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140. 人生のすべてを
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まさか24時間ベッドに入っていろというわけでもあるまい。
何もするな、休んでいろと言われても、病気ではない京司朗にとって、黙って休んでいる行為はかえって疲れてしまうだけだった。
京司朗は庭に出て煙草を吸いながら、夜に変わっていく遠くの空と、山の木々を見ていた。
唇を重ねたあと、あのままみふゆのそばにいたかった。
柔らかな唇と驚きの表情を思い出して京司朗はまた笑った。
「なーに思いだし笑いしてやがる」
貴之の声に京司朗は振り返った。
「お帰りなさい。早かったですね」
「みふゆが早く眠っちまったからな。今日は相当疲れたみてぇだ」
「熱は?」
「出てねぇ。大丈夫だ」
隣に並んだ貴之が懐から自分の煙草を出した。
京司朗はすかさずポケットからライターを取り出し、貴之の咥えた煙草に火をつけた。
「・・記憶はどうですか?」
京司朗が尋ねた。
貴之はすぐには答えず、煙草を吸った。
「忘れてる。お前が今日訪ねてきたのは覚えてるが、晩メシ食ってる時に『約束を聞くのを忘れた。若頭は次はどこの国に行くのか』と訊いてきた」
「そうですか・・」
「京司朗、屋敷、改築するぞ。畳も車椅子対応の畳に変える。庭もだ」
「わかりました。エレベーターの設置も考えていますが」
「そうだな、二階はまだ案内してなかったな。二階からの夜空はまた格別だ。輝く星がより近くに見える。次々と流れていく流星群や天の川・・。自由に見れるようにしてやりてぇなぁ・・・」
貴之はそれきり黙った。
京司朗は貴之の心中を慮った。そして、あらためて自分の気持ちにも向き合った。
責任を取ろうというわけじゃない。
生涯、車椅子だとしても・・・
━━━━俺は君の人生のすべてが欲しい
その夜、京司朗の愛を知らずに、みふゆは朝まで目覚めることなく眠った。
翌日から、みふゆは熱を出すことなく順調に一日を過ごすようになった。
食事量を少くしたせいか、朝、昼と、食事は無理なく全てたいらげることができている。
食べてしまえる食事量は、みふゆから『残す』罪悪感を取り去って、食べる自信が出てきたようだった。
胡蝶も貴之も、会話のなかに時折過去の話題を織りまぜた。
みふゆはほとんどのことは正確に答えている。
ただ、京司朗のことになるとみふゆの記憶は曖昧になった。
少なくとも、京司朗と出会った当初の頃のことはハッキリと覚えている。とすると、途中でみふゆに何か心境の変化があったのか。
胡蝶は、どのあたりから京司朗に関しては曖昧になっているのか探ろうと考えた。
みふゆは、京司朗が見舞いに訪れたことをきちんと覚えてはいた。が、何を話したかまでは覚えていなかった。
みふゆが入院して五日目の夕方、学校帰りだと海斗が見舞いに訪れ、夕食を一緒に食べていった。
食べながら、海斗の高校の去年の文化祭の話をみふゆは楽しそうに聞いていた。今年の文化祭はこれから準備が始まる。海斗は貴之や胡蝶にはいいようにオモチャにされ、みふゆは明るく笑った。みふゆは夕食もしっかり食べきって、海斗の持ってきたプリンも二個ほどお腹におさめた。食欲が出てきた良い兆候だった。
海斗が帰ると、貴之は堀内が二~三日のうちに見舞いに訪れるとみふゆに伝えた。
ブーブーと、ベッドのサイドテーブルでスマホのバイブレーターが鳴った。堀内健次のスマホだ。
ソファに転がっているデリヘルの女が、
「社長ぉ!電話鳴ってるよー!」
と自分のスマホをいじりながら叫んだ。
堀内はバスルームから「持ってきてくれ」と答えた。
素っ裸に堀内のシャツを羽織っている女は、堀内のスマホを手にしてバスルームに持っていった。
浴室から出てきた堀内は、短い髪をタオルで乱暴に拭きながらスマホを受け取った。
デリヘルの女はここ最近堀内のマンションで寝泊まりをしていた。
堀内がわざわざ呼ぶのは面倒だと女を側においているのだ。堀内専用の『女』だ。
