陽の目をみないレクイエム

吉川知美

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終楽章(後篇)

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                               (3)

    いつも同じように。変わりなく。
    玄関で客を迎えることを何百回とくり返しても、初めての日と今日の心に変わりはない。初めての客と、何十回目の客。どちらも同じ、柔らかな緊張感でお迎えする。特別はない。すべての客が特別であるから。
    いつもは自然とそう出来ているけれど、それでもやはり、いつもとは違う心の高ぶりを覚える。私の伝えたことを、彼は本当に信じているのだろうか。彼のかもす雰囲気は、あの人に似ているのか。予約時間の直前になって、おぼつかなさを感じ、客としてサロンで会うのではなく、長岡京市のどこかのカフェで待ち合わせた方が良かったのではと、少し後悔もした。
    チャイムが鳴る。ドクンと心臓がなる。
    ドアを開けてすぐに、杞憂であったと悟る。そこには屈託のない笑顔があり、同じ悲しみを抜けた、同士の安らぎが漂っていた。

    施術をスタートさせ、そこに2人だけの静かな空間が広がっていても、心騒がせる必要はなかった。何を話そうか、どう伝えようか、悩まなくていい。心の奥に静かな海を抱えた人だ、この人は。お兄さんと違って快活な雰囲気をまとっているけれど、それでも内側には沈着がある。
「なんで白川さんが兄と会ったのか、不思議に思ってたけど、なんか分かる気がします」
「わたし、霊能力者っぽいですか」
「いや、そうじゃなくて。初対面なのに緊張しなくて、ふつうは人に言わないことでも話せる、というか」
「それはマッサージ効果です。こうやって手で肌に触れられてると、オキシトシンという、人を幸せな気持ちにさせるホルモンが分泌されるんです。あ、でもこのホルモンは触れてくる相手の感情に同調するので、セラピストが優しい気持ちでないと、リラックス効果はうまれないんですよ」
    ひとまわりして自分を誇るようなことを口にしてしまい、それでも事実なのだからいいか、とどこか開き直ってみる。彼の、納得したふうに放った何かしらの言葉も、正面からキャッチしない。
    うつぶせで寝ている彼の左脚を長くストロークしながら、私はゆっくり話す。動きに合わせ、空気に合わせて。
「こうやって人の疲れを癒すのがほんと好きなので、自然と優しい気持ちになれるんですが、でもふだんは、そうじゃなかったりするんです。すごく落ち込んで、ふさぎ込んで、、いらいらしたり、ひがんだり。たぶん、そんなだから、かわいてる私の心がお兄さんを引き寄せたんだと思います」
    彼は考える様子で、また静かな空気が部屋を満たす。

   
    5月に山科へ弔いに行った後、hiroyukiにDMで伝えようかと幾度も迷った。結局、打った言葉はふわっと宙に消えた。また偶然会えるのではと勝竜寺城公園へ行ったりもしたけれど、彼の気配はどこにもなかった。
    ツツジの後は、彼の自宅の庭から撮ったという、雨上がりのピンクの空が1枚。雨の日が多いためか、彼の新たな投稿は長らくなかった。
    6月の中頃、hiroyukiが久々に投稿した写真を見て、私の頭は混乱した。キャプションには『4年前の夏、恵解山古墳にて。天王山をながむる兄の横顔。いつも優しかった。亡くなってもなお、優しさは遺る』とある。スクロールして、見たことのない、彼の何年も前の投稿を見る。探す。弟、hiroyukiの顔を。
    違う。違って当たり前か。瓜二つの兄弟なんて、そうはいない。タッチして元の画面に戻り、その横顔を見つめる。紛れもない、2度会った人の美しい横顔を。
    今度はためらうことなく、hiroyukiにDMを送った。少し前、桜の時とツツジの頃に、お兄さんに会ったこと。お兄さんは優しい顔をしていたこと。貴方の想いは必ずお兄さんに伝わっていると感じることを。
     
                          (4)

    施術が終わりに近づいたとき、彼は小さな声で「僕は長いこと、兄の気持ちを誤解してたんです」と切り出した。細かなことをたずねはしなかったし、彼も出来事ではなく感情を軸にして話した。その中で、彼のお兄さんが事故で言葉を交わせないまま亡くなったとう事実を知り、やはり、という思いがうまれた。
    伝えられなかった言葉、届かなかった思い。弟は兄の死後、他の口から、兄の気持ちを深く知った。兄が思いを寄せているのではと感じていた女性との、3年前の結婚。弟の結婚に対する、兄の心からの祝福の気持ちを。
    美しく穏やかなお兄さんの顔を浮かべながら私は、彼自身が苦しかったわけではない。苦しむ弟のことを彼は思っていたのだと確信した。弟が苦しみから解かれ、兄の憂いは晴れたのだろう。ただ、お兄さんの言葉を思い返すと、弟のために彼は、彼女への思いを断ち切ったのだと、私はそう感じた。
    美しい後悔と、優しい彼の着地点。

