33 / 37
2章:青空とリンゴの木
運命の歯車 4
しおりを挟む
客間に到着するや否や、ギヨーム様に、娘の未来のために何も聞かず黙って従ってほしいと頼みこまれ、その勢いに押された私は思わずうなずいてしまった。室内に控えていたラスペードには拒否権はあるとやんわり止められたけれど、ギヨーム様はエレーヌ様の未来がかかっていると仰ったし、断る理由なんてない、そう考えていたんだけれど。
「あ、あのぅ……」
何をされるのか全く分からない状態っていうのは、思っていたよりも怖い。私は、私の頭に謎の機械を取り付ける、という作業をしている短髪コワモテの男性に声を掛けてみた。
「すみません、あの、この装置は一体」
「余計なこと考えるなよ。ブレちまうだろ」
一体何がブレちまうというのか、その辺りも含めた詳しいご説明を賜りたかった。でも鋭い眼光でそう凄まれてはこれ以上二の句は継げない。
仕方なく私は謝罪の言葉を小さく吐き出し、それ以降は口を噤むことにした。
「背水の陣とは正に、この状況のことを言うんだなあ。勝算はあったんだけど……うーん、どうしたものか」
そう言って少し長めのブラウンヘアをかきむしるのは、ギヨーム様だ。ひどく悔しそうな態度を取っていらっしゃるけれど、口調や表情はご機嫌そのものと言っていい。顔が紅潮し、呂律が回っていないご様子から、すっかり出来上がってしまっているのは明白だった。
「どれだけ人員をかき集めてもこちらの勝利は揺らぎませんよ、ブランモワ卿」
不敵に微笑むその男性はギヨーム様が招いたご客人で、キアン・フレイヴァというお名前らしい。いわゆる美男のお手本みたいなお顔立ちに、ややクセのある黒髪と明るいヘーゼルの瞳が神秘的な雰囲気を醸し出していて、たぶん世の女性たちは放っておかないだろうと思った。
見た目は理知的で麗しいけれど、マノンが言った変人というのはこのお方で間違いないだろう。そして彼と結婚すれば不幸が待っているという言葉があながち間違いではないかもしれないということは、”フレイヴァ”という姓を聞いてすぐに感じたことだった。
「足掻くのはやめて、潔く負けを認めてはどうですか」
「いやいや、簡単に諦めるわけにはいかないよ。娘は金髪の男と結婚させるって決めてるんでね」
「それは残念。どうやら卿の望みは叶えられないようだ」
「見ていなさい。こういうのはね、最後の最後に大逆転をカマすのがカッコいいんだから!」
ギヨーム様がこうして客人として迎え入れていらっしゃるのだから、大丈夫なお方なんだろうと思いたい。でも、いわくつきかもしれない相手との結婚を、当の本人であるエレーヌ様がご不在の中、賭けの勝ち負けで決めるなんてどうかしているとしか言いようがない。
貴族の結婚において当人同士の感情が全く考慮されないのはよくあることだけれど、それは互いの家、領地の繁栄のためという大義があるからだ。賭けの道具に使うのは言語道断で、たとえギヨーム様がこの賭けを自らの享楽のために持ち掛ける、もしくは受け入れたのだとしても、家にとって何の利益にもならない愚行を家令であるラスペードがまず許さない。
こんな馬鹿げたお戯れを、咎めることなくただ見守っているのはなぜなの?もしかして、私には考えの及ばないような密かな思惑があったりする?
