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⌘2章 高貴なる人質 《こうきなるひとじち》
27.橄欖女皇帝
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若き女皇帝好みの華やかな部屋。
橄欖は華奢な美しい指で、目の前に差し出されたA国からの親書を摘み上げた。
「・・・ご苦労なことだこと。人質に子供を差し出すなんて気が知れない。その人間性を担保に何を信じろというの?」
紙片を放り出し、控えていた総家令の海燕が床に落ちた書類を拾った。
「陛下、人間性は別にして、人質をお預かりする以上、こちらからも代わりを立てませんと」
海燕が事務的に名簿をめくる。
「継室を?男妾なんぞ送りつけられてもあちらも困るでしょうよ。あちらの大統領は実情は存じ上げないけれど、一夫一妻の中年男性よ?」
隣国の元首の顔を思い出し、橄欖は可笑しそうだ。
蝶よ花よと育てられて、毎日美味いものと美しい女官に囲まれて暮らしている橄欖の側室達。
「"高貴なる人質"が、あの方たちに務まるかしらねぇ。あ、三妃はダメよ。あの子、来年オリンピックに出るじゃない?」
4つ年下の元老院参議の息子である三妃は、スキー競技でオリンピックに出る予定なのだ。
まあ、必要となればあとはどれでも、とさして執着も見せない。
正室も継室も大事な政治の話。
身の振り方もまた、同じ政治の話だ。
「橄欖様、二妃様も適さないでしょう?」
「何故?」
「・・・将来、皇帝になるかもしれない方の尊父、と言うことですよ」
皇帝になるかどうかは別としても、女皇帝が産む腹の子の父親をやるわけにはいかないと言う事。
ああ、と、橄欖は頷いた。
「そういうもの?・・・ちょうどいいのではないかと思ったのよ。最近、二妃の実家が煩わしいから」
女皇帝を懐妊させたと言う事で、二妃とその実家が議会でも尊大な振る舞いをするようになっていた。
二妃本人もまた、自分や縁者に官位と生涯年金を賜りたいとねだるようになっていた。
「年金なんて別にやってもいいけれど。・・・手切金ということにしたらダメかしら」
海燕は改めて女皇帝を見た。
政治的バランス以前に、愛情や愛着や執着を見事に欠いた人物だと思う。
前皇帝の蛍石と正室の娘である橄欖は、母王の客死を受けて即位して、五年目の春を迎えていた。
現在、初めての妊娠中で、その成果には本人も満足と言うところだ。
政治と愛情の間で常に苦悩し闘った蛍石女皇帝とはまた違うタイプの人間。
「・・・陛下、このような場合では、継室候補群の家から適任者を選びます」
「そうなの?では、どちらにしろ正室候補群の出の二妃は放り出せないのね」
つまらなそうに言う。
海燕は名簿を橄欖に見せた。
「継室候補群十一家。適した直系の子女がいるのは、四家です。うち、未婚は三名」
「未婚か既婚かなんて、いまさら必要?廷臣よ?」
こちらの必要に応じて、何でもしろ、つまり必要なら離婚しろと言いたいのだ。
「既婚であるとあれこれ面倒ですから」
ふうん、と橄欖は名簿を一瞥した。
「一宮家は・・・何よ、女子で継室の見込みはないから、産まれてすぐに元老院議員の息子と婚約してるのね。この場合は?」
「まあ、無理に通せば元老院から文句は来るでしょう」
「じゃ、松韻家。・・・まだ10歳じゃ、物理的に無理ね。お役に立てませんことね」
「せめて現実的にとおっしゃってください。そもそもまだ不安定な状況ですから、様子を見る形で数年待たせるのも良いのでは?私は、松韻家が一番いいのではないかと思います。・・・数年お待ち頂いて」
待つ間に状況が変わる可能性が高い。
ならば、不幸にも選定された名誉な者が、巻き込まれ、犠牲者になる事が無いように、しばらく凍らせて置きたいというのが海燕の意思ではある。
当主の娘はまだ10歳だが、古くから続く継室筋。
聖堂の司祭の推薦で、兄が三妃として継室に入っている。
「三妃の妹なの?何か言われるの面倒ね。こちらは・・・棕梠家。娘が15歳。まあまあいいじゃない。母親の正式な婚姻届が無いわね。母親の私生児なの?それとも出戻り?」
「・・・・はあ、そちらの御当主は・・・」
珍しく海燕は歯切れ悪い。
「何?」
「そちらは銀星様の乳母でらした方です」
銀星は、蛍石と総家令の五位鷺の息子だ。
自分が即位した時に、廃太子になった。
女皇帝の顔色がさっと変わった。
「・・・五位鷺兄上が、自分の息子が産まれるために、乳母殿を用意したんです」
「・・・では、この娘というのは五位鷺の子?」
橄欖はため息をついた。
