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安易な飛躍

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学祭が終わってからだ。
周りの空気が変わってしまった。

握手を求められても困るのだ。
講義中のヒソヒソ話は全てこちらを向いて飛んでくる。どこに行っても何をしていてもあからさまに追ってくる視線から逃れる事は出来ず、消えてしまいたくなる一方だった。

数多の学生が投げるSNSの威力は凄まじいのだと初めて知った。
しかし、トレンドなるものに名前が上がる事態を招いたのはそれだけでは無かった。

いつもの通り黒幕は黒江なのだが、いつどうやってカメラを持ち込みセッティングをしたのかは知らないが前夜祭のライブは2台ものカメラで録画されていたらしい。そして、エアからの集音では無く別撮りされて編集した音の入った動画がRENの公式チャンネルと称してアップされていた。

1番驚いたのは「トレンド」の安さだった。

これは真城情報なのだが、その動画が掲載されているライジンスターという名のサイトはどこかの音楽プロダクションが管理をしているものらしい。若手の登竜門として人気があるって話だが、構内限定という狭いコミニュティの中で少しばかりの話題に上がり、その話を聞いた全員が興味本位で動画を見たのだとしても極少数では無いのか。

しかし、それでいいらしい。

何でも、囲い込んだ上で視聴数を投票と捉え、ある程度の人気を確かめてから声を掛けると言う事で、プロダクション側としては手間も金も掛けずにオーディションが出来るという仕組みらしい。

「……そうなんだ、真城は何でも詳しいね」
「あざといよな……上手いよな、俺たちは19万8千785円も掛けてステージを作ったのに見るのも聞くのも無料だぞ?今手に持っているお昼のメロンパンより安いんだよ?」

「狡い!」ともう一度喚いて大口でメロンパンを齧った真城は口調の割に上機嫌だった。
しかし、得になるような事は何ひとつ無い。

「被害なら……あるけど」
「何が被害だ馬鹿、大学の予算を使って宣伝しといて何言ってんだよ、まぁ何やかんやのドリンク販売で12万弱儲かったけどな」
「純利益は7万だろ、仕入れを引けよ」

そうだなと言って真城が笑った。
実は、サブステージで演奏した全グループの映像と音源が黒江から渡っていたらしく、真城達のバンドも動画をアップしていた。
噂のライジングスターチャンネルでは無いらしいけどそれがどうやら結構好調だって話だ。

「ところでさ、真城達は何でライジングスターにあげてないの?プロデビューの近道なんだろ?」
「それは……だな…」
言いかけてムッと口籠った真城は笑っているのか困っているのかわからない顔で空を見上げ、ハァーと大きな溜息を付いた。

「え?何?」
「いいの、蓮にはわからないだろうけど色々あるの、まあ今回は蓮様々だから何でもいい、学祭とRENのお陰で俺達も来月のライブは単体でチケットが完売したんだ」
「凄いね」
「凄いのは蓮だろ、ギガックスだっけ?もう契約の話は来てるんだろ?何せ「伝説のライブ」がトレンド入りだもんな」
「俺は知らないよ、黒江さんが勝手にやってる」

「お前な……」

ブンっと足を振った反動で立ち上がった真城が腰を折って顔を近づけて来た。
そして「お前は誰だ」と聞いた。

「今更何を言ってるの?」
「名前を聞いてるんじゃ無くてどっちが本物か聞いたの」
「どっちの?」
「言っとくけどな、エロかったぞお前」
「………エロい…」

エロいの定義は何だったかを考えてみた。
近頃でエロいと思ったのはクリスの流し目なのだがそれをここでは言えない。

「せっかくの前夜祭を無茶苦茶にする感じ?」
「おお、あれにはびっくりしたぞ、マイクスタンドをぶん投げようとするんだもんな、どうせならあそこまで動画に入れて欲しかったよ」

きっと笑えると真城は軽い調子で言うが鉄とステンレスで出来た重いマイクスタンドを投げていれば笑い事では済まなかった筈だ。

「……ごめん」
「結果何も無かったからいいけどさ、何がどうなってぶっ飛んでんの?」
「何がって……」

ぶっ飛んでる自覚が無いのに説明しろと言われても答えは「わからない」しか無い。

「それって覚えてないとか?」
「覚えてるけど…」

ケーキにフォークを入れるような感覚だった。
前のめりになる黒い塊をサクッと割ったら綺麗に切り取れるのでは無いか、などどあり得ない事を考えていたような気がする。

真城の言う通りぶっ飛んでいた。
現実感が薄れて遠のくイメージなのだがどう言っても伝わらないだろう。
もし、上手く説明出来ても決してお勧めはしないのだが、真城はいい加減な誤魔化しで流してくれるタイプでは無いのだ。