そんな疑問をぶつけるべく、ギヨーム様の斜め後ろに控えるラスペードの方へと視線をやる。私の洞察が正しいとして、その思惑とやらの通りに事を運ぶにはどう身を振ればいいのかを確認したかったのだけれど。
(何も……分からない……)
ラスペードはまるで彫刻みたいな無表情のまま、びっくりするくらい美しい姿勢を保っていた。ただまっすぐ前を見据えていて、こちらを気に掛ける仕草は全く見られない。
そんなラスペードの様子を鑑みて、私は考えを改めた。わざと負けてエレーヌ様とフレイヴァ様の婚約を成立させる目論見がある、なんて読みを繰り広げていたのだけれど、それはちょっとひねくれすぎていたかもしれない。だいたい賭けなんて勝つことが目的なのだから、とりあえず勝っときゃこちらの要望はいい形で通るはずだ。
そう、とりあえず勝とう。たとえ私が間違った振る舞いをしたとしても、ラスペードがどうにかしてくれる。だから大丈夫、ブランモワ家の存続を危ぶめる何某なんて起こらないに決まっている。
「それにしても、いいねぇ……この後がないギリギリな感じ! 手に汗握る緊張感を覚えたのなんて、何年ぶりくらいだろう」
「負ければ手痛い損失になるが、勝てばバラ色の人生が待っている。こんな刺激的な夜を過ごしたのは、卿と同様、私も久しぶりのことです」
待って待って、なにその不穏な会話。やっぱり結果次第ではブランモワ家転覆の可能性は無きにしも非ずかもしれない……。
「設置完了。すぐおっぱじめようぜ」
短髪の男性の一言で、空気がピリッと張りつめる。それに伴って私の恐怖心は、エレーヌ様を心配する気持ちを彼方におしやってしまうほど一気に膨らんだ。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 頭が爆発したりしませんか!?」
「おい、余計なこと喋るなよ。誤差が出ちまうだろ」
「いや、でも、だって! 私まだ死にたくないんですよ!」
「だから黙れって――おい、アレックス!」
苛ついたように頭をかきむしりながら、その人はフレイヴァ様の隣に座っている、長髪で細身の男性に向かって声を掛けた。
「ちょっとこいつの口、封じてくれよ。うるさくってかなわねえ」
「やってもいいけど……私の魔力が干渉することになるよ。それこそ誤差が出るんじゃない?」
「あーそれもそうか。じゃあ仕方ない、やっぱり物理で口を塞ぐしか」
「ヒッ!」
口元に布切れを押し当てられ、声にならない叫び声を上げる。そのまま、ぐいぐいと乱暴に口内に突っ込まれそうになったけれど、
「カルロ、うちの使用人にあまり手荒な真似はしないでくれるか。エレーヌのお気に入りの子だし、傷でも付けられたら娘に合わせる顔がなくなってしまうよ」
ギヨーム様の助け船が入り、強制的に口を塞がれることは免れた。チラリとそちらに目を向けると、親指をたててウインクを投げかけられ、殺意に近い邪悪な感情が毛穴から吹き出すのを感じた。
死の恐怖を覚えている身としては、そういう助けてやったぜ的なお茶目なアピールすら腹が立って仕方ない。でもエレーヌ様の幸せとブランモワ家の歴史と繁栄を守るため、そして……今月のお給金を倍にしてもらうというちょっとしたオプションを現実のものにするためには大人しく従うしかない。
「じゃ、起動するぞ。……絶対喋んなよ」
顔を近づけて凄まれる。喋れば命がないと思え的な何かである可能性は否めないから、この忠告には大人しく従うことにして、恐怖で満足に動かない首をわずかに揺らしてうなずいて見せた。
「私の質問には、すべて”はい”と答えてほしい。それ以外の発言は厳禁だ」
いつの間にか私の背後に立っていたフレイヴァ様に耳元でそう囁かれ、自分の意志とは関係なく体がびくりと撥ねた。
「それから、聞かれたことはちゃんと頭で考えること。合っているか間違っているか、一度脳内で事実を確認してから答えるんだ。分かったかな?」
