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第三部

第十七章 山の恵み、こぼる 其の三

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 早速、美津は父と祖父に申し出た。父は「まだ早い」といい、祖父は渋い顔をする。 
 (まだ娘になったばかりではないか、美津にならもっといい縁談が来るはず。)と若棟梁の父は思った。 
 祖父籐五は、幼いながら孫娘の男を見る目に感心したが、その理由わけを考えると渋い顔になった。 
 翌日、静は藤五に呼び出された。 


「おぅ、静。ちょいと別嬪べっぴんになったな。まぁ、ここに来て座れ。」 
 藤五は静を促すと、煙管キセルを口にした。 
 煙草たばこを吸っている藤五は、目をつぶって、それは苦い顔をしている。 
 静は、無理して煙草をたしなんでいるような親方の顔をおかしそうに見た。 

「静、おめぇ、いいのか?」 
 藤五は、煙を口の中に入れたまま静に訊く。 
「なにがでしょう?」 
 いつものように愛嬌ある笑みを浮かべている静が、親方に訊き返した。 
 藤五は、ポカンと丸く煙を出し、ふーっと大きく煙を吐き切ると、煙草たばこ盆にコンと煙管キセルを打ち付けた。 
「美津の嫁入りだよ。」 
 静は「ああ」という顔する。 
「今までのようにお世話ができなくなるのは寂しいんですけど、お美っちゃんが嘉衛門よしえもんさんを好いてるので。」 
 静が優しい笑顔で話すのを、藤五はどこか苦々しい顔で見ていた。 
「いや、それはいいんだけどよ。いいのか。」 
「いいも悪いも。おめでたい話です。」 
 柔らかに微笑む静の躊躇ちゅうちょない答えに、藤五も黙るしかなかった。 

「で、親方、お願いがあるんですけど。」 
 姿勢を正した静が、ちょんと三つ指をついた。 
「ん?  なんでぃ。」 
「お美っちゃんのきりの木、まだちょいと小さいでしょう? あたしのは十分大きいから、あたしので嫁入り箪笥だんす作ってやってくださいませんか。」 
「…いいのかい?」 
 眉間みけんに皺を寄せた藤五が、改めて静をチラリと見た。 
「はい!」 
 静は清々しい笑みで大きく返事をする。その笑顔に藤五は口許を引き締め、クイクイと動かした。目を閉じ、少し考え込んだ藤五であったが、目を開けると 
「……わかった。」 
 と、静に約束した。静がこぼれるような笑顔を返した。 

「ご用はそれだけですか?」 
「ああ。」 
 なんとか体裁を整えているが、藤五はどこか気が抜けた返事をする。藤五の手は、また煙管キセルの方へと伸びていた。 
「じゃぁ。」 
 立ち上がった静に、藤五は声をかける 
「お静、すまねぇな。美津んこと、頼まぁ。」 
「はい。」 
 静は、任せてくださいとばかりにポンと胸を叩いて、またえくぼを浮かべた。
 藤五は煙管キセルを口にすると、再び難しい顔をした。そして、ふーーっと長い煙を吐いたのだった。 


 静は、嘉衛門よしえもんが姉のひさを嫁に出すために、自分の嫁取りをしようとしているのを知っていた。 
 栄嘉さかよしは妻が死んだあとも後添いをもらわず、久が母代わりに家事を仕切っていた。久の母が死んだとき、久は十九。まとまりかけていた縁談もあったが、流行り病の騒ぎで壊れてしまった。それ以来、何度か縁談が来たが、久はまだ元服もすまない末の弟の小丸を思い、首を縦に振らなかった。 
 その中で「久がいいというまで待つ」という男が現れた。久も男を恋しく思っていた。それでも嫁にいこうとしない姉を、嘉衛門は辛そうに見ていた。 
 (小丸も元服した。あとは、私が嫁取りをすれば、姉上は嫁げるはず。) 
 嘉衛門はそう思い、父や藤五たちに相談していた。 

 藤五は(静がよかろう。)と思っていた。 
 (大工の娘だが、頭もいいし、気働きもできる。年のころもいい。どんな家でも、しっかり切り盛りするだろう。) 
 藤五の頭には、武家とか大工とかという頭はなかった。藤五は静の思いを薄々感じ取っていたし、嘉衛門も見映みばに惑わされず、静の心根をちゃんとわかってやれる男だと思っていた。 
 若い嘉衛門が気にしているのは、久のことだろう。口にはしないが、総領息子として、静を嫁にもらった時の相手方への体裁と、久に嫁入り支度がしてやれるかどうか。だろう。 
 しかし静が嫁に来れば、久はなによりも安堵して嫁に行けるはずだ。栄嘉さかよしには自分も世話になっている。自分が間に立ってやればよい。なんなら、静を養女にしたっていい。久にも十分な支度をしてやろう。 
 藤五はそう考えていたのである。 

 (静のやろぉ……) 
 藤五は目をつぶったまま、しばらく煙草をふかし続けた。 


 そんなことを静も嘉衛門も知るはずがない。 
 (きっと嘉衛門さんは、お美っちゃんをお嫁に貰うはず。分も釣り合うし、お美っちゃんがお嫁にくれば、お久さんの嫁入り支度が整えられるもの。あたしじゃダメ。) 
 静はそう考えていた。 
 果たして静の考える通り、事は運んでいったのである。 
 縁組がまとまった日、静は裏山に一人上った。 
 山桃の木を見上げたが、実はまだ黄色い。静は美しい声で口ずさみ始めた。 

  ひーふーみーよーいつむぅななや 
  一かけ二かけて三かけて 
  四かけて五かけて橋を架け 
  橋の欄干 手を腰に 
  はーるか向こうを眺めれば 
  よちよち歩きの美っちゃんが 
  お水とおにぎり手に持って 
  美っちゃん美っちゃん どこ行くの 
  美っちゃん美っちゃん どこ行くの 

  美っちゃん美っちゃん 嫁行くの 

 静の美しい声が次第に震える。震えた声のまま山桃の木を見上げ、静は歌い続けた。静の瞳はにじむ深緑の中に、いるはずのない太吉を探していた。 

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