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蜘蛛の処刑台
123. 過去と未来の場所
しおりを挟むおいおい、積み上げ方が雑じゃねえ?
食材だけでなく物資も入っていそうな、箱や荷袋が乱雑に積み上げられている。
上のほうが不安定じゃねーかよ。
護衛騎士達も気になったようで、警戒しながら進んでいく。責任者はどこかと声をかけていた。
突然、真横から悲鳴があがった。
―――馬が突進してきたのだ。
誰も乗っていない裸馬が数頭。口から泡を吹いている。
混乱が生じた。全員なんとか馬を避けたが、避けているうちに一瞬、俺は一人になっていた。
まずい、と直感した。俺のすぐ背後では一頭の馬が積み上がった荷の山に激突し、前方の騎士との間にはわずかな空間ができていた。別の馬を避ける時に、俺が咄嗟に後退したからだ。
荷がぐらつく。俺の脳裏に、ブルーノ父の死因がよぎる。巻き戻り前の彼は、俺が嫌がらせで爆買いした荷の下敷きになって命を落とした。
早くこの場から逃げなければ。
「―――」
「あ……」
子供と目が合った。尻餅をついて動けないようだ。
俺はそこから退避すべきだった。もしくはその子に駆け寄り、抱えて逃げれば、あるいは。
一秒あるかないかの判断で、その子の前で壁になった。重い荷が降りかからないように。誰だこのクソ重い荷をこんな積み方しやがったのは。
ドン。
下腹に衝撃があった。
薄汚れた格好の男が、俺の腹に飛び込んできたのだ。
そいつとも目が合った。
髭が伸び、人相がだいぶ変わっているが、目は変わらない。
厭らしい濁った目だ。
俺が今日この炊き出しに来ることは公表していなかった。俺の姿をひと目見ようと領民が駆けつけ、ぎゅうぎゅうに集中してしまうことがたびたびあるからだ。
落ちぶれてから時々、ここを利用していたのだろうか。それとも俺が来るのをずっと待っていた?
―――馬が。こいつ一人の犯行じゃない。協力者がいるな。
深々と突き刺さっていたナイフが抜かれた。赤い。
熱がそこからどんどん逃げていく。
視界がぐるりと回転し、黄色や紫、濁った何色かに変色してゆく。
「きゃああああ!?」
「きさま!!」
「なんてことを!!」
「この野郎!!」
「取り押さえろ!!」
あちこちから飛ぶ怒号。あっという間に騎士が男を取り押さえている。領民が崩れそうな荷を押さえ、その間に親だろうか、子供を安全な場所に抱きかかえて行ってくれた。
俺を引きずってその場から移動させてくれたのは……アレッシオか。
おそらく一分もない間の出来事。
愕然とした彼の顔の向こうに、空が見える。
ああまさか、これで終わるのか。こんなことで。こんな場所で。
おまえの顔に触れたいのに、指が震えて動かない。どんどん寒くなっていく。おまえ達には笑顔を見せて終わりたかったのに、表情ももう自由にできないんだ。
腹から命が溢れ落ち、ひたひたと背中を濡らしていく感触。
「ぎゃっははははぁ、やってやった、やってやったぞ!! フェラーンド!! てめぇのお望み通り、やってやったぜくそったれがぁ!! どうだ嬉しいか!? この俺を使い潰して捨て駒にしようったってそうはいかねぇぞ!! てめぇも一緒に地獄に落ちやがれ!! てめぇも同罪だ!! てめぇもガキもこの俺をバカにしやがって!! 畜生!! 畜生が……!!」
……あ。いい感じに自白してくれている?
その調子でたっぷり喋って、皆の手間を省いてくれよ……。
暗転した。
■ ■ ■
……
…………
ここは、どこだろう。
真っ暗だった。音もない。
いや、俺は道の上に立っていた。のっぺりと石もくぼみもない、綺麗に均された道だ。
俺の立つ道の前方、ずっと先には光が見える。
明るくて綺麗な光だ。
これは……殺られちまったか。
ナイフの長さ。刺さった位置。内臓を刃物が貫き通る感覚。
致命傷だ。
こんなのってありか……。
コンビニ前でたむろする不良の少々お下品な座り方を真似てみた。煙草をよこせ、吸わねぇけどよ。迷惑な客だな。カッコつけたきゃシガーチョコでも食っとけ。
しかし慣れない姿勢はだんだんバランスを取るのが難しくなってきて、仕方なくあぐらをかいた。
『俺』の近所でいわゆるヤンキー座りをあまり見かけなくなったのは、足がしびれるからって聞いたけどほんとかな。
どうでもいいな。
ガックリと項垂れた。
こんなのってありか。
こんなのってありか。
せっかく、せっかく、最後まできっちり生き切ってやるぜと決意してたのに。
しかも、あのむかつく元料理長に強制終了させられるとは。
狂った喚き声の内容からして、俺の始末をフェランドの野郎に押し付けられたか。
命じられたタイミングは、王都に行った時かな。
もう一度料理長として雇って欲しいんなら、役に立てとでも言われたか?