「は、はいぃ……」
「物分かりが良くて助かる。それでは、始めようか」
◇
私に取り付けられた機械は”うそ発見器”というもので、人が持つ魔力のわずかな揺らぎを読み取って、その者が嘘をついているか否かを暴き出すというシステムなのだということを、事後になって知らされた。
「ニナ、どうだった? 感想聞かせてよ!」
「そう、ですね……。私いまものすごく汚い言葉を口にしてしまいそうなのですが、その辺はお許し下さるのでしょうか」
「やめておきなさい、ニナ。旦那様も追い打ちをかける真似はなさらぬように」
精神的にも肉体的にも疲れ切って立っているのがやっとの私を支えながら、ラスペードがぴしゃりと言い放った。
「全く、こんなにまでなって……。だから言ったんだ、拒否はできると」
「これくらいのこと、何でもありません。ブランモワ家のためですから」
「……その心情だけで動いてくれたのなら、素直に褒めてやれたんだがな」
眼鏡の奥で、ラスペードの青い瞳が冷たく光る。彼はどうやら、私が例のオプションの方に食いついてこんな茶番に付き合ったのだと勘違いしているらしい。卑しい人間だと思われるのも嫌だし、ここはちゃんと訂正しておくべきだと判断した私は、控えめな笑みを浮かべて首を横に振った。
「分かっています、私の行動が褒められたものではないことくらい。でも私はこの家にお仕えする身、主人のご期待に沿うためなら」
「旦那様がご提示した金額を下げられたくなければ、その口を噤んでおきなさい」
「はい」
間髪入れずの返答をした私に、ラスペードは呆れたような笑みを返した。
「賭けは私の勝ちってことでいいよね、キアン?」
そんなやり取りをしていた私たちの横で、ほくそ笑む、という表現がしっくりくる表情を浮かべたギヨーム様が、目の前で腕を組むフレイヴァ様をじっと見据えていた。
「まさかこんな特殊な人間がいるとは……正直、予想だにしておりませんでした」
特殊な人間というのはつまり、魔力を全く持たない人間ということだ。あの装置は魔力に反応するものなので、それが皆無なのであれば動作するはずもない。
結局フレイヴァ様御一行は、私がどれに嘘の返答をしたかを見抜くことができなかった。
「まあそうだろうねぇ。残念だけど、ああ、私はちっとも残念じゃないけど、娘のことは諦めて。それより、そろそろ本題の商談に入りたいんだけど」
ギヨーム様のその言葉を合図に、室内にいた使用人たちが部屋を出ていく。私もラスペードに支えられながら、その後に続こうとした。
「いや、その前に……ミスター・ラスペード、少しお待ちを」
不意にフレイヴァ様に声を掛けられ、私も一緒に立ち止まって振り返る。
「彼女は置いて行って頂きたい。少し用がある」
彼女、というのは私のことだろうか。とりあえず辺りを見渡すけれど、この部屋には私以外、女性はいないようだ。
ギヨーム様の体面を保つためにも、できればご客人のご要望には応じたい。でも激しい頭痛と吐き気がさっきよりもひどくなってきているから、たぶんお応えしたところで大した振る舞いはできそうにない。そう思って、チラリとラスペードの方へ視線を送った。
「このような状態の者に一体何のご用があると仰るのです? 今夜はもう、休ませてやっては頂けませんか」
「放っておけば、取り返しのつかないことになるかもしれないぞ」
ラスペードの有難い助け舟に感謝したのも束の間、フレイヴァ様が不吉なことを言い放った。その強い口調と言葉に、私だけでなくラスペードとギヨーム様も顔色を変えてフレイヴァ様を見つめた。
「ニナと言ったな。君、魔術の授業を受けたことはあるのか?」
「……最初の1回だけでしたら」
「”選別”で振るい落とされたか。では、体内の魔力を感じることは」
