ストーキング ティップ

ろくろくろく

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ある意味本物だった

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「え?これは…」

どうやら誰かが上着を貸してくれたらしい、雨に濡れてしっとりとしているが柔らかいウールは暖かい。思わず襟を掴んで抱き締めると何だかよく知っている香りがする。

借りた服から。
クシャクシャになったシーツから。
顔を押し付けた胸元から香ってくる匂いだ。

「………………え?クリス?…」

どう考えてもクリスの匂いなのだが、黒江の部屋に行ったのは気まぐれだった。
そして湖近くのログハウスに来たのも気まぐれだ。車で2時間以上掛かるこの場所に来る事は例え「偶然」見掛けたのだとしても追えるものでは無い筈だ。

もしこれが心の奥底に押し込めて来た願望が見せている幻覚なら自覚の無いままかなり危険な状態に陥っているのかもしれない。
しっかりしているつもりだが実は死に掛けた末に走馬灯を見ている可能性だってあるのだ。

「クリスなの?そうなら返事して」

殴ってやりたいような、抱き付いてしまいたいような衝動に駆られ、凍えた手で枝を引きちぎって気配のする方に投げた。
すると声にならない嘆息のような溜息が聞こえる。

「話さない気なら突進するよ?」

本気だった。正確な位置はわからないから闇雲への突進だがやってやれない事は無い。
すると、雨音に消え入るような声で「だって」と拗ねた声が聞こえた。

「やっぱり!クリス?!」

「………だって…だって蓮が……もう2度と話しかけるなって…」
「どこ?!どこにいるの?!」
「姿を見せるなって…」
「どうせ見えないよ!どこ?」

自分が出した手も見えないがブンブンと振り回すと柔らかい感触が指を擦った。

「あ、いた」
「………うん、いるよ、あの……寒いから隣に座ってもいいかな?」
「いいけど……何してんの?」

他に聞くべきことがあるだろうに1番に出て来たのはそこだった。そしてクリスから出て来た答えは「日課」だった。

「誰も……俺も推奨してないけど」
「何度も言っただろ、蓮を見てないと僕は死んじゃうよ」
「でも…どうやってここまで?」
「電車」
「いや、電車なら余計に……」
「前に一度来た事あるし外れたら外れたで仕方ないだろ、そんな事はよくあるよ」
「よくあるって……」

呆れた。
心底呆れた。
まだ懲りずにストーキングを続けているなんて夢にも思ってない。
しかし、凍えながら話す事では無かった。
隣に座ったクリスは驚く程冷たくて、よく考えたら上着を奪っている。

「上着は返すよ、喧嘩は後にして取り敢えずログハウスまで帰ろうよ、このままじゃ本当に遭難しちゃうと思う」
「え?」
「どうして驚くんだよ、寒いし耳と鼻が痛いし真っ暗なんだよ」
「だって……湖の底に行くんじゃ無いの?行くって言ったよね?絶対言った。2人で心中しようって事だよね?!行くよ、僕は行く、絶対に行く!」

「…………相変わらず…」

キレどころが変だ。


「それはまた今度…もっと暖かい季節にしない?」
「寒くても……蓮がいたらそれでいい」

消えいるような声で「つらかった」と呟き、肩の上にそっと頭が乗った。
恐る恐る伸ばした手で髪に触れると濡れている割に固まっている。

「クリス、スマホは持ってる?」
「持ってるけど……使いたく無い」
「死んじゃうから使って、黒江さんに……って…電話番号を知らない…」
「あるけど」

ホラと番号を見せられてムッとした。
携帯の灯りで見えたクリスはほぼドヤ顔だった。
非常事態の中、あり得ないサプライズに絆されていたが、仲違いの大元はそこなのだ。

「………あるんだね、電波は無いみたいだけど」
「そっちこそ帰ったらやるって何?何すんの」
「そんなのセックスに決まってるだろ」

冗談半分、懲らしめ半分の軽口だったが嘘みたいにボキボキボキと枯れ木が砕ける音がした。

「どんな握力してんの」
「…………黒江を見たら……殺すかも…」
「カチンカチンに凍った手で?黒江さんの方が強いと思うけど」
「言っとくけど本気だからね」
「それよりもライトを付けて、斜面を上るよ」