「天王山駅のロータリーのアジサイが、今きれいに咲いてますよ」
    左を指差しながら、玄関で私は彼を送り出す。
「そうですか。今日はカメラをもってないけど、寄ってみます」
   一礼して顔をあげたときの彼の目は、とても澄んでいた。

    1階の施術部屋を片付けていると、トントンと軽快な足どりで宮原さんが階段を下りてくる。部屋をのぞき、「お疲れ様です」と言った後、玄関ヨコの台所へ行き、カップコーヒーを手にして戻ってくる。立ったまま、ひとくち口にして、「ここ最近、変わりましたよね」と言う。クエスチョンマークを顔に出す私。
「笑顔をみせながらも、すごい防御してて。相手に一生懸命でも、どこか自分のためで。言い方悪くてすみません。なんか、必死さが痛かったんです」     
    少し間をおいて、優しい表情で続ける。
「でもちょっと前から、力みがなくなったんですよね。肩の力をぬいて、ラクに人と向き合ってる感じがします。ほんと、えらそうにすみません。でも、ほんとよかったなって」
「ありがとう。確かに、ラクになったというのはあるかな。宮原さんって、洞察力すごいな」
    少し前まで苦手だった、宮原さんとの空間も、今は不思議と心地よい。

    片付けを終え、夕方の次の予約まで少し時間があるので、オーナーに外出をラインで伝えてから、外へ出る。
    今日は一日曇りだと予報されていた空は、少し晴れ間が出て、地に差す光が、景色を優しくさせている。ビール工場の横を歩き、コンビニを左に曲がり、住宅街を歩く。
    歩いていける、一歩ずつ少しずつ。
    目覚めた後に、頬が涙でぬれていることがなくなった。マホガニーのドレッサーの一番下の引き出しを開けて、穏やかな気持ちで彼の手紙を読めるようにもなった。笑顔で自分をごまかすことがなくなってきた。
    冬に一度だけ訪れた恵解山古墳に着く。いげのやま古墳。やっと、すらりと出るようになった名前。
    作り出しを左手に、長い階段を上がる。じわっと額に汗がにじむ。古墳を取り巻く何百本もの可愛い埴輪に癒される。
    hiroyukiが4年前にお兄さんを撮った場所。お兄さんは、ここからこうして、天王山を眺めて。

    変わらないものと、変わりゆくもの。
    なんて美しく、そして切なく、不可思議な世界で生きているんだろう。すべてに触れることはできない。すべてを解ることも。
    だけどそこには、確かな安らぎと希望。
    階段の下でたわむれる幼子たちの声を聴きながら、私の心は前を、まだ見ぬ先をみつめる。
                              【完】    
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みんなの感想(7件)

よし
2022.04.25 よし

丁寧に音譜を並べるように、ひとつの優しい曲を創作するように、綴られたと言う事でしたので、モーツァルトのレクイエムオスティアスと曲をイメージしながら、読まして頂き、不思議な世界観を感じる事が出来ました。又、次作も頑張って下さい。楽しみにしています。

吉川知美
2022.04.25 吉川知美

よしさんに読んでいただけるだけでも有難いことですのに、丁寧な温かい感想までくださり、嬉しいです。ありがとうございます。
大まかな構図だけを決めて、浮かび与えられる言葉を綴りました。主人公はそう考えていくのか、、と私もどこか、へぇ~と感じたり。小説創作はほんと楽しいので、また書きますね。よしさんのような方がいらっしゃると励みになります。感謝!!!

解除
塚田康お
2022.03.27 塚田康お

全部読んでみた。なかなか雰囲気が出てて良かったな〜〜!エンパシーだね、キーワードは。次もがんばってくださいね。

吉川知美
2022.03.27 吉川知美

最後まで読んでくださり、ありがとうございます_(..)_ そして応援してくださって、本当に嬉しく助けられました! 自分で登場人物を動かしたのではなく、小説の中に生きる人を筆で追う感覚で書きました(^-^) 周りの人の思いにいつも耳を傾けながら、謙虚さを大切に生きて書いていきたいです!

解除
塚田康お
2022.03.27 塚田康お

全部読んでみた。なかなか雰囲気が出てて良かったな〜!エンパシーだね、キーワードは。次もがんばってくださいね。

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