「……そうだな……強いて言えば…」
「強いて言えば?」
「カァ~っとなって…ふわ~っとなって……気が付いたら真城に押し倒されてた?」
「そういう言い方はやめろ、蓮が言うと洒落になんないだろ」
「どういう意味だよ」
「いいの、わからないままにしとけ、とにかく1番盛り上がってたのは最後の2曲なんだから動画に入れて欲しかったって言ってんの」
「そんなことを言われても俺には選択権なんか無いんだからどうしようも無いよ」

アップされた動画は3曲目と4曲目だけなのだ、実際の演奏には曲の切れ目もインターバルも無いから突然始まりブチギレというお粗末なものだ。

「あんなのを見る人がいるって事に驚く」
「俺は四曲目以降をも一回見たいな、Gパンの中に手を入れるんじゃないかとハラハラしたよ」
「は?しないよ、する訳ないだろ」
「何言ってんだ、勃ってたろ?」

「ん」と股間を目線で指されて思わず足を閉じた。

「………嘘……見え……てた?」

あまりの恥ずかしさにカァ~ッと顔が熱くなった。真城が気付いたって事は他の人だって気付いていたって事で……

「もう……消えたい……」
「冷静に見てた奴がいれば引いたかもしれないけど……みんな蓮に同期してたからな、いいんじゃね?」
「良くないよ、だから嫌だって言ったのに…」

たかが音楽だ、特別に体を使う訳では無い、物語に入り込んでしまうような歌詞でも無い、ただ歌うだけの事が何故普通に出来ないのか自分でもわからない。

「大学…やめようかな…」
「ただ歌うだけとか言うなよ、俺は蓮のステージが見れてよかったよ、うちのメンバーも意識がレベルアップしたと思う、ところでそんな蓮くんにお願いがあるだけど聞いてくれる?」
「……何?…言っとくけど俺は…」
「栗栖さんに見つかる前に今から2人でカラオケに行かない?俺はRENの歌声がもう一回聞きたい」
「カラオケ?」

それは是非とも行ってみたかったが残念ながら叶わない。

「ごめん、次の講義が終わったら……その…取材?…的な…事で呼び出されてて」

その類のものは黒江に任すか出来る限り断って来たのだが、紙ベースの雑誌社からの申し出だと言う事で、話さない、何もしないという条件付きで了承していた。

「おお取材?確実に登ってるな」
「馬鹿言うな、こんなのすぐに冷めるよ」

食べ終わったメロンパンの空袋をクシャッと丸めて立ち上がった。
ダラダラと話していたせいで午後の講義が始まる時間になっていたのだ。
突然割り込んできた誰か知らない女の子に「捨てます」と手を出されけど、何の事かわからないまま返事も出来ずに通り過ぎた。


「行こうか」とクリスが笑った。

取材の事など教えてないのにいつにも増してニコニコと笑うクリスが当然のように講義室の前まで迎えに来て、当然のように黒江と待ち合わせた駅までついて来た。
そして、当たり前の顔で同席するのだが、また例の如く「NIKEの靴下」でも説き伏せる説得力を発揮して誰も……黒江さえ何も言わなかった。

少しヒヤヒヤさせられたのは確かだが、クリスがいてくれる事で安心出来たのは確かだ。
やっぱり何も答えられなかったのも確かだけど。

何も答えなくていい、いるだけでいいと言われていたが、明らかに自分に向かって飛んでる質問にはただ、ただ困った。
取材なるものが終わった後、疲れてアパートまで帰って来ると、「どうだった?」と聞いたくせに、答える前に背中から飛び付かれて押し倒された。
後ろ首に感じた生暖かい感触はキスか舐められているかのどっちかだ。

「出来れば……お風呂に入ってからにして欲しいんだけど…」
「もう季節は冬なんだから汗なんかかいてないでしょ」
「汗はかいたよ」

知らない人答えられない質問をされて手汗と脇汗をたっぷりとかいた。 
しかし、見た目から想像出来ないくらいマニアックな一面を持つ変態には不十分らしい。
匂いが薄いと言いながら髪の中にゴシゴシと鼻を擦り付けている。

