……。思うようにいかないことばかりだな」
互いに顔を見合わせ、息子とレオはくすりと笑った。
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