陽の目をみないレクイエム

吉川知美

文字の大きさ
上 下
6 / 7

終楽章(前篇)

しおりを挟む
                               (1)

    新しい何か、something new は、内向的な私を、生きていくべき広い通りへ導いてくれる。愛すべき人々が存在する場所。気をゆるませて息をつける、光そそぐ場所。そこで私は、心ゆるせる人と明日を語り、描き、創っていく。
    正しいsomething new に私は手を伸ばす。少し心震わせながら、足を踏み出してみる。

    小さな弔いの旅を私は決行した。
    例年より早く、5月中旬に梅雨入りして雨天が続いたけれど、ちょうど休みの日に朝からカラリと空が晴れ、今日行こうとつよく思った。
    京都の宇治線六地蔵駅近くからバスに乗り、小栗栖 (おぐりす)という地に降り立った。弔いであるのに、私にとって初めての地に、自然と心浮き立つ。
    家を出てからホームや電車、バスの中でも、もう何度も確認した紫紺色のリングケースを、ショルダーバッグのファスナーを開け再度確認する。

    リングケースに仕舞われた小さな珠は、長岡天満宮で彼と再会して話した後に、その足で勝竜寺城公園へ行って手にした。珠は、石造物群の手前にある石箱の中に、小石などに混じってそのまま在った。ハンカチに丁寧にくるんで化粧ポーチに入れ、サロンに出勤し、その日に家へ持ち帰った。
    リングケースに大切に仕舞いナイトテーブルに置いて1か月。自室で毎日ホラー現象が起きるのではないかと身構えたけれど、例のうめき声は聞こえず、リングケースがコトコト動くようなことも無かった。
    好奇心で珠を持ち帰ったわけではない。彼がその、ロザリオの珠を、石造物群に置いた時に感じた小さな違和感が、ずっと消えずに心にあったからだ。光秀公を呼ぶ声、その想い。声の主は光秀の家臣で、光秀を心底敬い慕っていた。勝竜寺城は、信長を本能寺で討った後に光秀が秀吉との合戦に敗れ退却した場所。声の主は、そこで落命した。勝竜寺城を後にした光秀公の背を、どこまでもどこまでも付いて行きたかったに違いない。せめて、明智光秀の最期の場所へ、想いを運び弔ってやりたい。
    推測の域を出ない、独り善がりな弔いなのではと、いぶかりもしたけれど、ある晩不思議な夢を見て、そうでもないと思った。細かい雨に煙る暗闇の中を、数名の家臣に囲まれ、馬上の粗末な態(なり) をした人がゆっくり門を出ていく。出る前に、静かにこちらを振り向いた。顔が濡れている。雨だけのせいではない。涙を流しているのだ。彼に向け高く掲げたロザリオが、解れてパラパラと散った。
    想像が夢を生み出したのかもしれないけれど、馬上の人の表情があまりに寂しそうで、見つめるこちらの胸にも悲しみが宿った。夢から覚めてもなかなか消えず、リングケースから珠を取り出してそっと握り、慰めているのか慰められているのか分からない風に、ぼんやりとその悲しみを撫でた。

    確たるものなんて、この世界にはわずかしかなくて。だから誰だっておぼつかない。あいまいが多いから、愛するフリをして色をつけ安心したり。でもそんな中でも、これは確かだと思えるものがあって、ガシガシと力強く踏みゆける時もある。
    今の自分の行動に確はなくても、弔いの気持ちに嘘はなく、堂々とした足取りで、私は住宅街を抜けて行った。
    思っていたよりも繁みはなく、明智薮と記された木の立て札の近くは、何もない平地が広がっていたりする。光秀が襲撃され命果てたところ。おそらく、いま自分の立つこの場所、ではないのだろう。けれど、このようなうら寂しい竹薮で亡くなった光秀に心を近寄せていくと、彼の無念が痛く、寂しさは益々その色味を帯びる。
    粛々と、リングケースから珠を取り出し手の平にのせ、そっと前に差し出す。さわさわと風が鳴った。珠が微妙に動いた。風のせいか、それ自身か。
    弔いはもう少し続く。ケースに珠を戻し、ペットボトルのお茶を口にして、私はゆっくりとその場を後にした。

                               (2)

    山科川に沿って北へと歩く。事前にマップを眺めて浮かべたイメージよりも、ひらけて明るい場所だと思った。5月の眩しい光が川面と緑を輝かせ、自然と気分も上向く。
    何かが、少しずつ動いている。変わろうとしている。弔いという静かな行いによって私は、亡くなった彼への想いを少しずつ解いている。意図して、ではなく自然と。珠の持ち主の想いに添うて、明智光秀の最期に思いを馳せ、好きだった彼もまた遠い人であることを思い、そして私は、心の中で静かにサヨウナラを告げる。まだここで生きていかなければならないから。前を向いて生きていきたいから。