一瞬ためらってから、首を横に振る。するとフレイヴァ様は厳しい表情を浮かべ、やはり、と小さく呟いた。
「キアン、どういうこと? ニナは一体」
「自分の許容量以上の魔力が流入した場合、何もしなくても自然と体外へ排出されるのはご存じでしょう。だが魔力を持たない彼女にはそもそもそういった器官が存在しないか、あったとしてもほとんど機能しないかもしれないのです」
「じゃあ……ニナの体内にある余剰魔力はどうなるんだ」
「彼女にとって魔力は毒のようなものです。このままにしておけば命に関わる重大な悪影響を与えかねない。すぐにでも外的刺激を与えて排出させた方がいいでしょう」
ラスペードと、ギヨーム様の視線がこちらに集中する。ラスペードはともかく、ギヨーム様の方はさっきまでの浮かれた気分がすっかり消し飛んでいらっしゃるご様子だ。そのお顔つきのあまりの落差に、もし今いつも通りの体調であったなら私は盛大に吹き出していただろうとぼんやり思った。
「あの、排出って……今度は一体何を体に取り付けられるのでしょうか」
気を取り直して、そう尋ねてみる。選択肢なんてあってないようなもの、返す答えは当然決まっているとは言え、さっきのように何も知らされないままで恐ろしい思いをさせられるのはご免こうむりたい。そう思って全力で警戒する私にフレイヴァ様は、何も、と言った。
「機械は使わない、人の手だけで行なう。排出先の”器”も、私で事足りるだろう」
人力だけ、と聞いて安堵……はやっぱりできない。でも自分ではどうしようもないことで、背に腹は変えられない。
「……分かりました。それでは、お願いします」
私がそう答えると、フレイヴァ様は黙ったままソファから立ち上がって私の前まで進み出た。
「ニナ、いいのか」
ラスペードが心配そうに尋ねる。これ以外に手の打ちようがない状況でこんな風に尋ねるのは、恐らくラスペードも私と同じくフレイヴァ様のことをいまいち信用できていないからだろう。こんな下っ端のことまでちゃんと案じてくれるなんて、本当に彼は家令の鑑だと思いながら、私は小さく笑ってうなずいた。
「リュカのこと、頼みます」
万が一のことを考えて、ラスペードに私のいちばん大切なものを託す。わずかな迷いを見せることなく望みを受け入れてくれたラスペードに、私は感謝の言葉を返しながら、革手袋に包まれたフレイヴァ様の手を取った。
「あ、あのぅ……」
何をされるのか全く分からない状態っていうのは、思っていたよりも怖い。私は、私の頭に謎の機械を取り付ける、という作業をしている短髪コワモテの男性に声を掛けてみた。
「すみません、あの、この装置は一体」
「余計なこと考えるなよ。ブレちまうだろ」
一体何がブレちまうというのか、その辺りも含めた詳しいご説明を賜りたかった。でも鋭い眼光でそう凄まれてはこれ以上二の句は継げない。
仕方なく私は謝罪の言葉を小さく吐き出し、それ以降は口を噤むことにした。
「背水の陣とは正に、この状況のことを言うんだなあ。勝算はあったんだけど……うーん、どうしたものか」
そう言って少し長めのブラウンヘアをかきむしるのは、ギヨーム様だ。ひどく悔しそうな態度を取っていらっしゃるけれど、口調や表情はご機嫌そのものと言っていい。顔が紅潮し、呂律が回っていないご様子から、すっかり出来上がってしまっているのは明白だった。
「どれだけ人員をかき集めてもこちらの勝利は揺らぎませんよ、ブランモワ卿」
不敵に微笑むその男性はギヨーム様が招いたご客人で、キアン・フレイヴァというお名前らしい。いわゆる美男のお手本みたいなお顔立ちに、ややクセのある黒髪と明るいヘーゼルの瞳が神秘的な雰囲気を醸し出していて、たぶん世の女性たちは放っておかないだろうと思った。