母王は、父や自分を置いて離宮に移ってしまったのだ。
愛人と、その先で産まれ愛された子。
そして、その妻、そしてその娘とは。
今更またこの話に遭遇するとは。
父や父の実家の祖父母が彼らのせいで、いかに誇りを傷つけられたかはよく知っている。
それは自分も。
彼らが暮らした離宮は宮城に返還されて祖父母がしばらく社交の場として使っていたが、あまりの利便の悪さに今は誰も訪れない。
自分は訪れる気にもならないけれど。
「なるほどね。ギルドを議会に引っ張り込みたい総家令に目をつけられて役目が終わったら蛍石帝に離婚させられたって方ね」
宮廷で彼女の身の上は概ねそういう認識だ。
家令達もそれを否定どころか、大いに肯定していた。
それが残雪を守る事になるから。
いや、実はあの方達は非常にお幸せで、などと言ったら、この宮廷では興味どころか嫉妬や反感をかうだろう。
それが、どのような悪意の形で、残雪やその娘や、廃された小太子に刃として向かうかわからない。
「不愉快なこと。お前たち家令の不始末よね。・・・その棕梠家の当主の名前は?」
「・・・棕梠佐保姫残雪様です」
変な名前ね、と女皇帝が眉を寄せた。
その時、家令の蓮角が案内して、橄欖のお気に入りの友人である貴族の子弟達が遊びに行こうと誘いに来たのに、橄欖は微笑んだ。
もうこの話題は終わり、と言う事だ。
「・・・棕櫚家に、10日後に出発せよ、もし従わないなら収監だって加えて正式な文書を出しなさい」
橄欖は、友人達が持参した花束や着飾った小型犬を歓声を上げて受け取った。
家柄がよく同じ年頃の彼等は女皇帝の取り巻きでもあり、また欠かせぬ政治的な部品でもある。
父親の家の人間達が厳選してその都度用意する、女皇帝の遊び相手。
「蓮角が御同伴致しますので、どうぞお体をお大切にお楽しみください」
海燕はその手を取って立ち上がらせると、恭しく礼をした。
蓮角は、典医でもあるし、二度、妊娠出産の経験もある。
初めての懐妊、そして出産を迎える女皇帝が何より心配で、海燕としては頼りにしていた。
しかし、橄欖は不愉快そうに首を振った。
「あの女家令がいては誰も楽しめないわ。私に、友人に無礼をしろと言うの?」
そう言って橄欖が手を払った。
私は家令とは馴れ合わない。
母親とは違う。
それは、彼女の強い意志だ。
海燕は女皇帝とその友人達を送り出すと、テーブルの上の名簿をまた眺めた。
亡き女皇帝と兄弟子ならば、決して許さない人事だろうに。
何かがまた動き出した予感に、首筋がピリピリとするのを感じた。
橄欖は華奢な美しい指で、目の前に差し出されたA国からの親書を摘み上げた。
「・・・ご苦労なことだこと。人質に子供を差し出すなんて気が知れない。その人間性を担保に何を信じろというの?」
紙片を放り出し、控えていた総家令の海燕が床に落ちた書類を拾った。
「陛下、人間性は別にして、人質をお預かりする以上、こちらからも代わりを立てませんと」
海燕が事務的に名簿をめくる。
「継室を?男妾なんぞ送りつけられてもあちらも困るでしょうよ。あちらの大統領は実情は存じ上げないけれど、一夫一妻の中年男性よ?」
隣国の元首の顔を思い出し、橄欖は可笑しそうだ。
蝶よ花よと育てられて、毎日美味いものと美しい女官に囲まれて暮らしている橄欖の側室達。
「"高貴なる人質"が、あの方たちに務まるかしらねぇ。あ、三妃はダメよ。あの子、来年オリンピックに出るじゃない?」
4つ年下の元老院参議の息子である三妃は、スキー競技でオリンピックに出る予定なのだ。
まあ、必要となればあとはどれでも、とさして執着も見せない。
正室も継室も大事な政治の話。
身の振り方もまた、同じ政治の話だ。
「橄欖様、二妃様も適さないでしょう?」
「何故?」
「・・・将来、皇帝になるかもしれない方の尊父、と言うことですよ」
皇帝になるかどうかは別としても、女皇帝が産む腹の子の父親をやるわけにはいかないと言う事。
ああ、と、橄欖は頷いた。
「そういうもの?・・・ちょうどいいのではないかと思ったのよ。最近、二妃の実家が煩わしいから」
女皇帝を懐妊させたと言う事で、二妃とその実家が議会でも尊大な振る舞いをするようになっていた。
二妃本人もまた、自分や縁者に官位と生涯年金を賜りたいとねだるようになっていた。
「年金なんて別にやってもいいけれど。・・・手切金ということにしたらダメかしら」
海燕は改めて女皇帝を見た。
政治的バランス以前に、愛情や愛着や執着を見事に欠いた人物だと思う。
前皇帝の蛍石と正室の娘である橄欖は、母王の客死を受けて即位して、五年目の春を迎えていた。
現在、初めての妊娠中で、その成果には本人も満足と言うところだ。
