瓶詰めの神

東城夜月

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第二十三話 招来

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永友ながとも君、部活に対してやる気なくしたやろ」
 なごみに憎悪を剥き出しにしたみなとは、裕矢ゆうやにもその刃を向ける。
「……なんでそう思った」
 いきなりそう言われた裕矢は、戸惑ったように言い淀んだ。それを鼻で笑って、湊は続ける。
「バレバレや。今年の春から、あからさまにやる気なくしたやろ。俺からレギュラーの座獲るって言った癖に、気の抜けたペダルの踏み方しよって。あと、森山さんと話しとったことも立ち聞きさせてもろたわ」
「……聞いてたのか」
 なんのことか話が見えず、和は二人の顔を交互に見ることしかできない。裕矢が部活動にやる気をなくしたことと、湊が和を殺したかったことに、一体なんの関係があるというのか。
「入学式の日の騒ぎ、春からの部活の様子。それでなんとなく勘づいとった。森山さんとの話聞いて、やっぱりそうやったんかって納得したよ」
「俺がこいつをどうやってこの学園から逃がすか考えるのに手一杯になって、部活どころじゃなくなったのは認める。だからって、そんなことでこいつを殺そうと思ったのか?」
「そんなこと?」
 嘲笑するような表情を浮かべていた湊の顔が、さっと変わった。目は吊り上がり、牙を剥き出しにするかのように歯を食いしばる。
「やっぱり、お前はなんにもわかってへん。俺が、お前が比名川ひながわに来てからどんなに楽しかったか。本気で競い合うようになって、どれだけ部活に夢中になっとったか。それを、そんなこと、の一言で済ませるなんて」
 湊が鉈を振り下ろした。ぶん、と風を切る音がした。和は身を竦める。自分の知らないところで、こんなにも憎まれていたなんて。
 和が入学してから、裕矢はずっと和をどうやって教団から守るかを考えて行動していたと言っていた。それが、こんなにも誰かを傷つけていたなんて、考えもしなかった。
 有希に人質に取られたとき、湊は、なにもかもどうでもいいと言っていた。その彼が、和を優先した裕矢の振る舞いに対してここまで感情を露わにしている。それだけ、彼にとって裕矢との時間は大切な物だったのだ。
「京都の人間も、比名川の連中も、誰もまともに俺と関わろうとしなかった。お前が、お前だけが生まれも、宗教も関係無しに、部活で、本気で競い合おうとした。なのに、女が来たらそれを勝手に放り出すなんて、納得できるわけないやろ」
「お前の言いたいことはわかった。でもそれはお前と俺との話で、こいつは関係ないだろ」
「そうやって」
 裕矢が言い終わる前に、湊は言った。整った顔は既に歪み、目は据わっている。あの時教室で見た気怠げな美青年はここにはもういない。いるのは、怒りに狂った鬼だ。
「そうやってその女を守ろうとする、その態度に反吐が出る。お前が俺に触らんかったら、俺はずっと他人になんにも期待しないで、退屈なまま、全部どうでもええと思って生きとったのに」
 夕日を反射して、鉈が閃いた。
「責任、取ってや」
 その言葉と同時に、裕矢が和を庇うように前に立った。鉈とバットが正面から激突し、金属音を立てる。
「悪いな、そう言われても、こいつを死なせるわけにはいかないんだ」
 その言葉に湊はなにも言わなかった。代わりに、目を血走らせて鉈を振りかぶった。裕矢はそれを受け流す。はずだった。
 再び鉈とバットが交わった瞬間、悲鳴のような音を立ててバットが砕けた。細かい破片が宙を舞い、割れた部分から先が床に落ち、転がった。
 もう何度も和を守るために刃を受け止め続けていたそれは、限界だったのだ。
 湊が、にたりと笑った。素早く裕矢を突き飛ばし、和に迫る。
「死ね」
 恨みに満ちた怨霊のような、地を這うような声に和の足が凍り付く。鉈を振り上げられても、目を閉じて、身を縮めることしかできなかった。
「和!」
 裕矢の声がした。続けて、目の前に彼が割って入る気配を感じる。でも、もう彼に武器はない。
「裕矢君、だめ!」
 目を開けた瞬間、視界が真っ赤に染まった。
 飛び散る二つの血飛沫が交差して、架け橋を作る。それを和は、ただ眺めていることしかできなかった。
 血に染まった廊下で立ち尽くす和に、無機質なチャイムが降り注ぐ。久しぶりに聞く声が、スピーカーから流れた。
「儀式の勝者が決まりました。武村和さんは体育館に来てください」