今の俺にそれを実行したら、どうあっても有罪になることぐらい、元料理長の頭でもピンときただろう。でもフェランドは、その上でやれと言った。約束なんざ守る気もなく、捨て駒にする気満々だったってことだ。
そして相手には、それがわかる脳みそはないと舐めてかかった。もしくは自分が犠牲になってでもご主人様である自分を守るべきだ、とか思ったのか?
……なんて。
もう俺があれこれ思い巡らせたって、意味はない。
ごめん、アレッシオ。ごめん、みんな。
こんな終わり方をする気はなかったんだ。
こんな後味の悪い終わり方をして、おまえ達の記憶に影を落としたくなんてなかったんだよ……。
「おう。ヘコんでんな~」
……!
道の外側、足元の見えない黒い空間に、白い毛玉がちょこんと座っている。
薄氷色の瞳を細め、「よ!」と片前足を上げた。
子猫は平気でそこに居るが、俺がそちらへ行くのは危険な気がした。なんとなく、この道を外れるのはやめたほうがいい感じがする。
それはそうと、もふっていい?
「ここは心象風景っつーか、狭間の空間つーか、そういう場所だから撫でたって感触はないぞ? 重力もあるような感じがしてるだけで、実際はないからな?」
それでもいい。撫でたい。
「なんで」
決まっている。そこに子猫がいるからだ……!
「おま、ブッ刺されても変わんニャイのな……」
ああ、子猫の半眼がキュートだわ。
だって、こういう時は視覚情報だけでもいいから癒やされたいんだよ。あんな身勝手仲良し似た者主従のせいで、こんな不条理で中途半端な終わり方をさせられたのかって思うとさ。
「まぁな。努力は報われず、真心は届かず、志のある者を志の無い者が破壊し、無能な悪党が嘲笑しながら幸せにのさばり続ける。よくある出来事、よく見る光景、様式の一種だ。それを気に入らないと叫ぶ奴は、大抵バカを見る」
そうだな。俺は不条理を不条理だって言い続けて、納得いかねぇって文句を言い続けてきたから、今こうしてバカを見ているんだろう。
「卑下するこたぁないぞ。おまえはうまくやってたじゃん。要は言い方、叫び方を工夫すりゃ、案外いいトコまでいけるってこった。清廉潔白な善人ってやつぁ、そこんとこでうまくやれねーヤツが多いのよ。……と、そろそろ時間だ。もう行きな。あんま長居していいトコじゃないからな」
おまえは一緒に行かないのか?
「僕はあとでな」
ん、わかった。ちゃんと来てくれるんならいいか。
俺は立ち上がった。そして、目の前のずっと向こうで輝いている光に向けて……
「おいおい、違うぞ。おまえはそっちじゃない。あっちだ」
え?
子猫に示された方向は、俺の背後だった。
そっちは全然見ていなかったけれど……道はなんだかデコボコだし、暗くね? つうか、奥に行くほど真っ暗なんだけど。なんか怖いし。
あー……そうか。俺の進む方向はこっちなんだな。わかったよ。道を外れないようにだけ気を付けていこう。
なあ、おまえもあとから来てくれるんだよな?
「あとでな」
わかった。……じゃあ、行くか。
最期に、アレッシオにキスしてもらいたかったな、なんて思ったりしなくもないけど。
現実世界じゃないのに、ほんの少し胸がツキンと痛み、俺は苦笑を浮かべて背後の闇に歩き始めた。
■ ■ ■
「……ふむん。ちょいぎりぎりだったか」
子猫はクンクン鼻をひくつかせると、立ち上がって伸びをし、ぴるる、と震えた。
そうして、光の方角をじ、と見つめる。
荷崩れが起き、子供と目の合う光景。
過去の『シナリオ』を読んで衝撃を受ける光景。
愛しい者に貪られ、歓びに震える光景。
嵐が過ぎ去るまで耐え続ける光景。
館のあるじが交代し。
豪華絢爛な祭りに参加し。
予定以上に伸びた背丈に驚き。
ヒロインの転落を眺め。
一人、また一人と友人を、仲間を増やし。
事故のように恋に堕ちて。
かつて虐げた継母と義弟との仲を修正し。
己が断罪に追いやられた真実を悟り。
まだ何も知らない我が儘坊やとして翻弄され。
美しい女が、我が子を愛しげに抱いている。
鮮明に、くっきりと像を描ける光景。それは近いほど確かな形をもって目の前にあり、光の奥に進むほどぼやけ、そして最後には何もない。
先のない行き止まりの道。
それは、過去だ。
何も見えぬ闇の中を、足元の不安に苛まれながら慎重に進み続け、これでいいのかと苦悩し、もがきながら手探りをして、そうして掴み取るがいい。
未来を。
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