見た目は理知的で麗しいけれど、マノンが言った変人というのはこのお方で間違いないだろう。そして彼と結婚すれば不幸が待っているという言葉があながち間違いではないかもしれないということは、”フレイヴァ”という姓を聞いてすぐに感じたことだった。
「足掻くのはやめて、潔く負けを認めてはどうですか」
「いやいや、簡単に諦めるわけにはいかないよ。娘は金髪の男と結婚させるって決めてるんでね」
「それは残念。どうやら卿の望みは叶えられないようだ」
「見ていなさい。こういうのはね、最後の最後に大逆転をカマすのがカッコいいんだから!」
ギヨーム様がこうして客人として迎え入れていらっしゃるのだから、大丈夫なお方なんだろうと思いたい。でも、いわくつきかもしれない相手との結婚を、当の本人であるエレーヌ様がご不在の中、賭けの勝ち負けで決めるなんてどうかしているとしか言いようがない。
貴族の結婚において当人同士の感情が全く考慮されないのはよくあることだけれど、それは互いの家、領地の繁栄のためという大義があるからだ。賭けの道具に使うのは言語道断で、たとえギヨーム様がこの賭けを自らの享楽のために持ち掛ける、もしくは受け入れたのだとしても、家にとって何の利益にもならない愚行を家令であるラスペードがまず許さない。
こんな馬鹿げたお戯れを、咎めることなくただ見守っているのはなぜなの?もしかして、私には考えの及ばないような密かな思惑があったりする?
そんな疑問をぶつけるべく、ギヨーム様の斜め後ろに控えるラスペードの方へと視線をやる。私の洞察が正しいとして、その思惑とやらの通りに事を運ぶにはどう身を振ればいいのかを確認したかったのだけれど。
(何も……分からない……)
ラスペードはまるで彫刻みたいな無表情のまま、びっくりするくらい美しい姿勢を保っていた。ただまっすぐ前を見据えていて、こちらを気に掛ける仕草は全く見られない。
そんなラスペードの様子を鑑みて、私は考えを改めた。わざと負けてエレーヌ様とフレイヴァ様の婚約を成立させる目論見がある、なんて読みを繰り広げていたのだけれど、それはちょっとひねくれすぎていたかもしれない。だいたい賭けなんて勝つことが目的なのだから、とりあえず勝っときゃこちらの要望はいい形で通るはずだ。
そう、とりあえず勝とう。たとえ私が間違った振る舞いをしたとしても、ラスペードがどうにかしてくれる。だから大丈夫、ブランモワ家の存続を危ぶめる何某なんて起こらないに決まっている。
「それにしても、いいねぇ……この後がないギリギリな感じ! 手に汗握る緊張感を覚えたのなんて、何年ぶりくらいだろう」
「負ければ手痛い損失になるが、勝てばバラ色の人生が待っている。こんな刺激的な夜を過ごしたのは、卿と同様、私も久しぶりのことです」
待って待って、なにその不穏な会話。やっぱり結果次第ではブランモワ家転覆の可能性は無きにしも非ずかもしれない……。
「設置完了。すぐおっぱじめようぜ」
短髪の男性の一言で、空気がピリッと張りつめる。それに伴って私の恐怖心は、エレーヌ様を心配する気持ちを彼方におしやってしまうほど一気に膨らんだ。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 頭が爆発したりしませんか!?」
「おい、余計なこと喋るなよ。誤差が出ちまうだろ」
「いや、でも、だって! 私まだ死にたくないんですよ!」
「だから黙れって――おい、アレックス!」
苛ついたように頭をかきむしりながら、その人はフレイヴァ様の隣に座っている、長髪で細身の男性に向かって声を掛けた。
「ちょっとこいつの口、封じてくれよ。うるさくってかなわねえ」
「やってもいいけど……私の魔力が干渉することになるよ。それこそ誤差が出るんじゃない?」
「あーそれもそうか。じゃあ仕方ない、やっぱり物理で口を塞ぐしか」
「ヒッ!」