「また何かで興奮してる?」
「だって取材だよ?蓮が認められてるんだよ、嬉しいに決まってるだろ、どうだったか聞きたいだろ」

じゃあ飛び付くのはやめて欲しい。
腹這いになったまま背中にクリスを乗せた状態ではまともな話なんか出来ない。

「一回起きない?」
「やだよ、このまま聞きたい、どうだった?」
「もう……」

途中から話し声が音になってたから特別な感想など言えないが2度と嫌だと思った理由はこれに尽きる。

「気が付いたらさ、「……~?」って疑問系で時間が止まっててみんながこっちを見てるから焦った」
「蓮は何でもいいんじゃない?、横から見てると「くだらない事聞くな」って答えを拒否してるみたいでかっこよかったよ」
「そんな事思ってないよ」

そんな風に受け取るのはクリスだけなのだなのだと思う。それでもこの世に1人だけでも嫌われてないと思える人がいるから乗り切れた。

……「じゃあしようか」と言わなければもっといいのにと思う。

今更な話だが「素面」の状態でセックスをしようと言われると恥ずかしいのだ。
実の所、この攻防はライブ以降毎日続いていた。

「今日は…疲れたから…手で……よければ……」
「ヌキたい訳じゃないんだけど」
「じゃあさ、ほら、この際だから練乳で……」

そこまで言ったらガブっと肩を噛まれた。
服の上からとはいえそれなりに痛い強さだ。

「食わないでよ」
「蓮がケチケチするからだろ」
「流れがないとどうしていいかわからないって知ってるくせに…」
「じゃね、胸を揉んであげるよ、座って」
「胸って…」

肉も筋肉も無い平たい胸を揉んでも楽しく無いと思うのだが、座れと言われたから膝を抱えて座った。
クリスは背中から足で体を挟んでくる。
いつもなら絶対に着ない襟付きのシャツは黒江からの要望だった。
裾の隙間から忍び込んできた手が脇腹を撫でた。そのままゆっくりと脇を撫で上げられて擽ったい。

「クリス…あの…揉むなら肩とか…じゃない?」
「ほら、黙ってて」

シィーと耳の横から先を止められ、仕方なくクリスに凭れた。

腹や脇を這う手付きはマッサージと言ってよかった。揉むとクリスは言ったが言葉の通り揉まれている。

「気持ちいい?」
「……うん……」

脇を掴むような形で手が胸を覆い、ゆっくりとゆっくりと指が動いている。
時折プツンと通り過ぎる胸の粒を無視するのはわざとなのだろう。
時折シャツの中を通って顎の下まで伸びて来る手がコチョコチョと這い出し口の中に忍び込んでは弄ぶように出て行った。

「蓮?どうしたの?息が乱れてるよ」
「………だって……暑く…ない?」
「すぐに汗が冷やしてくれるよ」

スルリと腹を撫でた手がそのままウエストの隙間から入って来るとジンっとそこが痺れた。
そうなってはもう逆らえないのだ。
まるで焦らすようにシャツのボタンが外れて行く。クリスの手はそこに置いたまま動かない。 
堪らずに身を捩ると耳の下に熱いキスが落ちて来た。

「膝で立って」

そんな事を言われてもいつの間にか足の力を奪われている。

「お風呂に……入らない?」
「やだよ、僕はもう限界、ほら立ってよ」
「でも足が……」

一旦離してくれたらいいのに、腰を浮かせようとしても持ち上がらないのだ。すると焦れたような手が足の付け根を持ち上げて奥に進んで来た。

「あ……」

グッと押し上がる感覚はいつまで経っても慣れない。さしたる抵抗も無くヌルリと押し入って来る指が体の中に触れるとゾゾッと背中が冷たくなった。どんどん抜けて行く足の力はもうもたない。縋り付くようにクリスの小さな頭に抱き付くと襟を割って腕の付け根を舐めて来た。

「この……体勢…無理…かも…」
「もう少しだけ……このままで…」
 
細かく振動する指が秘めている感覚を呼び覚まして行く。
ジンと痺れるような快楽の芽を感じると頭に靄が掛かったように現実が遠ざかっていった。

「ん……」
「蓮は…わかりやすいね」
「誰かと比べてって事?」
「まさか…僕は蓮しか知らないよ」

それは「男」という意味なのか、全てが初めてという意味なのか。

何度か体験したセックスでは何を感じて何が欲しかったかをわかっていなかったが、それはクリスが教えてくれた。
前から回った手がクチュクチュと混ぜている体の奥には何かがあった。
外からと中から攻められると身体が溶けてしまいそうになるのだ。