政治と愛情の間で常に苦悩し闘った蛍石女皇帝とはまた違うタイプの人間。
「・・・陛下、このような場合では、継室候補群の家から適任者を選びます」
「そうなの?では、どちらにしろ正室候補群の出の二妃は放り出せないのね」
つまらなそうに言う。
海燕は名簿を橄欖に見せた。
「継室候補群十一家。適した直系の子女がいるのは、四家です。うち、未婚は三名」
「未婚か既婚かなんて、いまさら必要?廷臣よ?」
こちらの必要に応じて、何でもしろ、つまり必要なら離婚しろと言いたいのだ。
「既婚であるとあれこれ面倒ですから」
ふうん、と橄欖は名簿を一瞥した。
「一宮家は・・・何よ、女子で継室の見込みはないから、産まれてすぐに元老院議員の息子と婚約してるのね。この場合は?」
「まあ、無理に通せば元老院から文句は来るでしょう」
「じゃ、松韻家。・・・まだ10歳じゃ、物理的に無理ね。お役に立てませんことね」
「せめて現実的にとおっしゃってください。そもそもまだ不安定な状況ですから、様子を見る形で数年待たせるのも良いのでは?私は、松韻家が一番いいのではないかと思います。・・・数年お待ち頂いて」
待つ間に状況が変わる可能性が高い。
ならば、不幸にも選定された名誉な者が、巻き込まれ、犠牲者になる事が無いように、しばらく凍らせて置きたいというのが海燕の意思ではある。
当主の娘はまだ10歳だが、古くから続く継室筋。
聖堂の司祭の推薦で、兄が三妃として継室に入っている。
「三妃の妹なの?何か言われるの面倒ね。こちらは・・・棕梠家。娘が15歳。まあまあいいじゃない。母親の正式な婚姻届が無いわね。母親の私生児なの?それとも出戻り?」
「・・・・はあ、そちらの御当主は・・・」
珍しく海燕は歯切れ悪い。
「何?」
「そちらは銀星様の乳母でらした方です」
銀星は、蛍石と総家令の五位鷺の息子だ。
自分が即位した時に、廃太子になった。
女皇帝の顔色がさっと変わった。
「・・・五位鷺兄上が、自分の息子が産まれるために、乳母殿を用意したんです」
「・・・では、この娘というのは五位鷺の子?」
橄欖はため息をついた。
母王は、父や自分を置いて離宮に移ってしまったのだ。
愛人と、その先で産まれ愛された子。
そして、その妻、そしてその娘とは。
今更またこの話に遭遇するとは。
父や父の実家の祖父母が彼らのせいで、いかに誇りを傷つけられたかはよく知っている。
それは自分も。
彼らが暮らした離宮は宮城に返還されて祖父母がしばらく社交の場として使っていたが、あまりの利便の悪さに今は誰も訪れない。
自分は訪れる気にもならないけれど。
「なるほどね。ギルドを議会に引っ張り込みたい総家令に目をつけられて役目が終わったら蛍石帝に離婚させられたって方ね」
宮廷で彼女の身の上は概ねそういう認識だ。
家令達もそれを否定どころか、大いに肯定していた。
それが残雪を守る事になるから。
いや、実はあの方達は非常にお幸せで、などと言ったら、この宮廷では興味どころか嫉妬や反感をかうだろう。
それが、どのような悪意の形で、残雪やその娘や、廃された小太子に刃として向かうかわからない。
「不愉快なこと。お前たち家令の不始末よね。・・・その棕梠家の当主の名前は?」
「・・・棕梠佐保姫残雪様です」
変な名前ね、と女皇帝が眉を寄せた。
その時、家令の蓮角が案内して、橄欖のお気に入りの友人である貴族の子弟達が遊びに行こうと誘いに来たのに、橄欖は微笑んだ。
もうこの話題は終わり、と言う事だ。
「・・・棕櫚家に、10日後に出発せよ、もし従わないなら収監だって加えて正式な文書を出しなさい」
橄欖は、友人達が持参した花束や着飾った小型犬を歓声を上げて受け取った。
家柄がよく同じ年頃の彼等は女皇帝の取り巻きでもあり、また欠かせぬ政治的な部品でもある。
父親の家の人間達が厳選してその都度用意する、女皇帝の遊び相手。
「蓮角が御同伴致しますので、どうぞお体をお大切にお楽しみください」
海燕はその手を取って立ち上がらせると、恭しく礼をした。
蓮角は、典医でもあるし、二度、妊娠出産の経験もある。
初めての懐妊、そして出産を迎える女皇帝が何より心配で、海燕としては頼りにしていた。
しかし、橄欖は不愉快そうに首を振った。
「あの女家令がいては誰も楽しめないわ。私に、友人に無礼をしろと言うの?」
そう言って橄欖が手を払った。
私は家令とは馴れ合わない。
母親とは違う。
それは、彼女の強い意志だ。
海燕は女皇帝とその友人達を送り出すと、テーブルの上の名簿をまた眺めた。
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