上 下
23 / 62
⌘1章 雲母の水底 《きららのみなぞこ》

23.山猫

しおりを挟む
 「ご婦人」「先程」「帰られました」。
部下が報告した単語だけ耳が拾った瞬間に十一じゅういちは慌てて基地を飛び出した。
わかったと言わない自分に痺れを切らしたか見切りをつけて、残雪ざんせつが出て行ったのだ。
とんでもない女だ、冗談じゃない、何考えてるんだ、逮捕されて収監してもらえ。
四輪の全地形対応車クアッドを走らせて、十一じゅういちが毒付いた。
極北に春はまだ遠く、雪が降り続いている。
自然保護条約が締結されている地区は確かに非交戦地域ではある。
だが、もし演習中の兵や、脱走兵や兵隊崩れに遭遇すればどうなる。
戦場で何らかの正しさは存在しても、理性等無いに等しい。
加えて、自然保護地区になる程なのだから、自然が豊か、つまり暴力的なまでに圧倒的なのだ。
大型の野生動物も多く、この土地では常に彼らが正義だ。
人間等、ほふられても当然とばかりに。
ふと、獣の気配がした。
風に乗って狼が何かを知らせる遠吠えが聞こえた。
十一じゅういちが東北東にハンドルを切った。

 前方で、馬上の残雪ざんせつと、狼の群れが対峙しているのが見えた。
飢えた狼は人間の女と馬はリスクの少ない良い狩りとなると判断したのだろう。
背後から十一じゅういちが近付いたと気付いた残雪ざんせつが手で制した。
駆逐くちくするな、刺激するなと言う事か。
訝しげにしていると、残雪ざんせつが馬から降りた。
何をしているんだと叫びたくなったが、堪える。
怯えた馬の顔に、自分が着ていたケープを掛けて目を隠して、何度か撫でてやる。
馬は落ちつき、静かになった。
残雪ざんせつが馬よりも前に出て銃を構えた。
他の個体より一回り大きい一匹にピタリと銃口を向けていた。
狼は群れで動く。
あれが、大将トップか。
残雪ざんせつはどれがリーダーが見定めたのか。
しかし、距離がありすぎる。
当たらなければ、他が次々と向かって来るだろう。
狩りにおいてその才能は、人間は獣以下だ。
しかし十一じゅういちは残雪ざんせつに近づき、驚いた。
猫のように瞳が動き、きゅっと瞳孔が小さくなって、目の色が明るくなり世界を反射したように見える。
普通、こういう状況であれば、交感神経が働きアドレナリンが放出されて呼吸数が増えて、心拍数が上がり、瞳孔が開く。
体温が上がり、興奮した人間独特の体臭がするものだ。
今、残雪は鎮静しているのか。
いや、なぎというより、集中か。
十一じゅういちは獣の群れに背を向けて、自分の肩を手で示した。
残雪ざんせつは意図を悟って、十一じゅういちの胸に潜り込んで、肩越しに銃口を向けて腿に自分の膝を立てた。
多少安定が悪いと残雪ざんせつが不満そうに小さく声を出したのに、十一じゅういち残雪のざんせつ腰を支えた。
残雪の心臓の音が聞こえた。
心拍数が下がって行くのを感じた。
この状況で、心拍数まで下がるのか、と十一じゅういちは驚いた。
「・・・外すなよ、よく狙え」
残雪ざんせつはゆっくり浅く息を吐いたのと同時にトリガーを迷いなく素早く引いた。

 帰途につきながら、十一じゅういちが説教を続けていた。
「野生動物は、オオカミやハイイログマだけじゃない。オオヤマネコとか、猫科の大型獣だっている!」
狼の群れは、残雪ざんせつの放った銃弾に倒れた大将リーダーの死を確認すると去って行った。
勝負がついたのだ。
群れと言うのは現実的に出来ているものだ。
死をもたらす女神の腕から逃れ、もはや自ら破滅には近づかないだろう。
たおれた仲間に別れの挨拶か、仲間を殺した者に呪いのつもりか、遠くで狼が遠吠えをした。
それが遠くなり聞こえなくなると、腕の中の残雪ざんせつの体温と心拍数が徐々に上がり始めたのを感じた。
彼女はするりと十一じゅういちの腕から抜け出すと、「いやぁ、よかったよかった」と言い、ねぇ?と呑気に同意を求めた。
それに十一じゅういちは雷を落としたわけだ。
こんなバカはまだ年端も行かない弟妹弟子でも見た試しがない。
しかし、残雪ざんせつは更に呑気なもので。
「ヤマネコって何?ウミネコとは違う?」
と尋ねる始末。
「初めて聞いた。どんな生き物?」と驚いた顔をしている。
十一じゅういちは舌打ちした。
鳥と猫の違いの話ではなく、それだけ危険だと言ったつもりが全く響かない。
「君みたいなやつのことだ!猫だ!大きな猫!」
また怒鳴られて残雪ざんせつが膨れた。
「こんな寒い場所に猫なんかいるわけないじゃない。猫はあったかい場所が原産なのよ。確か、エジプトよ?・・・大体、私、命の恩人なのになんで怒られるの?あのままだったら二人とも今頃おいしく食べられてたとこよ?!」
「・・・そんな状況にしたの、誰ですかね?」
残雪ざんせつは馬に角砂糖をあげながら自分も何個もかじっている。
「そうね。十一じゅういちが、早く言うこと聞いてくれたらこんなことならなかったものね」
十一じゅういちはさすがに唖然とした。
そのふさがらない開いた口に、残雪ざんせつが角砂糖を放り込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

