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第一章 泡沫の花
1-3 変わった花街
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「どうぞ」
再度声をかけて、女性を裏口近くのお手洗いへと案内する。豪奢な廊下、どんちゃん騒ぎする部屋に、静かなのもある。
楽しんでいるようで何よりだ。料理長は、死にかけているが。
「……あの」
「はい」
「すみ、ません。わたくし、いくらなんでしょう」
「はい……はい?」
お手洗いに入ると、すぐに蛇口をひねって水を出す。濡らして手首までごしごし洗う。枯れ枝のような腕には血が滲む痣が覗いた。
離れようとした茉莉花は思わず足を止めて、女性を凝視する。
女性は繰り返す。いくらか、と。
(いくら。食事代なわけない、か)
なんとなく問われた意味は察したが、当たっているとは思いたくない。さすがに従業員から指摘するのは憚られる。
話術も皆無な茉莉花には誤魔化すのも無理そうだ。
一瞬の葛藤、茉莉花の妄想だと一蹴するか、それとも。
すぐさま結論は出て、再度茉莉花は女性へ訊ねた。
「申し訳ございません、どういう意味でしょうか」
「わたくし、ここに売られるんですよね。身売り、ですよね」
数秒沈黙する。
それから彼女が大きな勘違いをしているのを理解した。
茉莉花も初めて来たとき勘違いしていたので、気持ちはわかる。まずはそこから正すべきだ。
「違います。ここは身売りなどは受け付けていません」
「でも、花街で、妓楼で」
「妓楼はありません。花街も、名残で呼ばれているだけです」
「え、え……?」
戸惑う彼女に、茉莉花は自分が口下手なのを恨んだ。
勘違いを正せる説明が、出来るだろうか。
「花送町の花街、全ての店で体を売る――つまり性的サービスなどはしていません」
「そ、うなんですか」
「そうです。この町にある店は基本的に全て、社交場です」
「社交場、それは、からだの」
「いえ。違います。狐花を含め花街の店は、あやかしと人間がお互いを理解するための機会を作る社交場って意味です」
ハナメも、あやかし、人間、男女色々働いている。
当然お触りは禁止。
会話とハナメが得意な芸を見せる程度だ。
楽しく食事して、お互いの常識や遊びなど話して終わりである。
「花送町にいるあやかしは人間を、人間はあやかしを、より深く知りたいと願っているそうです」
「……あやかしが?」
「あやかしも人間も。好きで町へ、やって来たものはお互いが気になって仕方ない。仲良くしたいそうで。その欲を満たすのが、この花街なんです」
「なかよく、だなんて」
「……外で気軽に話せればいいのですが、自分とは違う存在と緊張するから、こういうところで実際の人間やあやかしと対話して事前知識を得て、本番に備えるんです。外で友達に、親友に、知人になるよう、よりよい関係を築くための勉強の場です」
ただここでの話は楽しいからと、学んだ後も遊びに来るのが多い。それで常連がいて、繁盛している。
ハナメに美女美男が選ばれるのは、まぁ、悲しいが見目麗しい方が印象が良いのだ。
仕方ないで済ましたくない事実である。
だがそのおかげで、平々凡々な茉莉花がハナメにならずに済んだのも事実だ。正直、特出した芸もなければ教養、話術もないので、お稽古あたりでリタイアする自信がある。
「――という、ので。つまり誰かが誰かを売るなんてことはないのです。従業員は全員希望者です。人気職業だそうですよ。ハナメになるのは、かなりの努力がいるのですが」
「そう、だったんですね。わたくし、てっきり」
花街と言われれば誤解もする。
それに昔は、本来の意味で花街だったらしい。
今は身売りなどの単語は一切聞かない。客も、それが目当てなのを見たことがない。
女性は気が抜けたのか、がくんとその場に膝をつく。
茉莉花はすかさず支えて背中をさすれば、女性の目には涙が浮かんでいる。
よほど恐ろしいかったらしい。身売りと勘違いしていれば当たり前だが。
(あのあやかしさん――大男さまとは、どういう関係なのですか、なんて。首を突っ込みすぎか)
誰だって触れられたくない部分は持つ。
気になるのを無視できない質だが、店の従業員として大人しく黙るのが正しいはずだ。
こほんと咳払いをして、女性を立ち上がらせると安心させるように手を握る。
表情が動かない自分では力不足かもしれないが、少しでも不安を和らげたい。
「だから今宵は、気兼ねなく楽しんでください。もしハナメに人間がいた方が良いなら、手配いたします」
「いえ、いいえ。あの、団子は」
「きちんと用意いたします」
意味を込めて頷けば、女性は俯いてしまった。
やはり伝わらなかった、悔しさが胸を締め付けるのに顔は動いてくれない。わかりやすい言葉で伝えられたら良いが、聞かれてしまうと大変なことになる。
(ごめんなさい)
一つの謝罪を落とせば、女性は気丈に笑って「行きましょう」と前へ進んでいった。
その背中が、女性がまぶしくて、思わず目を細めて「はい」と頷くしか出来なかった。
茉莉花は送り届けてから、厨房に好みの味付けなどの報告のち、出来上がった品を運んだ。
美味しそうな食事にお腹が鳴るのを耐えて、そっと廊下に出た。
最後、女性と目があった気がした。
だが届けて数秒、茉莉花が立ち去る瞬間に女性が悲鳴を上げてのたうち回った。
あまりの苦しみように、男手が必要だと下働きが何人も入り、女性を担ぎ上げると空いた部屋へと連れて行く。
