転生ジーニアス ~最強の天才は歴史を変えられるか~

普門院 ひかる

文字の大きさ
199 / 215
第5章 皇帝編

第181話 同盟の失敗 ~アッバース朝の命脈~

しおりを挟む
 マムルーク朝の地方統治もだいぶ安定してきた。
 これを踏まえ、フリードリヒはカイロを訪れ、シャジャルに言った。

「地方都市の統治もだいぶ安定してきたので、駐留軍については、暫時削減していこうと思う」
「そうね。それが良いと思うわ」

「だが、アレッポとダマスカスについては、軍事顧問を駐留させることにする」

「確かに、駐留軍は撤退したとしても、監視・監督役はおいた方が無難化もしれないわ。でも、危険も伴う任務よ。適任者はいるの?」
「アビゴール配下の悪魔を駐留させようと思う。悪魔ならば、そう簡単に人族に出し抜かれることもあるまい」

「そう。ならば安心ね」

 そこでフリードリヒは話題を変える。

「ところで、対モンゴル帝国の最前線はアッバース朝だ。そういう意味ではアッバース朝に踏ん張ってもらってモンゴル帝国をはね返してもらえれば、これに越したことはない。
 そこでアッバース朝と軍事同盟を締結できないかと思うのだが、いかがか?」
「アッバース朝のムスタアスィムは信仰心にあつい温厚な人物ではあるけれど、吝嗇りんしょくで、優柔不断なところがあると聞くわ。私の即位の時も圧力をかけてきたし、成功する可能性は低いと思うわ」

「確かにそれもそうだろう。だが、ダメ元でもやってみる価値はあるだろう。そんなダメ君主に統治されるアッバース朝の民も哀れだしな」
「まあ、あなたも人が良いわね…交渉をすること自体はかまわないわ」

「だが、異教徒の神聖ローマ帝国が前面に出るのは難しい。マムルーク朝のしかるべき者を前面に立て、それに神聖ローマ帝国の使者が随従する形が良いと思うが…」
「そうね…アイバクは武闘派なところがあるから、経験豊富なアクターイが適任と思うわ」

「わかった。神聖ローマ帝国からは外務卿のミュラー卿を出そう。まずは宰相イブン・アルアルカミーと交渉するのがいいだろうな」
「確かに、相手が相手だけにカリフよりも宰相から懐柔するのが良いと思うわ」

「では、そういうことで…」

    ◆

 ムスタアスィムの父ムスタンスィル・ビッラーは、モンゴル帝国の進出がイラクにまで広がるようになり、対モンゴル戦を聖戦ジハードとして戦おうとしたが、その用意を整えている大事なときになって急死した。

 彼の死後、勇敢な性格であるムスタンスィルの弟ハファージーをうとんだ廷臣たちによって、ムスタアスィム・ビッラーがカリフに擁立された。
 廷臣たちは、より懐柔しやすい君主を望んだのであろうが、それは失敗だったと言わざるを得ない。

 ムスタアスィムは、信仰心にあつい温厚な人物であり、書道もたしなんだ。しかし、体力、忍耐力、思考力といった指導者に必要な資質に欠け、国政は平民から取り立てた側近たちに一任し、自らは娯楽と読書にふけっていた。

 しかも、モンゴルが進出するまでは、父の時代から治世を通して平穏であったこともあり、モンゴル帝国がイラクに進軍する報告を聞いても気にもかけず、宰相イブン・アルアルカミーの忠告に対しても耳を傾けなかった。

 これは異常な事態に直面していながら、危険や脅威を軽視してしまうという典型的な正常性バイアスである。
 正常化バイアスは誰もが陥りやすいものであり、これから逃れるには日ごろから危険や脅威を意識して訓練するしかない。彼の性格から言って、これを求めるのは難しいことでもあった。

    ◆

 アクターイとミュラー外務卿は、アッバース朝の首都バクダットで宰相イブン・アルアルカミーと同盟締結のための会見を行った。

 アクターイはイブン・アルアルカミーに言った。
「モンゴル帝国の脅威はそこまで迫っている。ついては、貴国と対モンゴルの軍事協定を結びたいところなのだか、いかがか?」
「我が国としても協定を結べれば安心なのですが…おそらくカリフは耳を貸さないのではないかと…」

「それはどういうことで?」
「変に信仰心にあついところがありましてな。いまだに女のスルターナが治める国など認められないという始末でして…それにモンゴル帝国の脅威を説きましても耳を傾けてくれませぬ。ずっと平穏な時代が続いただけにモンゴル帝国の脅威が実感できないようでして…」