女を気に入った堀内は、デリヘルの経営者に手をまわして、他に客をとらせないようにさせた。その分の金はもちろん支払っている。
堀内は初めて見た時からこの女を気に入っていた。そこには理由がある。
みふゆに似ているからだ。
顔が似ているのではなく、背格好、何より声が似ていた。電話を通した時のみふゆの声と、女の普段の声がよく似ていた。
体つきも同じくらいで、Tシャツを着ている時の胸のふくらみやジーンズの腰回り、尻の形・・、女の体は、みふゆを思い出させた。
脱がせたらきっとみふゆもこの女のような体なのだろうと堀内は思った。
みふゆを自分のものにはできない苛立ちを、堀内はデリヘルの女にぶつけていた。
女から受け取ったスマホのディスプレイに表示された電話番号は、惣領貴之の番号だった。電話に出ると貴之は、
《明日は午後三時に入院患者用の出入り口から入って連絡してくれ》
それだけ伝えて電話を切った。
堀内も「ああ」とだけ返事をした。
みふゆが入院してから一度も会えていない。
洪水の記憶がないみふゆに、支店の状態をありのまま話すわけにはいかない。何かを聞かれても、納得してもらえる理由を考えておかなくてはいけない。支店に関してみふゆはしつこい。根掘り葉掘り聞いてくるはずだ。約二年、みふゆは支店に勤めている。もはや社長の堀内より支店の状態をよく知っているのだから。
堀内花壇駅前通り支店の一階は、天井まで水が押し寄せた。ただの水じゃない。泥水だ。商品の花もレジも泥水に沈んだ。一階にあったものは全て廃棄だった。店として使うなら、改装しなくてはならない。
糸川梨理佳は、つり銭はレジから抜いて、二階に置いてあるので大丈夫なはずだと言った。みふゆの指示だと糸川は言っていた。
堀内は支店を切り捨てるつもりだった。
これを機会に青木みふゆと糸川梨理佳を正式な本店スタッフにしてしまいたかった。
元々潰すはずだったのだ。
十年前の大水害後、建物ごと潰そうとしたが、恩ある高城に商店街に残ってくれと泣きつかれて残しただけだ。
しかし、高城はもう亡くなり、恩義もない。ただ、みふゆが支店をいたく気に入っている。
支店がなくなったらみふゆは辞めてしまうかもしれない。
堀内は決めかねていた。
まさか24時間ベッドに入っていろというわけでもあるまい。
何もするな、休んでいろと言われても、病気ではない京司朗にとって、黙って休んでいる行為はかえって疲れてしまうだけだった。
京司朗は庭に出て煙草を吸いながら、夜に変わっていく遠くの空と、山の木々を見ていた。
唇を重ねたあと、あのままみふゆのそばにいたかった。
柔らかな唇と驚きの表情を思い出して京司朗はまた笑った。
「なーに思いだし笑いしてやがる」
貴之の声に京司朗は振り返った。
「お帰りなさい。早かったですね」
「みふゆが早く眠っちまったからな。今日は相当疲れたみてぇだ」
「熱は?」
「出てねぇ。大丈夫だ」
隣に並んだ貴之が懐から自分の煙草を出した。
京司朗はすかさずポケットからライターを取り出し、貴之の咥えた煙草に火をつけた。
「・・記憶はどうですか?」
京司朗が尋ねた。
貴之はすぐには答えず、煙草を吸った。
「忘れてる。お前が今日訪ねてきたのは覚えてるが、晩メシ食ってる時に『約束を聞くのを忘れた。若頭は次はどこの国に行くのか』と訊いてきた」
「そうですか・・」
「京司朗、屋敷、改築するぞ。畳も車椅子対応の畳に変える。庭もだ」
「わかりました。エレベーターの設置も考えていますが」
「そうだな、二階はまだ案内してなかったな。二階からの夜空はまた格別だ。輝く星がより近くに見える。次々と流れていく流星群や天の川・・。自由に見れるようにしてやりてぇなぁ・・・」
貴之はそれきり黙った。
京司朗は貴之の心中を慮った。そして、あらためて自分の気持ちにも向き合った。
責任を取ろうというわけじゃない。
生涯、車椅子だとしても・・・
━━━━俺は君の人生のすべてが欲しい
その夜、京司朗の愛を知らずに、みふゆは朝まで目覚めることなく眠った。
翌日から、みふゆは熱を出すことなく順調に一日を過ごすようになった。
食事量を少くしたせいか、朝、昼と、食事は無理なく全てたいらげることができている。