    彼が購入したピカピカのマンションで、彼はひとり寂しく逝った。死因は急性脳症であろう、ということだった。であろうって、どう受け止めれば良いのか分からなかった。バタバタな中で、彼の母親と彼にまつわる思い出を沢山語り合った。富士山が小さく見えるリビングで、大阪へ返す私の物を段ボール箱に詰めながら。優しい、あたたかな時間だった。
    けれど大阪に戻れば誰もいない。つらいね、悲しいねと取り合える手はどこにもない。街はいつも忙しなくて、せきたてられる。張り詰めた心を抱えて私は街を歩く。唯一泣けるのは、自分の部屋。これは、心理学用語であるモーニングワーク(喪の作業) の一環であると、泣く自分を冷静に見る自分もいた。そんな自分に嫌気が差したり。ぐちゃぐちゃな感情を引きずりながら、日常を送っていた。

    スマホで現在の位置を確認し、新小栗栖街道へ再び戻る。
    ぽつりとそれは在った。明智光秀銅塚。石塀に囲われた小さな空間。小栗栖の薮で討たれ、もはや最期と自刃した光秀の首は、家臣に隠され、胴体は近くに埋められた。それがこの辺りということで、石碑が建てられた。
    寂しくはない。多くの人がここで、光秀の死を悼んだ。ひそやかにも深い優しさが漂っている。  
    この場所で良かったのだと思いながら、珠を取り出して両手で包む。入り口にはチェーンがかけられているので、石碑のそばには行かず、入り口横の茂みにそっと珠を置く。
    何も起こらない。でも確かに何かが変わった。後退ではなく、前進。
    すぐ横の車道を車がゆく、人が通り過ぎる。ありふれた風景の中で、私は小さな奇跡を覚える。

    銅塚から少し歩き、小野駅から地下鉄に乗る。人気がなく、車窓に移る自分の顔を眺めながら、心もとない気持ちがふつふつとわいてくる。大丈夫、かな。ちゃんと笑って進めるだろうか。笑えなくてもいい。どうにかこうにか、そうやって。
    六地蔵駅に戻り、地上へ出る。正午過ぎの陽は柔らかく目に心地よい。澄み渡る空を大げさに見あげて、サヨウナラをつぶやいてみる。それは悲しい言葉ではなく、私の背中をつよく押す。ありがとう、の変換。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

高遠の翁の物語

本広 昌
歴史・時代
時は戦国、信州諏方郡を支配する諏方惣領家が敵に滅ぼされた。伊那郡神党の盟主、高遠の諏方頼継は敵に寝返ったと噂されるも、実際は、普通に援軍に来ただけだった。 頼継の父と祖父が昔、惣領家に対して激しく反抗したことがあったため、なにかと誤解を受けてしまう。今回もそうなってしまった。 敵の諏方侵略は突発的だった。頼継の援軍も諏方郡入りが早すぎた。両者は何故、予想以上に早く来れたのか? 事情はまるで違った。 しかし滅亡の裏には憎むべき黒幕がいた。 惣領家家族のうち、ひとりだけ逃走に成功した齢十一歳の姫君を、頼継は、ひょんなことから保護できた。それからの頼継は、惣領家の再興に全てを捧げていく。 頼継は豪傑でもなければ知将でもない。どちらかといえば、その辺の凡将だろう。 それでも、か弱くも最後の建御名方命直血の影響力をもつ姫君や、天才的頭脳とずば抜けた勇敢さを持ち合わせた姐御ら、多くの協力者とともに戦っていく。 伝統深き大企業のように強大な敵国と、頼継に寝返りの濡れ衣を着せた黒幕が共謀した惣領家滅亡問題。中小企業程度の戦力しか持たない頼継は、惣領家への忠義と諏方信仰を守るため、そしてなによりこの二つの象徴たる若き姫の幸せのため、死に物狂いでこの戦いに挑んでいく。

王になりたかった男【不老不死伝説と明智光秀】

野松 彦秋
歴史・時代
妻木煕子(ツマキヒロコ)は親が決めた許嫁明智十兵衛(後の光秀)と10年ぶりに会い、目を疑う。 子供の時、自分よりかなり年上であった筈の従兄(十兵衛)の容姿は、10年前と同じであった。 見た目は自分と同じぐらいの歳に見えるのである。 過去の思い出を思い出しながら会話をするが、何処か嚙み合わない。 ヒロコの中に一つの疑惑が生まれる。今自分の前にいる男は、自分が知っている十兵衛なのか? 十兵衛に知られない様に、彼の行動を監視し、調べる中で彼女は驚きの真実を知る。 真実を知った上で、彼女が取った行動、決断で二人の人生が動き出す。 若き日の明智光秀とその妻煕子との馴れ初めからはじまり、二人三脚で戦乱の世を駆け巡る。 天下の裏切り者明智光秀と徐福伝説、八百比丘尼の伝説を繋ぐ物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

200人お見合いしたことのあるハイスぺ婚活男子に聞いたおすすめの服装

yoshieeesan
現代文学
結婚相談所で出会った「200人とお見合いをしたことがある33歳男性医師」について書きます。彼はお見合い相手の年齢、職業、年収、学歴、お見合い時の服装、三回目くらいまであった服装まで記録をしています。そんな彼に聞いたことを記憶を頼りに書き出します。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

沈黙の人形師

阿弖流為
現代文学
19世紀ヨーロッパの町。老舗の人形工房の末裔・エドワールは、父を亡くし、工房を継ぐも貧困に苦しんでいる。精巧な人形を作るが時代は機械化へ向かい、手作業の人形は売れやしない。

処理中です...