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本物の蓮

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真城が叫ぶ声、突然止まった演奏、重いマイクスタンドがステージの床を打つ音、その全てがスピーカーから流れてしまった。
ただでも興奮していた観客がステージで何が起こっているのか見ようと前のめりになるのは仕方が無かった。
どっと押し出された人並みが防波堤を越え、逃げ場の無い前列がステージに雪崩れ込んだ。

「蓮!!」

悲鳴や叫び声、会場をつつんだ冷めやらぬ興奮で混乱が混乱を生んでいる。押し寄せた観客に揉みくちゃにされ、どこまでがステージなのかはもうわからない。

まるで暴動の渦中にいるようだった。
足の踏み場も無い、前も見えない。
しかし、誰を押し倒そうが誰を殴ろうがそんな事はどうでいい、人を掻き分け無理矢理前に出ると、倒れた蓮を護るように手を広げる真城を見つけた。
瞬発力に優った真城が蓮を押し倒したのは返って良かった。

何とか踏み潰されずに、倒れ込んだ蓮の腕を掴んだのは黒江と同時だったのだが、彼はケーブルに繋がったベースギターを抱えている。
目が合った瞬間にカァッと頭に血が上った。

「渡さない!あんたに蓮は渡さない!!」
「栗栖さん?!」
「渡さない!」

欲しくて欲しくて堪らなかった蓮がここにいる。
渇きを覚える程我慢してして来たのだ。
黒江の腕を振り払い、鮮やかな青を足したTシャツを引っ掴んで細い体を抱きかかえた。

「どけっ!!」

手伝おうとする数多の手を振り払い走った。
状況が見えていない蓮は破裂しそうな興奮を抑え切れずに「離せ」と暴れている。
バタつく足にフラつきながらも向かったのは控え室だ。

「暴れないで蓮!今鍵を開けるから!」

興奮しているの蓮だけでは無いのだ。手が震えて鍵穴が定まらない。何よりも抱きかかえる蓮がジッとしてくれないから手元が狂ってしまう。

「蓮……お願いだから僕を見て、僕だよ、僕を見て」
離せ、離せと腕や足を振り回す蓮は興奮状態に陥ったままで何も見えてない。

揺れる手元が鍵穴にアジャストしたのは偶然だった。真っ暗な部屋に雪崩れ込むと蓮を抱き抱えたまま倒れ込んだ。跳ね起きて鍵を掛けたのは必死だった気持ちの成せる技だ、その途端ドンッとドアが揺れてドアノブがガチャガチャと音を立てた。

ドアを叩き「開けろ!」と喚く黒江の声が聞こえたが蓮を分け合うなんて絶対にしない。
蓮の歌は黒江のものだ。みんなのものだ。
しかし、蓮自身は誰にも渡さない。
誰にも見せない。
誰にも邪魔はさせない。

まだ揺れているドアを無視して機械仕掛けのようなぎごちなさで起きあがろうともがく蓮に、まずは水を飲ませようとすると振り上がった腕に弾き飛ばされた。

ギロリと睨む目には何も映ってない。
飽くなき舞台への渇望だけを残しトランス状態が解けないままだ。

「落ち着いて、僕だよ、僕を見て」

これは一体誰なのだ。
自己評価が低く、気弱で流されやすい普段の面影はどこにも無い。

凶暴な目付き。
手加減無しに振り上げる腕。
肩で息をしながら「熱い!熱い!」と喉を掻く手は爪が立っている。興奮の極みに震える体は股間を押し上げ苦しそうにもがいていた。
それは内面に押し隠していた剥き出しの蓮だった。
欲しかった。
この蓮が欲しかった。
ガツっと奪い取るように頬を挟み、噛み付くように口を塞ぐと、どこかが切れたのか血の味が口の中に広がる。

「んう……」

グゥっと汗に濡れた喉が鳴った。
肩を打つ手は止まってない。
どちらものともつかない唾液に溺れてしなる体から汗に濡れたTシャツを捲りあげ、ジーンズのボタンをはじいた。
抱きしめた蓮からは激しく打ち据える心音が伝わってくる。
激しく絡み合う舌はまるで縋り付くように吸い取られて痛い程だ。
肩を叩く腕は振り上げたまま宙で止まり、やがてゆっくりと落ちていく。
追ってくる枝をいなすようにゆっくりと唇から離れると「ハァ…」と濡れた息を吐いた。