頭から被っていたコートをクリスに返して立ち上がった。寒さで上手く口が動かない上、前髪が凍っているのだ、馬鹿みたいな意地を張っている場合では無かった。

「何で降りて来るかな、どうせなら上にいて引き上げてくれたらいいのに」
「蓮が湖の底に行こうって誘って来るからだろ」
「………黒江さんって大人だなぁって思う」
「僕は大人じゃないからね、蓮が黒江の方がいいって言っても譲らないから」
「……利用したくせに、よく言う」

「ソノセツハオセワニナリマシタ」
「突然片言になるんだ、言っとくけどエデンの社長さんはお世話になりますって凄く丁寧な挨拶をしてたよ、そこはどうなの?」

「え?……」

「どうして驚くの」

こちらとしては挨拶なんかしたく無かったが世間の常識としてはそんなものだろう。

「俺はいいけどさ、他にも契約してるアーティストとかいるんだろ?社長は顔も見せないもんなの?」

「……………ゴアイサツガオクレテ…」

「だから何で片言なの」
「じゃあ…悔しいから態度で示す」
「悔しいって……」

手を合わせる仕草は「ご馳走様」って事なのか。
まるでバレエダンサーのように胸に手を当てて美しい辞儀をした。

頭には枯葉、濡れた服は泥に汚れている。それでも目を奪う優雅な仕草にに思わず拍手しようとすると、まるで幕を引くようにスゥーッとクリスの姿が消えた。
スマホの電池が切れたのだ。

「…………遠出をする時は充電しようよ」
「蓮が…突然車で行っちゃうから悪い」
「ストーキングの鍛錬が足りないんじゃ無いの?マスター」
「絶対にやめないから安心して」

そこは本当にやめて欲しいのだが、趣味だと言い切るのだから始末が悪い。
「変態」と呼べば褒められた犬みたいに喜んでいる。

会社や社会に責任を持つクリスと自分ではどうしようもない場所で走り出した「商品」の間には
簡単には埋まらない溝がある筈なのだが、2人共妙に明るかったのは……

もうわかっていたからだ。

凍えた体は既に上手く動かない。
スマホのライトで照らした斜面は思っていたより急でよじ登るのは無理に思えた。他に周り込むような道も無い。
一際笑ってからハァと吐き出した息は見えないけどきっと白い。「座ろうか」と言われたから手探りでクリスを捕まえてそのまま抱き合って座り込んだ。

「………湖の底じゃないけど……いいかな?」
「本当に……心中する事になっちゃったね」
「蓮が……苦しく無いといいな」
「苦しく無いよ」

お互いに街だからこそ通用する薄い防寒着しか着ていない。ジンジンしていた指も足ももう何も感じない。

それでも離れていた分話すことは沢山あった。
 
「寂しかった」は50回くらい聞いたと思う。
賭けの顛末も聞いたのだが、「賭けたのは3000円だけど100万くらい吹っかけても良かった」と反省は無い。
何でも1億賭けるって話から始まったらしい。

「そしたらさ、ひよった佐竹が100円とか言うから詰めて詰めて、3000円に落ち着いたんだ」
「威張るような話じゃ無いけど」
「やっぱり安かった?」
「だから違うって!」

「馬鹿じゃ無いの?」と触れ合った肩を小突くと「馬鹿でいい」と笑う。

暫くは話して、怒って見せて、黒江の部屋に泊まった時はドアの前で夜明かしをしたなんて怖い事を聞いていたが、そのうちに口も上手く動かなくなってきていた。

「許して…くれるんだね」

ポツンとクリスが口にした。

許すも許さないもない。
クリスがRENを利用したのも、遊びで賭けをしたのも本当の事だ。
しかし、ストーキングに掛ける情熱もまた、本当の気持ちからだと思う。

「一生…許さないからね」
「うん、一生許さなくていい」

まるで木々が呼吸しているような音に囲まれ、冷たい身を寄せ合っていると出てくるのは「やめろ」と言われた黒江の曲だ。

目を閉じると溢れて来るような音を口にした。
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