 ──陛下が言うところの正常化バイアスというやつだな…

「それは困りましたな…」

「どにかく一度カリフに会っていただけませんか。外国の使者の言うことならばあるいは耳を傾けるかもしれませぬ」
「わかりました。会うだけ会ってみましょう」

    ◆

 アクターイとミュラー外務卿は、ムスタアスィムとの会見に臨んだ。
 だが、ムスタアスィムはいきなり不機嫌そうに言った。

「異教徒とつるんだ女の治める国の言うことなど予は聞く耳をもたぬ。おとなしく我が国が派遣する男子をスルターンにすればいいものを…」

 アクターイは反論する。
「カリフよ。モンゴル帝国の脅威をあなどってはなりませぬ。あの精強なホラズムでさえ滅ぼされたのですぞ。
 今は異教徒だの女だのにこだわっている事態ではありません。イスラムが大同団結してモンゴルに対抗せねば貴国は滅びますぞ」
「何を大袈裟な。我が国は現状の軍事力で長い間の平穏を保ってきたのだ。それで十分なはずだ。国が亡ぶなどあるはずがない。単に貴殿らが臆病なだけではないのか?」

 ミュラー卿が指摘する。
「カリフ。慎重と臆病をはき違えてはなりませぬ。慎重な人は、いったん決断すれば大胆なのに、臆病な人は決断しても優柔不断なのです」

「貴殿らは臆病ではないと?」
「そうです。現に神聖ローマ帝国はモンゴル帝国に挑み、これを撃退した実績もございます。モンゴル帝国を撃退するにしても、陛下は最小限の被害でこれを実行したいご意向なのです。それには貴国の協力が必要です」

「異教徒の言うことなど信用できぬな。結局は臆病者が我が国の軍事力をあてにしているだけなのだろう?」
「そうではございませぬ。今、対モンゴルの最前線に立たされているのは貴国なのですぞ。危機感をもたないと国が滅びますぞ」

「だから我が国は大事ないと言っているであろう。我が国が亡ぶことなど起こりうるものではないのだ」

 ──ダメだ…このカリフは現実を認識する能力が決定的に欠如している…これでは話にならないな…

 アクターイは言った。
「カリフのお考えは良くわかりました。その旨スルターナにはお伝えし、善後策を検討いたしまする」
「ああ。それがいいだろう。我が国の軍事力をあてにされても困るからな」

 会見を終わり、退出するとイブン・アルアルカミールに会った。
 随分と気落ちしている様子で、一回り小さく見えた。

 アクターイは言った。
「力になれなくて、済まない」
「いえ。こちらこそ…言いたいことは全部言っていただけました。これでダメなら我が国はそれまでということなのでしょう…」

 ミュラー卿が励ます。
「ここであきらめては国の終わりです。粘り強くカリフを説得し続けなさい」
「はあ。やるだけはやってみます…」

    ◆

 ミュラー卿は、ナンツィヒに戻ると、交渉結果をフリードリヒに復命した。

「そうか…交渉は失敗か…ちんが出て行っても余計にこじらせるだけだろうしな…アッバース朝の命脈もこれで尽きたか…」
「そうでございますね」

「カリフなど自業自得なのだからどうでも良いのだが、可哀そうなのはアッバース朝の民だな…マムルーク朝で遺民を受け入れる用意くらいはしておいてもらおうか…」
「承知いたしました。その点は手配しておきます」

「うむ。よろしく頼む」

 しかし、ミュラー卿は立ち去ろうとしない。

 しばしの沈黙のあと、意を決したようにミュラー卿は言った。
「思い切ってムスタアスィムを暗殺するという手もありますが…」
「うむ。ちんも考えないではなかったが、奴の息子はまだ10代であろう。それでは国が安定しまい。
 叔父おじを立てるという手もあるが、民たちからはカリフ位の簒奪さんだつにも見えるだろうしな…
 いずれにしてもかえって国を混乱させてモンゴルに付け入る隙を与える恐れがある。
 結局は、宰相のイブン・アルアルカミールに踏ん張ってもらうしかないな」

「これは出過ぎたことを申しました…」
「いや。アイデアがあれば些細なことでも言ってもらえるとありがたい。ちんが見落とすことも多々あろうしな」

「承知いたしました」

    ◆

 結局、アッバース朝は何の準備もないまま、モンゴル史上最大規模の征西軍を迎え打つことになる。

 カリフがカリフなら、民も民で、あらかじめ危険を察知して国外に脱出を図るような民はほとんどいなかった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ

シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。  だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。 かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。 だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。 「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。 国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。 そして、勇者は 死んだ。 ──はずだった。 十年後。 王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。 しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。 「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」 これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。 彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

処理中です...