食べてしまえる食事量は、みふゆから『残す』罪悪感を取り去って、食べる自信が出てきたようだった。
胡蝶も貴之も、会話のなかに時折過去の話題を織りまぜた。
みふゆはほとんどのことは正確に答えている。
ただ、京司朗のことになるとみふゆの記憶は曖昧になった。
少なくとも、京司朗と出会った当初の頃のことはハッキリと覚えている。とすると、途中でみふゆに何か心境の変化があったのか。
胡蝶は、どのあたりから京司朗に関しては曖昧になっているのか探ろうと考えた。
みふゆは、京司朗が見舞いに訪れたことをきちんと覚えてはいた。が、何を話したかまでは覚えていなかった。
みふゆが入院して五日目の夕方、学校帰りだと海斗が見舞いに訪れ、夕食を一緒に食べていった。
食べながら、海斗の高校の去年の文化祭の話をみふゆは楽しそうに聞いていた。今年の文化祭はこれから準備が始まる。海斗は貴之や胡蝶にはいいようにオモチャにされ、みふゆは明るく笑った。みふゆは夕食もしっかり食べきって、海斗の持ってきたプリンも二個ほどお腹におさめた。食欲が出てきた良い兆候だった。
海斗が帰ると、貴之は堀内が二~三日のうちに見舞いに訪れるとみふゆに伝えた。
ブーブーと、ベッドのサイドテーブルでスマホのバイブレーターが鳴った。堀内健次のスマホだ。
ソファに転がっているデリヘルの女が、
「社長ぉ!電話鳴ってるよー!」
と自分のスマホをいじりながら叫んだ。
堀内はバスルームから「持ってきてくれ」と答えた。
素っ裸に堀内のシャツを羽織っている女は、堀内のスマホを手にしてバスルームに持っていった。
浴室から出てきた堀内は、短い髪をタオルで乱暴に拭きながらスマホを受け取った。
デリヘルの女はここ最近堀内のマンションで寝泊まりをしていた。
堀内がわざわざ呼ぶのは面倒だと女を側においているのだ。堀内専用の『女』だ。
女を気に入った堀内は、デリヘルの経営者に手をまわして、他に客をとらせないようにさせた。その分の金はもちろん支払っている。
堀内は初めて見た時からこの女を気に入っていた。そこには理由がある。
みふゆに似ているからだ。
顔が似ているのではなく、背格好、何より声が似ていた。電話を通した時のみふゆの声と、女の普段の声がよく似ていた。
体つきも同じくらいで、Tシャツを着ている時の胸のふくらみやジーンズの腰回り、尻の形・・、女の体は、みふゆを思い出させた。
脱がせたらきっとみふゆもこの女のような体なのだろうと堀内は思った。
みふゆを自分のものにはできない苛立ちを、堀内はデリヘルの女にぶつけていた。
女から受け取ったスマホのディスプレイに表示された電話番号は、惣領貴之の番号だった。電話に出ると貴之は、
《明日は午後三時に入院患者用の出入り口から入って連絡してくれ》
それだけ伝えて電話を切った。
堀内も「ああ」とだけ返事をした。
みふゆが入院してから一度も会えていない。
洪水の記憶がないみふゆに、支店の状態をありのまま話すわけにはいかない。何かを聞かれても、納得してもらえる理由を考えておかなくてはいけない。支店に関してみふゆはしつこい。根掘り葉掘り聞いてくるはずだ。約二年、みふゆは支店に勤めている。もはや社長の堀内より支店の状態をよく知っているのだから。
堀内花壇駅前通り支店の一階は、天井まで水が押し寄せた。ただの水じゃない。泥水だ。商品の花もレジも泥水に沈んだ。一階にあったものは全て廃棄だった。店として使うなら、改装しなくてはならない。
糸川梨理佳は、つり銭はレジから抜いて、二階に置いてあるので大丈夫なはずだと言った。みふゆの指示だと糸川は言っていた。
堀内は支店を切り捨てるつもりだった。
これを機会に青木みふゆと糸川梨理佳を正式な本店スタッフにしてしまいたかった。
元々潰すはずだったのだ。
十年前の大水害後、建物ごと潰そうとしたが、恩ある高城に商店街に残ってくれと泣きつかれて残しただけだ。
しかし、高城はもう亡くなり、恩義もない。ただ、みふゆが支店をいたく気に入っている。
支店がなくなったらみふゆは辞めてしまうかもしれない。
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