口元に布切れを押し当てられ、声にならない叫び声を上げる。そのまま、ぐいぐいと乱暴に口内に突っ込まれそうになったけれど、
「カルロ、うちの使用人にあまり手荒な真似はしないでくれるか。エレーヌのお気に入りの子だし、傷でも付けられたら娘に合わせる顔がなくなってしまうよ」
ギヨーム様の助け船が入り、強制的に口を塞がれることは免れた。チラリとそちらに目を向けると、親指をたててウインクを投げかけられ、殺意に近い邪悪な感情が毛穴から吹き出すのを感じた。
死の恐怖を覚えている身としては、そういう助けてやったぜ的なお茶目なアピールすら腹が立って仕方ない。でもエレーヌ様の幸せとブランモワ家の歴史と繁栄を守るため、そして……今月のお給金を倍にしてもらうというちょっとしたオプションを現実のものにするためには大人しく従うしかない。
「じゃ、起動するぞ。……絶対喋んなよ」
顔を近づけて凄まれる。喋れば命がないと思え的な何かである可能性は否めないから、この忠告には大人しく従うことにして、恐怖で満足に動かない首をわずかに揺らしてうなずいて見せた。
「私の質問には、すべて”はい”と答えてほしい。それ以外の発言は厳禁だ」
いつの間にか私の背後に立っていたフレイヴァ様に耳元でそう囁かれ、自分の意志とは関係なく体がびくりと撥ねた。
「それから、聞かれたことはちゃんと頭で考えること。合っているか間違っているか、一度脳内で事実を確認してから答えるんだ。分かったかな?」
「は、はいぃ……」
「物分かりが良くて助かる。それでは、始めようか」
◇
私に取り付けられた機械は”うそ発見器”というもので、人が持つ魔力のわずかな揺らぎを読み取って、その者が嘘をついているか否かを暴き出すというシステムなのだということを、事後になって知らされた。
「ニナ、どうだった? 感想聞かせてよ!」
「そう、ですね……。私いまものすごく汚い言葉を口にしてしまいそうなのですが、その辺はお許し下さるのでしょうか」
「やめておきなさい、ニナ。旦那様も追い打ちをかける真似はなさらぬように」
精神的にも肉体的にも疲れ切って立っているのがやっとの私を支えながら、ラスペードがぴしゃりと言い放った。
「全く、こんなにまでなって……。だから言ったんだ、拒否はできると」
「これくらいのこと、何でもありません。ブランモワ家のためですから」
「……その心情だけで動いてくれたのなら、素直に褒めてやれたんだがな」
眼鏡の奥で、ラスペードの青い瞳が冷たく光る。彼はどうやら、私が例のオプションの方に食いついてこんな茶番に付き合ったのだと勘違いしているらしい。卑しい人間だと思われるのも嫌だし、ここはちゃんと訂正しておくべきだと判断した私は、控えめな笑みを浮かべて首を横に振った。
「分かっています、私の行動が褒められたものではないことくらい。でも私はこの家にお仕えする身、主人のご期待に沿うためなら」
「旦那様がご提示した金額を下げられたくなければ、その口を噤んでおきなさい」
「はい」
間髪入れずの返答をした私に、ラスペードは呆れたような笑みを返した。
「賭けは私の勝ちってことでいいよね、キアン?」
そんなやり取りをしていた私たちの横で、ほくそ笑む、という表現がしっくりくる表情を浮かべたギヨーム様が、目の前で腕を組むフレイヴァ様をじっと見据えていた。
「まさかこんな特殊な人間がいるとは……正直、予想だにしておりませんでした」
特殊な人間というのはつまり、魔力を全く持たない人間ということだ。あの装置は魔力に反応するものなので、それが皆無なのであれば動作するはずもない。
結局フレイヴァ様御一行は、私がどれに嘘の返答をしたかを見抜くことができなかった。
「まあそうだろうねぇ。残念だけど、ああ、私はちっとも残念じゃないけど、娘のことは諦めて。それより、そろそろ本題の商談に入りたいんだけど」