「欲しい?」

声がうわずっていた。
自分は一体どんな顔をしているのか。
きっと浅ましく舌舐めずりをしているに違いない。
どっちにしろ答えを待つつもりも無い問いだった。湿って滑らない腹を弄り、ギチギチに詰まっている湿ったジーンズに手を捻じ込んだ。
熱く、硬く猛ったそこに触れただけなのに、感電したように身を震わせて背中が浮く。

「……あ…っ…」

それは、鼻から抜けて行くようなか細い悲鳴だった。紅潮した顔に浮かび上がった苦痛の混じるエクスタシーを目の当たりにしてゾゾっと背中に震えが走った。

「蓮……蓮……僕を見て、欲しいと言って」

同意を得たい訳じゃない、奪う事への躊躇など無いのだ。しかし、どうしても「欲しい」という言葉を聞きたかった。
手に包んだそれは一度解放して濡れているのに息を付く様子は見られない。
手を動かして、刺激して、煽って、煽ってでも、「欲しい」と聞きたい。

しかし、蓮は首を振る。
色欲に身悶え、赤く充血した目に涙を溜めているのに、それでも首を振る。

「蓮…」
「駄目なんだ、俺は駄目だ、戻らなきゃ……無茶苦茶にした……俺は駄目なんだ…」
「駄目じゃ無い、蓮は駄目じゃ無い、凄かった、本当に凄かった、もういいから欲しいと言いなさい」
「駄目……駄目…」
「そんなに興奮して……ほら、ビクビクと体が揺れているよ、僕に任せて、全部任せて、今日の事も明日の事もこの先ずっと蓮の全部を僕に預けて」

余裕なんか無い。猶予も無い。
追い込んで、追い込んで、堪らない昂りを煽って言わせた「欲しい」に齧り付いた。
酷く即物的で酷くみっともないとわかっていても抑える事は出来ない。
「それ」だけを剥き出して、押さえ付けるように乗り上がった体から足を持ち上げた。

「う……あ…あ」

ビクンと跳ねた体が肉感を謳歌するように伸び上がる。広く開いた首に噛み付きたくなる情欲に駆られて舐めて歯を立てると、痛い筈なのに壊れたような笑い声が聞こえた。

これが蓮なのだ。
感情を、感覚を、剥き出しにしてヒリヒリとしている蓮がここにいる。

何の準備も無く激情のままに蓮を抱いた。
抑えの効かない体が欲するまま奥に奥にと駆り立てて蓮の細い体を揺らした。

水を飲ませるのが先だとわかっている。
汗を拭いて着替えさせなければならないとわかっている。

何度も打ち据えられていたドアはもう揺れていない。ドア1枚を隔てただけの外では100人単位が蠢いている筈のに楽器や荷物の散らばった部屋の中では2つの激しい息遣いと粘膜が擦れ合う淫靡な音だけしか聞こえない。

「う……あ……あ」

苦痛とも喘ぎとも付かない喉から搾り出したような悲鳴が上がる。
そこにいたのは3人目の蓮だった。
大人しく、内に篭った無口な子供では無い。
ステージに上がるまでは腰が引けている癖して、スイッチが入れば見るもの全てを傀儡にする横柄な支配者でも無い。
あの、ライブハウスの楽屋で覗き見た計算ずくで男をたらし込む悪女のような連だ。
抱いているのに……。
欲しいと言ったくせに。
快楽を貪り、酔いしれているくせに、どこも見ていない目に激しい嫉妬のような感情に襲われる。
抱いているのは自分なのに、どこかの何かに攫われているような気がするのだ。

「蓮……蓮……僕を見て」

火のついた楔を打ち込んでいるような気がした。
激しい突き上げにガクンと軽い体が大きく揺れて肩に乗せた片足が跳ねるように持ち上がる。
顎を上げて呻き声を漏らした蓮の手が待てと言いたげに腕を掴み、ハタと止まった。