 体育館には、溝口みぞぐち結城ゆうきの二人だけが待っていた。
 床には、黒い塗料か何かで線が引かれている。もう沈み掛けている夕日が天窓から降り注いで、それを照らし出していた。
「おめでとうございます、武村和たけむら なごみさん」
 溝口が大仰に拍手をして迎える。
「正直、あなたが勝者になるとは思いませんでした。他者を味方につける愛らしさも、武器の内ということですね。あなたが神と一つになれば、その魅力で全ての者が跪くことでしょう」
「……どうして」
 和は拳を握りしめて、溝口に言った。
「どうしてこんな方法で決めなきゃいけなかったんですか? どうして、わたし達生徒じゃなきゃいけなかったんですか?」
「ふむ、なるほど。真実を知るのも、勝者の権利か……。よろしい、お話ししましょう」
 溝口は眼鏡を中指で押し上げる。それから一呼吸置いて、まるで演説するかのように高らかに語り始めた。
「三十年前、我らが教祖であり、当時片田舎の漁師であった岸上礼介氏は、十一人の乗組員と共に漁に出ました。しかし船は突然の嵐により難破し、阿威封斗神と邂逅した彼だけが生還した、というお話はもう何度もしたことかと思います」
 座学で嫌というほど叩き込まれる話だ。それぐらいは和も知っている。
「実際は因果が逆なのです。かつて阿威封斗神が封印された場所で偶然船が難破し、十一人が水死した。その魂によって、神は降臨なされました」
「それじゃあ、どうしてわたし達に殺し合いをさせたの?」
「まあまあ、焦らないで」
 溝口は手を振り、勿体ぶるように続ける。
「降臨された阿威封斗神は教祖に宿り、力を蓄え続けました。封印されていたために、教祖の生命力によって回復する必要があったのです。しかし、神に必要な生命力は思いの外多かった。教祖は神を宿した時には既に四十五歳。三十年経って七十五歳ともなれば、人間は衰えてきます。教団によって伏せられてきましたが、ここ数年の教祖の衰えは著しいものがありました」
 確かに教団は偉大な教祖と喧伝するのに、教祖自身が公式の場に出てくることは、和が入学してから一度たりともなかった。メディアに出たという話も聞いていない。
「教祖の寿命が近いのは、誰の目から見ても明らかでした。ましてや、教祖に宿っていた神からみれば、いつ命が尽きるかすらわかっていたでしょう。それでも、神が完全になるにはまだ生命力が足りなかった。神は教祖の体に見切りをつけ、その腹を食い破って、お隠れになりました」
「なにを言ってるかわからないよ。教祖の人は、病気かなにかで死んじゃったの?」
 和の言葉に、溝口はゆっくりと首を横に振った。
「言葉どおりですよ。神が教祖の体の中にいた。神は役目を終えた体を捨てたのです。腹を食い破ってね」
「そんなわけない! だってその神は、教祖の作り話でしょう?」
「いいえ。神は存在しています。この世界に、物質的な体を持って。教祖はその存在を伝導するための存在に過ぎなかった」
 溝口は言い切る。和は混乱した。この男は頭がおかしいのだろうか。それとも、神というものが本当にこの世界に存在するのか。
 生徒指導室で見た、都丸の情報が頭を過ぎる。都丸は、黄衣の王なる神に産み落とされ、人間を破滅させるために送り込まれたというのか。
「今度こそ完全なる神を招来するためには、若い命が必要でした。子供ではだめだ、衰え始めた大人でもいけない。子供と大人の境界に立つ、生命力に溢れた高校生という年代は適任だったのです」
「だったら、こんな殺し合いをさせることなかったじゃない! そう言えば、喜んで神になる生徒だっていたでしょう?」
 川崎のように教団に対して熱心だった生徒が他にいないとは考えにくい。そういう生徒にこの話をすれば、喜んだだろう。宗教とはそういうものだと、裕矢が言っていた。
「高校生なら誰でもいい、というわけではないのです。それに、神は一度お隠れになってしまった。もう一度この世に降臨していただくためには、再度儀式を行わなければいけない。十二の雛による争いの儀式を」
「意味分からない! そんなことのために、友達同士で、好きな人同士で、殺し合わせたの?」
「そんなことを、心の底から信じてやり遂げるのが宗教というものなんですよ!」
 溝口の叫びと同時に、床に引かれた線がひとりでに光り始めた。そうして始めて、和はこの線がなにか図形のようなものをかたどっていることに気づいた。
「さあ、真実は教えました。あなたが神の器になる時間です!」
 そう言うと、溝口はなにかを早口で唱え始めた。聞き取れる言葉ではない。恐らく、日本語とは全く違う言語だ。
 彼がなにかを唱えるにつれて、床に描かれた線から炎のように光が揺らめき、立ち上り始めた。 科学では説明し得ない現象を目の当たりにして、和の足が竦んだ。神なんて、教団が語る作り話だと思っていた。それが今、目の前に現れようとしている。
「何故だ、何故神が現れない?」
 一心不乱に何かを唱えていた溝口が、目に見えて動揺する。
「この時のために、あらゆるものを犠牲にして儀式を実現させたと言うのに! 何故!」
 溝口は血走った目で和を睨む。
「まさか、誰か生き残らせたな? 一体どうやって腕輪を誤魔化した!」
「誤魔化してなんかない。わたし達だって、大きな犠牲を出した! もう二度と、取り返しのつかない大きな犠牲を!」
「なら、お前を殺して神を招来させるまでだ!」
 溝口が拳銃を取り出し、和に突きつける。
 体育館に、乾いた発砲音が響いた。
 倒れたのは、溝口だった。今までずっと溝口の後ろで押し黙っていた結城の手に、硝煙が立ち上る拳銃が握られている。
「最期まで、馬鹿な男」
 床に倒れた溝口を見下し、結城は吐き捨てるように言った。
「永友君、どうせいるんでしょう? 出てきなさい」
 結城が呼び掛ける。舞台上の緞帳の影から、裕矢が姿を現した。
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