ギヨーム様のその言葉を合図に、室内にいた使用人たちが部屋を出ていく。私もラスペードに支えられながら、その後に続こうとした。
「いや、その前に……ミスター・ラスペード、少しお待ちを」
不意にフレイヴァ様に声を掛けられ、私も一緒に立ち止まって振り返る。
「彼女は置いて行って頂きたい。少し用がある」
彼女、というのは私のことだろうか。とりあえず辺りを見渡すけれど、この部屋には私以外、女性はいないようだ。
ギヨーム様の体面を保つためにも、できればご客人のご要望には応じたい。でも激しい頭痛と吐き気がさっきよりもひどくなってきているから、たぶんお応えしたところで大した振る舞いはできそうにない。そう思って、チラリとラスペードの方へ視線を送った。
「このような状態の者に一体何のご用があると仰るのです? 今夜はもう、休ませてやっては頂けませんか」
「放っておけば、取り返しのつかないことになるかもしれないぞ」
ラスペードの有難い助け舟に感謝したのも束の間、フレイヴァ様が不吉なことを言い放った。その強い口調と言葉に、私だけでなくラスペードとギヨーム様も顔色を変えてフレイヴァ様を見つめた。
「ニナと言ったな。君、魔術の授業を受けたことはあるのか?」
「……最初の1回だけでしたら」
「”選別”で振るい落とされたか。では、体内の魔力を感じることは」
一瞬ためらってから、首を横に振る。するとフレイヴァ様は厳しい表情を浮かべ、やはり、と小さく呟いた。
「キアン、どういうこと? ニナは一体」
「自分の許容量以上の魔力が流入した場合、何もしなくても自然と体外へ排出されるのはご存じでしょう。だが魔力を持たない彼女にはそもそもそういった器官が存在しないか、あったとしてもほとんど機能しないかもしれないのです」
「じゃあ……ニナの体内にある余剰魔力はどうなるんだ」
「彼女にとって魔力は毒のようなものです。このままにしておけば命に関わる重大な悪影響を与えかねない。すぐにでも外的刺激を与えて排出させた方がいいでしょう」
ラスペードと、ギヨーム様の視線がこちらに集中する。ラスペードはともかく、ギヨーム様の方はさっきまでの浮かれた気分がすっかり消し飛んでいらっしゃるご様子だ。そのお顔つきのあまりの落差に、もし今いつも通りの体調であったなら私は盛大に吹き出していただろうとぼんやり思った。
「あの、排出って……今度は一体何を体に取り付けられるのでしょうか」
気を取り直して、そう尋ねてみる。選択肢なんてあってないようなもの、返す答えは当然決まっているとは言え、さっきのように何も知らされないままで恐ろしい思いをさせられるのはご免こうむりたい。そう思って全力で警戒する私にフレイヴァ様は、何も、と言った。
「機械は使わない、人の手だけで行なう。排出先の”器”も、私で事足りるだろう」
人力だけ、と聞いて安堵……はやっぱりできない。でも自分ではどうしようもないことで、背に腹は変えられない。
「……分かりました。それでは、お願いします」
私がそう答えると、フレイヴァ様は黙ったままソファから立ち上がって私の前まで進み出た。
「ニナ、いいのか」
ラスペードが心配そうに尋ねる。これ以外に手の打ちようがない状況でこんな風に尋ねるのは、恐らくラスペードも私と同じくフレイヴァ様のことをいまいち信用できていないからだろう。こんな下っ端のことまでちゃんと案じてくれるなんて、本当に彼は家令の鑑だと思いながら、私は小さく笑ってうなずいた。
「リュカのこと、頼みます」
万が一のことを考えて、ラスペードに私のいちばん大切なものを託す。わずかな迷いを見せることなく望みを受け入れてくれたラスペードに、私は感謝の言葉を返しながら、革手袋に包まれたフレイヴァ様の手を取った。
1
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる