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第三部

第十七章 山の恵み、こぼる 其の四

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 縁組みが無事整ってからは、静は美津の花嫁支度にも精を出した。 
 美津の母の「早すぎる。せめてもう一度正月を一緒に」という希望で、静の嫁入りは半年あまり先の、年が明けて梅の花が咲く頃と決まった。 
 梅の花がほころんだ頃、静は、美津の体を風呂屋で丁寧に磨きあげた。 
 白く張りのある艶やかな肌。しかし、色香というものはまだなく、固い透明感がある細身の体。丸みを帯びているとはいえ、まだ少女の体であった。 
 静は美津が幼い頃のように、体の隅々まで丁寧に、いずれ子を生むところまで丁寧に洗った。 

「きれいよ、お美っちゃん。」 
 静の心に浮かんでいた言葉が、思わず口から溢れる。美津が少し体をくねらせた。背中側からうなじを磨いている静だが、美津がはにかんでいるのがわかる。 
 静はきれいに磨き終わると、肌の上で弾けている水玉を手拭いで拭き取った。それも終わると、静は美津に浴衣をかけ、腰巻きにしていた自分の浴衣に袖を通そうとした。 

「お静ちゃん、アタシにもお静ちゃんの体、洗わせて。」 
 美津が、静の浴衣を着る手を掴んで止めた。 
「え?」 
「お静ちゃんの体を洗って、お嫁にいきたいの。」 
「変なお美っちゃん。」 
 静はプッと笑ったが、美津は「脱いで脱いで」と静の帯を解く。美津はぽっちゃりした静の体を、静がしてくれたように洗い始めた。 
「背中だけね。またお美っちゃんが汗かいちゃう。」 
 静が、くすぐったそうに身を震わせる。 
「いいじゃない。アタシね、お静ちゃんみたいな体だったらよかったのにって思うの。」 
 ふわふわした静の体をこすりながら、美津が真面目な声で言った。 
「どうして?」 
「お静ちゃんの体、らっこくって気持ちいいんだもの。おっかさんの細っこい体より安心するの。」 
 甘えるような美津の声は真剣である。 
「やだ、お美っちゃん。」 
 静はクスッと笑った。男たちの目に留まらぬからだを、美津がそんな風に誉めてくれるのが嬉しかった。 
「アタシ、おっかさんになれるかなぁ。」 
 美津がポツリと呟いた。静の軆を擦る力が弱くなる。 
「なれるわよ。」 
 静は、美津が自分の細い体を気にしているのが解った。そして、その美しい体が男にきっと愛されるのも静には解っていた。 
「お静ちゃんも早くいい人と一緒になれるといいね。お静ちゃんの子供、幸せだろうなぁ。」 
 美津はまた手に力を込め、夢見るように呟いた。 
「そう?」 
「そうよ。絶対そう。だってアタシ、お静ちゃんに面倒見てもらって幸せだもん。」 
 美津は手を止めて、背中から静を覗き込むと、鈴のような声できっぱりと言いきった。 
 静は微笑んで、美津の頭をクシャクシャと撫でる。美津が「エヘヘヘ」と笑った。 
 美津は静の背中から抱きつき、頬をすり寄せる。 
「やっぱり安心する。お静ちゃん、だーい好き。」 
「お美っちゃん、幸せにおなりね。」 
 静の肉付きのよい背中に、美津の固い膨らみが当たる。 
 小さい頃と変わらない美津のかわいい甘える声に、静は自分に回された手をそっと握って、あやすようにわずかに体を揺らした。 
「うん。ありがとう。」 
 美津のにじんだ声が、静の耳元で響いた。 

◆◇◆

 そうして、美津は十六の春に嘉衛門に嫁いだ。あどけなさの残る花嫁は美しく、迎える花婿はりりしく、満開の白梅の木の下の花嫁と花婿は、一幅いっぷくの絵のようであった。 
 鮮やかな朱の振り袖姿の美津は、静の手をとって大粒の涙をこぼした。 
 その年の秋には、ひさが嫁に行った。 
 美津は分からないことがあると、生家より近い静の家に飛んできた。 
 富が細々と教えてやり、手が入りそうなときは静が手伝いに走っていく。 
「お静、すまないね。」 
「旦那さん、遠慮はなし。お久さんにも頼まれてんだから。」 
 栄嘉さかよしが首をすくめて声をかけると、静は明るく声を返した。 
 静は、嘉衛門よしえもんの家の世話ができるだけで嬉しかった。 

 美津が十八で子を宿し、つわりで食べられなくなったときは食事も作りに来た。 
 ただ、静が火吹き竹を吹きながら、煙の中、幾度か涙を流したのは誰も知らない。 
 子ができた。それは美津が嘉衛門に女として愛されたのを物語っている。 
 (おめでたいことよ。おめでたいこと。わかってたことよ。) 
 静は、嘉衛門が手の届かないずっと遠くへいった気がした。 
 そして、今までずっと後ろから追いかけてきた美津に追い抜かれた気もした。 
 それでも静は美津の世話をした。 
 嘉衛門が呆れるほど、二人は仲がよいまま過ごしている。 
 呆れる嘉衛門の微笑みを見るのが、静は何より嬉しかった。 
 嘉衛門が、美津と一緒に自分も見てくれるのが静は幸せだった。 


[第十七章 山の恵み、こぼる 了]
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