そうして食事を運んだ茉莉花は、大男に犯人扱いをされる事態へと発展したのである。
再度声をかけて、女性を裏口近くのお手洗いへと案内する。豪奢な廊下、どんちゃん騒ぎする部屋に、静かなのもある。
楽しんでいるようで何よりだ。料理長は、死にかけているが。
「……あの」
「はい」
「すみ、ません。わたくし、いくらなんでしょう」
「はい……はい?」
お手洗いに入ると、すぐに蛇口をひねって水を出す。濡らして手首までごしごし洗う。枯れ枝のような腕には血が滲む痣が覗いた。
離れようとした茉莉花は思わず足を止めて、女性を凝視する。
女性は繰り返す。いくらか、と。
(いくら。食事代なわけない、か)
なんとなく問われた意味は察したが、当たっているとは思いたくない。さすがに従業員から指摘するのは憚られる。
話術も皆無な茉莉花には誤魔化すのも無理そうだ。
一瞬の葛藤、茉莉花の妄想だと一蹴するか、それとも。
すぐさま結論は出て、再度茉莉花は女性へ訊ねた。
「申し訳ございません、どういう意味でしょうか」
「わたくし、ここに売られるんですよね。身売り、ですよね」
数秒沈黙する。
それから彼女が大きな勘違いをしているのを理解した。
茉莉花も初めて来たとき勘違いしていたので、気持ちはわかる。まずはそこから正すべきだ。
「違います。ここは身売りなどは受け付けていません」
「でも、花街で、妓楼で」
「妓楼はありません。花街も、名残で呼ばれているだけです」
「え、え……?」
戸惑う彼女に、茉莉花は自分が口下手なのを恨んだ。
勘違いを正せる説明が、出来るだろうか。
「花送町の花街、全ての店で体を売る――つまり性的サービスなどはしていません」
「そ、うなんですか」
「そうです。この町にある店は基本的に全て、社交場です」
「社交場、それは、からだの」
「いえ。違います。狐花を含め花街の店は、あやかしと人間がお互いを理解するための機会を作る社交場って意味です」
ハナメも、あやかし、人間、男女色々働いている。
当然お触りは禁止。
会話とハナメが得意な芸を見せる程度だ。
楽しく食事して、お互いの常識や遊びなど話して終わりである。
「花送町にいるあやかしは人間を、人間はあやかしを、より深く知りたいと願っているそうです」
「……あやかしが?」
「あやかしも人間も。好きで町へ、やって来たものはお互いが気になって仕方ない。仲良くしたいそうで。その欲を満たすのが、この花街なんです」
「なかよく、だなんて」
「……外で気軽に話せればいいのですが、自分とは違う存在と緊張するから、こういうところで実際の人間やあやかしと対話して事前知識を得て、本番に備えるんです。外で友達に、親友に、知人になるよう、よりよい関係を築くための勉強の場です」
ただここでの話は楽しいからと、学んだ後も遊びに来るのが多い。それで常連がいて、繁盛している。
ハナメに美女美男が選ばれるのは、まぁ、悲しいが見目麗しい方が印象が良いのだ。
仕方ないで済ましたくない事実である。
だがそのおかげで、平々凡々な茉莉花がハナメにならずに済んだのも事実だ。正直、特出した芸もなければ教養、話術もないので、お稽古あたりでリタイアする自信がある。
「――という、ので。つまり誰かが誰かを売るなんてことはないのです。従業員は全員希望者です。人気職業だそうですよ。ハナメになるのは、かなりの努力がいるのですが」
「そう、だったんですね。わたくし、てっきり」
花街と言われれば誤解もする。
それに昔は、本来の意味で花街だったらしい。
今は身売りなどの単語は一切聞かない。客も、それが目当てなのを見たことがない。
女性は気が抜けたのか、がくんとその場に膝をつく。
茉莉花はすかさず支えて背中をさすれば、女性の目には涙が浮かんでいる。
よほど恐ろしいかったらしい。身売りと勘違いしていれば当たり前だが。
(あのあやかしさん――大男さまとは、どういう関係なのですか、なんて。首を突っ込みすぎか)
誰だって触れられたくない部分は持つ。
気になるのを無視できない質だが、店の従業員として大人しく黙るのが正しいはずだ。
こほんと咳払いをして、女性を立ち上がらせると安心させるように手を握る。
表情が動かない自分では力不足かもしれないが、少しでも不安を和らげたい。
「だから今宵は、気兼ねなく楽しんでください。もしハナメに人間がいた方が良いなら、手配いたします」
「いえ、いいえ。あの、団子は」
「きちんと用意いたします」
意味を込めて頷けば、女性は俯いてしまった。
やはり伝わらなかった、悔しさが胸を締め付けるのに顔は動いてくれない。わかりやすい言葉で伝えられたら良いが、聞かれてしまうと大変なことになる。
(ごめんなさい)
一つの謝罪を落とせば、女性は気丈に笑って「行きましょう」と前へ進んでいった。
その背中が、女性がまぶしくて、思わず目を細めて「はい」と頷くしか出来なかった。
茉莉花は送り届けてから、厨房に好みの味付けなどの報告のち、出来上がった品を運んだ。
美味しそうな食事にお腹が鳴るのを耐えて、そっと廊下に出た。
最後、女性と目があった気がした。
だが届けて数秒、茉莉花が立ち去る瞬間に女性が悲鳴を上げてのたうち回った。
あまりの苦しみように、男手が必要だと下働きが何人も入り、女性を担ぎ上げると空いた部屋へと連れて行く。
そうして食事を運んだ茉莉花は、大男に犯人扱いをされる事態へと発展したのである。
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