「あ……あ……ああ…」
 
堪らずに出て来る声はラの音だなと思った。
「歌って」とクリスは言うが、声を出したくても出ない、止めたくても止められない。

やがて訪れる絶頂を前に腰が引かれて持ち上がった。新たなリズムが生まれる。

初まりは少し遠慮がちにゆっくりと進んでくる。
やがてスピードが増して来ると突然に変調してしまう、繰り返して抉られる中で生まれる感覚は何もかもが崩壊するライブの途中と似ていた。

「あっ…あ、あ…ああっ!」

「ごめん」とクリスが謝るのはいつもなのだ。
めちゃくちゃにして欲しいと思うのもいつもだ。
もっともっとと激しく揺れて、揺さぶられて淫れるこの瞬間に正体の見えない飢えが満たされて行くような気がした。



トコトコと背中を歩いていた指が耳の横までやって来て「ねえ蓮」と頬を擦った。
しかし、頭を動かす事も答える事も出来ない。

「無視しないでよ」
「無視じゃない……ずっとあんなに勿体付けていたくせに……」
「僕の欲しかった蓮を見つけるまではって我慢してたからね」

焼きごてを押してでもってくらいの自制心が必要だったと自慢するくらいなら、その半分でいいから強固な意志を発揮して欲しかった。
後ろからの1回目は気持ち良かったのに、もう一回とそのまま後ろ向きの座位で一回、もう駄目だとへたっているのに正面からのもう一回では声も出なかった。

「もっとって蓮が言うから…」
「一回の中のもっとです……って、恥ずかしいからやめてください」
「やめないけど……ねえ蓮、この先を考えると蓮は今のアパートを引っ越したほうがいいと思うんだ」

だから、と言って出て来たのは5個の鍵だ。
そしてもう一つ、自分の部屋の鍵と一緒に繋がっているキーホルダーから外した。

「一体何個合鍵を作ってるんですか」
「じゅっこ」
「10個?!」

合鍵が幾らで作れるのかは知らないが一つ千円だとしても1万円は掛かる。
なんとも無駄な事をするものだ。

「口で言えばいいのに?」
「は?何回声を掛けても知らん顔だったくせに?言っとくけどね50回は誘ったよ?100回は話しかけたよ?1000回は笑い掛けた、なのに全部無視!非常手段に出て何が悪い!」

「…………それは悪かったけど……」

いつもながらキレる場所が変だ。
しかし、それはかなり強引な言いがかりだと思える。笑い掛けられても自分に向けられた笑顔だとは思わないがクリスに話しかけられれば誰だって忘れたりはしないと思う。

「話をしたのは…夏の初め頃ですよね?覚えてますよ」
「初めて話し掛けたのは映画館だよ、死ぬほどの気合を込めて面白かったねって言ったらチラ見だけしか返ってこなかった」
「何の映画?」
「どの映画の時が聞きたい?」

つまり、一回じゃ無いと…

「その他は?」
「コンビニとか本屋とかサークルにも誘ったけど全部スルー」
「うん、これ以上聞くのはやめます」

気付いてない自分もそれなりだが、これ以上聞くとクリスを好きなままではいられなくなる。

「え?僕が好き?」
「あれ?俺は口に出してた?」
「僕が好き?」

期待を込めた目で見つめられて、今になって初めてクリスが好きかどうかを考えた。
あまりにも奇妙な体験にそんな事を考える暇など無かったのだ。

「どうだろ……好き……かな?」
「僕は蓮が好きだよ、どんな蓮も好き、子供みたいにすぐ寝ちゃう蓮が好き、返事が出来なくて瞬きだけで誤魔化す蓮が好き、もっとって腰を動かす蓮なんてどうしたらいいかわからないくらい好き」

「………クリスがそんなんだから……」

好きかどうかなど考える事が無かったのだ。
しかし、不法侵入しようとも信頼出来る人だ。
過分に想ってくれる事を差し引いても一緒にいたいと自分から思える人だ。

「好き…だと思う。クリスが好き」
「誰よりも?」
「クリスがいい」

じゃあキスをしようと言って、そのままセックスに及んだりしたけど、白目を剥いてヘロヘロになってもクリスが好きだと思えた気持ちには変わりがなかった。


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