青天のヘキレキ

ましら佳
青春
⌘ 青天のヘキレキ 高校の保健養護教諭である金沢環《かなざわたまき》。 上司にも同僚にも生徒からも精神的にどつき回される生活。 思わぬ事故に巻き込まれ、修学旅行の引率先の沼に落ちて神将・毘沙門天の手違いで、問題児である生徒と入れ替わってしまう。 可愛い女子とイケメン男子ではなく、オバちゃんと問題児の中身の取り違えで、ギャップの大きい生活に戸惑い、落としどころを探って行く。 お互いの抱えている問題に、否応なく向き合って行くが・・・・。 出会いは化学変化。 いわゆる“入れ替わり”系のお話を一度書いてみたくて考えたものです。 お楽しみいただけますように。 他コンテンツにも掲載中です。

仔猫のスープ

ましら佳
恋愛
 繁華街の少しはずれにある小さな薬膳カフェ、金蘭軒。 今日も、美味しいお食事をご用意して、看板猫と共に店主がお待ちしております。 2匹の仔猫を拾った店主の恋愛事情や、周囲の人々やお客様達とのお話です。 お楽しみ頂けましたら嬉しいです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない

めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」 村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。 戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。 穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。 夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

『イケメンイスラエル大使館員と古代ユダヤの「アーク探し」の5日間の某国特殊部隊相手の大激戦!なっちゃん恋愛小説シリーズ第1弾!』

あらお☆ひろ
キャラ文芸
「なつ&陽菜コンビ」にニコニコ商店街・ニコニコプロレスのメンバーが再集結の第1弾! もちろん、「なっちゃん」の恋愛小説シリーズ第1弾でもあります! ニコニコ商店街・ニコニコポロレスのメンバーが再集結。 稀世・三郎夫婦に3歳になったひまわりに直とまりあ。 もちろん夏子&陽菜のコンビも健在。 今作の主人公は「夏子」? 淡路島イザナギ神社で知り合ったイケメン大使館員の「MK」も加わり10人の旅が始まる。 ホテルの庭で偶然拾った二つの「古代ユダヤ支族の紋章の入った指輪」をきっかけに、古来ユダヤの巫女と化した夏子は「部屋荒らし」、「ひったくり」そして「追跡」と謎の外人に追われる! 古代ユダヤの支族が日本に持ち込んだとされる「ソロモンの秘宝」と「アーク(聖櫃)」に入れられた「三種の神器」の隠し場所を夏子のお告げと客観的歴史事実を基に淡路、徳島、京都、長野、能登、伊勢とアークの追跡が始まる。 もちろん最後はお決まりの「ドンパチ」の格闘戦! アークと夏子とMKの恋の行方をお時間のある人はゆるーく一緒に見守ってあげてください! では、よろひこー (⋈◍>◡<◍)。✧♡!

ハレマ・ハレオは、ハーレまない!~億り人になった俺に美少女達が寄ってくる?だが俺は絶対にハーレムなんて作らない~

長月 鳥
キャラ文芸
 W高校1年生の晴間晴雄(ハレマハレオ)は、宝くじの当選で億り人となった。  だが、彼は喜ばない。  それは「日本にも一夫多妻制があればいいのになぁ」が口癖だった父親の存在が起因する。  株で儲け、一代で財を成した父親の晴間舘雄(ハレマダテオ)は、金と女に溺れた。特に女性関係は酷く、あらゆる国と地域に100名以上の愛人が居たと見られる。  以前は、ごく平凡で慎ましく幸せな3人家族だった……だが、大金を手にした父親は、都心に豪邸を構えると、金遣いが荒くなり態度も大きく変わり、妻のカエデに手を上げるようになった。いつしか住み家は、人目も憚らず愛人を何人も連れ込むハーレムと化し酒池肉林が繰り返された。やがて妻を追い出し、親権を手にしておきながら、一人息子のハレオまでも安アパートへと追いやった。  ハレオは、憎しみを抱きつつも父親からの家賃や生活面での援助を受け続けた。義務教育が終わるその日まで。  そして、高校入学のその日、父親は他界した。  死因は【腹上死】。  死因だけでも親族を騒然とさせたが、それだけでは無かった。  借金こそ無かったものの、父親ダテオの資産は0、一文無し。  愛人達に、その全てを注ぎ込み、果てたのだ。  それを聞いたハレオは誓う。    「金は人をダメにする、女は男をダメにする」  「金も女も信用しない、父親みたいになってたまるか」  「俺は絶対にハーレムなんて作らない、俺は絶対ハーレまない!!」  最後の誓いの意味は分からないが……。  この日より、ハレオと金、そして女達との戦いが始まった。  そんな思いとは裏腹に、ハレオの周りには、幼馴染やクラスの人気者、アイドルや複数の妹達が現れる。  果たして彼女たちの目的は、ハレオの当選金か、はたまた真実の愛か。  お金と女、数多の煩悩に翻弄されるハレマハレオの高校生活が、今、始まる。

処理中です...