「ごめん、蓮……ごめん、キツイよね、無茶苦茶だよね、もう自分が怖いよ」
「……クリス?」

抗いきれない熱に浮かされていた目が焦点を結び、ハァ…と色の付いた息を吐く。
意思もなく投げ出していただけの手がゆっくりと持ち上がって頬に触れてきた。

「僕だってわかってくれてるんだね、こんな所で……こんな時に……ごめん」

「………いいから、俺はいいから」

どこにもいないと思っていたのに……、「もっとして」となどと色っぽい目で誘われるなんて思いも寄らない。

「抑えられない……から、蓮は大変だよ?」
「壊してくれていい」

ニヤリと口の端を上げた蓮は本当に誰なのかと思う。またモワリと湧く嫉妬を含む劣情に頭の芯がグラリと揺れた。

「そんな顔をしないでくれる?」
「失望……した?」
「…自分にね」

どっちにろ、最初から最後まで支配者は蓮なのだ。それは小さなライブハウスで出会った頃から何も変わっていない。

床に転がっていた温いペットボトルを開けて口一杯の水をキスのついでに流し込み、残りは頭から掛けてしまった。

「終わらせても…いい?」

やめるつもりも逃すつもりは無いから蓮の返事はキスで塞いだ。

そして、蓮には悪いが気の済むまで細い体を蹂躙させて貰った。




全てが終わると、蓮はまるで落ちるように寝入ってしまった。
そのまま側に付いていたい気持ちは山々なのだがそうもいかない。
フルスロットルで唸っているエアコンの温度を下げてから、濡れた服が体温を奪わないように誰の物ともつかぬタオルをかけておいた。

鍵を開けて部屋の外に出ると腕を組み、壁に凭れた大男が睨んでいた。

「黒江さん……」
「蓮は?」
「眠ってしまいました、暫くはそっとしておきましょう」
「何をした」

それはわかっているからこその問いだ。
答えを聞くつもりも無いだろうが答える気も無い。言い訳をするつもりも取り繕う気も無かった。

「蓮は僕のものです」
「あんたはわかってない、蓮は、蓮の全部が俺のものだ、最初からな」
「……どっちにしろ黒江さんとは一連托生なんです、これからもよろしくとしか言えませんけどね、もう一度言います、蓮は僕のものです」

それだけ言って会場に戻った。
10分から15分くらいのものだが穴を開けた責任は取らなければならない。

怪我人が出ているかもしれない状況だったのだ。
もしかしたら救急車なり警察の介入が必要な状況になっているかもしれない。
それなりの覚悟を持って会場の方に向かったが……驚いた事に広場は派手な飲み会に変貌していた。

あちこちに座り込む数人の輪が出来上がり、楽しそうに騒いでいる。
ただし、ステージに集まっていた執行部は難しい顔をしていた。

「ごめん佐竹、みんなも、どうなった?」
「蓮は?大丈夫か?」
「寝てるけど、怪我人は?」
「何人かはいるけどな、みんな軽症だし気にしちゃいない感じ?」

ほら、と佐竹が顎で差した先では裸になった何人かが氷を投げ合って遊んでいた。

「あれは販売用の氷か」
「ドリンクのスタンドが崩壊してクーラーボックスをぶちまけたらしいな」
「何にしても大事にならなくて良かったよ、ちょっと準備が甘かったな」
「いや、クリスがPAを境にロープを張れって言ってくれたおかげで大惨事を防げたんだと思う、前夜祭で良かったよ、もし子供でも混ざっていたらどうなってたかと思う」
「……そうだな」

将棋倒しにならなかったのはフットワークの軽い学生が上手くステージに上がって避けてくれたからだ。
それでも大学側にはある程度の報告をしなければならないだろう。
そうなると第二回目の開催は難しくなる。
しかし、今回得た収穫を思えばそれは些細な事だった。

「それで?他に何か問題があるんだろう?」
「ああ、PAの機材が倒れてな、真城によると保険に入って無いらしい」

「すいません」と頭を下げた真城は髪と同じくらい白い顔をしていた。

「そこは僕に任せてくれたら大丈夫だと思う、ねえ?黒江さん?」

のそのそと輪の後ろにやって来た大柄な影に問いかけると、不機嫌に結んだ口を動かさないままで「ああ」と答えた。

「日暮さんは?ドラムセットは私物だと聞いてますが無事だったんですか?」
「あいつはプロだからな、自分の役目が終わったらさっさと帰るつもりだろう、俺が頼んだんだからドラムに何かあれば俺に請求書が来る、もう自分の車に積み終わってる頃じゃ無いか?」

「……俺が手伝いました。でもベースドラムに……スニーカーの靴底がクッキリと……」

益々青くなった真城が震える声で訴えると笑いが起こった。
何も出来ない今は色々考えても仕方がないのだ。
「飲もうか」と誰かが言ってビールが回って来た。
学祭本番は明日なのにもう打ち上げ気分だ。
このまま帰る事は無く、怒涛の学祭本番に雪崩れ込む事になるのはわかっているが、ビールのタブを開ける爽快感には敵わなかった。
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